A

(3)「いのちの安全調査委員会」(仮称) の設置を

 水俣病が発生しはじめた初期において、行政 (とくに国) は積極的に実態と原因を調査・分析する取り組みをしなかったし、機動的にそのような対応をする組織を持っていなかった。原因をすみやかに明らかにすることは、被害の拡大を防ぐためにも、類似の事件の再発を防ぐためにも、さらには地域住民の不安やパニックや偏見・差別を防ぐためにも、不可欠である。しかし、行政の現実はいずれも正反対のものであった。

 水俣病被害者の発生が広域化しはじめ、その拡大を防ぐべき決定的な別れ目となった昭和34年において、行政は関係省庁が一体となって住民の生命と健康の確保に取り組むべきであった。にもかかわらず、産業振興と経済成長を至上命題とする通産省が国民の健康政策を担う厚生省を抑制し、政府統一見解の取りまとめを、大幅に遅らせる画策をした。厚生省も、水俣病の原因究明と被害の拡大防止におよび腰だった。日本の行政組織における「タテ割り主義」と官僚の縄張り意識は、行政官に自分の領域の政策の遂行しか視野に入らないといういわば視野狭窄症をもたらし、国民の生命と健康という至上価値さえ見失わせたと言える。

 

 往年の帝国陸海軍は、太平洋戦争直前のノモンハン事件をはじめ、ミッドウェイ海戦、インパール作戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、沖縄戦などで、次々に作戦上の同じ失敗を繰り返した。それはなぜなのか。経営学者の野中郁次郎・一橋大学教授ら組織論・経営論・軍事論の専門家6名による共同研究グループの研究報告『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』 ( ダイヤモンド社、1984 ) は、最終章「失敗の教訓」の中で、「日本軍が特定のパラダイムに固執し、環境変化への適応能力を失った点」は、戦後も、行政官庁から革新政党に至るまで至るところに継承されていると論じ、行政官庁については、「タテ割りの独立した省庁が割拠し、日本軍同様統合機能を欠いている」と批判している。まさにその弊害が、水俣病への対応をめぐって、象徴的な形で示されたということができる。

 国民の生命にかかわる問題で、国の行政が省庁間の政策選択の価値観の違いから「不作為」に陥るというのは由々しい問題である。多省庁にわたる問題が生じた時、どの省がリーダーシップを取るのか。問題によって違ってくるだろうが、国民の生命にかかわる問題については、国が関係省庁の縄張りを超えた最優先課題として予防や拡大防止の責務を担うことを、然るべき法律の中で明文化すべきであろう。あわせてこの機会に、省庁がタテ割りで割拠している中で、国民の生命にかかわる問題が生じた時、どのようにして統合機能を発揮できるようにするかが検討課題であろう。

 

 これらの問題を克服し、これから国民の生命と健康に被害が生じるような事件が拡大した時に、行政が機動的に対処することのできるシステムを確立するために次の取り組みを提案する。この提案は、21世紀においては、国家の安全にかかわる危機管理体制と並んで、国民 1 1 人の日常におけるいのちの安全を守るためのもう一つの危機管理体制を確立することこそ、政治・政策の最重要課題であるとの認識に基づいている。

 国民の生命と健療に危険を及ぼすようなさまざまな危険な事象・事件が発生した場合に、その原因究明と事件の構造的問題の解明にあたるとともに、被害の拡大防止策や再発防止策や普遍性のある教訓などについて積極的な勧告・提言を行う常設の「いのちの安全調査委員会」(仮称) を設けること。臨時編成の調査委員会では、所管行政機関からの独立性を確保できず、事件の構造の解明も期待できないし、専門性のある人材と情報の蓄積もできない。

 

《補論》 「いのちの安全調査委員会」(仮称) の設置にあたって考慮すべき要目として、次のような試案を示しておきたい。

@)「いのちの安全調査委員会」の行政組織上の位置づけは、内閣総理大臣直属の第三者機関的な組織とすることが望まれる。 (アメリカのNTSB・国家運輸安全委員会など安全問題の調査機関は大統領直属の独立性の強い組織になっている。)

  次善の策としては、省庁ごとに一般行政組織から独立した大臣直属の「○○省・いのちの安全調査委員会」という形で設置する。この場合、日本の既存の行政組織の形態としては、航空と鉄道の分野で、事故調査と安全勧告の任を担っている国土交通省航空・鉄道事故調査委員会がある。

A) 「いのちの安全調査委員会」は、常勤・非常勤の委員 (Board members)と各種専門分野の調査官等によって構成される。

B) 国及び地方の行政機関は、環境の異常現象 (動植物の異変、有害物の発生等) 、環境汚染、健康被害、生命の危機等の情報を把握した時は、速やかに「いのちの安全調査委員会」に通報しなければならない。

iv) 「いのちの安全調査委員会」は、正確な事態の把握と原因・背景の解明のために、公的機関はもとより、私企業や私有地等への立ち入り調査や資料提出要求、関係者の証言聴取等ができる強い調査権限を付与されるべきである。

