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第5章 職場のCS対策
(2017年 4月15日 UP)
目次
〔1〕1年目の対策(2009年)〜有害度レベル5+++からレベル4へ
〔2〕2年目・3年目の対策(2010〜2011年)〜有害度レベル4からレベル2へ
注:この章では、2011年に書いた原稿を2017年にアップロードしています。
*CS:化学物質過敏症、ES:電磁波過敏症
〔1〕1年目の対策(2009年)〜有害度レベル5+++からレベル4へ
私と夫は2009年3月に、知り合いの会社を引き継ぎ、経営することになりました。オフィスは特に化学物質に配慮した作りとはなっていなかったので、私が働けるように環境を改善する必要がありました。家具や什器も前オーナーが使っていたものをそのまま使うことになり、対策が必要でした。
対策するための条件は、
○潤沢な資金があるわけではないので、なるべくお金をかけずに対策をすること
○従業員やお客など人が出入りするので、見た目にも違和感なく対策をすること
自宅とは違い、このような配慮が必要でした。私は様々な化学物質に反応するので、対策をしなければならないものがたくさんありました。特に合板の家具と、非常に有害なアレルギー物質と思われるもの、これが大きな問題となりました。
3月にスタートしたときはレベル4だった室内が、気温の上昇と共にレベル4→レベル5→レベル5+++と有害性が進んでいきました。
◇レベル表示
レベル5 耐えられない
レベル4 具合悪い
レベル3 調子悪い
レベル2 若干問題あるが、おおむねよし
レベル1 問題なし
3〜7月まではひとつ対策をして汚染度を下げても、気温の上昇と共に前より有害度が上がり、次の対策をして汚染度が下がっても、さらに気温が上がって有害度が増す・・・といった感じで、いたちごっこの感がありました。この頃は、「いつまで対策を続ければいいのか?」「いつか安全な環境を実現することができるのか?」と心配な日々でした。2009年の7月には、何とか部屋の有害度をレベル4まで下げて、具合が悪いながらも、一応そこにいられるようにしました。もともとがレベル5+++だったので、レベル4でもずいぶん楽になったように感じられました。その後2年かけて、2011年までにはレベル2〜3まで有害度を下げてきました。
はじめの頃は、あまりの汚染度の高さにどうしていいかわかりませんでしたが、1つ1つ対策を進めてくることで、有害度の低い環境をつくることができました。
私は夫の助けも借りながら、対策をほとんど自分でやりました。体で効果を確認しながらの作業です。仕事をしながら対策を続けて、作業時間は延べ50時間くらいかかったと思います。
これから、私が行った対策を書いていきたいと思います。
○オフィスの空気・最初の印象
3月から会社を引き継ぐに当たり、1月から打ち合わせを行いました。当時のオーナーと会社のオフィスで引き継ぎの話し合いがありました。オフィスは14畳ほどの部屋で、家具は木製のものが多く、書類やものなどが大量に置いてありました。建物は築25年ほどの鉄筋コンクリートのものです。最初に入った印象としては、「決して空気はよいわけではないが、その場にいられないほど悪いわけではない」といった感じでした。合板の家具が数多く置いてあったので、ここから揮発している化学物質は、私の体に影響を与えているようでした。しかし、冬で気温が低いためかそれほど匂いは感じませんでした。
私はガスFF式(強制給排気式)ストーブに注目しました。冬のまっただ中で、外気温は0度くらい。オフィスではガスFFのストーブが部屋を暖めていました。FF式とは、壁の穴を介して外気をストーブ内に取り込んで暖め、熱を室内に出し、建物の外に排気するタイプのストーブです。排気が室内に出ないので、部屋の空気が汚れない暖房器具です。私は、2002年に仙台から札幌に引っ越してきてから、ストーブのことでは苦労してきました。札幌で購入した灯油ストーブは、どれも強いCS反応を起こし、使うことができなかったからです。灯油を燃料としたものは、FF(強制給排気式)であれ、どんな形式のものであれ、強い灯油の匂いがあって、具合が悪くなってしまいます。しかたがなく、小さな灯油ファンヒーターを使っていましたが、十分に使うことができず、ずっと寒い冬を過ごし続けてきたのです。
ところが、この日見たガスFFストーブは、驚くほど匂いを感じませんでした。このストーブはプロパンガスを使用したものだそうです。ガスの匂いは全くせず、ストーブ本体の塗料などの匂いも感じられませんでした。この日、CS的にいちばん印象に残ったのは、ガスストーブのことです。
その後、3月まで何度か打ち合わせに行きましたが、私はそのたびにオフィス内の何らかの物質に反応して、呼吸の症状が出ました。オフィスにいるときも、喘息の発作につながりそうな不穏な呼吸困難に見舞われました。部屋の何かに反応しているようでしたが、オフィスには実にたくさんの家具や物が置かれていて、どれが原因かは判断できませんでした。3月に正式に引き継いだら、1つ1つ嗅いでみて原因を特定することにしました。
○本格的に運営開始
3月に経営がスタートしましたが、最初は目が回るような忙しさでした。夫は毎日出勤しました。私は週2〜3回出勤して、あとの日は家で事務仕事などをしていました。会社に行った日は、夜にお決まりの呼吸症状がありました。3月中旬に気温が上昇してくると、次第に呼吸症状も強まってきました。私はすぐにオフィスの中のものを総点検して、体に問題のあるものはすぐに対策したいと思っていました。
ところが、すぐには動き出せない事情がありました。前のオーナーは、事務所と同じマンションに部屋を借りて住んでおり、4月末に引越していく予定でした。自宅のみならず、会社の事務所にも彼の私物がたくさん置いてありました。また、オフィスにある家具もすべて私たちに譲ってくれたわけではなく、引越の際に持っていくかもしれないものがあるというお話でした。どれを譲ってくれて、どれを持っていくのかはっきりしなかったので、CSの面で問題があっても手をつけることができませんでした。対策を施すことも処分することもできません。本来であれば、会社を引き継ぐ日に、前オーナーがすべての私物を撤去するべきだったはずなのに、実際にはそうはなりませんでした。
