ホーム>第4章
第4章 目の痛みの症状
(2017年 4月15日 UP)
〔1〕「目の痛みの症状」の発生と経緯
〔2〕様々な原因物質への反応
a.水道水
b.携帯電話の電磁波
c.農薬
d.アクリル樹脂
e.金属製品
f.金属の粉末
g.鉄サビ・金属の酸化物とその粉末
h.電気製品に対する反応
i.冷却装置の類
j.あらゆる粉末状のもの
注:この章では、2011年に書いた原稿を2017年にアップロードしています。
*CS:化学物質過敏症、ES:電磁波過敏症
2001年から、それまでのCS症状に加え、「目の痛み」の症状が出てきました。この症状は、他のものとは比べものにならないくらい強いもので、私の人生を一変させました。当時は、身近にある様々なものに目の痛みを感じ、反応物質がどんどん広がっていきました。それから何年もの間、この「目の痛み」の症状に悩まされながら、現象をよく観察し、記録し、考察してきました。
多くの要因が様々な現象を引き起こしているため、何が原因でどのように作用しているのかが掴みづらい症状です。そんな中でも、情報をよく整理して、私の身に起こったことを解明しようと試みることにしました。
〔1〕「目の痛み」の症状の発生と経緯
○発症
2001年5月に、私は外出先で突然強い目の痛みの発作に襲われました。思えば、この日がすべての始まりでした。激しく焼けただれるような目の痛みと頭痛の衝撃に見舞われた私は、強い恐怖心を抱きながら、激烈な症状に耐えていました。私を襲った衝撃とは対照的に、周囲の世界は何の異変もなく、人々は変わらぬふるまいをしていました。原因は空気中を何か化学物質の有害なガス状のものが流れてきたのかと考えたのですが、思い当たるようなものは見つかりません。当時私が考えたのは、街路樹などの消毒に使った薬品などが流れてきたのではないかということでした。しかし、たいてい樹木の消毒は早朝行われるものであり、私が発作を起こした夕方には、周囲でそのような動きはなかったと思います。あまりの症状の強さに、何が何だかわからないまま、急いで家に帰りました。
それから、毎日のように、私は目の激しい痛みの発作を起こすようになってしまいました。目の痛みと共に、頭を何かで殴られ続けているような強い衝撃と頭痛が襲って、気が遠くなってしまいます。2001年6月初めには、地下鉄に乗っているときに、激しい発作を起こし、駅の構内にうずくまってしまいました。
同じ頃、今度は水道水に強い目の痛みを感じるようになり、生活がどんどん困難になってきました。水道の蛇口から劇薬の化学薬品(硫酸など)が流れ出てきている感じで、目に焼けるような痛みを感じ、開けていられません。炊事、洗濯やトイレ、シャワーなど、生活のありとあらゆる場面で目の痛みを感じ、普通に暮らしているのが難しくなってきました。家の中でも外出先でも、どこでも24時間休みなく目の痛みを感じるようになり、つらくてしかたありませんでした。目の痛みが強いときは、目を開けていられず、家の中で伝い歩きをしたこともありました。手探りで用を足していました。
外出先で強い目の痛みの発作に襲われたときは、目を開けられず、一緒にいた夫に手を引かれて歩いたこともあります。常に目の痛みがあり、それに加えて、さらに強い発作が襲ってくるという感じでした。 発作を誘発する場所や場面が予想できないので、恐ろしい気持ちでいっぱいでした。ありとあらゆる場所で発作は頻繁に起こり、それを防ぐことはできなかったのです。
○歯科材料の影響
間断なく続く強烈な症状の中で、もうろうとしながら考えたのは、原因が2000年から行っている歯科治療にあるのではないかということです。私は2000年から顎関節症(顎の関節に痛みが出る病気)のため、満足に食事がとれず、ほとんど流動食で過ごしていました。治療のために歯科で「スプリント」と呼ばれるプラスチック製のマウスピースを作ってもらいました。夜、それをはめて寝るようになったら、顎の痛みはみるみる軽くなって、食事をとれるようになってきました。奇跡のような治療効果でした。
そのマウスピースを使い始めたのが、2001年の4月。初めの3日間は、強い喉の痛みがありました。プラスチックの成分が唾液に溶け出して、一緒に飲み込んでしまっていたようです。喉も食道も胃もひりひりとしみる感じがしました。このプラスチックの成分は、体温で温められて揮発します。そのガスが鼻を通って呼吸器にも達していたようです。息苦しさもありました。そして、その揮発したガスは目にも到達しているようで、しみるような感じがありました。加えて、アレルギー反応で目の分泌物が増え、ベタベタする感じがありました。そして、1ヶ月後に目の痛みの発作が起こったのです。関連があるのではないかと思いました。
○広がる反応物質
6月からは水道水に加えて、強い目の痛みの原因として、農薬にも反応していることがわかってきました。車で水田の横や、除草剤で草が一面枯れたところを通ると、強い目の痛みを感じたからです。それで、原因は農薬なのだろうか、とも考えました。水道水への反応は、水に農薬が何らかの形で微量溶け込んだのではないかと考えたのです。
このように目の痛みの原因を探っていったのですが、まだまだ不可解な反応も多くありました。外出先で強い発作を起こしたとき、周囲には農地もなく、樹木もなく、農薬が原因とは考えられないケースも多くあったからです。大変奇妙な現象だと思ったのは、金属製品に反応し始めたことです。アルミ箔や缶、ヘアピンなど、日常的に使う金属製品に強い目の痛みを感じました。見つめると、製品の表面がギラギラと輝いているようなまぶしさを感じ、強い目の痛みを感じます。その後、家庭用電気製品にも目の痛みの反応が起きてきました。パソコンのモニターや、充電池、クーラー、冷蔵庫など、数多くの製品にわたっています。私の生活環境は刺激の海であり、ありとあらゆるものが目の痛みを起こさせる劇物になってしまったのです。
奇妙な症状は、さらに続きました。2002年になると、今度は、はっきりと粉末状の金属に反応するようになりました。工事などで金属の粉が発生すると、強烈な目の痛みが起こります。加えて、金属の酸化物にも同じような反応が起きました。鉄サビは、鉄が酸化したものですが、サビにも強い目の痛みを感じるようになったのです。金属や鉄サビに対する反応は強烈で、他のものの比ではなく、現在でも私の生活を脅かす重大な脅威となっています。
○目の痛みの原因は?
