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   2001年に、私のCS症状は坂を転げ落ちるように悪化しました。過敏性が上がり、周囲のものに次々と反応して行きました。生活必需品にも事欠くようになり、生活は困窮しました。このとき私の生活をどん底にまで陥れたのは、「水」の問題でした。 

[水道水に反応]
 2001年5月のことでした。私は外出先で、突然激しい目の痛みを感じました。その場で転げ回るような強い目の痛みでした。その日から、周囲のものに次々と目の痛みを感じるようになりました。 

 2001年6月になると、湯気の上がるものに、強い目の痛みを感じました。電気ポットや炊飯器・風呂・なべ・スチームアイロンから上がる蒸気に反応していきました。その痛みは、まるで目が焼けただれるような激しい痛みでした。健康な方でも、タマネギのみじん切りを長時間やると、涙がぽろぽろ出てきて強い痛みを感じます。それと同じレベルか、それよりももっと強い痛みでした。

 蒸気に反応するようになって、ほんの3日くらい過ぎてから、今度は常温の水にも反応するようになりました。蛇口から出てくる水が激しい刺激を帯びています。水から立ちのぼった刺激があたり一面に立ちこめています。それが目にしみて、とても目を開けていることができません。手を洗ったり、洗濯をすると、猛烈な目の痛みになりました。

 はじめは、一体何が起こったのか、よくわかりませんでした。そんな毒性の強いものが蛇口から出てくるということが、とても信じられなかったのだと思います。ショックでした。

 でも、はじめの時点では、これがどれだけ大きく生活を脅かすことになるのか、まだ気づかなかったのです。私たちは、ふだん何気なく水に接しています。どれだけ水と深いかかわりを持って生活しているのか、それに気づいていません。それほど「水」を使うことは、自然で当たり前のことだからです。ひととおり生活を行ってみて、「水が使えないことがどれほど不便か」ということに1つ1つ気づくまでは、事態の深刻さがわかりませんでした。

 当時、浄水器を使っていましたが、浄水器から出てくる水も、同じように刺激を帯びていました。浄水器を通しても、なお有害な成分が出てくるなんて、信じられませんでした。きっと過敏性が高まっていたので、浄水器で漉しても漏れ出てくるような微量の成分に反応していたのだと思います。

[激しい目の痛み]
 洗濯をすると、その服に激しい刺激物質がついてしまいました。シャワーをあびると、自分の体から刺激が立ちのぼります。髪を洗うと、髪がひどい刺激になってしまい、目を開けていられません。ビリビリと目にしみ込むような痛みでした。

 料理をしようとして、食材を水道で洗うと、もうその食材は汚染されてしまい、激しい刺激になってしまいます。野菜を洗ったりゆでたりすることも、食器を洗うこともできません。調理台や食卓が汚れても、布巾で拭くことができません。そうじをするのに、水拭きができなくなりました。トイレに行くと、室内中に水の刺激臭が立ちこめていました。目をつぶりながら、手さぐりで用を足しました。

 お風呂場や洗面所にどうしても入れません。しかし、生活上入らないわけにはいかないので、目の痛みを我慢しながら、入りました。痛みのため、何回もまばたきをしてしまいます。目を開けると痛いので、ときどき薄目をあけながら、用事をすませました。手が汚れても、手を洗うことができませんでした。これは、とてもつらかったです。

 1日中、「目の痛み」のことしか考えられなくなりました。どうすれば、この痛みから解放されるのか…と。しかし、毎日水を使わなければならず、ずっと目の痛みは続きました。24時間、途切れることがありませんでした。この生活が、その後1年間続くことになります。

[皮膚・口の粘膜のただれ]
 6月下旬になると、目の痛みだけでなく、水道水が皮膚に触れたところが痛むようになりました。ビリビリとしみて、ただれるような痛みです。水滴を一滴も肌につけることができなくなりました。それと同時に、水道水を飲んだり口に入れると、口の中がただれたように痛むようになりました。当時、ミネラルウォーターは刺激がなかったので、料理には、これを使っていました。しかし、食材や食器を洗うのが水道水だったため、その微量の成分にも反応して、ひどい刺激を感じました。料理を食べると、目も口の中も、強く痛みました。

 水道水の有害成分は、加熱するとさらに刺激が強まったので、調理をするのが本当につらかったです。なべから立ちのぼる蒸気は、まさに「毒物」という感じで…これを本当に食べるのかと躊躇してしまうほどでした。とても食べ物とは思われませんでした。でも、他に食べるものがなかったのです。この時点で、すべての食材は刺激を放っていたのですから…。