引き継ぎ後も前オーナーは私たちの仕事ぶりを心配してくれたのでしょう、会社に顔を出して様子を見ていました。オフィスのレイアウトや家具を大幅に変えてしまうのには抵抗を感じました。前オーナーは会社を私たちに完全に譲ったとはいえ、自分が築いてきた会社に愛着を感じているのがありありとわかったからです。
○CS患者と周囲の人々の思い
私が常々思っているのは、CS対策をするときに周囲の人々の気持ちに配慮する、ということです。これは1999年に自分の病気が化学物質過敏症だとわかってから心にとめていることです。当時は実家に住んでいて、私のCS対策と家族との生活との間で、軋轢が生じていた頃でした。私はそのとき、「家族の気持ちを害してまで、対策を強行するのはよそう。人の気持ちを損ねれば、それを取り戻すのには大変な苦労がいるのだから。」と考えたのです。もし、家族の自由を制限したり、不便を強いることになるようであれば、私のCS症状を我慢する方がマシだと思いました。私はそれまで15年くらい体調が悪い状態が続いてきて、ようやく原因がわかったところでした。それまで何の手も打てずに具合悪さに甘んじてきたので、原因を知って対策できることの幸せを痛感していました。もし家族への配慮のためにある対策ができなかったとしても、それによって症状が悪化するわけではなく、もともとの具合悪さが続くだけだから、できるところから少しずつ対策をしていけばいいと思っていたのです。
しかし、このような「理想」は、当時まだCS症状があまり悪化しておらず(重症度3C)、余裕があったからこそ持てたことで、その後2001年に重症度が4Eまで悪化すると、そんなことは言っていられなくなりました。全面的に協力してくれたのは夫で、最終的には仙台から600km以上離れた札幌に引っ越すことになりました。夫の人生をずいぶん犠牲にしてきたと思います。
会社の前オーナーとの関係で、私の心には1999年当初の考えが色鮮やかによみがえってきました。彼の気持ちを損ねるくらいなら、大幅なCS対策はその時点では行えない、前オーナーが引っ越す4月下旬以降に本格的に対策を行おうと思ったのでした。しかし、このときも現実は予想を上回り、厳しく私に迫ってくることになったのです。
○強まる有害性
4月になって最高気温が15度を超えたあたりから、事務所の室温も上昇し、明らかに有害な物質の揮発を感じられるようになってきました。出勤して事務所の玄関を開けると、大量の有害物質がこもっている感じがしました。特に強く感じられたのは合板のチクチクと突き刺さるような刺激、ベニヤ板の匂いと、カビかホコリのような微生物の存在でした。どちらも鼻や気管に突き刺さるような刺激を感じ、息苦しくなってしまいます。目や皮膚の表面にもチクチクとした刺激を感じました。加えて、神経を冒すような有害性のあるガスの存在も感じられました。頭がボンヤリする感じと、回転するようなめまいの症状を起こしました。以前、知り合いのシックハウスに行ったときに、合板の成分で同じような症状を起こしたことがありました。オフィスの家具や建材の合板による症状ではないかと思いました。オフィスには合板の本棚3つと、小さな合板の棚が2つありました。小さな棚のうちのの1つが特に合板臭が強かったのですが、これは前オーナーが引越の際に引き取ることになっていたので、手をつけられません。引越までの間に暫定的に化学物質の揮発をおさえようということで、合板の木口(木目がプリントされたプラスチック板が貼っていなくて、合板がむき出しになっている断面)にマスキングテープを貼っていきました。いくらか成分の揮発はおさえられたような感じですが、焼け石に水と言ったところで、あまり効果を感じられませんでした。オフィス内の方々から強い有害性のガスが揮発して、充満しているといった感じで、ひとつの家具をいじったからといって、なかなか部屋全体の濃度が下がるわけではありません。根本的な対策が必要でしたが、まだ手がつけられない・・・精神的につらい時期でした。私は前オーナーに事情を話して、確実にオフィスに残ることになった本棚に対策を施すことにしました。
○本棚のCS対策
本棚をよく観察してみると、組み立て式で、化粧合板を何枚か組み合わせたものです。驚いたことに、最近の合板は薄い板を貼り合わせたものではなく、粗く砕いた木くずを接着剤で固めたような作りになっていました。
本棚を動かして背面を見てみると、化粧を施されていないむき出しの合板面や木口が見えて、ここが強く匂いました。どのようにこの本棚の匂いを軽減させることができるでしょうか。
この本棚を廃棄して、代わりに化学物質の揮発が少ないものを購入するという手段もありました。しかし、この時点で会社はあまり業績がよくなく、経費を抑えなければならない状態だったので、家具を買い換えるという選択肢は考えられませんでした。代わりのものといっても、薬剤処理していない天然木にも反応する私は、CS仕様の木製家具を使うことはできません。スチール製の本棚にしても、電磁波過敏症を発症してから、金属製品にも反応するようになったので、自信がありませんでした。
代替品を購入することは、新しく買ったものに反応する危険性もあるため、対策はまず、現在あるものに行うのが基本的な順番になります。私は本棚を観察してみて、特に成分の揮発が多い部分を何かで覆ってみてはどうかと思いました。合板の化粧が施されていない部分は、ちょうど表からは見えない部分になるので、何かを貼ったとしても目立ちません。その前に小さな合板家具の木口をマスキングテープで貼ってみたことがありましたが、粘着力が弱く、うまく密着しないし、化学物質を封入する力も弱いようでした。それで、私は本棚の木口の一部に透明なビニールテープを貼って見ました。しかし、木くずを固めたような合板は粉っぽくて、テープがうまく貼りついてくれません。ビニールテープの匂いも強くしてきて、具合が悪くなってきてしまいました。その後、荷造り用のビニールテープを木口の幅に切って貼ってみました。これはうまく貼ることができましたが、木口を覆うだけでは、本棚全体の合板成分の揮発をおさえることはできないようでした。もっと全体を覆って、完全に封入してしまう必要があるようでした。
○作業の工程
どうすれば本棚の成分を封入できるのか・・・ずいぶん悩んだ末に、私は次のような方法をとることにしました。
本棚の構造
(1) 本棚を完全にばらす。
(2) 板を1枚1枚ビニールで包む。テープで貼る。
(3) 組み立てる。