2002年頃から、自分が電磁波過敏症なのではないかと疑いを持ち、2003年頃から観察と検討を続けた結果、携帯電話の端末(電話機)や中継アンテナ(基地局)にも反応していることがわかりました。2001年の外出先での発作は、その後、実際に歩いて確認すると、携帯電話の中継アンテナによるものだったことがわかりました。(→「第1部 第1章 電磁波過敏症(携帯電話)〔1〕電磁波過敏症の経緯」参照)
化学製品から電化製品、通信電波、金属製品など多岐にわたって広がっている反応物質。私の「目の痛み」の現象は、原因が何であるのかも、どのように作用しているのかも、よくつかめない複雑で不可解な現象でした。
まとめ:目の痛みを起こさせる物質
(1)水道水
(2)携帯電話の電磁波
(3)農薬
(4)電気製品
(5)アクリル樹脂(歯科治療)
(6)金属製品
(7)(特に)金属の粉末
(8)鉄サビなど、金属の酸化物
(9)黄砂、大気汚染
○反応のパターンは?
この「目の痛み」の症状は、それまで経験した絵CS症状とは全く次元が違う強い症状で、私の人生を破壊するほどのダメージがありました。そのため、私はこの問題にひたすら対処してこなければなりませんでした。最初に考えたのは、「何か根本原因が1つあって、そのために目の過敏症が増し、様々な物質に反応するようになった」という仮説です(A)。この根本原因を取り除くことができれば、目の過敏性が下がり、他の物質への反応も収まるはずです。しかし、原因は多数あり、複雑に絡み合っているため、何が真犯人であるかを探るのは容易ではありませんでした。
以上のようにいくつものパターンが考えられました。2001年に次々と反応物質が増えていったときには、(B)のように考えていました。その後、(A)のように1つの根本原因探しが始まり、その後検討していった結果、(C)のような構造が実態に一番合っていると感じるようになりました。
2001年に初めの発作を起こしてから、現在まで10年。2度の引越を経て、私の置かれている環境も変化してきました。かつて悩まされていたものの中には、負担が軽減したものもあります。例えば、最初の発作の1ヶ月前から使い始めていたアクリル樹脂のマウスピースは、、2006年に使用をやめています。電磁波や農薬による環境も変化してきています。個々の反応物質の10年間の変化を追いながら、私の身に起きた現象を考えていってみたいと思います。
〔2〕様々な原因物質への反応
a.水道水
○反応と対策
2001年に強烈な刺激を感じるようになった後、生活に次々と支障が出てきてしまいました。水を使わずには、一日として生活できないからです。この刺激を抜く方法をいくつか試してみましたが、有効な方法が見つからず、1日に使える水量はペットボトルのミネラルウォーターなどほんのわずかでした。当時、農薬にも強く反応していたので、水道水の刺激の原因も、農薬系のものではないかと考えました。夏に刺激が強くなったのも、この仮説を後押ししました。生活状況はどんどん悪化し、症状も強かったため、仙台の生活に限界を感じ、引越を決意しました。水道水の水源の近くに農地がない土地を探し出して、2002年5月に札幌市の西部に引っ越しました。これにより、水道水の激烈な刺激からは逃れることができました。
b.携帯電話の電磁波
○大きな影響を持つ原因物質
第1章で詳しく経緯を示したので、ここでは簡潔に振り返ってみたいと思います。2001年に外出先や地下鉄で目の痛みの発作を起こしましたが、後に検討してみると、どうやらそれは携帯電話の中継アンテナが原因のようでした。まだ、電磁波過敏症の存在を知らない頃、いつも決まって発作を起こす場所がありました。2002年に電磁波過敏症の存在を知り、それまでいつも発作を起こしていた場所を何カ所か尋ねてみると、そこにはほぼもれなく携帯電話の中継アンテナが立っていました。アンテナの方に目をやると強い目の痛みが起きました。正視できません。かつて発作を起こした地下鉄の構内にも、携帯電話やPHSの中継アンテナが存在していました。ちょうど強い目の痛みのためにうずくまった場所の天井に、アンテナが設置してあったので、それが原因だったのだとわかりました。
その後、年々携帯電話が普及していき、人々の使用量も増えていったので、2007年頃から、私のES症状も違ってきたように感じます。特に、ワンセグの機能が始まったときから悪化しました。電磁波に対する反応は、途切れることなく続く目への刺激であり、常にピリピリとした痛みがあります。このような状態が根底にあり、その上で刺激物に遭遇すると、強い目の痛みの発作を起こすようです。普通に生活していれば、一瞬たりともこの刺激から逃れることはありません。この先、ますます電磁波量は強まっていくと思われます。
c.農薬
○急な反応の変化
2001年に電磁波、水道水と「目の痛み」の発作を起こしたのに引き続き、農薬類にも強い反応を起こすようになってしまいました。当時住んでいた仙台は、5月のゴールデンウィーク頃に一斉に田植えをします。毎年10月の稲刈りまで、農薬に対する反応が続きます。私の家の近くにも、点在して水田がありました。しかし、私の体質では、その小さな農地からの農薬の影響だけを受けていたのではなかったようです。もっと広範囲に県内の農地全体に散布されている農薬が空気中に漂って、霧状に全県に広がっているように感じられたのです。そのため、農薬のシーズンはずっと切れ目なく症状が出ていました。
2000年までは、農薬に対して、頭痛・めまい・ふらつき・手足の怠さ・吐き気・息苦しさなどの症状が出ていました。症状は船酔いにとてもよく似ています。全身の筋肉の力が失われていき、意識が遠のく感じは、深い海に沈んでいくような静かな症状でした。この年までは、農薬に対して、目の痛みは全く感じませんでした。
