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新本登場

“新本”は続々登場しているのに、当メニューの更新が遅れていたことに焦りを感じていたそんな矢先、環境ジャーナリストの府中太郎さんが3冊の新本についての読後感を寄せてくれた。


女性との対話形式に託しあえてまた矢を放つ
期待したい“本質的な”化学物質のリスク論議

●『これからの環境論』
●渡辺 正


「お待たせしました」といった感じで登場してきた。「“空騒ぎだったダイオキシン問題”の渡辺教授」との印象が読者には強いようだが、渡辺教授はこれまでに「逆説・化学物質―あなたの常識に挑戦する」(ジョン・エムズリー著/丸善 1996年)や、「化学物質ウラの裏―森を枯らしたのは誰だ」(同/丸善 1999年)をはじめ多くの翻訳を上梓、上っ面な「もの(事象)の見方」に警鐘を鳴らしつづけてきた。環境問題でも著者が俎上に上げる対象はダイオキシンやいわゆる環境ホルモン問題にとどまらず幅広い。その根元には化学物質の安全性を捉える確かな視線がある。先に言っておけば、この本は「シリーズ地球と人間の環境を考える」全12巻のまとめの位置付けにあるもの(但し10巻と11巻はこれから発売)であり、個々のテーマについては各巻でより詳細にみることができるが(著者も第2巻「ダイオキシン」を執筆)、著者にとっては、さらに「環境問題あれこれにつき、違和感を抱えながら18年ほど調査を続け、考えてきたことの集大成のようなもの」でもある。

渡辺教授は、その「環境問題」に対しては「第一期(1965年頃〜1985年頃)」と「第二期(1985年頃〜現在)」を明確に指摘する。第一期は本気の時代であり、ホンモノの汚染・被害があり、その対策に総力があげられ、結果、水質や大気の浄化が目覚しく進んだとする。これに対して第二期は「遊びの時代」と厳しい表現をする。組織や研究者の仕事づくりが目立ち、「環境は悪化している/予防原則が必要」といったキャンペーンが繰り広げられているという。第一期の対策の結果は大気汚染や水質汚濁のモニタリングデータを見れば一目瞭然、1980年以降は横ばいの数値が続く。第一期の目標はこれで概ね達成ということになるのか。そこで第二期は、いわば視点を変えての環境問題へのアプローチが始まった。ここで基本になるのが(第一期でも重要ではあることにはかわりはないのだが)「科学(化学)の目」だとする。事実(データなど)にもとづく/数値(量・濃度)をもとに考える/話の筋(因果関係)を確かめる/定説を疑うーがそれ。第二期に入って、徐々に目に余るようになってきたのがこうした「科学の目」をないがしろにしている流れのようだ。これが、ここで紹介する本(と同時にこのシリーズ全体)の基本的なスタンスといえる。

「これからの環境論」で取り上げているテーマは、酸性雨、地球温暖化、命・健康を脅かすもの(天然物と化学物質など)、ダイオキシン、環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)など。全体を通して見れば、これらを被告とした最終弁論を聞く思いでもある。あるいは名だたる名探偵が登場する質の良い映画の最終場面、つまり謎解きの場面を観ている雰囲気でもある。眉目秀麗と思われる若い女性との会話で進む語り文形式がことさらリアルに感じられる。ということで、弁論内容や謎解き話は、ここであまり話さないほうがいいか。一つだけ触れておけば、一般読者である私達においても、リスクに対する見方が、ここ数年で確かにより正確な方向に変わってきていることがある。環境問題を人の命や健康を脅かす問題として捉えるならば、巨悪はアルコール(酒)・タバコ・クルマの三つだとし、これらのリスクが10,000だとするならば飲食物の天然成分のリスクは10〜1,000、化学物質はといえばリスク1以下であるとの認識は、かなり一般化してきているのではないか。

化学物質の安全・安心については多くの議論が飛び交って欲しいと思う。化学物質のリスクコミュニケーションも、まだ言葉が先行している傾向もあるが、ぼちぼち始まっている。そうしたことを気にしながら、読み進む中(具体的には本書166〜167ページの部分)で、渡辺教授の考えに対する反論なのだが、ダイオキシン問題に取り組む某氏がフランスでの動きを紹介しながらの雑誌掲載文(2003年)に対して、そのフランスでの動きの個所は誤訳であると指摘されている。単なる誤訳であるのか、ある種の意図的な「意訳」であるのか、あるいは指摘されるような間違いではないのかどうか、「Fさん」の反論が待たれるところだ。そうした一つ一つの「正確さ」を積み上げることで、環境問題は見える形になるし、それこそ、いま何が必要なのかの共通認識が形作られていく。

   *発行所:日本評論社
    〒170−8474 東京都豊島区南大塚3−12−4
    TEL :03−3987−8621
   ▼版型:B5版/230ページ
   ▼価格:1680円(税込み)





“欲しい的確な中国環境事情”のニーズに応える
中国だけの問題でないだけに貴重なデータ集に

●中国環境ハンドブック2005−2006年版
●中国環境問題研究会編


中国の環境問題は、今、どうなっているのか。
地球環境問題としての中国の環境に関心を寄せる人や、中国の環境が日本の環境へどのように影響しているのかなどに関心のある人だけでなく、一体、中国の大気や水質などの環境質はどうなっているのか、その対策はどの程度のものなのか、ということに疑問や関心を持つ人は少なくないだろう。中国の環境に関する一般的な情報に、なかなか接することができないことは事実で、その対極では、中国の経済活動、産業発展などのニュースがあふれんばかりになった今日、中国環境の実情を的確に把握したいとのニーズは高まっている。