(4) 棚板の上に段ボールを切って敷く。(ビニールがこすれて破れてしまわないようにするため。)
(5) 背面の板は、棚板を覆ったビニールが邪魔ではめ込めないので、廃棄する。
本棚のサイズは幅90cm、高さ180cm、奥行き30cmです。板は全部で15枚あります。
(A)約180×30cmが2枚、(B)約90×30cmが5枚、(C)約45×30cmが8枚です。これを1枚1枚ビニールで包むことにしました。ビニールは30リットル(50×70cm)の透明ゴミ袋と、透明な養生用ビニールシート(180cm幅)を使いました。まず、本棚をばらしたのですが、それに先だって、中の本や道具などを出しました。そうしたら、物によって被覆されていた合板の匂いが揮発してきて、むせかえるような刺激臭になりました。本棚をばらしたら、それまで他の板に密着していて外気にさらされていなかった木口が出てきて、強烈な合板臭です。私は具合悪くてしかたがなかったけれど、お腹にぐっと力を入れて、気持ちをしっかり持って作業を続けようと思いました。
ばらした本棚をすべて部屋に置いたまま作業をしていたのでは、大量の合板成分を吸ってしまうことになります。一度本棚の板を廊下に全部出して、作業する板だけを1枚ずつ部屋の中に入れることにしました。オフィスの本棚なので、仕上がりは、会社を訪れたお客様にも配慮しなければなりません。できるだけ覆ったことがわからないように、きれいに仕上げたいと思いました。
○包み方の手順
次のような方法で行いました。
◇棚板より少し大きめにビニールを切る。
◇その上に板を乗せる。木口より5cmくらいのところでビニールを重ねる。貼り合わせる時には、まず板の中央にセロテープを貼り、両端に向けて順番に貼っていく。ゆるみが出ないように引っ張りながら貼る。そのあと、合わせ目から空気や揮発性のガスが漏れないように、一直線にテープを貼る。
私は仮止めにはセロテープを、一直線に貼るのにはマスキングテープを使いました。セロテープは時間がたつと劣化して粘着力がなくなってしまいます。マスキングテープも時間がたつと粘着成分が変質してくるのですが、こちらは粘着力は落ちないのでマスキングテープを使いました。本当は、透明なガムテープ(梱包用テープ)を使いたかったのです。梱包用テープは匂いの強いものが多いのですが、いろいろ試してみて、当時使えるものが1種類だけありました。そのテープが強度や経年変化の点からはふさわしかったのですが、幅が5cmもあり作業しづらくなるので、使えませんでした。それから2年後の2011年にセロファン素材ではなくOPP素材のセロテープを見つけました。これはセロファンのものとは違い、経年変化が少ないもののようです。とても便利なので、これを見つけてからは、対策用に使用しています。2009年当時、このテープの存在を知っていたら、本棚の封入にも使っていたと思います。同じOPP素材でも、刺激の強い物と弱い物があるので、よく比較して、体に害の少ないものを選びました。
一直線に貼り合わせたあと、マスキングテープは目立つので、ビニールをずらして、テープの部分が木口の面に重なるようにします。そのあと、板の両端のビニールを約1.5cmくらいに切り落として、プレゼントをラッピングする要領で折りたたみます。そこをセロテープで仮止めし、マスキングテープでしっかり貼り合わせます。
○ビニールの素材
(A)(B)の板は、30リットルの透明ビニール袋(50×70cm)を切り開いて、100×70cmにしたものを使いました。(C)の180×30cmの板は、ゴミ袋では大きさがたりないので、養生用ヒニールシートを使いました。これは2002年の引越の時に購入したもので、180cm幅の透明ビニールが巻いてあるものです。2010年に新たに養生用ビニールを買ってみたら、白く濁った半透明の素材になっていました。本棚を包んだときは、透明な養生用ビニールを使ったので、きれいに仕上げることができたのですが、現在流通している半透明のものを使うと、きれいな仕上がりにはならないと思います。90リットルのゴミ袋として、90×100cmの透明ビニール袋が売っているので、切り開くと大きな板でも包むことができると思います。大判サイズのビニール袋は小さいものより厚手なので、少し不透明な感じの仕上がりになってしまいますが・・・。様々な素材があるので、その都度検討して、適切なものを選ぶことが必要です。
また私の場合、ビニールの中にも匂いが大丈夫なものとダメなものがあるので、購入するときに注意が必要でした。もし包んだあとにビニールの素材に反応することがわかると、作業が水の泡になってしまいます。最初に慎重にビニール選びをしました。
本棚の板を1つ1つ包んでいったら、だんだん合板の匂いは少なくなってきました。板を置いてあった廊下は強烈な合板臭がしていましたが、作業の終わり頃には、ほとんど匂いを感じなくなっていました。
○仕上げ
15枚をこのように包んだら、本棚を組み立てます。ネジは板に貼ったビニールを突き破ってねじ込んでいきます。せっかく封入した合板臭が一時的に出てきてしまいますが、ネジを奥まで入れ込めば封入されます。本棚のものを置く面に段ボール板を切って敷きこみます。ビニールのままで使っていると、本を出し入れするときにこすれて破けてしまうからです。背面の合板(背板)は付けられなくなるので、使わずに廃棄します。壁に本棚を押しつけては設置すれば、壁面が背板の代わりとなります。
全作業には5時間以上かかりました。私は作業中、板の木口から出る合板臭を吸い続けたため、どうにもならないような具合悪さを感じました。本当に本当につらくてたまらず、作業を途中で投げ出してしまいたかったです。しかし、もうやり始めてしまったからには、最後までやりきるしかないのです。途中からつらくて、作業をやめたいということしか考えられなくなってしまいました。具合悪さと疲労感から惰性で体を動かせいている状態でしたが、気力だけで何とかやり遂げました。
○対策の結果
ビニールで覆った効果は著しいものでした! 本棚を設置してみると、その一角からはあの強烈だった合板臭が消え、心なしか爽やかな空気が流れてくるようです。しかし、部屋の他の場所には問題のある家具や事物が大量にあり、まだ対策は緒についたばかりといった状況でした。