 食事のたびに、口がただれてしまうので、食べ物の味はしないし、食欲もなくなっていました。だんだんやせていきました。

[雨に反応]
 そのうち、雨にも反応するようになりました。雨が降ると、外気全体が強い目の痛みになりました。水滴の一粒一粒が刺激を帯びているように感じました。雨粒が皮膚に当たると、そこがビリビリとしみて痛みます。赤くただれたようになります。ショックでした。雨粒に当たらないように気をつけてみるのですが、傘をさしていても、防ぎきれるものではありません。雨の日は一切外出をしないことにしました。

 当時は、一体何が何やらわかりませんでしたが、今、解釈してみるには、多分、雨粒に含まれていた農薬の微量成分に反応していたのではないかと思います。夏の間中、市内のあちこちで農薬が散布されると、その霧が大気中に拡散します。それが雨に混じって、落ちてきたのではないかと思います。

 私は、とても過敏になっていたので、他の人が何も感じないような、ごく微量の成分にも、反応してしまったようです。雨に対する反応は、冬になると収まってきました。夏の間が特にひどかったので、農薬との関連を疑っています。

 水道水も、夏の間はひどく、冬になるといくぶん刺激がおさまってきたので、これも農薬との関連を疑っています。

[蛇口から“赤い水”]
 水道水に反応するのと同時に、外気や生活用品に次々と激しい目の痛みを感じるようになっていきました。外で有害な化学物質に曝されると、服や体にその成分がついてしまいます。有害な物にふれると、手にその成分がついてしまいます。しかし、体や服を洗おうとすると、水道水の刺激物質がついて、前よりも余計に有害になってしまうのです。

 当時の感覚としては、水道水に真っ赤な色がついているような感じでした。蛇口から真っ赤な水が出てきていて、手を洗うと手が真っ赤に染まってしまうというようなイメージでした。それは、「洗う」という行為ではなく、「汚染する」という行為そのものでした。水に赤い色がついていたとしたら、誰がそんなもので手を洗おうとするでしょうか。化学物質に汚染された体や服を洗おうとしても、その結果かえって「汚染」されてしまうのです。洗えば洗うほど、汚染は広まっていきます。どうしていいかわかりませんでした。

 CS患者の方であれば、水道の蛇口から、灯油が流れ出てくる様を想像していただければいいと思います。そんな液体で、体を洗ったり洗濯しようなんて思うでしょうか。当時、私に起こったことは、そのようなことでした。

 環境問題の話題になると、水質汚染の話が出てきます。「水道水は汚染されているから危ない」という話になります。ミネラルウォーターを飲んだり、浄水器を使っている人もいます。それでも、その汚染というのは、「理想の状態」からくらべて汚染されているということで、みんな心の底では水の清浄さを信じているのではないかと思うのです。そうでなかったら、水道水で洗濯したり、そうじをしたりするでしょうか。確かに汚染されているかもしれないけれども、他の物質にくらべれば相対的にきれいなものだと思っているから、水でいろんなものを洗うのです。汚れを落とすのです。私も自覚せずにそのことを信じていた一人でした。それまでは、CS患者として、水の汚れや塩素の害を感じてはいましたが、それでも化学物質の汚染を除去するために、シャワーを浴びたり洗濯をしたりしていたのです。その信念が根底から崩れました。

[汚染の広がり]
 生活のすべての面で、汚染は広まっていきました。水で洗うたびに、周囲の生活用品がどんどん真っ赤な色に染まっていくような感じでした。汚染された衣類にアイロンをかければ、アイロン本体やアイロン台が汚染されて使えなくなってしまいます。汚染された雑巾で拭き掃除をすると、拭いたものはすべて汚染されて使えなくなっていきました。水は水蒸気となって、空気中を移動します。洗濯物を干している場所には近寄れませんでした。あまりにも強い刺激が立ちこめているからです。料理をしていて、刺激の強い蒸気があがっているところに近づくと、髪も服も持ち物もすべて、刺激の霧で染められて駄目になってしまいます。しかし、それを洗おうとしても、さらに汚染されてしまうのです。

 2001年の6月から7月にかけて、生活のすべての面に、爆発的に汚染が広がっていきました。

[対策]
 使える水を確保するために、様々な方法を試してみました。

 まず、それまでも飲料用に使っていたミネラルウォーターですが、これは水道水に比べてずっと刺激が少なかったので、そのまま使えそうでした。これを飲用と料理用に使うことにしました。口から入れる水については、ミネラルウォーターでまかなうことができるのですが、シャワーや洗濯など、洗浄用の水は、ミネラルウォーターではコスト的に無理です。