  (アメリカのNTSB・国家運輸安全委員会、NRC・原子力規制委員会、FDA・連邦食品医薬品局等は、強力な調査権を付与されている。ハワイ沖で日本の練習船「えひめ丸」が米海軍の原子力潜水艦に衝突されて沈没した事件は、NTSBの調査員がハワイの太平洋艦隊停泊基地に駆けつけ、直ちに機密性の高い原潜の内部への立ち入り調査まで行ったことを想起すべきである。 また、オランダでは最近、交通機関の事故調査だけでなく、健康被害、産業事故、公害、災害な どの調査や救急医療、被害者支援についても、一つの国家機関が統轄して行うようにする行政改革が行われ、総合的な安全調査委員会が発足した (Kingdom Act, 2 Dec. 2004) 。これらアメリカやオランダの取り組みは、国民の生命の安全のための危機管理対策として、21世紀の国家が目指すベき方向を示すモデルとして注目すべきであろう。)

v) 「いのちの安全調査委員会」は、事案の原因と構造の解明の終了後はもとより、調査の途中であっても、人間の安全や環境の保護のためにすみやかに対処する必要があると判断した時には、関係行政機関や私企業や団体等に対して対策の取り組みを勧告することができる。

vi) 「いのちの安全調査委員会」は、事案の調査結果はもとより、安全にかかわる情報については、プライパシーの侵害になるもの等を除き、積極的に公表すること。

vii) 行政機関は、被害の因果関係や食物汚染の危険性について、科学的な証明が不完全な段階では、責任回避のために、科学的不確実性を口実にして、「不作為」を正当化する傾向がある。水俣病事件は、その最悪の事例であった。

  このような場合、被害の拡大を防ぐことを最優先にするならば、因果関係についてとりあえず推定であっても、被害拡大防止に可能と思われる対策にすみやかに取り組むべきである。その結果、後になって、推定に誤りがあったことがわかり、対策が拙速なものであったとしても、重大な過失がない限り、担当行政官の個人的責任は免除されることが必要であろう。 (規制による経済的被害に対する補償は、当然行われなければならない。)

G) 公害、薬害等、さまざまな事件の被害者の救済・補償について、政治主導による一応の決着や事態の鎮静化 (いわゆる政治解決) が行われた場合であっても、積み残しにされた未救済の人々の有無の調整、事件の構造的解明や被害発生のメカニズムの科学的解明、被害全容の解明などの問題については、「いのちの安全調査委員会」も関係行政機関も、対応をそらすことなく、調査活動を継続すべきであろう。

写真:時には小池大臣があいさつもした=2006117日、第7回会議で


 .被害者の苦しみを償う制度を

(1)状況の急変が問うもの 〜求められる高い次元の政治の決断〜

 水俣病問題は、水俣病の認定を棄却された被害者等に対する平成 7 年の「政治解決」以後、ほぼ解消されたかのように一般の人々の間では受け取られていた。あるいは、一般の人々はほとんど関心を向けなくなっていたというべきかもしれない。

 しかし、最近になって、水俣病問題をめぐる状況が次の4点を軸にして、急激に変化した。

@平成16年10月、「政治解決」を受け入れずに国と熊本県の責任を聞い続けた水俣病関西訴訟に対する最高裁判所の判決で、原告側が勝訴し、水俣病の拡大を防がなかった国と熊本県の責任が問われたこと。

Aこの最高裁判決後、水俣病の認定申請をする人々が急増し、平成18年8月末現在、その数は4,300人を超えていること。しかも、熊本・鹿児島両県の認定審査会が構成されないため、申請者は長期にわたって多くは行政から医療費等の給付を受けているとはいえ、待機を余儀なくされているという異常な事態になっていること。環境省は両県の審査会委員に予定されている医師たちの説得をしているので、いずれ理解が得られるものと期待していると、「懇談会」に説明したが、最高裁判決から1年10か月経った平成18年8月の時点でも、審査会が成立する見通しはたっていない。

Bさらに、これら申請者のうち、約1,000人は国家賠償請求等の訴訟を起こして、司法の場で患者認定と補償額を認定する司法救済制度の確立を求めていること。

C水俣病公式確認から50年の節目を迎えて、水俣病被害者や支援者などから恒久的な救済・補償の制度や地域の再生を求める声が強まってきたこと。

 

 これらの状況の急変の中で、とりわけ重視しなければならないのは、司法判断を最終的に確定する最高裁判決で、水俣病の拡大を防ぎ得たにもかかわらず、意図的な「不作為」によって防がなかった国の責任が厳しく問われたことの重い意味である。この判決は、訴訟の原告に対して損害賠償金を支払えば済むという性格のものではない。国民の生命・財産を守る責務を持つ国が、悲惨な症状に襲われる水俣病被害者が次々に発生するのを放置したに等しい政策判断をしたことの責任を問われたのだから、そういう政策のあり方を根本的に変えることで被害者全体と国民に対して償いを示すべき責務が課せられたのだという受け止め方をしなければならない問題なのである。

 しかも、国の「不作為」は、高度経済成長のテンポを停滞させないために、被害の発生を見て見ぬふりをして放置するという重大なものであったことを考慮すると、高度経済成長政策の犠牲者である水俣病被害者に対する国の救済・補償のあり方は、財源難や過去のしがらみを理由にしたその場しのぎであってはならず、内閣全体の決断を必要とするものであろう。また、そのような高い次元の政治決断がなければ、水俣病50年にふさわしい問題の根本解決は望めないと、「懇談会」は判断した。

 

 水俣病拡大に対する国の責任問題を議論するにあたって、ここで、もう一つ視野に入れておくべき次のような最近の一連の司法判断がある。

 (歴史的潮流をわかりやすくするため、既述の水俣病関西訴訟に対する最高裁判所の判決も加えた。) 

@平成16年4月、往年の炭鉱労働者が大量にじん肺にかかったことに関して、国がじん肺対策を怠った責任を問う患者・遺族 176 名による国家賠償請求のいわゆる「筑豊じん肺訴訟」で、最高裁判所は「国に責任あり」と認定した。