2001年からは、症状は一変しました。焼けただれるような強い目の痛みを感じ、目くらましのように目の前の情景がわからなくなってしまいます。常に刺激の攻撃を受けて、神経が興奮してきてしまいます。強い頭痛と目の痛みで全く神経を休ませる暇がないといった感じです。かつて出ていためまいやふらつき、手足の怠さの症状は出なくなりました。このように、農薬に対する反応が一変したのを見て、私は「農薬自体の種類が変わったのではないか?」と考えました。それまでとは全く違う種類の農薬が流通して、違う症状を起こさせているのではないか?と考えたのです。そう考えなければ説明できない変化でした。しかし、それと同時に、県内で使用する農薬が、たった1年で大規模に別のものに変わることなどあるのだろうか?とも思いました。徐々に移行していくのならわかりますが、私の症状を見ると、まるで前年までの農薬は一切し流通しなくなり、その年から一斉に新たな農薬を使い出したかのようです。そのため、まず何か別の原因があって、私の体質に大きな変化が生じ、そのため農薬に対する反応も変化したのではないかとも考えたのです。実際は、何が真実であるのかわかりません。
○避けて暮らす
農薬の難を逃れるため、私と夫は2002年に札幌市に引っ越しました。それまで住んでいた宮城県は米どころで、県内全域に水田が広がっており、それは住宅地まで及んでいました。引越先の札幌市西部は、山際まで住宅地が広がり、ほとんどは田畑がありません。水道水の水源にも農地が存在せず、理想的な環境のように見えました。引っ越してみると、農薬や水道水に対する反応は軽減しました。それまでの生活に限界を感じていたので、本当に助かったと思いました。
札幌市の西部の方は農地が少なく、農薬に対する反応は軽くて済みます。しかし、夏は札幌市の東部や石狩市、江別市に行くと、強い反応が出てしまいます。それは2001年に仙台で経験した症状と全く同じです。激しい目の痛みと頭痛、刺激。そのため、毎年4〜10月は、これらのエリアに行くことができません。以前、用事があって江別市や石狩市に行くことがありましたが、激しい目の痛みの発作を起こしたので、その後は行かなくなりました。
札幌市付近:
市街地の北東側に農地が広がる
○2種類の農薬
その後、インターネットなどで情報を得て、農薬の種類の移り変わりについて考えるようになりました。かつては有機リン系の農薬が多用されていましたが神経に害があるということで、有機リン系以外の農薬に移行してきているようです。ネオニコチノイド系の農薬が使われるようになってきたと聞きました。
CS患者さんのサイトなどを参考にすると、有機リン系とネオニコチノイド系では、症状の出方がまるで違うようです。まとめてみると
●有機リン系:神経に作用して毒性を表す
●ネオニコチノイド系:刺激とアレルギー症状
といった違いのようです。私の症状を振り返ってみると、上記の分類に当てはまるので、私の農薬に対する反応の変化は、農薬の種類が変わったことも一因ではないかと思うようになりました。
実際にこれは両方の農薬を買ってきて、誘発実験をしてみれば確認できるはずですが、危険すぎて実験することはできません。有機リンも新タイプの農薬も、私にはあまりに強い症状を起こさせるので、その影響を考えると、恐ろしすぎて、とても確かめることはできないのです。
d.アクリル樹脂
○歯科治療の直後に発症
2001年の4月に、顎関節症の治療のため、歯科でマウスピースの治療を始めました。口の中や喉に刺激や腫れた感じがあったのですが、顎関節症に対する治療効果があったので装着を続けていました。ほとんど固形物を食べられない状態からようやく普通にものを食べられるように回復しましたが、マウスピースをやめれば、また流動食になってしまう恐れがありました。
マウスピースの使用開始から1ヶ月後に、私は目の痛みの発作を頻繁に起こすようになったので、この歯科治療が原因の1つではないかと疑いました。マウスピースはアクリル樹脂でできていました。ガラスの代わりに使われる透明なプラスチックの板がありますが、あれと同じ素材です。虫歯の治療を受けるときに、削った歯の型を取った後、金属の冠をかぶせます。金属の冠を作るには1週間くらいかかるので、できてくるまでの間、白いプラスチック製の仮の歯を作ってかぶせます。白い粉と液体を筆で混ぜ合わせて、削った歯に盛って作ります。粉と液は、混じり合うと固まってプラスチックになります。私はこの仮の歯を作るプラスチックの匂いが苦手で、液体の方に強い刺激を感じ目が痛くなってしまいます。固まった仮歯を口の中に入れていると、吐き気がして気持ち悪くなってしまいます。マウスピースは、これと同じ素材でできていました。装着しているうちに、唾液に溶けた成分が消化管を通じて全身に巡らされ、揮発したガス状の成分が呼吸器を介して、体中に広がります。鼻から吸ったものや、直接ダイレクトに目に達したものが、目のアレルギー様症状やただれを起こしていたような感じでした。
マウスピースをやめれば、目の痛みの症状は治まるかもしれない・・・と思うと、苦悩が続きました。マウスピースをやめれば食事がとれなくなり、体調が悪くなるのは必至だったからです。マウスピースがなければ、食事以外のときも、絶えず続く顎や顔面の痛みに耐えなければなりません。マウスピースを装着するまでの苦しみを思うと、とてもはずすことはできませんでした。
仙台での激しい目の痛みの発作と生活制限は、どんどん進んで、最後には限界に達しました。私たちはそのとき考えられる様々な原因のうち、農薬と水道水に焦点を絞って、札幌に引っ越すことにしたのです。もうすでに2001年には目の痛みのため、歯科にかかることも難しくなっていたので、まずは対処できる原因から改善していこうということになりました。ぎりぎりの状況でした。
○マウスピースを卒業
私は結局、2006年までマウスピースを使い続けました。2004年にマウスピースが割れてしまったので、新しいものを作ってもらいましたが、プラスチックの匂いが強くて、とても使うことができませんでした。古い方のマウスピースは長年の使用で、相当成分の揮発が減ってきていたようでした。ということは、それだけの量の成分をそれまでの使用で吸い続けたことにもなります。古い方のマウスピースを修理して何とか使い続けていましたが、歯科治療の結果、顎関節症が改善してきたので、2006年にマウスピースを卒業しました。すると、目の痛みやアレルギーの症状は、ぐんと軽くなったのです。毎朝のように、起きると目ヤニでベタベタする感じがありましたが、それがやみ、目のかゆみや痛みが軽くなっていきました。それにより、目の過敏性が下がり、目の痛みの発作も回数が減ってきたように感じます。
