■会場からの発言
堀口 国立環境研究所の堀口敏宏です。私も宇井先生には学生の頃からお話を伺う機会が何度もあって、ずっと尊敬しておりました。改めて思いますのは、宇井先生は、「問題解決型学習」ということをよくおっしゃっていたと記憶しています。それは、ある問題――公害問題、環境問題等だと思いますが――を解決するために学問がある、と先生はお考えだったのではないかと私は理解していました。
だとすると、ある具体的な問題がある以上は、当然そこに現場があるわけで、室内で考えていても分かりきらないので、現場に行くのは、必然ではないかと思います。そこで暮らしている、もっと言うならば、いろいろな問題を日々背負い込まされている人たちと同じ目線でなるべく立とうとする。それが、例えば、被害者の総体的認識を共有しようとする試みであったり、努力であったり、そういうことの繰り返しが必要だ、大事だということを、先生はおっしゃっていたように思います。ですので、現場をねじ込むということも必要なのかもしれないですが、具体的な問題解決ということを考えれば、当然、そこに現場があるので、「現場主義」というのは至極もっともなことではないかと、私は思います。
写真:かつて自らの進路を宇井さんに相談したという堀口敏宏さん
先生が別の機会におっしゃっていたことは、今の学問というのは細かく切り刻んで解析をしていく。それは、原田先生がおっしゃっていたことと通じるかもしれませんが、ある断面、ある部分を切り取ってみせることである。したがって、それをもう一度再構成して、全体として見渡すことが必要だということも、先生はお話し下さいました。それが、いわゆる学際的な協力ということになるのかと私は想像して聞いていました。そういう考え方でいくと、宇井先生が残されたたくさんのキーワードが有機的に繋がってくるのではないかと思います。
私も研究者のはしくれですから、論文書けと言われますし、書かなければいけないと思います。税金を使ってやっている以上は当然ですが、ただそれは立身出世のためというよりも、学会などで一定の成果を認められることによって、それを背景にして社会的な発言力を増す。そのために必要なのではないかと私は思っています。
あとは、ぜんぜん違う話で恐縮ですが、今回の会がこの安田講堂で開かれることが不思議で、違和感を覚えています。宇井先生が自主講座を開かれる時も、大変なご苦労があった。圧力というか、抑圧というか、様々なことがあった。その宇井先生を偲ぶ会が、ここですんなり開かれる。もちろんすんなりではなかったかもしれませんが、その辺のいきさつを是非教えていただきたいと思います。
小林 最後の問題ですが、ここが東京大学の中で一番大きい会場です。今日来ておられる方がぜんぶ入れる会場は、他にありません。私は単に、1000 人以上は来るだろうと予想して、というだけの話です。申し訳ありません。でも、これだけの人数が来て下さって、非常にありがたく、ここを借りて良かったと、私は単純に思っております。
山下 小林先生、今の点の補足です。先ほどお話しした「東大で環境学は可能か」というテーマで、西村先生や、できたら最首先生もお呼びして、パネルディスカッションをしたいということを、生前に宇井先生とご相談させていただいたことがありました。「いい企画だから僕は協力するよ」とおっしゃったのですが、最初の条件が、「場所は安田講堂をとれ」でした。ですから、私は宇井先生のご遺志だと思っています。
小林 私も実行委員をやっていましたから、ぜったい宇井さんはここを取るだろうなと思いました。だから、私はここの場所を使うことは、何の疑問もありませんでした。次の方どうぞ。
佐久間 私は東大の医学部の助手を20 年やっていました佐久間充です。宇井さんと、最長助手期間を競ったものです(笑い)。宇井さんは、私が50 に近づいた時に、「まだまだ佐久間君、今辞めたら何も見えないぞ。あと5 年くらいがんばれ」と言ってくれました。その一方で、『朝日ジャーナル』等に「医学部、医学部といえば、佐久間君。あれは万年助手に間違いはない」というように烙印を押してくれた(笑い)。そうこう言っているうちに沖縄に行かれたのです。自分は教授になられていいなぁと思っていた次第です(笑い)。