   ・炭鉱内で、粉塵を吸って治療法のないじん肺になった労働者は、昭和34年ごろには1万人にも達していたが、そのころには、労働者が粉塵を吸引するのを防ぐ「湿式削岩機」が実用化されていた。にもかかわらず、通産省は削岩機の湿式化を企業に義務づけるのを長年にわたって怠った ( まさに「不作為」) 。通産省が省令を改正して、じん肺防止策を取ったのは、何と 昭和61年になってからだった。この事例にお

 いても、戦後の経済再生に不可欠だったエネルギー資源の石炭生産を身を挺して支えた労働者たちが大量に犠牲を強いられたのである。

A平成16年10月、「水俣病関西訴訟」で最高裁判所が国に安全対策上の「不作為」の責任ありとの判決を下した。

B平成18年6月、乳幼児期の集団予防接種で注射器が使い回しされたことによってB型肝炎ウイルスに感染したとして、札幌市の患者5名が国に損害賠償を請求していた「B型肝炎訴訟」に対し、最高裁判所は、「国は注射器の連続使用を放置していた」(つまり「不作為」責任) として、賠償責任を認める判決を下した。

 

 <追記> これらの最高裁判決と同じ時期に、各地の地方裁判所でも、国の権限不行使や患者認定のあり方をめぐる訴訟で、国が敗訴する判決が、次のように相次いだ。これらの訴訟については、いずれも国側が控訴しているので、判決が確定したわけではないが、上記の最高裁判決とともに、最近における司法判断の顕著な傾向を示すものとしても、また、様々な問題の被害者と国との関係がどのような実態にあるのかを示すも のとしても、注目すべきであろう。

 

@)平成18年5月、広島・長崎で原爆放射線の 被曝をしたのに、国の「認定基準」を満たさないとして原爆症患者と認められなかった人たち9名が、不認定処分の取り消しなどを求めて訴えていた「原爆症不認定取り消し訴訟」で、大阪地方裁判所は、被爆者側の訴えを認めて、国に対し不認定処分を取り消すよう求める判決を言い渡した。地裁段階の判断なので、その後は控訴審で審理中だが、この大阪地裁の判決は、最近の裁判所の判断の潮流にそったものとして注目したい。

 ・原爆症患者として医療費などの援助を受けるには、国の審査会によって「認定基準」を満たしているかどうかの認定を受けなければならない。この「認定基準」は疾病ごとに原爆放射線との因果関係の可能性を「原因確率」(パーセンテージ) という数字で決めて、実際にあてはめるという方法を採っている。大阪

   地裁判決は、この「原因確率」による「認定基準」について、「考慮要素の一つに過ぎない」として、「(たとえ被爆した場所が爆心地から2キロ、3キロと離れていても) 被爆状況や生活歴など他の要素も総合して考慮し、経験則に照らして判断すべきで、機械的に適用すべきでない」と述べている。

  ・この原告9名のうち7名は、爆心地から1.5キロから3.3キロで被爆し、2名は後で市内に入った人たちで、全員ががんや甲状腺機能低下などを発症している。しかし、被爆との因果関係を推定する「原因確率」は10%未満とされて、原爆症認定を却下されていた。これに対し、判決は1人1人について、被爆状況

   や生活歴、健康状態などを細かく検討し、「黒い雨などの放射性降下物などを体内に取り込んだ可能性があり、 (直後には)脱毛などの急性症状もあった」などと述べて、原爆症と認めるのが合理的かつ自然だと判断した。

・この判断は、何らかの疾病の「認定基準」を完全には満たさないが、その辺縁にある患者について、「機械的に」排除するのでなく、柔軟に判断することによって救済の道を開いてあげることが可能になるのを示した恰好の事例と言えるだろう。それこそまさに、この「提言書」で提言している被害者に寄り添った「2.5人称の視点」に該当するものである。

A)平成18年8月、原爆被爆者41人が提訴していた、上記i)と同じ趣旨の「原爆症不認定取り消し請求訴訟」に対し、広島地方裁判所も、認定基準は「科学的」だとする国の主張を退けて、「認定は原告ごとの被爆状況、急性症状などの全証拠経験則に照らして総合的に考慮し、法的観点から検討すべきだ」という考え方によって、原告全員を原爆症と認定した。 (国側はこれらの判断に対して「非科学的」であるとして控訴。) 「原爆症不認定取り消し訴訟」は、全国で13のグループが提訴しており、このうちこれまでに地裁判決の出た2件が原告勝訴となったのである。

B) 平成18年6月、出産時などに止血剤として投与された血液製剤「フィブリノゲン」などでC型肝炎ウィルスに感染したとして、患者らが国と製薬企業に対し損害賠償を求めていた「薬害C型肝炎訴訟」で、大阪地方裁判所は、フィブリノゲン製剤の安全性が十分に確保されていなかったのに厚生大臣が製造を承認し、 その後承認を取り消す権限を行使しなかったのは、「安全確保に対する認識や配慮を著しく欠いており違法である」として、「国に責任あり」との判決を下した。   (地裁判決なので、国側は控訴。)

iv) 平成18年7月、トンネル工事で、じん肺になったのは、国がゼネコンなどの企業に対し粉塵対策を講じさせる権限を行使しなかったためだとして、元作業員の患者・遺族9名が国家賠償請求を求めていた「トンネルじん肺訴訟」 について、東京地方裁判所は、国が工事現場の粉塵測定や、粉塵が飛び散らないような削岩機と防塵マスクの併用を義務づけなかったことを重視して、「規制権限を行使していれば、じん肺被 害の発生、拡大を相当防止できた」と指摘し、 国に賠償責任があるとの判断を示す判決を下した。  (地裁判決なので、国は控訴。)

 

