「宇賀神家 家系図」※画像をクリックすると拡大します。
<宇井純>が生前、公言してはばからなかった“もっとも影響を受けた人物の一人”が小嶋時久(こじま ときひさ)である。その時久と祖母・トウ、小嶋家の長女で、後に〈宇井純〉の母になる久のルーツ、足跡を探った。
※おことわり※ 確認出来る記録でも小嶋姓の表記には「小嶋」と「小島」が共存していますが、戸籍では「小嶋」とされていることを含めて関係者の同意を得て、一部を除いてここでは「小嶋」で統一します。


<小嶋家の系譜 1=祖父・時久>


農家の三男と村長の娘が縁あって結ばれる

小嶋時久。<宇井純>の祖父であり、母・久(ひさ)の実父である。その人柄を一口で表せば「明治生まれの気骨をもった努力の人」であろうか。彼の足跡の記録は「点」でしか残されていないが、それらの点を多少の脚色を試みながらつないでみたい。
時久の家系を表す唯一の記録に<純>が大学院生時代に本人から聞いた話をまとめた「聞き取り」がある。1962年まとめになっている。母・久の三回忌(平成17(2005)年10月)の際に、<純>が出席した親類縁者に配ったものである。

時久は、まず記憶している家長を中心にした家系について語っている。要点をピックアップする。「系図」を参照しながら読み進んでほしい。

《祖父・小嶋時久 系統図》


   ●初代 利左衛門から三代 利平までは記録にない。
   ●三代 利右衛門は子供の頃生きていた。
   ●熊吉はよく知らないが、熊吉の妻・ヒサは長生きし、記憶力も良かった。
   ●長吉は物知りで、天文学を教わった。
   ●啓太は一風変わった人だった。
   ●慶十郎は学問嫌いの人だった。


〈純〉がこの「聞き取り」でいみじくも残念がっているように、この「聞き取り」は聞く側に明確な意図あるいは重要性をあまり強く認識しないまま聞いたのでやや時系列を欠いたりしている恨みがあるが、貴重な記録であることには違いない。
小嶋家。基本的には農業を生業としていた家系のようだ。後述するように、生家を見ても中級規模の農家で、戸主は、代々、旧稲葉村(現 壬生町下稲葉)を動かなかったと思われる。「栃木の土」に根付いてきた一族であると言えよう。