 本書の執筆者としても登場する宇井純氏や原田正純氏などは早い段階で中国の環境問題と関わってきた(初の訪中は宇井氏が1973年、原田氏が1976年)が、それはある意味で点での係わりから線の係わりに移り始めたところで、一端、止まったようにもみえ、面での係わりまでにはこれまで、いたっていなかったようにも思う。こうした人々がそうであるのならば、私のような一般市民には中国の環境問題は、身近なことがらとして捉えるどころか、雲をつかむような話のレベルであってもしょうがないかとも思ったりする。言い訳になるけれど情報が少なかった(探せば必要な情報がいくつも得られることが最近分かってきたのだけれど、これまで積極的には情報を求めていなかったこと、情報に対して受身であったことを反省しての言い訳であるのだが)。そうした中で中国環境問題研究会が編纂した「中国環境ハンドブック2005−2006年版」に出会った。中国の環境情報に関しては日本環境会議の「アジア環境白書」(編集:日本環境会議「アジア環境白書」編集委員会/発行:東洋経済新報社)がその一部でレポートをおこなっているが、「中国環境ハンドブック」は、特集T部で宇井氏や原田氏など各氏のコメントを、またU部で中国政府が取り組む第9次国家5ヵ年計画(九五計画=1996〜2000年)、第10次5ヵ年計画(十五計画=2001〜2005年)における環境への取り組みを縦軸に、その進捗状況などを織り交ぜながら水危機、石炭と大気汚染、廃棄物・リサイクルなどの状況をまとめ、さらに環境被害救済への道のりと題した項目で、いくつかの事例をあげて健康被害とその救済への取り組みを紹介している。以上を特集編として、データ・資料編では国家環境保護総局が毎年公表している「中国環境状況公報」の最新版である「2003年中国環境状況公報(摘要)」を訳出、他に法律や統計資料なども掲載している。「環境状況公報」は日本でいえば環境省がまとめている環境白書(環境年次報告)に相当するものだ。

中国の環境問題を見るには、中国の経済・産業、政治を深く絡めないと見えない部分も多そうだ。政策としての経済・産業活動を社会主義経済などと表現することもあるが、三峡ダムなどの事例を見れば、その何とか主義経済というものの環境質への対策における危険性に大きな危惧も抱く。悠久の歴史の流れのなかで、今の環境問題が沿いあうものなのかどうか、中国の環境問題やそれへの対応に関心を持てばもつ程、中国が分からなくなり、そうであるからこそ、新たな視点を含めて中国への関心はさらに高まるともいえる。

発行元の蒼蒼社は「チャイナ・ウオッチング専門出版社」。中国情報ハンドブックや中国産業ハンドブック、中国進出企業一覧など中国の産業、経済活動などに関わるデータ集や情報書籍を出版している。その出版社がはじめて環境分野での書籍発行。環境問題と経済活動が不即不離の関係にあることでは中国は多分日本の比ではないことを踏まえるならば、同社の他の出版物と並べることによって、中国を理解することへの手がかりが広がることは確かだ。


   *発行所:蒼蒼社
    〒194−0022 東京都町田市森野2−26−16
    TEL :042−721−9285
   ▼版型:A5版/437ページ
   ▼価格:3000円(本体)





未知の場所でも情景がイメージできる筆力
理屈抜きにして“川口節”に向かい合いたい

●光る海、渚の暮らし
●川口祐二


日本の北から南まで(北海道石狩から沖縄糸満、長崎対馬)の漁村を巡り歩いての聞き書き。戦前から戦後までの(といっても1960年代のことに触れた個所を読めば、そう遠くない昔、いやもう40年も前なら、しっかりと昔なのか)それぞれの漁村での生活の「栄枯盛衰」が主にその時代を生きてきた女性の語りで繰り広げられる。著者の川口さんの経歴などを同書の記載からみれば、1970年代の初めに出身県の三重県で漁村から合成洗剤をなくす運動を実践、2001年には第10回田尻賞(田尻宗昭記念基金)も受賞している。この受賞にあたっては「全国各地の海辺の荒廃を記録しつづけている海の語り部」と評されている。「光る海、渚の暮らし」はそうした海辺の聞き書き本の最新刊だ。

川口さんがこうした聞き書きを通して言いたいことは何か、などということは素通りしてもかまわないだろう。読み始めてすぐに、「見ること聞くこと全て新鮮」との強い印象を受けた。行ったことのない場所でもあるのに、そこの情景が浮かんでくる。時間の枠も取り払われる思いで、個人の生きた歴史が、ガァーッと目の前に示される。それをそのまま素直に受け入れる。それが積み重なると「昔は漁も多かった。魚も(種類が)豊富だった」という語り手に共通する想いが伝わってくる。それを海の生態系が変わってきていると短絡に結び付けてはいけないのだろうけれど(ただそれは事実であることなのだが)、そうした海の変化を、漁を生業(なりわい)とし、魚とともに暮らしてきた人は、日常の言葉で、静かに語れる強さがある。そうであることによって、その言葉が響いてくる。聞き書きという手法の強さもある。平和であること、環境と共生することなどと、いわば「背景」に思いを巡らすことは不要だ。ひたすら、ここで語られることに「聞き入る」、そんな向かい方を求める本でもある。


   *発行所:ドメス出版
    〒170−0003 東京都豊島区駒込1−3−15
    TEL :03−3944−5651
   ▼版型:四六版/245ページ
   ▼価格:2000円(本体) 




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