 上記の3件の最高裁判決 (および地裁判決4件) は、このわずか2年余の間に次々に下されたもので、いずれも国は敗訴し、行政上の責任 (規制権限不行使つまり「不作為」による怠慢) や対応の誤りを間われている。そのことは、国民の生命と健康の確保に対する国の行政の不徹底は、水俣病事件に限ったことではなく、行政全般に体質として染み渡っているものであることを示唆していると言えるだろう。それゆえに水俣病被害者の救済・補償に関する根本的解決には、高い次元の政治決断がなければ前進は望めないし、反面、高い次元の政治決断があれば、水俣病被害者だけでなく、他の事件 (上記の一連の事件) などにも、根本解決へのモデルを示すことになるだろう。

 折しも、水俣病の発生が公式に確認された昭和31年と同じ年に移民が開始された「ドミニカ移民」に対する外務省の施策 (政情が不安定なうえに農耕困難な荒れ地を楽園の如くに宣伝して移民を奨励し、移住者に苦難を強いた)に対し、平成 18年7月21日、小泉首相は前月の東京地裁判決で国家賠償法の点では勝訴していたにもかかわらず、政治判断でドミニカ移住者に対し、異例の「おわび」談話を発表するとともに、移民の代表を首相官邸に招いて、失政を反省する言葉を語った。判決は国に賠償責任なしとの判断を示しながらも、移住をすすめるにあたって、現地調査や情報提供に関する政府の義務違反があったことを指摘していた。小泉首相はそのことを“実質敗訴" と受けとめて、法的には敗訴でもないのに、外務省の立場を飛び越えて「おわび」の談話を発表する決断をしたのだという。行政の論理からでは、こういう発想と決断は出て来ない。また、小泉首相の心を動かした背景には、尾辻秀久・前厚生労働大臣の5年にわたる水面下での努力があった。高い次元の政治決断とは、そういう対応を指すのである。移住者代表は、「私たちが求めていたのは、お金ではなく国からの謝罪だった。これで私たちも棄民ではなく移民になれた」と語った。水俣病の認定を却下された人々や新たに認定申請をしている人々の中にも、「求めているのはお金でなく、はっきりと“水俣病患者" と認められた上での、国からの謝罪なのだ」という声が少なくない。

 以下に水俣病被害者に対する救済・補償の問題点とその根本的解決のあり方について、「懇談会」の判断と提言を記す。

 (2)行政の論理に縛られない視点

 平成7年の「政治解決」の時には、対象になる水俣病被害者の申請を期限を切って受け付けたところ、約11,000人が救済を受けた。当時、水俣病の被害者救済は、これが最終的かつ全面的解決を図れる方法であると「政治解決」にかかわった人々は考えていたので、最高裁判決後の認定申請者の大量出現は予想外のことだった。

 一体なぜ、こういうことになるのか。かねて水俣病被害者やその支援者、研究者の中には、救済・補償の基本的な枠組み、とくに水俣病の補償対象の条件になっている「認定基準」(判断条件) を見直すべきだという意見があり、今回の新規申請者の中からも同じ意見が出されている。

 これに対し、環境省は「認定基準」はチッソが補償対象にする水俣病患者を狭く絞り込むためのものでなく、医学専門家の意見を踏まえて定めたもので、十分に医学的根拠があり、見直す必要はないとの見解を堅持している。また、「懇談会」に対して、議論が進みはじめた段階で、「認定基準」見直しやそのための検討会の設置については本懇談会の議論としては求めないとの見解を示した。

「懇談会」としては、行政に対し客観的な立場に立つ視点から、大量の新規認定申請者の登場とそのきっかけとなった最高裁判決の重要性という現実を前にして、被害者の救済・補績の問題も十分に検討し対策を考えなければ、50年という節目に水俣病問題を根本から見直すという任務を果たすことにならないと判断した。

 一般に、法律や法律の制度というものは、それなりに背景や理由があって存在しているものであるから、行政の実務という領域に視点を絞るなら、現行制度を堅持しようとする姿勢を貫くことをむやみに否定することはできない。問題は立ち位置をどこに置き、どういう視点で制度を見るかという点にある。「懇談会」としては、行政の立場を視野に入れつつも、現在の救済・補償制度を絶対不変のものと捉えずに、「2.5人称の視点」から、今後の救済・補償制度の基本的あり方について議論した。

(3)複雑な救済・補償制度と混乱の根源 

@水俣病の被害者に対する本格的な補償は、昭和48年の熊本第一次訴訟判決に基づいて、同年チッソと被害者および被害者団体との間に結ばれた補償協定が最初のものである。この協定は訴訟の原告となった被害者を対象にするだけでなく、訴訟に加わらなくても国が決めた「認定基準」によって 「水俣病患者」と認定された被害者すべてにチッソが補償の責を負うことを明記した。その結果、補償協定と「認定基準」が連動す ることになった。補償の内容は、症状の重軽度によって、チッソによる一時金支給を、A 1800 万円、B 1700 万円、C 1600 万円と3段階に分け、それぞれに医療費、年金等の給付を付加している。行政は、この枠組みを「法制度救済」  と呼んでいる。

Aしかし、被害者の中には「認定基準」の条件を満たさないため、認定申請を棄却される人々が続出した。そのような被害者たちは、補償を裁判に訴えて勝ち取ろうと各地でチッソや国・県を相手に損害賠償請求の訴訟を起こした。 その混乱の収拾を図り関係者間の和解を進めるため、平成7年当時の与党三党 (自由民主党、 日本社会党、新党さきがけ) により、国や関係自治体の意見も踏まえ、最終的かつ全面的な解決を目指した解決策が取りまとめられた。そして、被害者団体と原因企業がこの解決策を受け入れ、当事者間で解決のための合意が成立したのが、平成7年の「政治解決」であった。救済対象者は、水俣病に見られる四肢末梢優位の感覚障害を有するなど一定の要件を満たす者であり、関係当事者間の合意付属文書において、水俣病の診断はあくまで蓋然性の程度により判断するものであり、公健法の認定申請の棄却がメチル水銀の影響が全くないと判断したことを意味するものではないことなどにかんがみれば認定申請を棄却された人々が救済を求めるに至ることには無理からぬ理由があるとされた。