 浄水器や浄水カートリッジがついたシャワーヘッドを試してみることにしました。シャワーヘッドは、それまで塩素を中和するタイプを使っていましたが、このカートリッジを通しても、刺激は全く減りませんでした。塩素のみを取り除くタイプなので、他の有害物質はとれないのだと思い、活性炭のカートリッジが入っているタイプのものを試してみることにしました。

 活性炭の浄水シャワーはよく効きました。使用はじめは、刺激の少ない水が出てきました。これでシャワー水は確保できると思い、ホッとしました。ところが、このシャワーカートリッジは、たった2日間で効果がなくなり、もとの有害な水が出てきてしまいました。本来ならば、3ヶ月有効のカートリッジなのですが、当時は私の過敏性が高かったため、汚染が飽和するまでにたった2日しかもたなかったのです! 

 他に、浄水器も試してみました。1台目はそれまで我が家で使っていたもので、前述のように、刺激が全く取れなかったものです。カートリッジが古くなったせいだと思い、新しいものと交換して試してみました。浄水シャワーと同じように、交換した当初は、効果がありました。しかし、これも20日間使ったら、汚染が飽和してしまったらしく、また有害な水が出てくるようになってしまいました。本来ならば、1年間有効なカートリッジのはずなのですが…。

 さらにもう1台、浄水器を試しました。これは、10年間カートリッジ交換不要、1週間ごとにカートリッジを洗浄するタイプのものです。高価なものでしたが、思いきって買ってみました。ところが、この浄水器は、たった1週間しか持ちませんでした! 再び、有害な水が出てきてしまいました。カートリッジを洗浄してみましたが、それでも浄水効果は戻りませんでした。(返品しました。)

[水のコスト]
 こうやって試してみると、安全な水を得るのに、とてもコストがかかりそうでした。当時、水の単価を計算してみた表があります。

  1日の使用量 カートリッジの交換頻度 交換までの水量 単価 1本当たりの量 1リットル当たりの 値段
浄水シャワーヘッド 20リットル 2日 40リットル 1200円 30円
浄水器A 10リットル 20日   14000円 70円
浄水器B 10リットル 7日 70リットル 10万円 1429円
ミネラルウォーターA 160円 1.5リットル 107円
ミネラルウォーターB 118円 2リットル 59円
 ミネラルウォーターC 224円 2リットル 112円

この表を見ると、1リットルあたり最低でも30円かかることがわかります。一番コストが低いのが、浄水シャワーヘッド、次がミネラルウォーターBとなります。飲用には、ミネラルウォーターA、料理用にはミネラルウォーターBを使うことにしました。ミネラルウォーターAはBより値段は高いのですが、こちらの方が私の体には合っていました。飲用にはこれを用いることにして、料理用にはBを使いました。そして、口から入れるもの以外の水は、浄水シャワーヘッドを使うことにしました。

 浄水シャワーヘッドがもっともコストが低いとはいえ、それでもかなりお金がかかります。だいたい1回20リットルの使用で、2日しか持ちませんでした。40リットルで、汚染が飽和することになります。1日10リットル使ったとしても、1ヶ月に9000円かかることになります(4日で交換。1ヶ月あたりカートリッジ7.5本使用。1本1200円×7.5本=9000円)。1日10リットルで、洗顔・洗体・洗髪・洗濯のすべてをまかなえるとは、とても思えませんでした。この時点では、まだ、水の確保のために、どれだけコストがかかるのか、想像もつきませんでした。

[水の使用量を測る]
 まず、1回の使用ごとに、どれだけの水量が必要なのかを測ってみることにしました。容器の容量を測ってみると、湯おけ1杯が1.5リットル、洗面器1杯が3リットル、バケツ1杯が6リットルでした。これを目安に水の使用量を測ってみました。

 従来の使い方では、大量の水が必要になってしまうので、できるだけ少ない量ですませるようにしました。どれだけ少量の水で用が足せるのか、実験したようなものです。以下が、使用量の表です。

  水の使用量 頻度 1日当たりの使用量
洗顔 2リットル 1日 2リットル
洗体 10リットル 2日 5リットル
洗髪 10リットル 2日 5リットル
洗濯(半袖シャツ1枚) 6リットル その都度
手を洗う 1リットル その都度
タオルを洗う  2リットル 2日 1リットル