5時間合板に接触し続けた私は、家に帰ってすぐにシャワーを浴びました。お湯に温められて、全身から合板臭が立ち昇ってきました。作業中の成分が体中に付着してしまったようです。特に髪には強い匂いがついていました。シャワーを浴びたら、少し楽になりましたが、呼吸から体内に入ったものの影響は取れません。翌朝起きると、強烈な回転性のめまいが起きて、立っていることができません。それから3日ほど症状が続き、会社に行くことができませんでした。めまいに加えて、頭痛や胸のむかつき、息苦しさの症状がありました。長時間作業して、木口に触れ続けたため、指先がぼろぼろに荒れて、1週間くらい治りませんでした。合板の有害性を思い知りました。
本来なら、このような危険な作業をCS患者本人がやるべきではないのでしょう。私も作業中のつらさを思い起こすと、できることなら他の人に代わって欲しかったです。しかし、根気のいる作業であり、仕上がりもきれいにしなければならなかったので、夫に代わりにやってもらうことはできませんでした。これを読んで同じような対策をしてみようと思った方、もし自宅の家具であれば、それほど見た目を気にしなくていいでしょうから、もっと気楽に取り組んでみてほしいと思います。私の場合は、ビニールがよれたりしわになったりしないようにきっちり仕上げなければならなかったので、作業中、常に緊張感がありました。しわが寄ってしまった場合は、はがして最初からやり直さなければなりませんでした。ビニールを貼り終わって、本棚を組み立てたときや、元の場所に設置したときには、やはりいくらかビニールのしわが気になりました。しかし、中にものを入れてみたら、ほとんど気にならないレベルになりました。その後、現在(2017年)までこの本棚をオフィスで使っていますが、ビニールを貼ってあることに気づいた人は一人もいません。
○シックハウス対策への応用
この本棚の対策を通じて、私は木造家屋のシックハウス対策について思いを巡らせました。本棚を木造家屋と考えてみると、1つ1つの棚を家の中の部屋に見立てることができます。シックハウス対策として、壁や床にコーティングの塗料を塗って化学成分の揮発をおさえる方法があります。本棚で考えると、内側の面の部分に塗料を塗ることになります。しかし本棚全体をシックハウスの構造になぞらえて考えてみると、室内に面したごく一部の面に塗料を塗っているに過ぎず、その他の部分は未対応なままです。木造家屋は部屋に面している部分だけではなく、家の構造部分や床下、天井裏の空気も隙間から室内に流入してくるので、室内の対応だけでは効果が出にくいように感じます。本棚で言えば、棚の内面だけを塗っても、棚板の木口などから揮発してくる合板の成分が防げないのです。木造家屋は本棚のようにばらして全体をビニールで覆うことはできないので、建てるときから材料に気をつけて作らないと、安全性の高い住宅にするのは難しいかもしれません。すでに建てられてしまった木造のシックハウスを根本的に解決するのは大変なことだと思います。
○他の本棚も包む
本棚をひとつビニールがけしたことの効果は、一瞬のことでした。4月中旬になってさらに気温が上がってくると、室内の空気は耐え難いものになってきました。ほんの短時間でもオフィスにいると、つらくてたまりません。鼻の穴からじわじわと汚染された空気が入ってきて、窒息しそうです。目や鼻はアレルギーのようにかゆみや痛みがあり、くしゃみが出てきて止まらなくなります。夜の呼吸困難はますますひどくなってきて、昼間も息苦しく、体力が奪われていく感じがしました。この段階でオフィス内の空気はレベル5の汚染度になりました。
合板の本棚は他に2つあったので、もう1つをさらにビニールがけすることにしました。2つめの本棚も、1つめと同じようにビニールで包んでいきました。1つめより新しいものらしく、ずっと合板の匂いが強かったです。これも5時間くらいの作業となり、完成したあと一週間ほど体調が悪い状態が続きました。
○新たな原因物質
5月に入ると、さらに室内の汚染は強くなり、レベル5+++になりました。一瞬でも部屋に入ると重大な症状を起こします。また、出勤せず家で仕事をしている日でも、夫が帰ってくると全身に会社の汚染物質がついていて、それを吸うと倒れそうになります。会社から持ち帰った書類を家に置いておくと、部屋中が汚染されてしまうので、ビニールに入れてきっちり封をして、有害物質が漏れないようにしなければなりませんでした。
前オーナーは4月末に引越していきました。ところが、同じマンション内の自宅の部屋からは荷物を運び出しましたが、会社のオフィスにある私物はそのままです。引越で忙しいので、後日取りに来るということでした。いよいよ家具の匂いで具合悪さが限界に近づいていた私にとって、この事態は本当に深刻でした。早く家具や私物を引き取ってもらいたかったのですが、それがいつになるのかわからないというお話でした。結局その家具類は5月中旬まで事務所に置かれたままで、下旬にかけて1つずつ引き取られていきました。
この頃になると、合板の匂いに加えて、何らかのアレルギー物質(正体はよくわからない)の影響を強く感じました。呼吸症状や目のかゆみ・痛みだけでなく、皮膚に発疹が出てきて、顔が赤く腫れてきました。夫は私のそれまでの訴えを聞いて、大変な事態が起きていると感じていたようですが、はっきりと顔が腫れてきたので、より深刻な気持ちになったようです。しかし、私たちにとって一番重要だったのは、まず会社の事業を進めていくことで、そのためCS対策に割ける時間は限られていました。夫は心労のあまり、ずいぶん体重が減りました。
○3台目の本棚
私は3つめの本棚にビニールをかけることにしました。この本棚からは他の2つより特に強い接着剤の匂いがしていました。ツーンと鼻を突く薬品臭さがありました。この本棚を後回しにしたのには理由がありました。この本棚には、下に1段2列の引き出しがついていて、この部分をどうやってビニールで覆っていいかわからなかったからです。引き出しは全体をぐるっとビニールがけすればいいのでしょうが、うまく浮かないようにつけられるものでしょうか。それよりも、引き出しを受ける部分の空間をどのようにビニールで覆っていいのかわかりません。引き出しは使わないことにして、その部分全体を覆ってしまう方法もあります。形状が複雑なので、うまい方法が見つかりません。何とかビニールをかけてしまおうと、ゴールデンウィークに休日出勤してみたのですが、よく調べてみると、この本棚は組み立て式ではなく、解体することができないことがわかりました。ばらさず本棚の形のままビニールをかけることができるでしょうか?