  給付内容は、チッソによる一人当たり一時金260万円+団体加算金 (訴訟で労苦を注ぎこんできた各被害者団体へのかなりの金額の給 付) に、行政による 医療費、療養手当ての給付金を加えている。

B「政治解決」は訴訟の労苦と年月を省くための妥協であるため、それでは責任が曖昧になるとして、水俣病関西訴訟の原告団は、解決の調印には加わらずに、国、熊本県及びチッソの責任に焦点を絞った訴訟を続行した。この関西訴訟の最終決着が平成16年の最高裁判決である。判決による賠償の金額は800万円から400万円である。これより先、すでに昭和60年に地裁判決で確定していたチッソを相手にした熊本第二次訴訟がある。補償額は1,000万円から600万円。  行政はこれらを「司法救済」と呼ぶ。

Cこの「政治解決」のややゆるめた条件にも合わないで除外されたけれど、被害者の可能性を否定しきれないとされた人々や最高裁判決後に新たに救済を求める人々に対しては、医療費、はり・きゅう施術費及び温泉療養費を支給する「保健手帳」が発給されている。行政はこれを「行政救済」と呼ぶ。

 

 公害事件で、被害者の立場によって救済・補償の中身がこのようにバラバラの枠組みと基準で決められ、金額等にも大きな差があるという例は、水俣病事件以外にはないだろう。なぜこのような複雑な構造になったのか、一般人が理解するのは困難であろう。

 そして今回、関西訴訟に対する最高裁判決が下されたのを契機に、新たに水俣病の認定申請をした人たちが4,200人以上にも達した。平成7年の「政治解決」は“最終決着" にはならなかったのである。

 もちろん、司法の場での決着にせよ、政治解決にせよ、解決策への到達には、それぞれの時点ならではの状況下での関係者の並々ならぬ苦労や涙ながらの苦渋の選択、決断があったことに対しては、「懇談会」として敬意を払うものである。しかし、繰り返しになるが、50年という重大な節目において、水俣病問題が今なお混乱の続く状態にあるという現実に直面して、その根本的な解決の道を探るには、大胆な議論や考え方の出し合いが必要であろう。

――各時点における混乱の因果関係を時間軸にそって整理してみると、次のようになる。

・昭和34年12月、チッソが示した反倫理的な「見舞金契約」に患者側が署名。(後に裁判でこの  契約は公序良俗に反するとして無効にされる。)

             

・同月、厚生省は、水俣病患者かどうかを診断する「水俣病患者診査協議会」を設置した。1年半で県に業務を移す。

             

・認定を棄却される被害者が続出し、それらの被害者たちが、昭和45年「判定不服審査請求」を起こす。

             

・同年(編注「昭和46年」が正)、当時の環境庁は請求を認めた。また、同年環境庁は「次官通達」により患者認定の判断条件を一般化した「認定基準」を示した。

               ↓

・昭和48年、チッソを相手取った熊本水俣病第1次訴訟で原告 (患者たち) 側が勝訴し、チッソと患者の間で「補償協定」が結ばれた。この「補償協定」は、原告以外の水俣病被害者であっても認定審査会で「認定基準」を満たす水俣病患者と認定されたなら、補償対象者になれると規定した。これによって、「認定基準」は「補償協定」と完全にリンクしたものとなった。

               ↓

・「補償協定」が原告以外にも開かれたものであるため、認定申請者が急増、認定患者の増加はチッソが支払うべき補償額の膨大化を招いた。

     ↓

・昭和52年環境庁は、急増した各県の認定審査に統一性と客観性を持たせようと、専門家による検討会を開催して、「昭和46年次官通達」で示した認定基準のうち「有機水銀の影響が否定しえない場合」とは具体的にどういう場合かなど、判断条件の明確化を行った。その結果、有機水銀の影響による症候のうち2つ以上の組み合わせを必要とするなどの「昭和52年判断条件」を示した。環境庁はこの「昭和52年判断条件」は、「昭和 46年次官通達」の趣旨を具体化・明確化したに過ぎず、決して認定の条件を厳しく狭いものにしたわけではないと説明している。

    ↓

・しかし、水俣病被害者や水俣病の臨床あるいは研究にかかわっている専門家の中には、「認定基準」は厳しすぎるという批判や「認定基準」と「補償協定」がリンクしていることへの批判がある。

             

・昭和60年、「認定基準」( 昭和52 年判断条件) を 不服とする認定棄却者たちによる熊本水俣病第2次訴訟の福岡高裁判決は、水俣病の病像について、「極めて軽微な慢性不全型」まで含めて、「極めて広範囲のものとなった」ととらえ、「昭和 52年判断条件」を「厳格に失している」と評して、最後まで争っていた5名のうち4名を「損害賠償請求訴訟における水俣病」と認めた。

             

・この福岡高裁判決を受けて、環境庁は新たに医学専門家会議を招集して、「認定基準」を再検討したが、「厳格に失している」との高裁の評価があったからといって、「認定基準」を変えなければならないような事情の変化はないとして、「現行の判断条件は妥当」との結論を出した。

             

・その後、各地での水俣病の損害賠償請求訴訟が相次ぐとともに、被害者の一部はチッソとの自主交渉を進めた。

    

