観音山大悲院法性寺 本文へジャンプ
文化財
茨城県指定有形文化財    平成7年1月23日指定
木造如意輪観音坐像
 本尊の「木造如意輪観音坐像」は、平成五年の詳細調査により発見された像内銘から南北朝時代、応安五年(1372)に仏師加賀坊長慶の手により製作されたものであると知られました。銘記には願主の名や居住地、仏師の年齢も記されています。
 本像の本体はヒノキ材の割矧(わりは)ぎ造りにて作られています。平安時代後期に完成したこの技法は、一材から彫成した像の干割れを防ぐために、材を縦に割り、再び合わせて造る技法であり、等身以下の大きさの像を造る際の最も標準的な技法として普及しました。
 元禄期に施されたとみられる漆箔が外見を損なっていること、欠失・欠損部が多くみられることから、平成六年に解体修理を実施しましたが、作業中、像表面を覆う漆箔の下から造像当初の金泥塗り仕上げの表面が出現、さらに、着衣の部分には切金文様ののほか、丹をもちいた盛上げ文様も確認され関係者を驚かせました。また、像内部からは発願主及び仏師の書状二通が取り出されるなど貴重な発見が相次ぎ、本像の文化財としての価値をさらに高めています。

木造   金泥塗り・切金   玉眼
像高41.8㎝   髪際高31.6㎝








常総市指定有形文化財   昭和62年10月1日指定
絹本著色了誉聖冏像(けんぽんちゃくしょくりょうよしょうげいぞう)
 聖冏(しょうげい)(1341~1420)は、宗祖法然(ほうねん)以来相承されてきた浄土の宗義をまとめて五重相伝の網格をを作り、当時不統一であった各派の教義を統一しました。さらに白旗式条を制定して僧侶に規制の徹底をうながし、教団の統一をはかりました。そのため他宗から付属宗といわれていた浄土宗は、学問的にも教団的にも確立し、堂々と布教に専念して固い基盤を築くことになりました。聖冏が浄土宗の中興上人として崇められる所以がここにあります。聖冏は眉間から新月のような光を放っていたと伝えられ、世の人からは三日月上人と呼ばれたといいます。
 「絹本著色了誉聖冏像」は、このように日本の宗教史上あるいは歴史上重要な人物を描いたものであり、美術的にも高度な手法を駆使したすぐれた作品といえます。画は聖冏の特徴である三日月型を額に表し、曲彔(きょくろく)上に座して右手に払子を執る姿を描いています。肉身線を茶、衣文線を黒と全体的に彩色は淡いが表現は精緻です。江戸時代前半の作と考えられています。

縦 85.3㎝   横 34.3㎝