第8章 化学物質過敏症という病気をどう考えるか
○「化学物質過敏症」のイメージ
「自分の病気をどのようなイメージでとらえるか」ということは、実は重要なことです。病気のイメージによって、心身に大きな影響が現れます。自分の病気について、暗いイメージを持っている人と明るいイメージを持っている人とでは、日々の幸福度も、治療への積極性も、予後も違うのではないかと思います。
これまで化学物質過敏症について、マスコミを中心に報道されてきた情報はどちらかというと、暗いイメージのものが多かったように思います。そのイメージは、例えば次のようなものです。
「難病」
「治った人はいない」
「どんどん悪化して社会生活ができなくなる」
「家族の無理解のため離婚」
「病気を苦に自殺」
とにかく化学物質過敏症が悲惨で、救いのない病気で、患者は「かわいそうな人」というイメージが強かったです。
このような情報を何度も受け取っていると、不安が募っていき、気持ちが暗くなっていきます。
「自分も治らないんじゃないか」
「この先、悪化していくばかりなのか」
「一生、社会復帰できないのではないか」
ただでさえ、病気で体が弱っているのに、不安なことばかり考えていると、気持ちも弱っていってしまいます。
この不安を解消する方法はあるのでしょうか?
○ 情報をもとに思考は形づくられる
人は自由意志で考え、物事を決定しているように思われるのですが、実はそうとばかりも言えないのです。その人が持っている考えや信念は、毎日取り入れている情報によってつくられています。例えば、子供の頃は、家庭が生活の中心なので、家族の考えややり方をまねて、取り入れて暮らしています。大人になって社会生活の範囲が広がったときに、子供の頃、当たり前だと思っていた考え方や習慣が、実は自分の家だけの特殊なものだったと気づいたことはありませんか? 大人になってからも、マスコミやつきあっている仲間、会社の人々から得られる情報をもとに、思考が形づくられています。特殊な宗教を信仰している人たちの考えていることが、一般の人からかけ離れているように思われるのも、日々接する情報の違いによるものです。
病気について、毎日暗い情報ばかりを取り入れていると、暗いイメージしかわかなくなってしまいます。その暗いイメージを明るいものに変え、不安を解消するためには、積極的に明るい考え方を取り入れることが有効です。人は、毎日考えていることが信念になるのです。よいことを何度も考えるようにしましょう。それによって、病のイメージを変えることができます。
まず、病気のイメージですが、私は化学物質過敏症を「難病」ではなく、「治りやすい病気」と考えることにしました。実際のところ、化学物質過敏症の研究は始まったばかりなので、誰にも予後はわからないのです。先のことがわからないのだったら、悪い見通しより、よい見通しを考えた方がいいのではないですか!
「でも、治った人がいるっていう話を聞いたことがないじゃない」という反論が聞こえてきそうです。
それに対する答えは簡単です。
あなたが回復者第一号になればいいのです!
○ 毎日繰り返すのが大事
よいイメージをわき起こらせることを、習慣にしてしまうといいです。自分が楽になるような考え方やイメージを紙に書き出し、それを何度も眺めるようにします。不安になったときや、
具合が悪くて気弱になったとき、それを眺め、口に出して唱えるといいです。毎日、毎日繰り返すと、それがその人の真実となります。本当です!