・平成7年、与党3党は拡大継続する混乱を収拾し、関係者の和解を進めるため、国や関係自治体の意見も踏まえ、 “政治解決策"を取りまとめ、被害者団体等もこの解決策を受け入れ、当事者間で解決のための合意が成立した。 @企業は水 俣病に見られる四肢末梢優位の感覚障害を有するなど一定の要件を満たす者に対して一時金を支払うこと、 A国及び県は遺憾の意など何らかの責任ある態度の表明を行い、@の者に医療手帳を交付し、医療費、療養手当等を支給すること、 B救済を受ける者は訴訟等の紛争を終結させること、C地域の再生・振興、チッソ支援などの地域振興策など を内容とするもので、これによって、さまざまな紛争について、早期に最終的かつ全面的な解決を図るねらいで、約11,000 人が既述のような「政治救済」を受けた。

     ↓

・しかし、この「政治救済」の対象とならなかった人たちに不満を残した。また、関西訴訟の原告団 は「政治解決」を拒否して、訴訟を続けた。 

     ↓

・平成9年、福岡高裁は水俣病認定申請棄却処分取消請求訴訟で、「昭和46年次官通達」及び「昭和 52年判断条件」について、「それ自体不合理であると評価することはできない」との判断を示す。しかし、原告1名はその認定基準を満たすと見るべきであるとして、棄却処分の取り消しを命じた。

               

・平成16年、最高裁による水俣病関西訴訟判決は、国と熊本県の賠償責任を命じたが、「認定基準」の是非については、「認定基準」とは異なる判断の準拠を用いた大阪高裁の控訴審判決のまま、裁判の争点ではないとして、是非のどちらの判断も示さなかった。

               

・平成16年の最高裁判決の後、突然新たに水俣病の認定を申請する人たちが急増し、その数は平成18年8月までに4,300人以上に達した。同時に、それらの申請者の中で、国に賠償を求める訴訟を起こした人たちが1,000人 を超えた。

             

・最高裁判決以後、熊本・鹿児島両県の認定審査会は医師の協力を得られないため構成することができず、約4,300人の認定申請者たちは、その多くは医療費の支給を受けているとはいえ、長期にわたってただ待たされ続けている。

 

 以上のように水俣病の認定をめぐっては、何度となく解決策が採られても、どれも“最終解決" とはならなかった。その混迷はいまだに続いている。

 

 上記の混迷の年譜から読み取るべき教訓は、次のようなことである。

@水俣病発生の初期において、メチル水銀中毒の医学的研究の遅れから、水俣病被害者には急性の劇症型患者のようにハンター・ラッセル症候群のさまざまな症候を明確に示す患者から、一部の症候しか示さない不全型まで、また症状の現れ方も重症から軽症まで、幅広く存在するという把握の仕方が、医学者等の専門家にも行政にもなかった。

A水俣病発生当初、行政は水俣病の多様な病像と被害の全貌を積極的に解明するための調査・研究のプロジェクトを立ち上げるべきであった。

B平成4年以降の総合対策医療事業の開始や、平成7年の「政治解決」により、「認定基準」を満たさないが、メチル水銀の影響の可能性を否定し切れない被害者に対して、一定の症候の有無と居住歴等を要件とした救済が行われることとなったが、本来であれば、予想し得る症候・症状の広がりを想定して、被害者に30年以上もの年月を苦しみの中で待たせることにならないような救済・補償の対策を早い段階で採るべきであった。また、「認定基準」が「補償協定」とリンクすることになって、「水俣病患者」という用語が限定的にしか使えなくなり、それ以外の被害者を「水俣病患者」と呼ばなくなった結果、被害者の中には「被害者なのに水俣病と認められないのは人格を認められないに等しい人権侵害だ」といった不満が残った。

C「認定基準」について、行政には堅持し続けるだけの根拠があるにしても、一方、被害者や医学専門家の中には、その見直しを求める批判的意見が絶えることなく提示されている現実がある。さらに現行「認定基準」を決めた昭和52年以後の年月の経過の中で、水俣病被害者の実態がよりはっきりとわかってきたことや、医学の進歩などの変化もある。そのような中で、行政は「認定基準」について信頼感を得るには、開かれた議論の場を設けるのが望ましかったというのが、懇談会の意見である。

D平成7年の「政治解決」のような形で混乱する事態を収拾する場合には、幅広い関係者全員のコンセンサスをよほど徹底して固めておかなくては、その時点では“最終解決" を達成したように見えても、問題が再燃する可能性が残ることになる。そのような問題の再燃を防ぐには、行政が積み残しのないようなきめ細かい対応をしたり、問題が再燃した場合の対応についての事前のアセスメントをしておく必要がある。平成7年の「政治解決」の場合、救済の申請期間がわずか6か月であったことなど、終結を急ぎ過ぎた。

E現在、4,300人以上の認定申請者の出現、認定審査会の機能麻痺、約1,000人の訴訟という事態を前にして、新しい方策を考えなければならない状況になっている。


(4)新規申請者が示す問題の根の深さ

 ここで見ておかなければならないのは、なぜ今という時期に約4,000人もの新たな認定申請者が現れたのか、その事実と背景である。この問題を解明した研究報告がある。「懇談会」の委員でもある久留米工業大学工学部の丸山定巳教授らの「不知火海研究プロジェクト」による社会疫学的な調査報告『水俣病認定申請者調査@ なぜ今、大量の水俣病認定申請者なのか? ( 公衆衛生 vol. 70 No.2) 及び『同 A水俣病認定申請者の居住歴と健康状態]( vol. 70 No.3) 等である。