私は、当時、環境というのを医学部保健学の学生でぜんぶやりました。まず、こういった大量消費、大量廃棄でよいのだろうかという疑問があったわけです。私の田舎は千葉県の君津市で、首都圏に山砂を大量に持ってきています。羽田第三次拡張、また3000万立方メートルがこれからの2年間でやられます。その頃、ごみから、下水から手がけたのです。学生も下流意識がなかったのです。東大まで来てごみをやる、下水をやるのは情けないということを学生は言いました。ところが、その方々が数年たちましたら、三井三菱系の研究所に行くということを、年賀状で知らされました。時代が変わってきたのです。
一方、企業がなぜ参加しないかということを早稲田の寄本さんとやって、私は日米のごみの比較研究をしました。しかし、急激に変わってきて、企業も参加してくれるようになりました。私自身がやったのは、千葉の山砂問題のことです。最初、社会調査をしました。学生を連れて行って。そうしたら、学生は「ひどいものでこれこそ科学ではないか。先生、逃げ腰でなくてやりましょうよ」と言ってくれました。一方、事業側は、「あれは赤の学者。社会調査は、赤の学者がやればどうにでも結論が出る」と言うのです。惨憺たるものがある。そのような結果は、岩波新書の『ああダンプ街道』に書きました。20 年後に『山が消えた』という残土と産廃戦争について書きました。1冊目はよく売れましたけれど、20 年後の『山が消えた』は、岩波は増版をしてくれなくて、それっきりになっていますが(笑い)、すべてそこに書いてあります。
写真:宇井さんと“万年助手”の期間を競った?佐久間充さん
それで、一つ気になりましたのは、「第三者はいない」ということです。宇井さんは、まず千葉の現場に来てくれました。東大で私の博士論文もダンプで書きました。けれども、その時も評論はしますけれども、断定しますのは東大の先生。一方、京都学派ですね、京大から始まって関西医大、みんな公衆衛生の人たちが来て、現場を見てくれました。一人の方など、「あなたの努力で、こないだ行ってみたらほとんど公害はなかった」と言って下さいました。日曜日だったのです。日曜日はダンプが走らない。それから、私は公害の委員にも加わりましたが、居たたまれない。私に重大情報は流してくれないというようなことで、苦労したこともございます。
第三者はありえないということで、言及しますと、まず被害者はほんの少数です。この近代文明の華やかな裏には必ず被害者がいる。その被害者はしわ寄せです。地理的に言えば、沖縄がそうではないかという気がしてなりません。第三者は少数者ですから、反対者の意見が結集しないのです。 それを多変量解析でがっちりと分析しました。それを傍観している同じ集落の他の大多数の集落民がもみ消してしまう。企業は圧倒的に強い。議会を握っていますから。だから、第三者であるということは、強い企業を勝たせることになってしまうのです。だから、黙っていることはエゴイズム。
振り返ってみますと、私はこの学校を逃げ出したい時に、筑波の環境と、東工大の華山謙さんのあとがあいたのですが、それはあっさり決まってしまって、応募しても駄目だったのです。考えてみると、当時、環境にセンシティブな学者はあまりいませんでした。なぜか。それは東京大学は帝国大学だから。福祉はありませんでした。福祉専攻はないのです。それ見て、環境をみると、これは強者の帝国主義の大学が厳然として残っていると思いました。それから一次安保をやった医学部の先輩たちに聞きましても、ちっとも変わっていない。もっと悪くなったという。昨今の学者の動向をみていましても、人間は結局エゴイズムだ、自分が良ければいいのだ、と感じます。それを私は放置できなかった。宇井さんもおそらくそうだと思う。特に許せなかったのは、学者がもうかればいい、収入が多くなればいいと、走りがちなことです。これは、エゴイズム、人間のエゴイズムというものだと思う。だから第三者は有り得ないという裏には、痛烈な人間のエゴイズム、学者も含めて、への意見があるのではないかと感じました。
遠藤 水俣で水俣病を訴えることを仕事にしています、遠藤といいます。友澤さんの発言に目からうろこが落ちました。ネガティブなことは歴史に残っていかないという。ところが実際に起きていることはネガティブなことが多いわけです。どうしても皆の記憶にとどめようと思って語る。では誰が語るかという、自分の悩みみたいなものがあります。例えば、水俣病の人が水俣病を語るというのは、誰も不思議に思いません。では例えば、相思社に勤めている、水俣生まれではない、私というのは一体、誰なのかという疑問が常々あります。
写真:水俣「相思社」で“支援”を続ける遠藤邦夫さん