 体を洗うのに10リットルというのは、とても少ない量です。ちょっと体にお湯をかけ、せっけんをのばし、それを5秒くらいで洗い流します。スッキリと洗い上がったという感じは全くありませんでしたが、何はともあれ、一応体を洗ったことにはなったのです。

 潜水艦に乗っている人は、使える水量が少ないので、たった7秒でシャワーをあびるそうです。「マリンシャワー」というそうです。夫が以前、アメリカ海軍の人から教えてもらったそうです。夫は、当時の私の様子を「マリンシャワーのようだね」といっていました。洗顔も洗髪も一瞬でした。

 潜水艦の人と違っていたのは、私が化学物質のわずかな汚染にも耐えられず、それを洗い流さなければならなかったことです。これだけの水量では、日々遭遇する化学物質の汚染に対しては、まったく追いつきませんでした。お湯で流すだけなら、まだ水量が少なくてすんだのでしょうが、化学物質の汚染を取るためには、せっけんを使わなければならず、そのため、多くの水量が必要でした。

 1日15リットルくらいでやっていけないかと思いました。この量だと、だいたい3日でカートリッジ交換となり、月当たりのコストが12000円くらいになります。これ以上、お金をかけられるのかどうか…というと、難しかったです。今となっては、せめてこの2倍の量を使っていれば(月当たり24000円)、もう少し生活が楽になったと思いますが、当時は、いつまでその生活が続くのかもわからないし、このくらいが限界だと思ったのです。これに加えて、ミネラルウォーター代が別にかかりました。

 この表を見て、「本当にこの水量で用を足せるのだろうか」と疑問に思った方、どうか実際に試さないでください! こんな量では、どだい無理だからです。今、私がふり返ってみてもそう思います。それでも、当時はこの量でやっていくしかありませんでした。

  当時の水の用途別使用表は次のようになりました。

洗顔・洗体・洗髪 浄水シャワー
洗濯 浄水シャワー+その他
手を洗う  浄水シャワー+ミネラルウォーターB
飲み水 ミネラルウォーターA
料理 ミネラルウォーターB
はみがき ミネラルウォーターB
歯ブラシをすすぐ ミネラルウォーターB
調理器具・鍋・皿洗い 水道水
台ふきん・雑巾 使用不可


[洗濯]
 シャワー・洗髪の水量も少なすぎて大変でしたが、何よりも問題となったのは、洗濯でした。洗濯は、シャワーとは比べものにならないくらい、多くの水量が必要です。しかも、日々化学物質で服が汚染されていくので、何度も洗濯しなければなりませんでした。この水量をいかに確保するのか、ということが問題になりました。浄水シャワーだけでは、とても間に合いませんでした。いろいろな方法を試してみました。

 まず、炭で水道水を浄化してみることにしました。ポリバケツに水を汲み、そこに炭を入れます。2日ほどおいたら、水の刺激は少しおさまったような気がしました。しかし、炭を取り出してみると、これは、強烈な刺激でした。とても手で持っていられない、見ていられないような目の痛みです。

 炭の刺激をとばすために、オーブントースターで加熱してみました。屋外でやったのですが、オーブントースターから、強烈な刺激が立ちのぼりました。とても耐えられないような臭気です。オーブントースターに近寄れません。熱いうちはもちろん、冷めてからも近づくことができませんでした。

 炭は捨てることにしました。とても家に置いておくことができなかったからです。オーブントースターは、刺激のため、その後使用できなくなってしまいました。

 炭で浄化した水の方ですが、水全体に炭のにおいがしていたし、表面に黒い粉が浮いていて、あまり水質がよくなかったです。もともとの刺激も取り切れずに残っていたので、これを洗濯用に使えそうにはありませんでした。こうして、「炭作戦」は失敗に終わりました。

 次に、お風呂の残り湯を洗濯に使ってみることにしました。お風呂を沸かしたときは、浴室中に蒸気が充満して、耐えられない状態になります。しかし、2回・3回と追いだきしていくうちに、風呂湯の刺激が少なくなっていくように感じていました。3回追いだきした残り湯を洗濯に使ってみました。これで、「洗い」→「すすぎ」とやって、仕上げのすすぎは浄水シャワーを使います。この方法は、思ったよりうまくいきました。それで、何度かこの方法で洗濯していたのですが、ある時、水道水が強烈に汚染されていたときがあり、このときは3回追いだきしても、全く刺激が減る様子はありませんでした。