しかし、根本的に目の痛みの発作を解決することはありませんでした。マウスピースのプラスチック成分は、目の痛みの症状を起こさせる一因ではあったかもしれませんが、それを単独で取り除いても、症状を消滅させることはできませんでした。ということは、原因は他にもあると考えることができます。発症から5年もかけて、そのようなことがわかってきました。
e.金属製品
○まるでまぶしい光のように
金属製品については、第1章でも説明したので、繰り返しになりますが、簡潔にまとめてみたいと思います。
2001年の夏頃から、それまで全く反応のなかった金属製品、アルミ箔、缶、ヘアピン、髪どめ、スプーンなどに目の痛みを感じるようになりました。それらの品々の表面から、まぶしい光線が発しているようで、目が痛くて見ることができないのです。鍵や金属板、鍋や調理器具などにも反応するようになってきました。初めは金属製品に使われている化学物質の成分が発散して、目に刺激を感じるCS反応だと思っていたのですが、それでは解釈しきれない不思議な現象が多々存在していました。それはとても奇妙な感じでした。化学物質であれば、発生源から放射状に広がっていくので、近づけば近づくほど症状は強くなります。離れるに従って、症状は軽くなります。
しかし、金属製品から感じる刺激は、距離によって増減する反応とは違っていました。置く位置や角度によって、刺激の強さが大きく変化するのです。同じ距離においても、位置や角度が変わると、それまでの何十倍も刺激が強くなるということがあります。観察していくうちに、これは光が鏡に反射する現象にそっくりだと思うようになりました。鏡は、光源からの角度によって、反射する方向が変わります。ちょうど反射光が目に入る位置に来ると、まぶしさを感じます。そんな現象でした。私が金属製品に強い目の痛みを感じるときには、けっして光が反射してまぶしいのではありませんでした。目には見えない何らかの刺激がまっすぐに進んできて、突き刺さる感じなのです。この刺激の強さは、それから長年にわたる観察で、通信用の電磁波発生源と関係していることがわかってきました。電磁波の強いときには、金属製品の刺激も強まります。金属製品そのものが刺激を発しているのではなく、どこかに発生源があって、それを反射しているようなのです。
通信用電磁波の発生源は、携帯電話をはじめ、テレビ、ラジオ、衛星放送など多岐にわたります。太陽の光源は1つなのに対して、電磁波の発生源は数多くあります。周波数の違う電磁波は、反射や屈折、回折など、ふるまい方も変わります。そのため、金属製品の形状や位置や角度と、刺激の発生状態をうまく法則化して把握することはできていません。症状を起こす設置条件を避けて使用しています。
f.金属の粉末
○金属を切断すると強い目の痛み
2002年頃から、粉末状の金属にも強い症状を起こすようになってしまいました。あるとき、夫がスチールラックの高さを調整しようと、骨組みのスチール棒を金鋸で切断しました。粉が散って、私は強烈な目の痛みに襲われました。「焼きゴテで目を焼かれたような」としか表現できないような激しい痛みがあり、倒れ込んでしまいました。原因となるスチール棒を片づけ、粉をすべて掃除機で吸ってもらいましたが、症状が治まる様子はありません。シャワーを浴びて、服も着替えましたが、激烈な目の痛みが治まるまで、3日以上かかりました。これが金属の粉に対する初めての発作です。その後も繰り返し繰り返し金属の粉末には、激しい反応が出ました。
2002年から住み始めた札幌の家は、古い木造住宅で、水道管が老朽化していました。そのため、あちこち水漏れして、そのたびに修理が必要でした。鉄管が40年近く経過しているため、サビで水の通り道が狭くなっており、冬はすぐに凍結して修理しなければなりませんでした。この家は完全に水抜きをしても、水道管の設置角度が悪いためか、水が抜けきらず、何度も凍結しました。水道工事の時は、壊れた水道管を切断して新しいものに付け直さなければなりません。切断するときに、金属の粉が散ります。私はこの粉末に激しい目の痛みを感じました。そのため、水道工事のたびに強い発作を起こしていました。
○リフォーム工事
他に、近隣の外壁工事の時にも、強い目の痛みを感じました。私は古い住宅街に住んでいたので、近隣のリフォーム工事がしょっちゅうありました。防寒のために、外壁全体に金属板を張り巡らせるサイディング工事も、頻繁にありました。この工事は、金属の外壁材を建物の大きさに合わせて、1枚1枚切断して貼っていく作業です。ほぼ1週間にわたって、屋外で金属板を切り続けます。この工事が行われているときに、家の窓を開けると、風で飛んできた金属の粉に反応して、強い発作が起きてしまいます。そのため、工事中は窓を開けず、外出もしないように気をつけました。たいてい工事は夏に行われたので、暑い日に窓を開けられないのは、つらいことが多かったです。サイディングの工事は1週間ほどで終わりますが、その後もしばらく金属の粉は周囲に存在しているので、警戒が必要でした。ごく微量でも風に飛んできたものを浴びれば、強い目の痛みが出ます。そのため、大雨が降って、金属粉が流れてしまうまで、注意が必要でした。
その他の場面でも、金属の粉末による影響が出てきました。2004年に、スチールベッドの脚が一本折れたのですが、そのとき床に金属の粉が散りました。強烈な目の痛みを感じました。掃除機で粉を吸って、原因を取り除いたのですが、3日以上、強烈な目の痛みが続きました。
○様々なものに反応
自分でも予想もしないような意外な場面でも反応は起こります。スペアキーを作るお店がスーパーの一角などにありますが、その店の前を通ると、目が痛いのです。金属を削ってスペアキーを作るので粉が散っているのだと思います。また、金属の粉に反応するようになってから、刃物を研ぐことができなくなりました。包丁を研ぐと、金属の粉が発散するらしく、強い目の痛みを感じます。いつまでも包丁を研げないので、切れ味の悪い包丁を使い続けることになってしまいます。スーパーの一角で、包丁研ぎの職人さんが出張店舗を構えていることがありますが、近辺には金属の粉が散っていそうで、恐ろしいので近づかないようにしています。そのような職人に家の包丁を研いでもらったら、切れ味は回復するのでしょうが、包丁に金属の粉が付着したまま戻ってきて、強烈な目の痛みを感じることになるだろうから、頼むことができません。一般の人であれば何でもないことですが、このように強い反応が出てしまいます。