 この調査研究の対象にしたのは、最高裁判決後、平成17年4月30日までの時点における認定申請者1,782 人で、アンケート調査に対する回答者数 () は274人(15.4%) であった。

 この調査報告によると、これまで認定申請した経験のない145人のなぜ今まで申請しないでいたか、その理由の主なものは次のとおりである。数字は「そう思う」と「ややそう思う」の割合()の合計。各項目複数回答可とするアンケート方式。

@自分が水俣病だとは思っていなかった。                   58.6

A平成7年の政治解決で水俣病は終わったと思っていた。            53.8

B申請することで、子供・家族の結婚に差し支えると思った。              51. 1

C申請することで集落 (町内) でのつきあいに差し支えると思った。    49.0

D申請することで、子供・家族の仕事に差し支えると思った。       46.9

E申請することで自分の仕事に差し支えると思った。            43.5

F申請制度を知らなかった。                            42.8

G自分が水俣病であることを周囲に知られたくなかった。            41. 4

H認定制度に対する不満・不信を感じていた。                40.0

I申請しても認定されないと思っていた。                    39.3

 

  これらのデータが示すのは、地域社会の中で水俣病がいかに差別と偏見の目で見られ、いかにオープンに語り合いにくいものであったかという厳粛な事実である ( B、C、D、E、G ) 。そしてまた、庶民というものは、いかに後ろ指を差されるのを恐れて、ひっそりと暮らしているかという事実である。そして今は、公に申請をしても子供や家族の結婚や仕事のことを心配しなくてもよいだけの歳月が流れたということであろう。

  また、行政による啓発活動の立ち遅れ ( @、A、F ) と、その反動としての行政不信の根強さ ( H、I ) もデータは語っている。

  そして、丸山教授らの調査報告は、新たな認定申請者が急増した理由には次のようないくつもの状況の変化がからんでいることを明らかにしている。

@高齢化あるいは年月の経過に伴い、健康状態に不安な要素が生じてきて、医療ニーズが高まったこと。実際、この調査結果は、新たな申請者全体の健康度が、日本人の平均と比べて、明らかに低くなっていることを示している。

A平成16年の関西訴訟最高裁判決で、認定基準(症候2つ以上の組み合わせ)に合わなくても、感覚障害のみでの損害賠償が認められたことによって、自分の居住歴や食生活などから、自分の体調・身体機能の低下を水俣病ではないかと思うようになったこと。

B平成7年の「政治解決」によって、自分の周辺にも水俣病被害者として救済の対象になった人が多くなったことや、子どもの結婚や自分の退職などにより、名乗り出ると偏見の目で見られたり差別を受けたりするのではないかという不安感が薄められ、認定申請を躊躇する事情が少なくなったこと。

C「政治解決」で救済をされた人々と、いまだ対象になっていない自分との間の不公平感が強くなったこと。

D新たな認定申請の先頭に立った人々の団体が、積極的に申請をするよう啓発活動を展開したこと。

  これらの背景要因は、いずれも納得できるものである。

 

  水俣病の根がいかに深いものであり、今なお解決し得ていない現在進行形の問題であることが、これらのデータから惻々と伝わってくる。行政が水俣病被害者のこのような深い苦悩についてまで想像力をはたらかせるダイナミックさを有していたなら、救済・補償の問題にしても地域再生の問題にしても、これまでの展開は全く違ったものになっていたに違いない。ここにも行政が水俣病50年の歴史から学ばなければならない根本的な問題が横たわっている。

 

  ここで忘れてならない問題がある。新潟水俣病の被害者たちである。新潟水俣病の被害者たちは、阿賀野川流域に広がっているため、水俣地域に比べると、被害者同士の地域共同体的な結びつきは弱く、1 1 人が孤立しやすい傾向があった。救済・補償の基準は水俣地域の被害者と同じであっても、被害者たちは連帯しにくい状況に置かれているのである。

  行政は、新潟水俣病の被害者たちのこうした実態を十分に考慮して、救済や福祉対策に十分な手を打つ必要がある。

(5)恒久的な救済・補償の枠組みの方向

  前記の混迷の年譜が示している最も重要な問題点は、はじまりの時点において、水俣病被害者の幅広い存在を十分に把えなかったがゆえに、公健法の認定の線外の被害者に対する対応の“設計図を描かなかったことにある。

 医学が疾患や障害の診断に当たって、診断の基準を必要とするのは当然のことである。あるいは、治療の方針を決めるに当たって、適応条件を必要とするのも当然である。  診断基準にしろ適応条件にしろ、それらは科学的な理論と事実の証拠 (evidence) に支えられて成立するものである。そのことは現代医学が呪術に感化されずに、科学的な学問として成立する上で極めて重要であることは言うまでもない。

 しかし、現実の患者を前にした臨床医学は、それほど明解に科学的に割り切れるものではない場面に直面することが多い。特に、メチル水銀摂取によって被害を受けた患者のように、神経内科学の専門家でさえも、未経験だった疾患であり症候であった場合には、未知の問題が多く、揺るぎない診断基準を作ることは極めて困難なはずだった。

