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喜界島(きかいじま)と聞いてピンと来る人はそう多くはないと思う。
鹿児島と沖縄のちょうど中間ぐらいに位置している奄美大島に、ちょこんとくっついた周囲50km足らずのかわいい島である。
その島に群生し「特攻花(とっこうばな)」と呼ばれている草花を、19歳から5年間喜界島に通って撮影し続けた仲田千穂さんの写真集である。
クレオパトラアイランドとも呼ばれているサンゴ礁でできた喜界島は、民話や伝説の宝庫でもある。この美しい島にも、第二次世界大戦中には陸海軍部隊の基地があり、特攻隊の中継基地として多くの若者がこの地から飛び立っていった。
特攻花は、一般には“天人菊(テンニンギク)”、あるいは“ガイラルディア”と呼ばれる北アメリカ原産の花である。マーガレットを思わせるような花びらだが、花の中央の朱赤がグラデーションとなって広がり、花びらの先端でいきなり黄色となるドラマティックな面相である。中央が朱い、小さなひまわりをイメージすると近いかもしれない。
その花が喜界島空港を中心に繁殖したのは、「対戦中、この基地から死の飛行に飛び立つ若き特攻隊員たちに、島の娘たちが情をこめて贈ったテンニンギクの花束の種子が落ち、そして芽生え、この地に年々繁殖して現在の花園になったから」と、伝説の島のホームページ(http://www.minc.ne.jp/kikai/)では紹介されている。
仲田さんがこの話を聞いたのは19歳。おそらく考えるよりも先に行動してしまうタイプなのだろう、同年代の若者が時代を背負って空中に散っていったことを知った衝撃とともに、「その花を見たい、撮影したい」という衝動にかられ、彼女は喜界島に向かった。
特攻花は、思いっきり空を見上げて咲く花である。
残念ながら、写真の技術的な解説はできないが、「一輪の花は、一人の特攻隊員」と書かれているように、花がそれぞれ何か語りたいのでは? 空に向かって何か叫びたいのでは? そんな気持ちにさせてくれる写真がいくつも登場する。
また、写真集には、出会った人たちの写真や取材メモも記されている。
例えば、坂津忠正さん。仲田さんが初めて喜界島に撮影に行った時の新聞記事をきっかけに知り合った元特攻隊員である。特攻隊と言えば、まず思い浮かぶというほど知られている鹿児島知覧町の特攻平和会館の顧問で、特攻会館で展示されている資料(遺書)を、生涯をかけて全国から集めた人である。
また、資料を調べていく中で人脈は広がり、“鹿児島から特攻花を喜界島に運んだかもしれない人”の知人にも行き着く。
「私たちは今夜が最後の夜だと覚悟した。
『俺たちは天に昇る人間だ…俺はこの天人菊の花が無性に好きだ。こいつを喜界島の飛行場に移植してやろうと思ってさ…』」
伝説化していた話が、現実味を帯びてくる。
ただ、広い見地から生態系を考えると、植物の移植は手放しで受け入れることはできない。
けれども、今もし戦争が起きてしまったら……。環境のためには、平和が続くことがなにより必要。島の人々が「平和を願う花」と大切にしている花によって平和への思いを持ち続けることは環境を守ることにつながる、そんなふうに寛容に理解していただければ、若くして失ってしまった魂も喜んでくれるにちがいない。 |