この間も職員で話していたのですが、僕らはよく支援者と呼ばれてきたわけです。僕はあまり支援した覚えはないのですが。そうすると、水俣病にとって、当事者とは誰なのかという、簡単な疑問にうまく答えられなかったのです。つまり、水俣病の患者、被害者が当事者というのは誰も反対しませんが、では当事者のスタッフは、当事者なのかと言われると、考えてしまいます。例えば、水俣病に関心を持たれている方や、現場を訪れられた方は、大勢いらっしゃると思います。ではこの人は誰か。さきほどの「第三者はいない」という話とはつながってはいないですが、自分のスタンスは何なのだろうと、いつも感じています。さきほどから吉本哲郎さんの名前が出ていますが、僕らは1990 年代ぐらいまでは、水俣病運動を支えるということできたので、支援者でも不思議ではなかったのです。それ以降は、よく考えてみればあまり運動も支えていないし、自分たちが伝えたい水俣しか伝えていないではないか。そう思うと、いったい自分たちの名づけをどうするか、あまりうまい言葉が出ていないのですが、友澤さんの言葉で、自分たちなりのポジティブな言葉を作り出したいなと思いました。
富田 富田万友美と申します。宇井さんが沖縄に去った後の自主講座に、高校生の時に参加しておりました。東大生ではないのに東大に入って自主講座を学ぶというのは、本当にいいことだ。市民のために開かれた講座であると、私はとてもうれしく思っておりました。
今、私は某商社の子会社の派遣で働いております。その商社といいますのは、もちろん商社でありますので、いろいろなものを取り扱っています。戦争の道具ですね。それから、環境排出。環境にやさしいもの、環境に悪いものを他のところが代替わりして、それをお金で取引するかというようなこともやっております。環境ビジネスを商社がもてはやしているわけです。環境はこれから売れるから、もてはやされるから、どんどんやっていきましょうということをやっています。なおかつ、原発を作ったり、戦車を作ったりしているわけです。
環境を考えていること自体はいいことだと思っています。ただ立身出世、それから企業がもうかるとか、環境を売り買い、お金で取り扱うことを、一体どう思っているのだろうかということを問いたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
写真:高校生時代に「自主講座」に参加したと言う富田さん
小林 例えば、京都プロトコルみたいなものがあります。要するに排出権取引などです。これについてはどう思われますか? ある意味では非常に経済的にもうまくいって、CO2排出量を減らす仕組みであると考えられていますね。
富田 そうですね。それはそう思っています。ただ大商社の派遣で入っていて、派遣でものを言うと、あんたは首だよと言われて、首切られてしまうのです。企業が環境で儲かるとシステムができつつあるわけです。京都議定書ができて、どんどん減らしましょう、という状況になったのです。それに対して、それは減らすためには仕方ないよ、ということでよいのかということが、自分の中では疑問です。大企業は、そうやってお金を儲けていて。
小林 本当に環境にいいことであればいいと思いますが、中には環境にいいからということで、地元の住民の人を無視したような政策が行われるということが結構あると思います。特に、発展途上国では意外とあるのではないかと思います。
井上 やはりそれこそ、現場、フィールドで見ていくことが重要だと思っています。企業がやることだからいけないということではなく、現場で見て、そこで判断していく。例えば、NGO
でも企業でも一緒ですが、そこでやっていることが結局どのような意味を持つのか。特にそこで住んでいる人々の生活がもともとあるわけですから、そこでどういう意味を持つのかということです。企業であろうが、NGO
であろうが、学者だろうが、そこでちゃんと見て、発言していくということ。そう私は思っています。先ほども言いましたように、決して、所属などで色づけして、最初からこれはいけないと決めつけるべきではないと、思っています。
小林 そこが、宇井さんがやったことだと思うのです。○○党だから、××組合だから、というのではなくて、「あんた、おかしいんじゃないの」という。世の中のいろいろな、何とか主義とか、何とか党とか、そういうものがありますが、それを公害の現場でよく見て、おかしいものは、「おかしいんじゃないの」と、ちゃぶ台をひっくり返した。そういう所が宇井さんのインパクトが一番あったところだと思います。そのことを今、井上さんが言ったわけです。やはり、その場所で何が起きているのか、ということが一番大事なのではないでしょうか。
