大井今朝雄の優しい哲学、「壮大・神秘・心の世界リンク集」

西田幾太郎の真実の哲学
2006年8月9日(水)書き込み開始  
2011年5月29日(日)魂からの言葉10年目編集更新



2002年2月9日(土)から約10年間、魂と遭遇体験から西田哲学を解明

西田幾多郎の言葉「哲学者は心霊上の事実を説明しなければならない」

この西田幾多郎の言葉こそ、日本の無知で愚かな哲学者の偽装哲学を指摘した最高の言葉である。

哲学は、形の無い心、科学で測定できない、無の心に起こった超感覚的知覚のESP現象に無知な日本の哲学者

ソクラテスとデカルトが遭遇体験をした、哲学発祥の根源である、姿・形の無い「魂」の存在に無知な日本の哲学者
* 
魂の存在の証明・本発刊

カントの批判哲学から、ヒントを得て、西田哲学を批判する、無知な哲学の派閥、無知で愚かな日本哲学会

ソクラテス以前の哲学者・エンペドクレス(紀元前490年〜430年)の言葉
「智恵者を探すには、自分自身が智恵者でなければならない」

この言葉の通り、人間の死で、肉体が消滅した後、「心に復活して来る魂」と遭遇体験者以外に、真理の哲学を解明する事は、どんなに頭の良い人間でも永遠に不可能である。

生命機能の永遠の真理「心身二元」「心の真理」に無知な哲学者には、頭で、「心の悟りの学問」哲学は永遠に解けない

*哲学者としての権利を主張するなら、心霊上・神霊上の事実を証明する義務を負へ


西田幾太郎の、「善の研究」を読んでいる内に、最初幾太郎は同郷の鎌倉で禅の修業をした鈴木大拙の影響を大きく受けていると強く思った?・・・

また、西田幾多郎も鈴木大拙と一緒に富山県高岡市にある、国泰寺(こくたいじ)で禅の修業をしたと言うし、最初は仏教的な難しい言葉が多く、明治時代の言葉の表現方法が難しい為に、凡人の私には、西田哲学は解けないと思った。

しかし、西田幾太郎の人生は妻や子供達の多くが死んでいる!明治40年「善の研究」を書く前に次女と五女を相次いで亡くし大切な子供を亡くした時に、心に自然発生する煩悩の体験をして詩を読んでいる。

「名利を思うて煩心絶間なき心の上に一杯の冷水を浴びせかけられたような、清く温き光が照らして凡ての人の
上に純契なる愛を感ずることが出来た」
「思索と体験」を書いている。

この言葉は、親鸞の二人抄の表現と似ている、親族を亡くした時の心が錯乱状態になり強い衝撃を受けて悲しみや苦しみが、そして絶望感、挫折感が心に自然発生する、時には自殺願望が起こるほど心は強い衝撃を受ける。

参考の為に、親鸞のいう(一人抄は自分の死で、三人抄は他人の死で、他人の死は心に不幸感は起こらない)

更に、大正7年には母の死、長男の死、大正13年、妻 きよ美を亡くして、心に自然発生する煩悩に苦しめられる!・・絶望感、挫折感、で生き甲斐を失い、非常に孤独な人生を味わって居たと思われます!

参考の為に、(宮沢賢治はこの時の心の状態を「修羅の心」と言っている。また柳田邦男氏は、息子を亡くした時に「世の中灰色に見えた」といっております)

是だけ不幸が続かば、世間では「西田は呪われている」などと?・・

無責任な発言をする人も出てくるような不幸の連続です?・・西田はこの時期沢山の歌を詠む!魂が心に復活する事によって、感性が高まり、言葉を感じる心の感覚が高まり、詩や五七五、演歌の歌詩の奥深い意味が理解、解釈できるように成って行くのです。

この西田幾太郎の詩から、西田幾太郎の心が洞察出来ないか?・・・解き明かしてまいります。

もしかして、西田幾太郎は、私と同じ体験をしているかもしれない?・

西田幾太郎は、身内の誰かの死で必ず「魂」と遭遇していると、魂と7年間遭遇体験をした、私は強く感じたわけでございます?・・・

西田幾太郎の哲学について書いている人は多いのですが?・・私は西田幾太郎の生涯と「魂」との出会いを今後探究してまいります。

更に、西田幾太郎の人生の後半「誠の愛」「人間愛」に出会っている。

何か?・・日本の哲学研究は、仏教や宗教と同じで、愚かな人間が体験をした真実・真理を伝えないで、一部を知って、全てを知ったが如く?・想像で
「哲学の真理」を歪めて研究して、本を書き金儲けをしている。更には大学哲学科で、歪んだ擬似哲学の講義をして、学生から月謝を取る?