 このように、水道水の水質が変動するので、いつも同じ方法とはいかず、常によく感覚をとぎすませて、水の汚染度を測らなければなりませんでした。汚染度を確かめるということは、つまり、有害物質を目の当たりにして、じっくりと嗅がなければならないということです。そのたびに激しい目の痛みを感じ、その場に倒れ込みそうになります。ひどい刺激を嗅いでしまったときは、何時間も布団の中で苦しむことになりました。このように、一瞬も気を抜けないような感じで、気の休まる暇がありませんでした。

 そのほかの家事については、次のような対策を取りました。

[調理]
 料理にはミネラルウォーターを使いました。野菜を洗うのに、とても困りました。水道水で洗うと、たまらない刺激になってしまいます。土がついていない野菜は、洗いませんでした。(これには、心理的にかなり抵抗がありましたが…。)野菜の下ゆでは行いませんでした。麺類を茹でたり、油抜きをしたりするには、お湯を流しかけたり、使ったあと捨てたりしなければならず、このような調理方法はできなくなりました。ミネラルウォーターでは、とてももったいなくてそんなことはできませんでした。

 食材の確保にも苦労しました。お豆腐や、白滝など、水につかっているような食材は、ほとんどのものに激しい刺激を感じました。魚売り場には、近づけませんでした。いけすのようなものがあったり、氷の上に魚を置いて売っていました。その売り場中が猛烈な刺激でした。

 たいてい水分含有率が高い食材がだめでした。どのような食材でも、製品にするまでに、洗浄されたり、加工されたりして、水の洗礼を受けてきています。そのとき使った水が刺激を帯びていると、食材も汚染されてしまうようなのです。そのようなものを調理したり、食べたりすると、目や口の中が激しい痛みになります。店にある食材のうち9割は刺激が強くて、とても使えないものでした。

 ごくごく少量の食品しか購入することができませんでした。そのため、当時は、毎日必ず同じメニューを食べていました。新しいメニューに挑戦すると、そのたびに、最低でも食材の1つは必ず激しい刺激を帯びていて、料理全体が汚染されてしまうのです。だめになった料理は、すべて捨てなければなりません。そのようなリスクを避けるため、毎日毎日、同じものを食べていました。

[食器洗い]
 調理器具や食器を洗うのに、水道水を使いました。もちろんミネラルウォーターで洗うなんてことは考えられないし、浄水シャワーも、洗濯などで精一杯です。しかたなく、水道水で洗っていました。ビニール手袋をして、直接肌に触れないようにしていました。しかし、それでも、洗っているうちに水滴がはねて、皮膚につきます。その部分は、ビリビリとしみて痛みました。

 洗っている最中は、強烈な目の痛みです。食器洗いをはじめる前に、覚悟が必要でした。なるべく気持ちをしっかりと持って、最後までなんとか耐えなければなりません。

 洗い上がった食器は、ふだん使っていない部屋で、乾かしました。食器全体から、刺激臭が立ちのぼっていました。水道水で洗った食器を使うと、食事のたびに刺激が強かったです。我慢して食べました。

 食器洗いをしなくていいように、紙皿を使ってみたことがあります。幸い、紙皿自体には反応を起こしませんでした。しかし、紙皿で食べると、なぜあんなにも食事がおいしくなくなるのでしょう。もともと少なかった食欲が全くなくなってしまいました。きちんと食器によそって食べることは、とても大切なことだと思いました。いくら刺激の強い食器であっても…。紙皿を使ったのは、1回きりでした。

[掃除]
 水洗い・水拭きはできなくなり、すべて、乾いた方法ですませることになりました。テーブルに液体がこぼれても、トイレットペーパーで拭き取ることにしました。(当時、1種類だけ使えるトイレットペーパーがありました。)この頃から、掃除はほとんど使い捨てでやっていました。従来の方法では無理だったからです。例えば、雑巾を使って汚れを拭き取った場合、雑巾を洗う水に困ります。水道水で洗った雑巾で拭くと、拭いた部分が汚染されてしまいます。

[歯みがき]
 ミネラルウォーターを使いました。洗面所にいるのがつらいので、自分の部屋にコップを持っていって磨いていました。歯ブラシを洗うのに水道水を使えないので、ミネラルウォーターでためすすぎをしました。(衛生上やや問題がありましたが、しかたがなかったのです。)コップを洗う水に困りましたが、これだけはしかたなく水道水を使いました。コップが刺激を放っているので、歯みがきするのにつらかったです。