写真:環境にいいように仕組みを変えるべきだと主張する門脇さん
門脇 昔、駒場の自主講座をやっていた門脇鮎子ですが、今の彼女の疑問が、漠然と分かったような気がしました。本当は、根本的な仕組みから、もっと公害を出さないとか、もっと環境にいいように、最初から仕組みを変えるべきです。にもかかわらず、そこには目をつぶって今までのシステムをそのままにした上で、排出された環境に悪いものをなくすシステムを、また新たな産業として考えているということが、いかがなものかということではないかと思います。そうすると、永遠に問題が再生産されてしまいます。今の人に優しくない仕組みがあるのにもかかわらず、その部分には目をつぶったままで、結果的に出たものだけを対象にして、新たに産業化するというのはどうなのだろう、ということではないかと思います。
友澤 その通りだと私は思います。さきほど、公害や環境の研究をすることが儲かればいいと思っているという、小林先生の提議がありました。たぶん今は、もうかるのです。では、儲かっている部分というのは、何かということを、問わなければいけないのではないかと思ったのです。今の商社で働いておられる方のお話を、もっと聞いてみたいと思いました。環境という言葉をずっと使っていますが、環境だけではなく戦争の話が、根本では資本を制覇している、動かしています。そこから考えない限り、科学技術がどんどん発展して、戦争のためにいろいろなものが出来て、そこからまた物質が出て、また問題が起きている。それを解決すると言って、環境学が発展していくという構造がおかしいと思います。その意味では、儲かればいいということについては、しっかり考えなければいけないと思ったのですが、いかがでしょうか。
小林 儲かるようになっていくこと自体はいいということなのです。例えば、排出権取引もうまくいくように見えますが、それが根本的に温暖化を解決する、それだけで解決するわけではありません。当然、言われたように、基本的な仕組みを変えていかなければいけないことは確かです。ただ、みんなも分かっていて、そちらのほうにともかく動いていくことが大事です。もちろん多様な意見があるのはすごく大事です。とりあえずはこういう方向で、でも大きくは社会全体を変えていかなければいけない。そういう方向で話がまとまっていけばよいのではないかと思っています。
門脇 すみません。もう一言、言いたいのですが。私は、79 年度から83 年度くらいまで駒場で自主講座にかかわりましたが、その頃から、今、言われていたことは言われていました。適正技術、オルタナティブ・テクノロジーということも、テーマにあげてきました。
けれども、仕組みは、相変わらず25 年たっても変わっていません。何が変わったのかというと、儲かるシステムというのか、元々80年代から仕組み自体はそれほど変わっていないということで、何だかさみしい気持ちがします。だから、心の問題というのがあるのではないのかと思います。このまま放っておくと、儲かる部分と、さきほど友澤さんが言ったように、実際は現場ではなく学問だけ華やかになって、企業の欠陥をまた産業化するような感じで。もっと皆で考えなければいけないのではないかと思ったのです。
原科 どんどん儲かればいいという発想になりすぎです。村上何某は、「お金儲けしちゃ悪いんですか」と言いました。我々もそれはそうかなと思いました。でもよく考えると、ただ儲かればいいというものではない。やはり、我々は持続可能な社会を作るために、ライフスタイルを変える、社会システムが変わらなければならない。だから、今、女性の方がおっしゃった通りです。友澤さんも、環境の一つが公害ではなくて、公害の一つが環境だとおっしゃった。私は、最初は変だと思ったんですが、今日の議論を聞いていると、そのとおりだと思います。やはり公害の一つが環境です。では、公害とは何かという定義の問題ですが、これは社会のシステムから生まれてくるネガティブなインパクトだと思います。それをトータルで考えたら、公害とはやはり環境です。環境に出てくる。
写真:2階席から発言する原科幸彦さん