困ってしまった私は、いったんこの本棚を別のオフィスへ移動することにしました。同じフロアにあと2部屋事務所を借りていました。私は、ほとんどの時間を受付のメインオフィスで過ごすので、この本棚を別室に移してみることにしました。夫と2人で本棚を移動してみると、今度はそちらのオフィスが接着剤のような強烈な匂いに覆われてしまいました。この部屋は従業員が働いたり、お客様がサービスを受けたりする場所です。その人たちの健康にとって、これはよくないことなのではないだろうか? お客様の中には子供もいます。子供がこの空気を吸ってしまうのには抵抗がありました。そう考えると、この本棚をここに設置しておくことはできず、結局もとの部屋に戻したのでした。
最終的に、この本棚は処分することになりました。その話をしたら、前オーナーがこの本棚を引き取って、自宅で使ってくれることになりました。彼の健康が心配になりましたが・・・。
私たちはこの本棚の代わりに、リサイクルショップで新たに本棚を買うことにしました。この時点で、私の体調は最悪で、ちょっとした刺激でもアレルギー反応を起こすようになっていました。リサイクルショップの空気(ほこりっぽい+家具の合板の匂いなど)にも反応して、症状が出てしまいました。本当につらかったです。ふだん家具を買うときには、匂いをよく検討して、家の中の空気を汚さないようなものかどうか慎重に判断するのですが、このときは形や値段だけで決めてしまいました。どっちみち、この本棚もビニールで覆うことになります。そうなれば、もとの匂いは封入されてしまうので、そんなに慎重になる必要がなかったのです。
この本棚も包むのに5時間かかりました。作業中は、やはり合板の匂いを嗅いでつらくなりました。それはいつまでも続く、永遠に終わらない作業のように感じられました。 作業の合間に、私は夫に話しました。
「本棚にビニールかけてるのって、世界で私一人だけかな? たった一人かな? そんなことないよね。こんなに広い世界にたくさんの人がいるんだから、今までに誰か一人は同じことをした人がいるはずだよね。CSであれば思いつきそうなことだから。世界中で合計すれば、けっこうな人数になるかも・・・。今まさに、ビニール包みをやっている人だっているかも。今のこの瞬間・・・。」
夫は、私のいうことに賛成してくれました。
作業がどんなにつらくても、今まで同じ作業をしたことのある人、している人のことを思い、その人たちに心を同調させると、私はずいぶんと孤独感が癒されたし、つらい作業が軽くなっていくのを感じることができました。私はCS対策として、一見突飛に思われることを行うとき、長時間ハードな作業を続けるとき、よくこのように考えてみることがあります。世界の人々は、つながっているのだと。
3台目の本棚にビニールをかけて設置すると、前の本棚があったときよりずっと空気はよくなりました。しかし、さらに気温が上昇してきたので、室内全体では依然として高い汚染レベルです。この時点で、まだレベル5+++でした。
○個々の原因を検討
本棚の対策によって合板の成分が減ってみると、今度はそれに覆い隠されていたアレルギー様物質の影響を強く感じました。それが部屋のどこから出てきているものなのかわかりません。レベル5以上の濃度になると、部屋中に有害な空気が高濃度で充満している感じで、発生源がよくわからなくなります。部屋の中にいるだけでも、ひどい症状が出るのに、鼻を近づけていろんなところを嗅いでみることはできませんでした。強い症状が出る可能性があり、あまりにも危険なことだったからです。私は具合悪さのあまり、部屋の中では全く物を考えられなくなっていたので、室内の写真を撮って家で考えてみることにしました。そして、オフィスの間取図を書いて、どこにどのような危険なものがあるのか検討しました。
○カーテンの対策
この時点で気になっていたのは、カーテンがとてもほこりっぽいことと、オフィスの流しの辺りがカビ臭いことでした。私はホコリやカビでアレルギー症状が出てしまいます。カーテンは家の洗濯機で漂白剤につけて洗ってみることにしました。洗濯機に酸素系の漂白剤とカーテンを入れ、一晩つけ置きしました。そうしたら、洗濯機についていたカビが取れてきて、カーテンについてしまいました。いったんカーテンを乾かしたあと、付着したカビを掃除機で吸ったのですが、こびりついていて取れません。1時間半ほど掃除機をかけていたと思います。それだけやっても、カビはカーテンに残ったままでした。私はこの作業中カビを吸い続け、鼻ものどもカビまみれになった感じで息が苦しくてたまらなかったです。泣きたい気持ちでした。
洗濯槽を漂白剤で一晩つけ置き洗いし、洗濯機のカビを完全に取ったあとで、再びカーテンを洗ってみました。今度はカーテンのカビはきれいに取れました。カーテンのもともとのホコリっぽさ、カビっぽさもある程度は取れました。まだ残っているけど、もとのものよりずっとマシです。
このカーテンを事務所に戻しました。しかし、まだまだ汚染源が多くあるため、部屋の空気はそれほどよくなったように感じられませんでした。
○キッチンのカビ対策
次は流しのあたりを対策しました。この部屋は、住居用のワンルームを事務所として借りているので、流しの水道は使っていません。前オーナーが流しを使わない条件で部屋を借りたようです。流しの排水溝の部分が故障しているからです。流しの前の床は、合板にクッションフロアが貼ってある作りですが、歩くと床がベコベコへこみます。どうやら、故障した排水溝に水を流したことがあって、その水が床にもしみ通ってしまったようでした。クッションフロアの下の合板が腐って、柔らかくなっていました。つまりクッションフロアの下はカビだらけということです。
クッションフロアは、通気性のないものだから、覆われている部分は大丈夫だと思いました。問題は壁と床材の境目で、ここからクッションフロアの下のカビ臭があがってきているかもしれません。ここにセロハンテープで目張りをしていきました。