[手を洗う]
 浄水シャワーを使いました。手に化学物質がつくたびに洗い流したいのですが、1日の水量制限があり、そうもいきません。私は、当時、過敏性が高く、有害な物にさわると、手についた化学物質に反応して、さらに症状が出てしまっていました。なるべく、ものに直接手を触れないようにしていました。手袋をしたり、ビニールごしにさわりました。手袋はすぐ汚れてしまうのですが、1日の水量制限があるので、なかなか洗濯ができずに困りました。万事が万事、このようにびくびくとしていて、とても神経質になっていき、精神的に追い詰められていきました。

[家族とのかねあい]
 家族が水道水を使ったり、蒸気が上がるようなことをしていると、そばに近づけません。家族が調理中や食事中の台所に入ることができませんでした。私は、別室にポータブルコンロ(電気コンロ)を持っていって、そこで調理していました。家族とは、食事時間をずらすようにしました。

 家族がお風呂を沸かすと、浴室に入ることができませんでした。お湯がすっかり冷めて、蒸気が出なくなったあとに、よく換気をしてから、ようやく入ることができました。

[対策の結果]
 以上のような対策を行ったのですが、それは十分とはいえないものでした。安全な水を使える量が少なかったために、生活のあちこちに水道水の汚染の影響が忍び込んでいました。それに触れるたびに、ひどい症状を起こしてしまいます。そして、1日に使用できる水量が15リットルしかないというシステムには、もともと無理がありました。

 夏になると、市内全体での農薬使用量が増えてきて、外気の汚染が強くなってきました。私の体や服や持ち物も、どんどん汚染されていきましたが、それを洗い流すための十分な水がありません。農薬以外にも、家族の持ち込むものや生活用品に次々反応しましたが、そのたびにシャワーをあびたり、洗濯するのは難しかったのです。周囲のものや、外気の中には、とりわけ刺激の強いものがありました。それにふれるとショック症状のような激しい症状が起きてしまいます。一瞬で目に強い刺激が来て、衝撃が走り、目の前が真っ暗になります。それと同時に強い頭痛と眩暈がやってきて、その場に立っていられなくなります。意識がもうろうとして、自分が一体どこにいるのか、何をしているのか、わからなくなります。その後、何時間も寝込んでしまうような、ひどい症状でした。そのとき着ていた服は、刺激臭に汚染されてしまうのですが、これを十分に洗濯することができません。このように、私の服や持ち物や身のまわりのものが、次々と汚染されて、使えなくなっていきました。洗えないものは仕方がないので、ビニール袋につめて、刺激が発散しないようにして、しまい込むしかありませんでした。新しいものを買おうとしても、過敏性が高くて、使えるものが見つかりませんでした。

 身のまわりのありとあらゆるものが刺激を帯びており、1日に何度も激しい症状を起こしてしまいます。いつショック症状を起こすのかと常に警戒して、気の休まるときがありませんでした。何が原因で症状を起こすのか予想できないので、まわりのものがすべて疑わしく思え、何もかもが信じられなくなりました。

[着られる服がない]
 汚染が重なってしまったとき、ついに、着られる服がなくなってしまったことがあります。どの服もビリビリとした刺激を発散しており、近づくこともさわることもできません。少ない水量で、目の痛みを我慢しながら、なんとか洗濯してみるのですが、何度洗っても、刺激がとれないのです。それで、しかたがなく、1週間ほど、下着だけで過ごしました。当然、外出はできないし、家族の前に姿を見せることもできないので、生活にはとても困りました。私は当時、CSのために自分ではできず、人の助けを借りなければならないことが増えていたからです。

 1週間ほど下着だけで自分の部屋にこもりきり、という生活をすると、精神的にかなり追いつめられていきました。「このままではまずい」と思い、しかたなく刺激のある服を着ることにしました。着てみると、体のまわりが刺激の霧で包まれたようになり、ビリビリと目が痛み、たまらなかったです。それでも、服を着ないで過ごす情けなさが解消されて、心持ちは少しだけ前向きになりました。

[猛暑との闘い]
 真夏になると、私の部屋は耐えられないような暑さになりましたが、私はエアコンに反応を起こしてしまい、使うことができませんでした。外気は農薬でひどく汚染されていたので、窓を開けることができません。室温は35度くらいになっていました。しかし、汗をかいてもシャワーを十分にあびることができません。(2〜3日に1回。1回あたり10リットル。) 汗がついた服を洗濯することもできません。この年は猛暑で、特に気温が高かったので、とても体にこたえました。

 この頃になると、精神活動はほとんど休止していて、ただ本能だけで生きている、という感じになっていました。1つ1つのことに心を動かすと、とても耐えられなかったからです。無感動で、無感情になっていました。