言い忘れました。東京工業大学の原科幸彦といいます。『環境と公害』の同人の一人です。たまたま1965年に、私は東京工業大学に入学しました。その年に、学校祭で、各クラスが展示をやりました。私のクラスは公害を扱いました。その時は、庄司先生、宮本先生が書かれました『恐るべき公害』を読ましていただいて展示をしました。その時に、私はどういうわけか、公害の一つに満員電車を取り上げたのです。すると、友達が、「なんだお前、そんなのを取り上げるんだ。変じゃないか」と。でも、「まあいいや。それぞれやりましょう」というので、満員電車を取り上げたのです。
今思うと、満員電車もそうなのです。巨大化した首都圏の社会のシステムがおかしいのです。そういった根源的な問題を解決しなければならない。そのためには、考え方、マインドを変えなければいけない。私は、ハード、ソフト、ハートといいます。ハードウェアを作る、ソフトウェアを作る、もう一つ、ハートウェアを作るということです。マインドウェアを変えなければいけないと思います。そういう意味で、ただ単純に儲かればいいということではないと思います。儲けることは必要ですけれど、適切に儲けるということです。必要以上に儲けることは、他の人の行動の自由を阻害することになります。これは良くないと思います。
小林 残念ですが、予定時間が大幅に過ぎています。もう一方でフロアからの最後とさせていただきます。
外間 きょうは、6 月23 日です。私は、外間喜明と申します。沖縄戦の生き残りの一人です。戦争は最大の環境破壊。公害もそうですが。宇井純先生は、沖縄で教鞭をとっていらして、尊敬しております。
皆さんに是非沖縄のことをお話ししたい。特に辺野古です。V 字型滑走路を作られますと、本当にあの環境すべてが破壊されます。そして、大浦湾は水深が深いので、逆L 字型に滑走路を作りますと、大型軍艦が頻繁にやってくる。ということは沖縄から再び世界へ、今もそうですけれども、戦争に出かけることになる。その加害にさせられる。
どうか先生方、皆さんで沖縄に、辺野古に熱い関心を寄せて下さい。是非作らせてはいけないということでよろしくお願いします(拍手)。
写真:宇井さんとは面識がなかったが尊敬・感謝していたという外間喜明さん
小林 ありがとうございました。ディスカッションをこれで終わりにしたいと思います(拍手)。
井上 それでは最後になりますけれども、閉会の挨拶を、共催者であります日本環境会議代表理事、元滋賀大学学長、大阪市立大学名誉教授であります、宮本憲一さんにお願い致します。
■閉会あいさつ
宮本憲一(日本環境会議代表理事/大阪市立大学名誉教授)
宮本 きょうは、宇井君の望んだ、この安田講堂に、約千1000人の方がお集まりいただきまして、最後、なかなか白熱的な、心を揺るがす討論をしていただきまして、共催者を代表致して、心からお礼を申し上げます。
私は閉会の辞ですので、40 年にわたる宇井君の友情や、論敵でもありましたから、そういうものを回顧して結びにしようと思っていたのですが、今のディスカッションにかなり刺激を受けましたので、そのことは資料に書いてあることをお読みいただくことに致しまして、少し感想めいたことを申し上げて、終わりにしたいと思います。
宇井君が生きてきょうの議論を聞いていたら、「俺の言ったことがやっと分かったか」ということと同時に、「まだ分かっていないのか」と、おそらく両方の言葉が聞けたのではないかと思いながら聞いておりました。ここには、原田さんや淡路さんや、長い間一緒に40 年にわたって公害を研究してきた仲間がいます。公害を長い間研究してきた私たちから言わせれば、公害論が分からなくて、環境論ができるはずがないのです(拍手)。
確かに環境問題は非常に広い。景観の問題だとか、アメニティの問題だとか、地球環境問題だとか、非常に多様です。けれども、その多様な環境問題の本質というのはどこにあるのか。今の社会経済システムが進行する限り、なぜ環境破壊が起こるのか。なぜ被害が弱者に起こってくるのか。こうした環境問題の本質は、公害問題論から解けるわけです。公害問題論という本質を究めて、それをさらにいろいろな新しい側面の問題に適用し、あるいは発展させていかなければならないのです。環境問題は公害問題と違うとか、公害問題は終わってしまった、これからは環境問題だ。そんな姿勢で環境の科学ができるとは、私は思いません。それが宇井君の遺言だったのではないかと思います。
写真:パネラーの発言に辛口の感想で締めた宮本憲一さん
