宇井純の戒名 「錦風院恵山純海居士」 に決まる

宇井家は故人の生前の意志を尊重して、葬儀・告別式は俗名で執り行ったが、さきの百か日法要の際の家族会議で宇井本家との関係もあり、戒名の採用を全員一致で決め、菩提寺の住職に命名を依頼した。
その結果、「錦風院恵山純海居士」(きんぷういん けいざん じゅんかい こじ)とつけられた。

田中賢昭住職によると、「錦風」は亡くなった11月11日前後は紅葉の美しい時期であったことと、故人の人柄の素晴らしさを掛け表わし、「恵山」と「純海」は故人が山や海の自然の大切さを重んじ、公害・環境問題の研究に生涯をかけて取り組み、貢献したことと名前の「純」を取り入れて命名したという。

写真左:故宇井純の戒名をつけた菩提寺住職の田中賢昭さん
=2006年12月17日、鮭延寺本堂で
写真右:授与された宇井純さんの戒名

曹洞宗正源山鮭延寺〒306−0236 
茨城県古河市大堤1030−1  
TEL 0280−32−6905  
住職:25世 田中賢昭

慶安元年(1648年)6月の開創とされ、開基は、出羽山形の城主・最上家の重臣で、鮭延(さけのぶ)越前守秀綱。当時、幕閣の要職にあった土井利勝らの強力な庇護もあり、大本山永平寺の茨城県下唯一の直末となり、十万石の格式をもって遇せられた。
陽明学の大家で、地形上洪水がよく起きた古河の西、渡良瀬川と思川が合流する付近に蕃山堤といわれる堤防を作った熊沢蕃山の墓がある。