 夏になると、水に対する過敏性はますます進んで、ちょっとした水滴にも反応するようになりました。冷たい飲み物が入っているコップに水滴がつきますが、その水滴にも怖くてさわれません。また、水滴がついたものやぬれていたものが乾いたあとでも、そこに水の有害成分がついているのではないかと、強い恐怖心を抱きました。この頃になると、もう、心が病んできていたのだと思います。

[追いつめられて]
 8月になると、外出はほとんどできなくなり、夫が代わりに買い物をしてくれました。当時、私たち夫婦は住む家が見つからず、それぞれの実家に住んでいました。夫は50kmの道のりをはるばる訪ねてきて、身のまわりのことをやってくれました。とてもありがたかったです。それでも、当時の私は、感謝の言葉を発する気力もなく…ただただ助けてもらっているだけでした。

 ときどき夫に付き添ってもらって外出することがありました。久しぶりに見る外の世界は、私がそれまで知っていたものとは全く違っていました。外気はひどく汚染されていて、とても目を開けていられません。物を直視すると、一瞬目に強い痛みが走るので、目をそらすように、焦点をぼやけさせるように見ていました。外界のいたるところから刺激のある霧が立ちのぼっていて、そこに近づくと、激しいショック症状を起こしてしまいます。それを避けるように身をかわしながら、少しずつ進んでいかなければなりませんでした。

 風景の中で水が存在しているところは、点々と色がついているように、はっきりと浮き上がって見えました。雨粒・川の水・水たまり…そのような場所に近づくと激しい刺激を感じます。前に「水に赤い色がついている」という例えを持ち出しましたが、まさにそのような感じでした。風景の中で水が存在する部分は、そこだけ色を塗ったみたいに、赤く浮き出ているように感じました。その色は、汚染度に合わせて、濃い赤から淡いピンク色までありましたが、私のまわりの景色すべてに渡っていました。自然界の水の循環と共に、その赤い色も移動していきます。世界のすべてが汚染されてしまったことがわかり、ショックでした。「この世に私のいる場所はどこにもないのだろうか」と思ったのです。

 驚いたのは、他の人々の生活がこれまでとは変わらず続いているということです。これだけのひどい汚染の中で、何も感じず平気で生活しているということが、とても信じられませんでした。でも、異常だったのは周囲の人々ではなく、私の方だったのです。そのことを身にしみて感じました。私だけの生活が変わってしまい、私だけがこの世界から拒絶されていると感じました。同じ世界に住んでいるとは、とても思えませんでした。

 私の持ち物はどんどん汚染されて使えなくなっていき、最後には何もなくなってしまうのではないかと思われました。私自身も、とてもこの世に生きていることはできなくなってしまうのではないかと思ったのです。10月頃、精神状態は最悪になりました。

・ 生活用品を使えず、物質的に困窮していったこと
・ 持ち物が次々と汚染されて使えなくなっていったこと 
・ いつ激しい反応を起こすのかわからず、症状をまったくコントロールできなくなってしまったこと
・ 食材や調理中の蒸気に反応し、栄養をとれなくなっていったこと
・ 肉体的な苦痛
・ 精神的な消耗

これらが重なり合って、私を追いつめていきました。

[引越へ向けて]
 11月になって落葉が進むと、外気や水の刺激は少しずつ収まってきました。稲刈りも終わり、雑草も生えなくなってきたので、市内全体での農薬の使用量が減ったのではないかと思います。それまで、毎日24時間とぎれることなく、強い目の痛みが続いていましたが、この頃から間が空くようになりました。目の痛みがやむと、一瞬、正気に戻れたような気がしたものです。少しだけものを考えられるようになりました。この年の一夏のことをふりかえってみると、農薬の影響を受けていたのは間違いありませんでした。別の環境に引っ越すことが必要だと思いました。

 水道水に反応しはじめたのが、すべての始まりでした。私が住んでいた宮城県は、山の裾野まで田が広がっています。水道水の水源の上流にも農地があったのです。そのため、水源にも農薬が入ってきているのではないかと考えました。全国で、水源の上流に農地がないような地形の街があれば、そこの水道水は汚染されていないはずです。地図を見て、そのような地域をピックアップしていきました。

 札幌市は、その条件に該当する街でした。市の西側と南側が山地になっていて、水源の上流には農地がほとんどありません。寒い気候なので、殺虫剤や除草剤の使用も少なそうです。そして、シロアリがいない、つまり、シロアリ駆除剤を使わない地域でもあるのです。札幌に引っ越すことを真剣に考えはじめました。