恐ろしいのは、粉が目に見えないようなごく微量であっても、強い反応を起こすことです。歯科治療の時に、金属の詰め物やかぶせ物を削ると、飛び散った粉で強い目の痛みが起きます。また、意外なものでは、食器洗いのスポンジで、表面にアルミが蒸着してあるものは、製品それ自体がアルミで目が痛い上、使っているうちにアルミの粉がはがれ落ちるようで、さらに強烈な目の痛みになりました。
他の製品として、プラスチック製品にラメが入っているもの。金属のキラキラとした製品ですが、これはたいてい目が痛いです。他に銀イオンが練り込んであって抗菌になっているプラスチック製品。イオンなのでどうかと思ったのですが、これにも強い目の痛みを感じます。
○形状による症状の違い
金属の粉末による目の痛みは、金属製品よりもずっと強く出ます。発作が始まった当初は、その症状の激しさに、考える余裕などなかったのですが、その後の観察や考察などから、様々なことがわかってきました。金属製品でも、つるつるとした平滑面よりざらざらした粗面の方が強い反応があります。平滑な面であれば反射した刺激がまっすぐに目に飛び込んでくる感じですが、粗面で反射した刺激は、あちこちに飛び散って、それがバチバチとした激しい目の痛みを起こさせるのです。まるで目くらましにあったように、目の前がわからなくなります。金属のメッシュ状の金網や、パンチングメタルなども、平滑面より強い刺激を感じます。金属の粉も、粒状の金属が一面に散っていて、それが刺激を反射するときに、あちこちに飛び散って、バチバチとした刺激を発生させます。そのため、強烈な目の痛みを感じます。また、金属粉末の場合は、空気中を移動した粉粒が、直接目の粘膜まで飛んできて、接触するので、強い反応を起こしているようです。本当に目をつぶされるような激しい痛みがあります。(痛みの程度について、刺激的な表現が続きますが、こうしないとあの強い痛みを表現することができません。実際には言葉で表現しきれないほどの痛みがあります。) 金属の粉末は、住環境のあちこちにあるもので、風に乗って遠くまで飛んでくるので、避けるのは難しいです。しかし、激烈な症状を防いで、平穏な生活を維持するためには、何としても防がなければならない物質です。
○通信電波の影響
2002年に札幌に越してきてから、金属の粉末に対する反応を自覚するようになりました。これは、観察の結果、家から100m先の携帯電話の中継アンテナの影響を受けているのではないかと思いました。仙台に住んでいたときは、自宅から一番近いアンテナは、300m以上離れていました。札幌の家では100mです。そのため、金属製品や粉末に対する強い反応が出てきたのではないかと思います。金属の粉に対する反応は、携帯電話の電磁波の影響が強い場所、時間帯ほど強くなるからです。私は金属の粉末がどのようなふるまいで自分の体に影響を与えるのかということや、通信電波との関連を探るために、様々な条件で体感を見る実験を行ってみたいと思いました。しかし、体への影響が大きすぎるので、危険すぎて実験できないのです。やむを得ず接触することがあるだけで、体に大きなダメージを与えるので、自ら危険に身をさらすような実験を、わざわざ設定することなどできないのです。
g.鉄サビ・金属の酸化物とその粉末
○水道水のサビ
さらに奇妙な症状は続きます。2002年に札幌に引っ越してから、鉄サビに対しても強い目の痛みを感じるようになりました。前述のように、引っ越した家は大変古い住宅であり、水道管が老朽化していました。そのため、冬期間、冷え込みによるに水抜きをして、翌朝開栓すると、大量の赤水が出ました。この水道管のサビに、強烈な目の痛みを感じたのです。開栓後3分以上水を出し続けないと、赤い色はなくなりませんでした。山あいにある古い木造住宅は、真冬に底冷えして、凍結しやすくなっていました。それに加えて、私は化学物質過敏症のため、十分に暖房器具を使うことができず、寒い家の中で過ごさなければならなかったのです。そのため、さらに水道は凍りやすくなりました。しかもこの家の水道管は設置したときの角度が適切なものではなかったために、完全に水抜きしたつもりでも一部に水が残り、その部分が凍結してしまうのです。夫がインターネットで調べた結果、同じような作りの家の人がいることがわかりました。対策としては、〈1〉水抜きはしない〈2〉凍結しそうな低温になったら、水を一筋チョロチョロと出しっぱなしにする。凍結してしまうと、1〜2日水道が使えず不便になる上に、業者に修理を依頼するとお金がたくさんかかります。水抜きしても凍結してしまう水道に対して、私たちはこのチョロ出し対策を行いました。こうすると、「水抜き→開栓」後の赤水に悩まされることもありません。
○銭湯での事件
2003年に水道が故障して、水が出なくなったとき、3日ほど銭湯に行ったことがあります。外風呂はシャンプーや洗剤の匂いなど、CS的に厳しいものがありますが、仕方なく通ったのでした。家族風呂に入ったので、他の客が使用しているシャンプーやせっけんに悩まされることはなかったのですが、設備を清掃している洗剤や建物全体のホコリ・カビの匂いには悩まされました。また、銭湯には大きなボイラー室があって、そこから高い煙突が伸びています。煙突からの排気が、銭湯の敷地全体に漂っているようで、灯油が燃えたような匂いがつらかったです。3日目にその銭湯に行ったとき、フロントで銭湯の水道が故障して修理したと言っていました。浴室に行って、水道の蛇口を開けると、大量の赤水が出て、私は強烈な目の痛みに襲われてしまいました。目の痛みのため、何が何だかよくわかりません。赤水が止むまで水を出し切ってから、体を洗って帰ってきたのですが、それから2日ほど寝込みました。目をつぶっていても、まぶたの裏がバクバクと脈打って、激しい痛みが襲ってきます。2日後に自宅の水道が治って、よくよく赤水を出し切った後、シャワーを浴びなおしました。目の痛みは少しずつ治まっていきました。しかし銭湯で使ったタオルや入浴後に着た服はすべて強烈な刺激を放っており、目が痛くて使うことができません。洗濯しても刺激が取り切れないので、その衣類を使うことはできなくなってしまいました。
