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現物が保存されているのは、『輜重兵戦術とは<全>』と、『続 輜重兵戦術とは<全>』、そして『兵用天文 星で方角を知る方法』の3作。いずれも平成6(1994)年に壬生町立歴史民俗資料館に遺族から寄贈され、保存されている。
これらのうち、タイトルで明らかなように『輜重兵戦術とは』は、輜重兵という陸軍の中でもテクニカル・プロフェッショナル用の戦略論である。版型は、いまの規格にあてはめると「A5版」だが、そのページ建ては<全>が401ページ、<続>が181ページに及んでいる。
写真:壬生城跡の“文化地域”の一角に瀟洒なたたずまいを見せる壬生町立歴史民俗資料館
「目次」の大・中項目を紹介すると―
第一類 輜重の外的指揮
・第一 補給
・第二 戦闘 |
第二類 輜重の運用
・第一 軍隊区分
・第二 輜重の進路 |
第三類 輜重の内的指揮
・第一 指揮官の位置
・第二 行軍
・第三 授受
・第四 宿営
・第五 給養 |
―となっている。
「序」に筆者のこの著への思い入れが卒直に書かれている。要約すると―
1) 第一類は、輜重戦術の第一義的なものであり、真髄であり、興味の中心であり、価値そのものしている。
2) 第二類は、幕僚勤務の一端で、第二義的、一般戦略的なもの。
3) 第三類は、輜重戦術としてはその影響範囲が部内に止まり奥行きは深くないが、後方勤務者には必修事項で省略は許さない。
―とし、それまでの輜重戦術はあまりにも運用の事務的方面に傾き、本来の戦術についての研究は疎んぜられ、著者は不満を抱いていた。輜重兵とは「軍需品輸送」から「戦力輸送」まで“進展”し、「非戦闘員」より「最後の予備隊」にまで信念を高める必要を感じ、このよう具体的にまとめたと力説している。
そして、不備もあるが、本著は「輜重兵戦術原論図解であり、輜重兵戦術確立の第一段階であると主張するに躊躇しない」と言い切っている。社会風潮として常に揶揄されていた輜重兵の地位向上のために心血を注ぎ込んだ、稀有の存在の一作といえよう。
*編集:陸軍自動車学校将校集会所
*発行:千城堂
*発行日:昭和10(1935)年9月10日
写真:3色カラー刷りで地図などふんだんに取り入れている
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にもかかわらず、1年余り経過した昭和11(1936)年11月には、より完成度を高めたい欲求にかられ、<続>をまとめている。
『続 輜重兵戦術とは』の構成は―
第一篇 輜重兵戦術体系
・第一章 緒論
・第二章 輜重兵戦術の類別
・第三章 輜重兵戦術の体系
・第四章 結論 |
第三篇 輜重兵演習計画
・第一章 緒論
・第二章 既存の種の利用法
・第三章 種の捜し方
・第四章 種の作り方 ・第五章 演習計画要
・第六章 結論 |
―となっている。
難解な部分もあるが、「序」で<続>をまとめた意図を端的に書いている。
(既存の輜重兵戦術とは異なる自説が)「框底に埋むるに忍びず発表して大方の高教を待つことにしたい」と。そして、自らの説に触発されて「驥駿(きしゅん=すぐれた逸材)の出現を見れば望外の幸である」と。
究極としては、小嶋時久の生き様が浮かび上がってくる。
一つは、謙虚な姿勢である。
と同時に、一方でかなりの自信家でもあったと思われる。「結論」にこうまとめている。分かり易く少し手を入れて表現すると、「天才は本書の如きものを必要とせぬ。否、かえって邪魔者となろう。しかし、世(の中)は天才と信ずる者はすでに天才であるまい」と。
*編集:輜重兵研究会(教育総監部輜重兵監部内)
*発行:千城堂
*発行日:昭和12(1937)年1月20日
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一口で言えば、「科学書」であり、「実用書」である。そして、それは軍事用や軍人用だけでなく、一般の天体愛用者にも役立つ書である。
小嶋時久がこれをまとめたのは旧満州や旧蒙古などの大陸で方角を探る際、気候的にも天体を利用しやすい。一つ覚えればそれだけでも役に立つし、複数覚えればさらに便利であることのみならず、その思考、手法を通じて宇宙の深遠さや大自然の美に触れ、親しむべきだという啓蒙も意図したと考えられる。
構成は―
第一章 先づこれだけを心得て
第二章 星の見分け方
第三章 方角の見方
附 録 |
―となっている。
写真:この種の本が8000部も発行されたのはこの本の魅力を表していよう
全編を通して流れているのは大宇宙に対する畏敬の念、そしてロマンを追及する少年のような熱情だ。「序」に大宇宙の深遠さを感じ、生活を豊かにし、淋しい夜道の独り歩きにも僚友を天に求めることが出来る―と記しているのがもっとも端的な例であろう。そして、アジア各地域(原文はと東亜共栄圏)で異なる標準時に「いずれ規正する期が来るであろう」との予言している。
このような著者の天文学に対する造詣は、戦後、栃木県壬生町に疎開、開拓の農作業などに十二分にリーダーシップを発揮したことなどで実践されており、時久の身についた学問を結果的に立証することになり、それらを少年時代目の当たりにして育った〈宇井純〉に多大な影響を与えたことは論を待たない。
写真:各見開きに1ページくらいの割合で星座などの図がちりばめられている
*発行:恒星社
*発行日:初版(3000部) 昭和17(1942)年6月7日
再版(5000部) 同18(1943)年9月10日
*定価:62銭(税込)
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科学技術と経済を結び付けることを目指して発行された雑誌、『科学主義工業』の4周年記念号(1941(昭和16)年6月1日発行)の特集「機械化装備と各国の国防工業」の日本編を担当、寄稿している。
退官後、「輜重兵戦術」に関する2著をまとめるなど科学や技術、それも成年向けだけでなく少年向けの雑誌にまで幅広く執筆あるいは編集を手がけていたときの、いわば“テクニカル・エコノミスト”として油が乗り切ったころの小論文。
末尾の「技術は単なる元気のみにより進歩すべきものではない。技術は科学であると共に練磨であり、絶えざる反復こそ熟練の母である」としている。太平洋戦争が始まる半年ほど前の執筆であることを考えると、時久が太平洋戦争について、どのように洞察していたか興味深い。 【資料提供:宇井修氏】
*発行:渇ネ学主義工業社
*発行日:毎月1日
*定価:50銭(送料2銭)
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