また、流しの下の収納からは、扉を開けなくても、強烈なカビ臭がしました。私自身が開けるのは危険すぎるので、夫が開けてくれて、私は遠巻きに様子をうかがいました。その収納から、勢いよくカビ臭が吹き出て、部屋中に拡散しているようでした。そのあまりの有害性に恐ろしくなった私は、いったん扉を閉めてもらいました。部屋を出て、夫とどうしたらいいか相談しましたが、あまりにも強いダメージを受けていたので、その日は帰ることにしました。家でじっくり計画を立てて、次に会社に行った日に、この収納の対策を行いました。ここは危険すぎるので、夫にやってもらいました。
扉を開けると正面を流しからの排水パイプが走っています。パイプが戸棚の下から床下に抜けるところに隙間があるので、そこを透明テープで封入してもらい、床下からのカビ臭を防ぎます。その上で、この収納の前面にビニールを貼って、中の空気が外に漏れないようにしました。扉を開けると、すぐにビニールが貼ってあるのが見えるような仕上がりです。もし自室であれば、扉を閉めてその上からテープで封入するところでしたが、事務所なので見た目に配慮して、扉の中にビニールを貼りました。これで、収納の中のカビ臭い空気が室内に漏れないようになりました。そのあと、収納戸棚と床材の間、収納棚の隙間などをすべて透明テープでふさぎ、床下やクッションフロア下のカビ臭が部屋に出てこないように封じ込めました。流しのシンクは、排水口をテープでふさぎ、下水やカビの匂いが上がって来ないようにしました。この一連の対策はかなり効果があって、部屋の空気はレベル5+++からレベル5に下がりました。
下がったとはいえ、まだレベル5です。その場にほんの一瞬いても耐え難いほどの有害性です。そして、さらに10日ほどして5月下旬になると、気温が上昇してレベル5+++に戻ってしまいました。何の対策もせずにこの季節を迎えたら、どんな恐ろしい事態になっていたのだろうか・・・と思うと身震いしました。
○未知のアレルギー物質
この時点で、重大な汚染源は対策済みであるように思われました。にもかかわらず、部屋全体から立ち上ってくるアレルギー物質は何なのでしょうか? 本棚の対策をしたので、合板の化学的な匂いは薄くなりました。流しまわりを対策したので、カビ臭も抑えられました。その結果、この未知のアレルギー物質が、特に問題になって来ました。他に、オフィスのクローゼットや台所の吊り戸棚に合板が使われているので、ここの対策も必要でした。しかし、5月末になって前オーナーが引越してから1ヶ月になるにもかかわらず、これらの収納には、彼の私物がぎっしり入っていました。そのため、手が付けられなかったのです。いずれ引き取りに来るというお話でしたが、新居の片付けで忙しいらしく、いつになるのかは、はっきりとわからないようでした。
私は会社の別のオフィスにも入れなくなっていたので、そちらの対策も平行して行うことにしました。別部屋のカーテンがとてもアレルギーっぽかったので、これも洗濯機で洗ってみることにしました。それは濃いこげ茶色のレースのカーテンでした。自宅の洗濯機に濃い目の漂白液を作り、カーテンを浸します。翌日見てみると、漂白液はミルクティーのような濃い茶色に染まっており、辺り一帯から何とも言えない臭気が立ち昇っていました。「汚れた匂い」という他ないのですが、いろんな種類の汚れをブレンドしたような匂いです。
そして、次の瞬間、激しい衝撃が私を襲いました。ビニール手袋をしてカーテンを水の中から持ち上げてみると、何とそのカーテンは、白いカーテンだったのです! まだら模様に茶色い汚れが残っていましたが、確かに白いレースのカーテンでした。もともとのこげ茶色は、汚れが付着した色だったのです。オフィスのカーテンや家具は、前オーナーがもともと自宅で使っていたものだということです。このような汚れがカーテンに付着する住環境というものを、私は想像することができませんでした。
このこげ茶色の原因は、1つはタバコのヤニがあげられるでしょう。ヘビースモーカーがいて、タバコを吸い続ければ、部屋中がこのような色になります。しかし、洗濯機から立ち昇っている臭気には、タバコだけではないもっと有機的な汚れの匂いがしました。動物小屋のような、排泄物のような匂いです。タバコのヤニも強烈な匂いですが、私に強いアレルギー症状を起こさせているのは、もうひとつの動物系の成分のようでした。前オーナーは、家で使っていた物をいろいろオフィスに運び込んだというので、それらの物にも、カーテンと同じ成分がついているはずです。私に強いアレルギー反応を起こさせているのは、オフィス中に広がっている多くの事物のようでした。夫は何も感じないということでしたから、私が過敏な体質なのだと思います。
こげ茶色から白に変わったレースのカーテンは、すすいで干してみましたが、白と薄茶色のまだら状になってしまいました。もう一度、漂白剤につけて洗ってみましたが、まだ薄くまだらが残っています。2回目も漂白液は麦茶のような色に染まりました。このカーテンは結局、有害な匂いが取れず、使うことはできませんでした。徒労感が残りました。
別部屋のすべてのカーテンをチェックして、有害性の高いものを洗濯していきました。必要のないカーテンは、はずしてしまいました。
○カーペットの対策
6月に入ると、私は体がつらくてつらくて、会社に行けない日が多くなりました。私がオフィスに入ると、みるみる顔が腫れるので、危険すぎるということで、夫は私が会社に来るのを止めるようになりました。私は家で、事務や企画・広報などの仕事をしていました。