ですから、きょう聞いていて、若い人たちが何だかふにゃふにゃと言っているので、大変気になって、もうちょっとちゃんと公害論を勉強してくれと思ったのです。というのは、私は、今、アスベスト問題を調査しています。ご承知かと思いますが、私はだいぶ前からアスベストについては警告を発していました。しかし政策がぜんぜん動きませんでした。2005 年の6 月に、3人の非常に勇気のある住民が、自分の中皮種の被害はクボタのアスベストの被害ではないかと告発をしたことによって、日本国中がアスベスト問題に取り組むようになったわけです。
私はそれを聞いた時に、非常に衝撃を受けました。分かっていてどうしてもっとやらなかったのだろうかという後悔もありまして、すぐに支援団体や被害者に会い、それからクボタの本社に行き、尼崎の市役所に行き調査をしておりました。現場の人たちに会って話を聞いたのですが、その時に、支援団体の関西労働衛生技術センターの片岡さんという事務局長に、嫌なことを言われました。「実は、この問題が起こってから現場に調査に来たのは、先生がはじめてです。年をとった先生が来るとは、思っていなかった。これが60年代の終わりや70
年代だったら、私のセンターに大学院生や若い研究者が殺到したでしょう。『何かお手伝いできませんか。実態はどうなっているのですか。調査させて下さい』と言ったであろうが、全然来ない」と言うのです。その時、彼が「40
代、50 代の先生が今、大学で何を教えているんでしょうね」と言ったのです。私は「今でも、40代、50 代の先生もちゃんと教えているよ」とは言ったのですが、それで随分考えさせられました。
さきほどの現場主義ではないのですが、コンピューターを眺めていて論文を作れると思う環境論者は非常に大きな間違いでしょう。私は、少し腹が立ったものですから、環境経済・政策学会の10 周年記念講演で、そのことを率直に若い人たちに訴えました。そのおかげで、関西で数人、大学院生が手伝ってくれるようになりまして、今の若い人たちも分かっているものは分かっているのだと思っています。それにしても、そういうことが通ってしまうようになっているところに、やはり今の学術研究に問題があることは間違いありません。『公害原論』がここで開かれた時に、おそらくそういう問題を宇井君は語ってみたかったのではないかと思います。
きょうは時間がもうございませんので、最後に申し上げたいのは、今、日本の高等教育と学術研究は、歴史的に最大の危機にあります。私は国立大学の学長を経験しましたから、特に実態が分かっていますので、感じています。今、GDP に占める高等教育の公的支出は、日本は0.5%しかないのです。欧米は全部1%以上、あるいは1%に近い値です。一番少ないイギリスでも0.9%ぐらいです。その極めて貧困な金額を土台にしながら、先ほどから出ているように、競争的資金ということで――私が学長の時にも法人化に反対したのですが、通ってしまいまして――、毎年1%ずつ、国立大学の予算は減らされています。少ないところから、ますます減らされていくわけですから、つぶれる学部がでてくるわけです。今度の競争的資金になりますと、これは7
帝大に集中します。そうすると地方の大学は、止めてしまわなければいけない研究、止めてしまわなければいけない学部が出てくると思います。それでいいのかということなのですね。
日本の未来とか、維持可能な社会の中で一番重要なのは教育です。特に、前進を図ろうとすれば、高等教育こそ最も重要なのです。しかし、その事態を基本的に議論しないで、競争原理だ、もっと外から資金を獲得せよ、としてしまいますと、公害問題や環境問題は――今、ちょっと環境問題は花形になっているようですが――おそらく切り捨てられていくでしょう。そういう意味で、学術研究、高等教育は、今、日本で本当にピンチの時代に入っているわけです。この東大自身も東大が世界一になればいいと思っているかもしれませんが、それで日本の学術研究や高等教育が良くなるわけではない。東大は日本の大学の中心として、日本全体の学術教育を前進させる、そういう責任をもっているだろうと思うのです。是非若い人たちが安易に産学協働、あるいは、最近は、軍学協働に成り代わって、防衛庁は予算を持っていますから、そういうことになるということにならないように、それがきょうの「宇井君に学ぶ」ことではないかということで、終わらせていただきたいと思います。どうも今日は、ありがとうございました(拍手)。
井上 長時間、お付き合いいただきましてありがとうございました。これで、<宇井純に学ぶ集い>を終了します(拍手)。
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