電磁波発生源や金属製品による目の痛みは、強烈なものではありますが、発生源から離れれば症状は治まります。しかし、金属の粉や鉄サビは、衣類や体に付着して、発生源を離れた後も続きます。細かい粉末が衣類の繊維の奥まで入り込んで付着するらしく、なかなか取り除くことができません。掃除機をかけて粉を取り除く実験をしてみましたが、ほとんど取り除けませんでした。洗濯するとかなり減りますが、私が耐えられるレベルまで汚染度を下げられないことが多くあります。そのため、金属粉や鉄サビ粉は、それ自体が強い症状を起こさせる脅威となるばかりでなく、持ち物や生活用品を汚染して、使用できなくさせてしまう危険性も持っていました。これが実に厄介でした。
○水道工事で長期にわたる反応
2006年6月に、郵便受けに「水道工事のお知らせ」のチラシが入っていて、「この地域一帯で水道管の工事があります。1日断水します。工事後は赤水が出るので注意してください。」と書いてありました。この工事が、どれだけ私の身に影響があるのかと震え上がりました。断水の後に、夫にお願いして、すべての蛇口から3分水を出しっぱなしにしてもらいました。以前、冬に凍結防止のため水抜きをしていたときには、だいたい3分通水すると、目の痛みが止まっていたからです。赤水自体は、20秒ほどで見えなくなって透明になりますが、目の痛みがなくなるまでは3分以上の時間が必要でした。このときは、3分出しても全く目の痛みが減らないので困ってしまいました。どれだけの時間出し続ければ、刺激は消えるのでしょうか?
その答えは「1ヶ月後」でした。それから1ヶ月間ずっと、水道水からは目の痛みを起こさせる刺激が消えなかったのです! 心の中は泣きながら暮らした1ヶ月間でした。かろうじて、浄水シャワーカートリッジを通した水だけは、サビなどが除去できるようで、目の痛みが起きませんでした。飲み水などはミネラルウォーターを使い、洗濯・シャワー・食器洗いは、浄水シャワーを使いました。台所にはシャワーヘッドを使えないので、浴室まで食器を持っていって洗っていました。途中からは、台所にもシャワーホースをつなげるアダプターを買ってきて、シャワーヘッドをつけることができたので、洗い物はずいぶん楽になりました。このホース付け替えの時、水道をいじったのですが、1滴でもサビのついた水が出てくると、私は気絶しそうな強い反応を起こすため、ものすごく緊張しました。自分で部品を買ってきて、自分で設置しました。脂汗が出ました。1ヶ月もの間、刺激が消えなかったということは、私があまりにもサビに対して過敏だということです。この1ヶ月間は、人生観が変わるくらい痛めつけられた感じがしました。
しかし、これは過敏症人生を生き抜くために重要なことだと思うのですが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のことわざ通り、水道水に反応しなくなると、あれだけつらかったことも過去のことになってしまい、何事もなかったように普通に暮らしていました。
○温泉水にも反応
サビに接触する機会は他にもいろいろあり、症状を起こしてみて気づきます。2003年9月に温泉に行ったときには、温泉水に強い目の痛みを感じました。このときも、家に帰ってから2日くらい寝込みました。その温泉は無色透明でしたが、温泉の成分表には「第一鉄イオン」などと書いてあったので、金属成分が含まれていたのでしょう。それに反応してしまったようです。温泉の中には、お湯が真っ赤なものもあり、多分鉄サビの成分だと思うのですが、私はきっと激しい反応を起こすに違いありません。2003年に温泉で強い反応を起こしてから、今まで一度も温泉には入っていません。単純泉の透明なお湯でも、微量の金属成分が入っていることもあり、私には危険すぎます。
○屋外での鉄サビ
水に含まれる鉄サビ以外にも、屋外にはスチール製品の看板や柵など、たくさんあります。それらがさびていると、強い目の痛みを起こします。危険なので近づかないようにしていました。札幌では冬になると、道路に凍結防止のために融雪剤を撒きます。塩分が含まれているので、車のホイールがさびます。冬タイヤを夏タイヤに取り替えるとき、以前は夫と2人で作業していたのですが、鉄サビに反応するようになってから、できなくなってしまいました。
○日用品のサビ
ごく微量の鉄サビにも強い反応を起こすので、日用品のちょっとしたサビも大問題となります。例えば、ホチキスの針が古くなって、うっすらとサビがついていた場合など。綴じてあった書類は、強い目の痛みで読めなくなってしまいます。ホチキスのサビに接した後は、問題のものをしまっても、1時間以上はジンジンとした目の痛みが続き、なかなか収まりません。目の痛みのあまり少し気が遠くなって、ボンヤリしてしまう感じがあります。完全に収まるのは、シャワーを浴びたあと数時間してからです。
他にペンチやドライバーなどの工具にうっすらとついたサビなどが大問題となります。カッターの刃も湿度の高い季節にはさびることがありますが、その刃で切った紙などにも微量のサビが落ちるのか、目に痛みを起こさせる刺激の強い紙になってしまいます。サビの面積が1×1mmのような小さなものでも、強烈な目の痛みを起こすのに十分です。ほんのわずかな量のさびの粉が付着することで、他のものを汚染してしまうのも問題です。紙製品など水で洗い流せないものは、捨てなければならないこともあります。
自宅の水道水の赤さびは年を経るごとに増えていくようでした。水道管は年々古くなっていくので、腐食がどんどん進んでいるのでしょう。水道水に対する反応も強まっていきました。そのため、次第に生活が困難になっていき、限界を感じた2010年には、引越をすることになりました。新居では、水道水にサビが混じらないので、本当によくなりました。命拾いした心境です。
○戸惑いと考察