6月中旬に、どうしてもはずせない用事があり、私は久しぶりに会社に行きました。やはり顔は腫れてしまいました。気温が上がって、ますます有害度は上がり、ひどい呼吸困難の発作が起きてきます。私はこのとき、はっきりとわかりました。玄関を入ってすぐに床に敷かれているカーペットから、汚染物質が大量に発散されている! このカーペットは、今までも何度も何度も掃除機をかけたのですが、ほこりっぽさやカビっぽさが取れないのです。レースのカーテンと同じように、動物の排泄物のような匂いが強くしていました。そして、カーペットの下には、白い粉が一面に落ちています。この粉を掃除して、カーペット表面にも掃除機をかけるのですが、すぐにまた白い粉が落ちます。夫の見立てでは、このカーペットは屋外で動物を飼っていて、そこに敷いていたのではないかということでした。白い粉は細かい砂で、カーペットの内部にも大量に入り込んでいるのではないかと言っていました。それならば、動物の排泄物の匂いがするのもわかります。私はカーペットの掃除に絶望感を感じて、呆然と立ちつくしていました。そうしたら、夫は「もう撤去しよう」と言って、あっという間にカーペットを巻いて廊下に出し、部屋から離れたところまで持っていってくれました。私は判断力が働かない状態だったので、夫のこの英断は本当にありがたかったです。あとに残った白い粉を掃除し、クッションフロアの床を丁寧に磨きました。そうしたら、見違えるように部屋の空気がよくなりました。レベル5+++がレベル5+くらいまで下がりました。やはり、あのカーペットは強い汚染源だったのです。
動物の排泄物(糞)が乾燥して粉になったものに、私は以前から強いアレルギー反応を起こしていました。それは、動物の毛よりもずっと強い反応です。夫が言うには、「このオフィスに置いてある本には、粉のようなものがついている。全体にまぶしたように細かい粉がついていて、手がざらざらするんだ」とのことです。部屋全体に、この粉が拡散されていたようでした。
もし部屋の中に汚染物質が広く拡散しているのだとしたら、どこまで対策を続けていけばいいのかわからない。いつか終わりは来るのだろうか・・・途方に暮れた気持ちになりました。このように、複数の原因物質があって、強い反応が出ているときには、原因物質を突きとめるのも容易ではありません。疑わしいところは、次々対策をしているけれども、追いつかない感じがしました。
○台所収納とクローゼット
6月下旬に、ついに前オーナーの荷物がオフィスの収納から引き取られていき、中をいじれるようになりました。私は具合悪さと疲れで、精根尽き果てたような状態になっており、しばらく家で休んでいました。7月初め、会社が休みの日に、夫と会社に行って、収納の対策を行うことにしました。この日は寒い日でしたが、汗だくになりながら作業しました。クローゼットと台所の吊り戸棚の内部に、ビニールを貼ることにしました。収納の大きさを測り、どのくらいのサイズのビニールが必要かを計算します。養生用ビニールをその大きさに切り、ホチキスをタッカー代わりにして、次々と貼っていきます。ビニールとビニールの継ぎ目はマスキングテープで貼り合わせました。ビニールの端は収納の内部の壁に、マスキングテープでとめました。台所の吊り戸棚は、棚板が作りつけてあったので、形状的にビニールをかけるのが難しそうでした。夫は金づちで棚板をたたいてはずしました。吊り戸棚の内部にビニールを貼ったあと、棚板もビニールで包み、設置し直しました。クローゼットも吊り戸棚も、最後に水平面に段ボールを敷きました。物を収納するときに、こすれてビニールが破れてしまわないように、段ボールで補強しました。
このオフィスにはクローゼットが2つありましたが、玄関の横にある方のクローゼットの中には、この部屋のブレーカーが設置されていました。「なぜ押し入れの中に?」と思うのですが、この部屋を改装した時にそうなってしまったようです。私は、このクローゼットで作業をしているとき、ブレーカーのすぐ近くに長時間いたために、強い頭痛に見舞われました。電磁波過敏症の症状で、全身の痛みや手足の怠さもあり、作業がつらくてしかたありませんでした。
2人で6時間以上作業していたと思います。押し入れの合板の匂いを吸いながら、気が遠くなるようにハードな作業でしたが、最後には完成しました。この日はあまりに疲れていて、くたくたになって帰りました。
この後、さらに吊り戸棚とクローゼットの扉の裏側に、ビニールを貼ろうと思いました。扉の裏にも、収納庫の匂いがついているはずです。この部屋は、かつて住居として貸し出されていたので、クローゼットにはそのとき住んでいた人が使った防虫剤の匂いが染みついていました。クローゼットの木の扉の裏にも、その匂いが残っているはずです。
クローゼットと吊り戸棚の対策のあと、私はまたしばらく休養しなければなりませんでした。作業は私の体にとって、あまりに大きな負担だったからです。このときは全く余裕がなくて考えられませんでしたが、このような作業に協力してくれた夫の努力はすごいものでした。今振り返ってみると、感謝の気持ちでいっぱいです。
○対策の効果
次に会社に行ったとき、私はそれまでにない変化を感じました。部屋の空気がよくなっている! 気温がさらに上昇したので、今度も新たな汚染源が見つかると思って身構えていたのですが、この日はそれまでにない感覚でした。ずっとレベル5からレベル5+++を行き来していた部屋の汚染度が、レベル4まで下がっていました。レベル4というのは、CS的には決していい状態ではありませんが、それまでの汚染度の高さからすると、格段の違いでした。私は短時間であれば、部屋にいられるようになりました。
7月中旬になって、オフィスの窓を開け放すようになってくると、具合悪いながらも、オフィスで仕事ができるようになってきました。まだ問題があるので、出勤時には夫に玄関の扉を開けてもらい、窓も開放してしばらく換気してもらいます。仕事中も窓を開けっ放しにして外気を取り込めば、私はオフィスにいられるようになりました。収納扉の裏をビニール貼りする必要はなくなりました。
いつ終わるかわからず、途方に暮れたCS対策でしたが、このときようやく息をつくことができたのです。
○日常レベルでの細々とした対策
有害度が下がったとはいえ、レベル4なので、影響は強く残りました。会社に行った日は、全身に有害物質がついてしまうので、家に帰ったらすぐ着替えてシャワーを浴びます。服は家用と会社用に完全に分けるようにしていました。会社に行かない日に会社用の服を着ると、服に付着した有害物質のために症状が出てしまうからです。私は週に2〜3回、夫は毎日出社していましたが、私が家で仕事をしている日は、夜帰宅した夫の体や服からオフィスのアレルギー物質が発散していて、私はそれに反応してしまっていました。夏から秋にかけてかなり強い反応が出ていました。夫が職場から持ち帰った書類を読むと、髪にもアレルギー物質が付着して、目や鼻のかゆみ、呼吸症状が現れてしまいます。