 2002年3月に、夫が札幌に行って、家さがしをしてくれました。その時、札幌市の水道水をペットボトルにくんで持ち帰ってきました。その水を仙台の水道水と嗅ぎくらべてみました。札幌の方が格段に刺激が少なかったです! こうして、私たちは札幌に引っ越しました。2002年5月のことでした。

[回復]
 引越した当初は、とてもこわごわと水を使っていました。最初に通水したときは、しばらく空き家だったので、久しぶりに水を通した水道は、においました。この刺激は、その後少しずつ減っていきました。

 引越でホコリだらけになったにもかかわらず、私は3日間シャワーをあびませんでした。恐れる気持ちが強かったのだと思います。3日目に浄水シャワーヘッドを使って、シャワーをあびてみました。刺激がありませんでした! 何度も何度も確かめてみましたが、本当に刺激がありません。それで体のすみずみまで洗いました。それまで1年間、たった30秒でシャワーをすませていたので、こんなに思い切りシャワーをあびたのは、本当に久しぶりでした。喜びと幸福感がこみ上げてきました。

 引越から1週間後、夫は洗濯機で洗濯を始めました。水道水には若干刺激がありましたが、これは、仙台の頃と比べると少ないものでした。私は耐えることができました。

 3週間後、ようやく私は洗濯をしてみました。お風呂の浴槽を使っての手洗いです。水道水で洗ったあと、浄水シャワーで仕上げすすぎをしました。たっぷり水を使って洗濯しました。洗い上がった衣類は、刺激は少ないものでした。乾かすと刺激はさらに減って、着られるようになりました。

 夏になると、そうめんなど麺類をゆでて食べることができました。うどん・そうめん・スパゲティなど、お湯でゆでる麺は、1年以上食べることができなかったので、感激ものでした。よく味わって食べました。

 秋が深まってきた頃、この家に引っ越して初めて、お風呂を沸かしてみました。それまでは、どうしてもお風呂に入る勇気が出なかったのです。10月末になると、寒くてシャワーだけではすませられなくなってしまいました。

 恐る恐る入ったお風呂は、それはそれは気持ちのいいものでした。体の芯まであったまりました。それでも1回目のお風呂は、気持ちよさと不安感が入りまじって、複雑な心境でした。2回、3回と入るうちに心配はやんで、気持ちよく入ることができるようになりました。

 化学物質過敏症の治療法として、入浴やサウナで汗をかくことを勧められます。それまでの私の生活では、汗をかいたり、入浴することなど、とても考えられませんでした。汗をかいても、それを洗い流すことができなかったからです。毎日、なるべく動かないようにじっと過ごしていました。まさに、標準的なCS患者とは次元の違う世界でした。シャワーを思い切り使ったり、お風呂に入れる生活、それは本当にすばらしいです。

 水道水への反応が弱まっていくにしたがって、外気や周囲のものに対する目の痛みもおさまっていきました。

[浄水シャワーカートリッジの収支]
 札幌に引っ越してからも、何度か水道水の水質が悪くなり、反応を起こしたことがありました。その時は、浄水シャワーヘッドが大活躍しました。2002年2月に、仙台でシャワーカートリッジを8ヶ月分購入しました。当時、1ヶ月で10本ずつ使っていたので、合計で80本です。店員に、何事かと聞かれました。一般の人なら、20年分の量になります。

店員「こんなに買って、どうするんですか。」
私「使うんです!」

引越までの3ヶ月で30本使ったので、50本持って札幌に引っ越しました。

 札幌に越してからは、頻繁にカートリッジ交換をしなくてもよくなり、1回に使える水量も増えました。しかし、水質が悪くなったときは、こまめに交換しなければならなかったので、大量にカートリッジを購入していたのは、とても助かりました。この商品は、その後製造中止になり、入手することができなかったからです。この4年間で、カートリッジを40本使いました。平均すると1ヶ月に1本くらいの割合になります。現在は、2〜3ヶ月に1回交換すればすむので、引越した当初にくらべて、交換頻度は減りました。過敏性が下がってきました。

 引越した当初は、もっと頻繁に交換していました。それでも、仙台での「1日15リットル、3日で交換」に比べれば、ずっとよくなりました。ようやく「人間らしい暮らし」ができるようになったのです。結局、私がCSで最大に追いつめられたのは、「水」の問題でした。あれがなければ、ここまでひどいことにはならなかっただろうと思います。

 水で洗うこと、洗浄することは、本当にすばらしいことです。CS対策の基本です。仙台での1年間は、それを失った体験でした。悪夢は去りました。本当に幸せだと感じます。

(2006.11.7)

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