私の場合は、「私は必ず治る」というのを毎日やっています。あと「治ったら、どんなにすばらしいか」というのを想像します。寝床でニタニタしながらやるのがいいです。治ったらやりたいことを紙に書いて眺めます。何とも言えず幸せな気分になります。
やり始めの頃は、「こんな理想ばかり書いちゃって、実際はどうなのよ。ぜんぜんだめじゃない」などという声が間に割り込んできます。しかし、その声に負けず何度も繰り返すと、その声はだんだん小さくなっていきます。
○ 私を救った一言
CS反応を起こしたり、具合が悪くなると、誰でも不安になったり、気弱になったりすると思います。私は2001年に重症化したとき、日々どんどん悪化していく中で、強い不安に襲われました。周囲のものに次々に反応していき、とどまるところを知りません。6月に水道水に反応し、シャワー・洗濯・料理が不自由になってくると、心配のため、夜、眠れなくなりました。精神的な理由で不眠になったのは、後にも先にもこの時だけです。
この時は、「今日よりは明日の方が、必ずよくなるはず」と、心の中で何度も唱えました。そうすると、ほんの少し安心して、何とか眠ることができました。
この頃は、毎日必ずこの言葉を唱えていました。今、当時の日記を読み返すと、1日ごとにどんどん悪化していっている様子が見て取れます。しかし、当時は、毎日、「明日の方がよくなる」を繰り返していて、その言葉にずいぶん救われました。この頃は、日々の生活をこなすのに精一杯で、その日暮らしでした。そのため、確実に悪化しているにもかかわらず、長期間の症状のうつりかわりを冷静に判断できなかったのです。それが幸いしました。
○ 症状を起こしたとき
CS反応を起こして、一気に体調が悪化することがあります。現在は回復してきたので、回数は少なくなりましたが、以前はしょっちゅうそのようなことを繰り返していました。農薬に曝露したときは、全身がたまらない苦しさで、寝ていても身の置き所がないような状態になっていました。そういうときは、眠ろうと思っても無理なので、「何か楽しいことを考えよう」と自分に言い聞かせました。
「最近食べておいしかった料理」とか「面白い本」とか「笑っちゃうTV番組」のこととか、とにかく、病気に関係なくて、純粋に楽しいと感じることを思い出します。症状がひどかったときは、意識がもうろうとしていることもあったのですが、「何か楽しいことを考えよう」が習慣となっていたので、自然とすんなり考えられるようになっていました。普段から、楽しいことをピックアップして、紙に書いておくのもいいものです。書いておけば、いちいち思い出そうとしなくても、紙を見るだけでいいです。こうやって、自分の気持ちを上の方へ上の方へ持って行けるものだと思っています。
○ 病気のとき、何を頼ればよいか
病気になると、誰でも孤独感を感じます。一般社会と隔絶されたような気持ちになります。化学物質過敏症のことを人に相談しても、相手の人は戸惑うばかりです。一般の人から見れば、CS患者の話していることは、別世界のことのように思われるでしょう。まるで外国語で話しているような錯覚にとらわれます。
私が重症だったときは、自分の体験が、自分でも信じられないことの連続でした。水道水に反応し(浄水器も使えない)、日用品のあらゆるものに反応するようになっていきました。それまで、化学物質過敏症に関する本や資料はあるだけ読みあさっていましたが、その中には私のような重症例は1つもありませんでした。電話相談しても「あなたのような症状は聞いたことがない」と言われる始末でした。「CS患者」というカテゴリーの中でも、私は孤独でした。
誰かに相談しようにも、誰にすればいいのか…?
頼れるものがあれば…と、探しても、見つからず、とことん一人で考えた結果は、「頼れるものは自分自身なのだ」という結論でした。
私は中学3年生の時に化学物質過敏症を発症し、14年間病名が不明のまま過ごしてきました。いろいろな病院に行ったり、治療を受けたりしましたが、決してよくなりませんでした。高校の時すでに、「私の病気の治療法を知っている人はいないこと」と、「治せる人がいないこと」を悟りました。それは何もない世界に、一人投げ出されたような感覚でした!