私は会社の書類を家で管理するようにして、会社には持っていかないようにしていました。書類を扱う仕事は家で働く日のみ行いました。会社で使う書類は会社に置き、それ以外のものは家に保管します。どちらでも必要なものはコピーして2部作り、会社と家に置くようにしていました。会社で使っている有害度の高い書類を家に持ってこなければならないときには、紙を1枚1枚ビニールに入れて封入し、有害物質の発散を抑えました。
以上は繁雑な作業であり、書類が混じり合わないように神経を使いました。仕事では多くの書類を処理しなければならず、有害度による選別を行いながらの作業は、複雑すぎて手に負えないと感じたこともあります。
私と夫が家と会社に別れて仕事をしている日は、メールで連絡を取り合うことがありました。会社にいる夫が、必要書類をスキャンして、メールで送ってくれたこともありました。この方法だと紙の匂いを直接吸わなくてよいので、反応を起こさずに済みます。しかし、私は電磁波過敏症のため短時間しかパソコンを使えないので、スキャンの方法のみに頼ることもできず、様々な方法を組み合わせて、何とか対処していました。
私が会社で特に影響を受けていたのは、何らかの微生物によるアレルギー反応でした。2009年の冬になると、寒さのため微生物は活動をやめ、アレルギー反応は起こらなくなりました。体がだんだん楽になってきました。
○オフィスと自宅の環境を比較・考察
冬になると、事務所にいても普通に過ごせるようになり、対策が後手に回っていたもうひとつのオフィスにも入れるようになってきました。冬は新しい企画を進めたり、積極的に仕事することができるようになりました。冬は化学物質の揮発も少なく、落ち着いて過ごすことができました。
冬になると、自宅はものすごい寒さになります。古い木造家屋である上、化学物質過敏症のために小さなストーブしか使うことができなかったからです。真冬になると、寝室は氷点下になることもありました。いちばん寒かったときで−2度まで下がりました。比較的暖かいときでも室温が12度を超えることはなく、毎年厳しい冬を過ごしていました。ところが、私は会社のガスFFストーブにはCS反応を起こさなかったので、会社ではとても暖かく過ごすことができていました。これが本来の標準的な冬の生活というものだと思いました。私たち夫婦がそれまで何年も過ごしてきた冬の寒さは、一般の生活から見ればいかに異質なものなのか、ということを痛感したのです。それまではCS対策のために使えないものが多く、制限があるのが当たり前のような気持ちで過ごしてきたのですが、こうして探し当ててみれば、解決のために必要なものも存在しているのだと気づかされたのです。どのようなものでも、試すためにはお金がかかるし、体への負担もあるので、なかなか多くのものを試すことができないのが実際ですが、このストーブは偶然にも試すことができて、幸運でした。
会社を引き継いだことは、CS的に大変な苦労がありましたが、私の住む世界を確実に大きく広げるものになりました。それまで知らなかった多くの可能性に気づくことができるようになったのです。
○電磁波過敏症が楽に
私は2009年の3月に会社を引き継いでから、この年の暮れまでに会社で過ごしていて、鉄筋コンクリートの建物が木造よりずっと電磁波過敏症の面で楽だということも実感していました。例えば、毎年3月は、電磁波過敏症の症状が強く出ていました。3月中旬には確定申告があり、3月末は年度末のため、世の中の携帯電話の通話量が多くなるからです。この時期、木造の自宅にいるときと、鉄筋コンクリートの会社にいるときの体調を比べると、明らかに会社にいる方が楽でした。2009年頃から私の電磁波過敏症は年々悪化しており、頭痛や全身の筋肉の痛みのため、普通の暮らしをするのが難しくなっていました。私は常に全身が重く、体を動かすのがつらくなっていました。ふつうに家事をするのにも、ほんの少し腕を動かすだけでも痛みが走りました。これは線維筋痛症の患者の症状に似ていました。重いものを持つなどして筋肉に負荷をかけると、健康な人には何でもないような軽い作業でも、私の場合は、翌日強い筋肉痛に見舞われました。まるで一日中、激しい運動を続けたような筋肉痛になります。それが1週間〜10日間も続きます。痛みや怠さでよく眠れないこともありました。
会社の事務所にいると、筋肉の痛みや重さは、明らかに楽になりました。第1章でも説明しましたが、会社の事務所は鉄筋コンクリート製の建物で、窓ガラスに格子状に金属線が入っています。防火指定地域に建っているマンションなので、ガラスの飛散防止のために、1.5cmのマス目になるように鉄線が入っています。これが窓のシールド効果を高め、室内に外からの電磁波が入ってくるのを防いでいるようです。夏の暑い日に窓を開けていると、電磁波過敏症の症状が出てきてしまうので、窓を閉めているときのシールド効果は明らかだと思います。
2009年から2010年にかけての年末年始には、私はこの会社の事務所で年越しをしました。年末年始は世間の携帯電話の使用量が増え、強い過敏症状が出ます。その前の年までは、電磁波の少ない場所を探して、避難旅行に行っていました。電磁波が楽な場所でもCS反応を起こしてしまったりと、苦労がありました。この年、会社の事務所で過ごしてみると、ある程度は電磁波の症状が出てしまったのですが、自宅にいるよりずっと症状が軽くてすみました。
暖房や電磁波過敏症におけるこのような事情から、私たち夫婦は最終的に、会社のオフィスがあるマンションに引っ越すことになりました。2010年秋のことです。引越については、第6章で詳しく書きます。
翌年の春から気温が上昇すると、再び有害物質が揮発し、症状が出てきてしまいました。そのときの対策を次に書いていきたいと思います。