 このような場合、重要なことは、医学者が臨床の現場で患者の病態をその生活像まで含めてつぶさに観察し、患者の医学的救済のためには、何が求められているかを自らに問い続ける姿勢であろう。それは、「乾いた科学者の眼」「乾いた3人称の視点」から、現実の悲惨さに寄り添う「潤いのある2.5人称の視点」への発想の転換でもある。 ( その臨床における医師・医学者の姿勢の範とすべき歴史的な例として、1906 年フランスのクーリエ炭鉱で 1,099 人の死者を出した炭じん爆発事故の一酸化炭素中毒患者の診療にあたったステアリン医師の取り組み方に注目したい。ステアリン医師は病院で診療するだけでなく、患者の家や職場や酒場にまで出かけて、一酸化炭素中毒患者の精神病理学的な症状を観察し記録して、精神神経症状の症候学的な検討を2年半も続けて論文にまとめたのである。既成の医学書の概念や定義の中に患者をあてはめるのでなく、患者を固有名詞を持ち生活する人間として日々の生活環境の中で病態を見つめるという調査・研究の取り組みの重要性が、医学者たちや行政官によって意識されていたなら、水俣病問題の展開は全く違ったものになっていたに違いない。)

 

 既に述べたように、同じ原因による公害病と判明している患者は、一旦患者として認定を受けた場合には、症候の多寡や症状の重度・軽度の差に関係なく、疾患名は1つのはずである。しかし、環境省は「水俣病の判断は、主要症候の組み合わせによってなされるもの」との見解を維持している。それが「認定基準」になっている。メチル水銀の影響の可能性が「認定基準」に合わなければ「水俣病」とは認めないのである。

 「懇談会」においては、この見解については、批判的見解を含め様々な意見が出された。


 しかし、限りなく狭き門であっても、国は水俣病被害者すべてを包括できる新しい継続性のある救済・補償の仕組みを構築するのが急務になっているという点で、「懇談会」の意見は一致している。その理由は、この提言書のはじめから繰り返し述べてきたように、(イ)最高裁判決により国の責任が厳しく問われたこと、(ロ)いまだ救済されていない水俣病被害者が10人や20人でなく何千人という数に上ることが認定申請者の急増やそれを上回る保健手帳への申請で明らかになったこと、(ハ)それ以外にも手を上げかねている被害者が相当数いる可能性があり、そうした被害者たちが将来手を上げた場合でも対応できる制度が必要であること、(ニ)水俣病公式確認から50年という節目に、水俣病問題に対する行政の取り組みを根本的に見直さないと二度とその機会がなくなるおそれがあること、以上の4点である。

 「懇談会」は専門家の委員会ではないので、水俣病被害者に対してなすべき救済・補償の具体的内容については論じるのを控えるが、救済・補償のあり方あるいは枠組みを見直す方向について、次の提言をしたい。

 

@いわゆる「認定基準」は、「患者群のうち、 (公健法上の、及びチッソとの補償協定上の) 補償額を受領するに適する症状のボーダーラインを定めたもの」 (大阪高裁判決。最高裁判決において是認)と理解されるのであり、また、そのような意味合いにおいてはなお機能することができるといってもよい。したがって、「認定基準」を将来に向かつて維持するという選択肢もそれなりに合理性を有しないわけではない。

  しかしながら、一方、水俣病被害問題をこの「認定基準」だけで解決することはできないということも、これまでの事実経過 (「認定基準」とは異なる基準を用いて、「政治解決」を図らざるを得なかったこと、「認定基準」とは異なる判断の準拠を用いた国等の損害賠償責任を認める司法判断が確定していること、最高裁判決後、大量の認定申請者・訴訟提起者が続出していること、「認定基準」を運用すべき審査会が1年半以上も

 構成されず、認定申請者が放置されていること等) に照らし、あまりにも明らかである。

  そこで、今最も緊急になされなければならないことは、補償協定上の手厚い補償を必要とする患者が今後も出てくるかもしれないこと、補償協定に基づく補償を受けてきた患者の法的立場の安定を考慮する必要もあること等の理由から、「認定基準」をそのまま維持するにせよ、この「認定基準」では救済しきれず、しかもなお救済を必要とする水俣病の被害者をもれなく適切に救済・補償することのできる恒久的な枠組みを

 早急に構築することであろう。

Aこの枠組みの構築に当たっては、

 ア) 新たな枠組みによっても却下された人々が、後に司法判断で認められるというような事態をできる限り回避しうるものにしておかなければならない。

 イ) 従来の救済策によって救済・補償を受けている人々の権利ないし法的地位を侵害しないよう十分に配慮するとともに、歴史的経過からやむなく異なる時期、異なる枠組みにより異なる救済・補償を受けることとなる人々の間の公平感、均衡を保つように留意する。

 ウ) 新しい枠組みでは、いわゆる「汚染者負担の原則」からチッソが救済・補償の主体となるにせよ、最高裁によって国の行政責任が明確に認定されたことを何よりも重視すべきであり、国が救済・補償の前面に立つしくみにすべきである。

 エ) 新たな枠組みは、前回の政治解決の教訓に鑑み、将来に向かつて開かれたものとして構築されるべきである。

 オ) 新しい枠組みでは、認定された「水俣病患者」と、それ以外のあいまいな呼称の被害者とを包括的な名称で統一的にとらえられるようにすることが望まれる。

B従来の「認定基準」に基づいて認定―救済を求めている人々が4,300人以上存在するにもかかわらず、これらの人々が、その多くは医療費等の支給を受けているとはいえ、審査会が構成されないという理由で、1 年半以上も放置されているという現状は、早急に解消される必要がある。法律上の手続きに従って権利の救済を求めている人が正当な理由なく、このように放置されるようなことがあってはならない。これもまた、待たされる側の身になるなら、すなわち「2.5人称の視点」に立つなら、躊躇は許されるものではない。

C新たな救済・補償に伴い、国は財政負担を強いられることになるが、国全体が経済成長の思恵を受けその陰で犠牲となった人々への償いととらえるなら、「汚染者負担の原則」に基づく原因企業の負担は当然にしても、国民の税金を財源とする一般会計から応分の支出をするのも当然のことと考えるべきであろう。



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