人間の名誉職や欲望の満足の為に、日本の哲学界は二派に分かれている事に気がついた?まだ日本の哲学研究は、明治時代から研究が始まったばかしで浅い?・・・

西田幾多郎の言葉「宗教は心霊上の事実である、哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない、哲学者はこの心霊上の事実を説明しなければならない」と「善の研究」で記している。

この言葉は、西田幾多郎が、宗教誕生の根源の魂と、哲学という学問が誕生した根源の魂が同じで、姿・形が無い魂と遭遇体験がある人しか「哲学の真理」を解明できない事実を証明している。

参考の為に、
ソクラテスの言葉「魂に思慮する」「人は魂について何を知って居るのか」「哲学とは死の練習である」を解読出来なかった世界の哲学者は、アリストテレスの形而上学を2000年以上も研究して来て、人間の死で、肉体が消滅した後に、心に復活して来る「魂の存在の真理」に完全に無知である。

最近では、世界的に「哲学とは死後の世界の研究」である事が解って来ているが、現在日本の東大では、21世紀のCOE、国際哲学交流センターで「死生学の構築」「死その向こう側」と死後の世界を研究しているが、私が遭遇体験をして発見した「魂の存在の真理」を認めない為に、永遠に死後の世界を解明する事はできない。

また、もしかして魂と遭遇体験者を発見して、その人の体験を研究して公式発表しても、私の「死後の世界の解明」と「真理の哲学の解明」は、7年間の体験の真実をインターネット上のライセンス著作権として、英語と日本語で書き込み、歴史の証拠の証明として、この地球上に永遠に書き残される現実に東大は未だに気が付いていない。

形の無い
「魂の真理」や形の無い「心の真理」が体験者が死んでいる為にわからないと思い込んで、「赤信号、皆で渡れば怖くない」「誰にも解らなければの万引き感覚」で自分の名誉の為に真理を歪めてしまう。

私は、
「鈴木大拙の哲学」と「西田幾太郎の哲学」が一番真理を伝え!ソクラテスやプラトンの哲学「魂の存在の真理」生命機能の永遠の真理「心身二元」の真理に近いと確信!

私の体験を生かし、鈴木大拙と西田幾太郎の哲学の真理を徹底研究する。このページでは、
「西田幾太郎の真実」を徹底的に解明してまいります。

まず!・・・「日本の哲学」の本を買い、徹底的の解読してまいります。人間の
「心の真理」は体験した人しか、解明できないと私は確信する。

ギリシャの哲学者エンペドクレス(紀元前490年〜430年)の言葉
「知恵者を視出すには、その人自身が知恵者でなければならない」そうです、エンペドクレスの言う通り、魂と遭遇体験の無い人には?・・絶対に「哲学の真理・根源・語源」「愛と心の真理」は解き明かせないのです!

イエス・キリストも、魂と遭遇体験をして「愛は神である」と言葉を残している。
しかし、イエス・キリストの言う言葉の理解が、魂と遭遇体験者以外理解できないのです。なぜ?愛が神なのか?なぜ?愛は重要文化なのかを解き明かせるのは、魂と遭遇体験者以外には永遠に解明不可能である。

イエスキリストの真実の神を発見

2006年11月1日(水)書き込み

いやあー?・・・
「哲学の真理」を、いろいろ探究して居る内に、現在日本では!日本の哲学者や京大もソクラテスの、哲学をぜんぜん解明できていない事を発見!

京大の哲学の研究も、
「西田幾太郎の哲学」も、西田幾太郎の体験を理解出来ない?京大で発刊している、西田幾太郎の哲学の本は、プラトンの「ソクラテスの弁明」と同じで、西田幾太郎の体験をぜんぜん理解できない事を発見した!

今後、時期を視て、
「ソクラテスの弁明」「西田幾太郎の哲学」を私の体験により!両者の哲学の真理を、現在世界で誰も解明できない、二人の哲学を比較しながら!世界にわかり易く解読、解明してまいります!・・・

* ソクラテスの逆襲と天罰

2008年12月4日(木)書き込み開始

* 狂った日本哲学会
* 心の真理に無知な日本哲学会
* 洗脳され思い込まされた擬似哲学
* 脳科学VS哲学の真理
* 心に無知な哲学者の結末
* 我が真理の見方は神とパソコン
* 日本中が心が頭に存在と思い込み
* 頭が全てで心に無知な哲学者
* 頭の東大VS心の神の知恵

Global standard philosophy research center.

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