鉄サビに反応し始めた頃には、精神的に戸惑いがありました。この反応は一体何なのだろう?と。こんな過敏症は、今まで聞いたことがありません。これは化学物質過敏症? それとも電磁波過敏症? 金属アレルギー? どれにも当てはまらないようにも感じます。鉄サビの何が害を及ぼして、どのようなメカニズムで反応を起こしているのでしょうか? これまで人類が誰も経験したことがないような新たな過敏症を発症したのかもしれません。
鉄サビは自然界に昔から存在する、ごくありふれた物質です。土壌中にも含まれています。人工的な鉄製品から出る鉄サビも、製鉄技術ができた古代史の頃から存在しているでしょう。生活していても、身近に広く分布しています。風が吹けば、土壌中の酸化鉄成分が巻き上げられて空気中に飛散するでしょう。
近年、中国大陸からの黄砂や大気汚染の飛来が多くなっていますが、この中にも酸化鉄の成分は含まれているでしょう。そう考えてみると、私が日常的にこの過敏症の脅威にさらされる機会は多そうです。しかも、微量で激烈な反応を起こすので、恐怖です。日常的に常にある程度の目の痛みが続いているのは、もしかしたら空気中の成分に反応しているのかもしれません。
誰も経験したことのない過敏症を患っているのかもしれないこと、日常のありふれた物質に反応していること、メカニズムが説明できないことなどは、私に苦悩を与えました。自分の心の中でも割り切れないし、周囲の人に説明するのも難しいのです。共感を得ることなど、さらに難しいでしょう。「理屈に合わない」「説明ができない」という反応でありながら、ひとたび接触すれば、激烈な症状を起こすので、対処していかなければなりません。確かに、その過敏症はこの世に存在し、私の体に作用するからです。
CS患者は、常に周囲の人に理解されにくいという苦悩を背負っていると思いますが、私のこの過敏症も同列に位置するのかもしれません。CS患者と一般の健康な人の間には、状況の違いや認識の壁があります。一般の人は自分には害を及ぼさない化学物質に反応しているCS患者を理解するのは難しいようです。それと同じように、CS患者同士にも、理解の壁は存在します。人は誰しも、自分が反応しないものに症状を起こす人を理解するのは難しいのです。同じCS患者であっても、反応物質は違います。自分が症状を起こさない物質に対して、反応する患者もいます。私はそれを両面から見ることができます。自分には強い症状を起こすものに反応しないCS患者の存在と、私が大丈夫なものに強い反応を起こすCS患者の存在です。他の人を理解しようとしても、完全にその人に成り代わることはできません。私も正直なところ、自分が反応しないものに強い症状を起こす人を見ると、純粋に驚く気持ちが強いです。
さらにもうひとつ。CS以外の病気の人との関係はどうでしょうか。世の中には、まだ人々によく知られていない病気も数多く存在します。知らないことを理解するのは大変難しいことです。どんな病気でも患者は、その病気特有の苦しみや悩みを抱えています。健康な人々はもちろん、CS患者もその病気の人を理解するのは難しいでしょう。このように考えていると、「理解」というのは、双方向のもので、相対的なものだと言えます。このような様々な壁がある中で、1つのことだけを特別視することなく相対的に周囲を見回して少しでも壁を低くし、相互に理解していくことができたらいいな、と思います。
○絵の具の顔料
金属の酸化物に反応するという現象を、もう少し掘り下げて考えてみるために、鉄以外の金属酸化物についても調べてみました。というのは、私は鉄サビに反応し始めた頃、水彩絵具にも反応するようになったからです。色によって反応は違いました。強い目の痛みを感じたのは、白です。白の色素はアルミナ(酸化アルミ)、酸化亜鉛、酸化チタンなどの金属酸化物が使われていることが多いです。これにアラビアゴムを混ぜて、水彩絵具を作ります。水彩絵具の白に反応するということは、これらの金属酸化物に反応しているかもしれないということです。2004年に、私は画材店に行き、絵の具を作る原料となるアルミナ、酸化亜鉛、酸化チタンの顔料(色素の粉)を買ってみました。すると、これらの粉にも強い目の痛みを感じました。だから、金属の粉だけでなく、酸化した金属の粉全般に目の痛みの症状を起こすようです。
h.電気製品に対する反応
○充電池で目の痛み
第2章でも書きましたが、電気製品に対しても目の痛みが起きます。その中でも特に反応が強いのが充電池です。ノートパソコンやポータブルDVDプレイヤー、ゲーム機器、携帯電話、デジタルカメラなど、バッテリーが電源となっているポータブルの製品には、目の痛みを起こすものが多いです。製品によって目の痛みの強さが違います。2004年に夫が購入したノートパソコンのバッテリーは、そのままでは強い目の痛みがありましたが、本体からはずしてビニールで覆い、さらにアルミ箔で覆ったら、目の痛みが収まりました。ビニールで覆っただけでは効果がなく、アルミ箔で覆って初めて痛みがやみました。バッテリーから発せられる化学物質が原因であれば、ビニールで覆うと目の痛みが収まるはずですが、そうはなりませんでした。アルミ箔で覆うと効果があるというのは、電気的な作用が原因である可能性が高いようです。夫の話では、バッテリーからは常に放電しているので、それに反応している可能性があるとのことです。
i.冷却装置の類
○ビリビリとした刺激
ここでは、冷蔵庫やエアコンなど、冷やす装置に対する反応を書いてみたいと思います。2001年に目の痛みの発作を起こすようになってから、これらの電気製品にも反応が広がっていきました。2001年に、しばらくしまっておいた冷蔵庫を出してきて使い始めたら、強い目の痛みを感じるようになりました。前に使っていたときは、何ともなかったのに、です。
夏には車のエアコンが壊れたので、修理してもらいました。修理直後から激しい目の痛みを感じ、使えなくなってしまいました。家のクーラーも内部の洗浄と冷却ガスの充填をしてもらったあとから、使えなくなりました。このように冷やす製品は、目の痛みを起こすことが多いです。