「私はずっと、具合悪いまま生きていくのか?」
「このままの人生を送るのか?」
と思うと、深い絶望感に襲われました。このとき私は、
「頼れるのは自分だけだ。諦めたらそれまで。自力で何とか這い上がろう、這い上がりたい!」
と強く思いました。
それが私の原点になっています。
それ以来、自分自身で考え、行動していくという基本姿勢で、現在まで来ています。
「自力で這い上がりたい」と思ってから、結局、私は10年以上なすすべもなく、運命に従っていました。病名がわからない以上、対策の取りようがなかったからです。
私の人生が花開いたのは、28歳の時、自分がCSだと気づいた瞬間からです。
「何が原因なのかを知って、対策することができる。」
これほどの幸せがあるでしょうか。私にとってCSという病名は福音でした。
私がここで強く言いたいのは、孤独感に押しつぶされそうになっても、どうか絶望しないで欲しい、ということです。確かに現在はまだ、CSの治療法はわかっていません。でも、自分の力を信じて、自分自身で這い上がりましょう。そして、対策を行っていけば、いつか回復する日が、きっとやってきます。
○ 努力は報われるか
化学物質過敏症の対策をしていて、うまく効果が出ているうちは、いいペースで対策を進められます。効果がある対策を次々実行することで、症状がよくなっていきます。しかし、時には、いくら対策しても、うまく効果が出ないというときもあります。
私が重症だったときは、身の回りのものが何もかも有害になり、対策しようにも方法が見つかりませんでした。重症の時は、何をやってもだめでした。対策を、やってもやっても効果がない、という状態になっていました。
「炭を使って有害物質を吸着」という方法をしようにも、炭自体に反応してしまいます。「水道水を浄化する」にも、浄水器自体に反応。洗濯も、何度洗っても、いくら洗濯方法を変えても、だめです。新しい衣類を買っても、10着買って10着ともだめという状態でした。
あまりの状況に呆然となり、絶望して、
「いくらやっても、どうにもならない。いくら努力しても報われないこともあるんだな…」と思いました。
2001年10月が最悪の時でした。
「これだけやってだめだったら、もうしょうがないんじゃないか…」
「ここまでがんばったんだから、もういいよね」
生きる気力を失いかけていました。
結局、私は諦めませんでした。全く効果がなくても、とにかく、ひたすら対策することにしました。10回やって10回だめでも、50回やれば1回くらいはヒットするものが出てきます。機関銃を撃つように、思いつく限り次々と、対策をやりました。他に選択肢がなかったのです。やらなければ先に進めないので、やるしかありませんでした。諦めてしまえばそれまでですが、やり続ければ、どんなに歩みが遅かったとしても、先に進むことができます。
この時は、毎日、どうしようもなく体がつらいのと、生活用品が枯渇しているのとで、精神状態がかなりおかしくなっていたようです。そのため、冷静な判断力が落ちていて、きわめて暗示にかかりやすい状態になっていました。この状態で、毎日、前向きな暗示をかけたので、効果も大きかったようです。
○ 世界をどうとらえるか
最後に私個人の意見を言わせて下さい。この意見には賛成できない、という人もいるかもしれません。私の意見や他の人の意見が違っていても、ぜんぜんかまわない、と私は考えています。いろんな人が様々な意見を持って影響し合うことで、物事が発展していく、と考えているからです。
化学物質過敏症という病気を考えるときに、「環境汚染」は避けて通れない問題です。CSについては、「汚染にまみれた世界の中で追いつめられる患者」というイメージで表現されることがあります。あのイメージほど私の実感からかけ離れたものはありません。
確かに、現代社会は問題を抱えていますが、全体的に見れば、人類は今までよくやってきたと思います。現代の日本は情報量が多くなってきているし、社会福祉も発達し、個人の権利も昔とくらべて格段によくなりました。一人一人の「自由」が大きく増えてきています。私は楽しいことがいっぱいのいい世界だと思っています。
「昔は人工化学物質が少なかったから、よかったかな?」
と考えることがあります。でも昔に戻りたいとは、とても思えません。今のこの時代に生きていて、本当によかったです。
この世界のよくないイメージというのは、TVニュースなどによるところが大きいのではないかと思います。ニュースでは、事件・事故を中心に報道するので、そういうイメージができあがってしまうのです。この世界に対する悪いイメージからいったん離れて、素のままに、いいところを見つけ出そうとすると、日常生活の中で愛すべきものがたくさん見つかることに気づきます。
「世界中が汚染されている」とか「住みにくい世界」などと考えると、どんどん社会から隔絶されて、孤立していってしまうような気がします(そこにあるのは不信感です)。自分の身をこの社会の中に置いて考えて、世界と仲良くなれるようにしましょう。心を開いて受け入れれば、この世界からたくさんの恩恵を受け取ることができます。
私は早く治ってこの社会に戻りたいです。今は一時的にドロップアウトしているだけで、治ればすぐに戻れると思います。その日が来るのが、とても待ち遠しいです。とても楽しみです。
そして、よくなったら、自分の経験を生かして、社会に役立つことをしたいと思います。
最後に・・・
みなさんの健闘を祈ります!
(2005年2月)