私の過敏症は様々な原因が絡み合っているので、原因特定は難しいと感じることが多いです。(それだけ多くのものに反応しているということでしょう。)冷却装置の類に対する反応も、判断が難しいですが、これまでの経験を総合して考えてみると、一部に、冷却ガスに対するCS反応があるのではないかと思います。2001年に突然反応を起こした冷蔵庫は、使用前に引越で移動したときに、衝撃を受けた可能性があり、そのため冷却ガスが漏れ出たのかもしれません。エアコンも冷却ガスを充填した直後に反応が始まっていますが、古い製品なので、少しずつガスが漏れ出ている可能性や、充填したときのガスの成分がフィルターに付着したという可能性が考えられます。このように、冷やす製品は要注意です。
2002年に仙台から札幌に引っ越してすぐに買った冷蔵庫は、電気店で通電してもらい、30分ほど冷やして目の痛みが起きないことを確認しました。この冷蔵庫は現在(2011年)でも使用していますが、目の痛みの症状は起きていません。2011年にリサイクルショップで買った小型のポータブル冷蔵庫は、買ってきて家で通電してみたら、強い目の痛みが出ました。このように製品によって反応がまちまちなので、購入するときは、注意して買わなければいけないと思います。
j.あらゆる粉末状のもの
○風の流れにのって飛散
目が過敏になってからは、様々なものが目にしみるようになってきました。特に粉末状のものは空気の動きで舞い上がって流されるので、影響が大きいです。粉末が流されて目の粘膜に到達すると、ものによっては強い目の痛みを起こさせます。日用品として安全とされている製品でも、過敏になった私の目には強い刺激物となります。アルカリや酸が強い粉末は、特に目にしみます。例えば、園芸に使われている石灰の粉末は、普通の使い方をしていても、激しい目の痛みを起こさせました。他に粉せっけんも粒子が細かいものは、とても目にしみます。酸素系の漂白剤も、粉が舞い散らないように注意しながら使います。これは顆粒状のためか目の痛みがそれほど強くはなく、注意すれば使えます。意外なところではエコ掃除として使われる重曹。体に優しい掃除用品として、アレルギー体質の人にも支持されているようですが、私は重曹に強い目の痛みを起こします。2000年までは問題なく使えていたので、2001年から私の目が過敏になったのが原因と思われます。このように一般の基準で「体への負担が少ない」といわれているものでも、強い反応を起こすことがあるので、注意が必要です。
○ビタミン剤への反応と対策
2001年以来、粉末状のものへの反応が多くなったので、それ以来どんなものでも粉の形状になっているものには警戒しています。2004年にマルチビタミン剤に目の痛みを感じるようになりました。それはカプセルにいろんな種類のビタミンやミネラルの粉末が入っているものです。ゼラチンのカプセルを飲み込むと腹痛を起こすので、カプセルをとって中の粉末だけを食べるようにしていました。ゼラチンカプセルは、中身を抜いてカプセルだけを飲み込んで実験してみたところ、それだけで腹痛を起こしたので、カプセル自体に反応しているようです。また、マルチビタミン剤を口の中でなめずに直接胃に流し込んでやると、強い腹痛が起きます。私は、マルチビタミン剤の中身を、カプセルの代わりに、デンプンでできたオブラートに包んで飲み込んでみましたが、強い胃の痛みが出ました。なので、いつもカプセルをはずして、粉末をなめるようにして、口の中でよく唾液と混ぜて少しずつ飲み込むようにしています。こうすると、胃の痛みが出ません。
2004年に、それまで目の痛みを感じなかったマルチビタミン剤の粉末に症状を起こすようになりました。いつも飲んでいたものが切れたので、新しく同じものを購入したときからです。パッケージやラベルは全く変わっていませんでしたが、ロットが変わって、材料や製法に変化が生じたのかもしれません。それまでと同じように飲むと、目にしみるような痛みが出ました。このとき、実験でカプセルのまま飲み込んでみました。強い胃の痛みは起きましたが、目の痛みは起きませんでした。カプセルを開けて、中の粉末を口に入れようとすると、粉が舞い上がって目の粘膜まで達し、刺激を与えているようです。困ってしまった私は、試行錯誤の末、次のような方法を見いだしました。
〈1〉 瓶からいくつかのカプセルを取り出して、トレーの上に広げ、カプセルのまま2日〜2週間空気にさらしておく。
〈2〉 全体がほんの少し湿気ったら、別の瓶に入れて保管する。
空気にさらす時間は、そのときの湿度によって加減します。カプセルを開けたときに、「ビタミン剤の顆粒はバラバラになるくらい乾いているけれども、パウダー状の微粉末が舞い上がらない程度に湿気っている」状態を目指します。湿気らせすぎるとベトついてくるので、注意が必要です。このように、”ほんの少し湿気らせた状態”を作ることで、カプセルを開けたときや粉を口に運ぶときの強い目の痛みが収まりました。ちょっと変わった方法ですが、再びビタミン剤を飲むことができて、助かりました。
○考察
このように振り返ってみると、私が「目の痛み」の症状を起こす物質は、広範囲にわたっていることがわかります。常に刺激にさらされて、目が過敏になっているためだと思います。そもそもの発症原因、根本原因は、経緯を追ってみると、携帯電話の電磁波や農薬ではないかと思い当たります。根本原因があって発症し、そのため目が過敏になって他の様々な物質に反応しているという構図です。2000年代は携帯電話の普及が進み、使用台数が爆発的に増えた時期でした。それに伴い、空間を行き来している電磁波の量も増えてきています。2001年頃に新しい種類の農薬が普及し始めたのが原因ではないかとも考えます。これは、様々な種類の農薬を買ってきて嗅ぎ比べればある程度解明でき、私の症状の分析も進むと思うのですが、前述のように、その実験自体が危険すぎて行うことができません。
残念ながら多くのCS要因と同じように、携帯電話の電磁波も環境中の農薬も、自力で減らしていくのは難しいものです。そんな中でも、私はできるだけの対処をしようと進んできました。いくらかの対策が徒労に終わり、いくらかの対策は奏功しました。これからもできるだけ苦痛を軽減して、穏やかに暮らせるように、工夫していきたいと思います。