第9章 回復
〔1〕全体的な変化
〔2〕現在の状況(第1章の内容について)
〔3〕現在の状況(「スモール・データ・バンク」の内容について)
〔4〕考察
第9章 回復
(2006年8月現在)
「化学物質過敏症 私の方法」のサイトを開設してから、2年近くたちます。その2年のうちに、私はだんだんと回復してきました。第1巻を書いた頃とは、比べものにならないくらい回復しています。今、第1巻を読み返すと、当時は、こんなにも過敏性が高く、制限の多い生活をしていたのだと、驚かされます。当時と、現在とでは、まさに「隔世の感」があります。生活ぶりは改善され、身体的苦痛を軽減されました。ここでは、私の現在の状態を記し、これまで自分がどれだけ回復したのか、ということをふり返ってみたいと思います。
〔1〕全体的な変化
この2年間で回復したのは、次のような点です。
1.過敏性が下がった
2.症状が軽くなった
3.曝露後の回復が早くなった
4.視覚症状が軽減し、物事をよく観察できるようになった
5.曝露による思考力の低下が起こらなくなった
以下に1つずつ詳しく説明します。
1.過敏性が下がった
反応するものの数が少なくなりました。そして反応自体も弱いものになってきています。
CS反応を2つに大別すると、
a.有害物質そのものに反応する
b.有害物質のにおい(成分)が付着したものに反応する
となります。重症になってしまう人と、そうでない人の違いは、このへんにあるのではないかと思います。bの反応がある人は、日用品で使用できないものが増えていきます。そのため、とても厳しい生活制限が必要になってきます。2年前、私は、a、b両方の反応がひどく、とても厳しい生活制限が必要でしたが、現在では、bの反応は少なくなっています。そのため、原因物質から離れれば、短時間で回復するようになりました。例えば、現在はタバコに煙そのものには反応しますが、タバコのにおいがついたものへの反応は、ほとんど感じないくらいに弱くなっています。重症だった当時は、自分の服についた汚染物質に反応するので、しょっちゅう着替えなければなりませんでしたが、現在はずっと同じ服を着ていられるようになりました。
「におい」に対する嗅覚の過敏性は、どんどん下がってきました。以前とても気になったにおいが、ある時から感じなくなる、ということを何度も経験しています。「周囲の空気を探るために、常に鼻をきかせてにおいを嗅ぐ」という習慣はなくなりました。その必要がなくなったためです。
過敏性が高かった頃は、常に神経を高ぶらせて周囲を見回し、どこに有害物質があるのか、警戒していました。「どんな有害物質があるのか」「いつぐあいが悪くなるのか」と心配して、気の休まる暇がありませんでした。現在は、反応する物質が減り、曝露にもそれほど強い反応は出ず、その後の回復も早いので、気持ちに余裕が出ました。警戒心を持たずに、リラックスした状態で外出できるようになりました。
このサイトの内容の通り、自分の生活を管理しているので、反応物質が減ったこともあり、原因の特定は容易になりました。原因物質が特定できずに、悩むということは少なくなっています。原因がわかれば、それに対処することができます。毎日、特に意識することなく、ひらりひらりと原因物質をかわせるようになりました。
2.症状が軽くなった
重症だったときは、曝露すると、あっという間に激しい症状が出てしまい、思考力も混乱し、自分でも何が何だかわからない状態になっていました。このような反応を何度も繰り返しているうちは、とても不安でした。「自分の体がどうなってしまうのか予測できない」というような状態だったのです。
現在は、反応する回数が減り、症状の出方も弱いものになっているため、上記のような不安感は少なくなっています。現在では、曝露してから症状がひどくなるまでに、時間の余裕があります。その間に対策できるので、軽い症状ですませられるようになりました。
症状自体も軽くなったので、反応を起こしたとき、「ちょっとぐあいが悪い感じがする」という段階で対策できるようになりました。体調が急激に悪化しないので、日常生活を平穏に送れるようになりました。かつて夫は、私がいつぐあい悪くなるのかと、常にハラハラしていたのですが、今は落ち着いて生活しています。
現在は、曝露されても息苦しさ、立ちくらみ・めまいの症状はほとんど出ません。呼吸困難がなくなったので、体はとても楽になりました。以前は、毎日のように、立ちくらみを感じていました。現在は、立ちくらみは、年に1〜2回あるかないかです。たまに立ちくらみがあると、以前ひどかったときのことを思い出します。
現在でも、頭痛、目の痛み、筋肉痛の症状が残っています。ここ2年で「気持ち悪い」「苦しい」という症状はほぼおさまり、「痛み」の症状に限定されてきました。
3.曝露後の回復が早くなった
外出先で曝露して症状が出たときも、その場を離れれば、短時間で回復します。以前は、曝露するたびに、とても起きていられず、何時間も(時には何日間も)寝込みましたが、現在はそれに比べて、回復が早まりました。外出先で次々と曝露しても、そのたびに回復するので、予定を変更することがなくなりました。化学物質に曝露されると、以前ならば、フラフラになり、なんとか家に帰り着いたあと、シャワーをあびる気力もなく、寝たこともありました。
今から1年前には、少し回復して、その場を離れれば少し症状はおさまるようになりました。しかし、いつまでもだるさやふらつきが残るので、家に帰ると疲れ切っている、という有様でした。
現在は、曝露されると、その場では症状が出るのですが、その場を離れれば、すぐに回復します(10分程度)。その後の予定をこなして家に帰り、すぐにシャワーをあびることができます。以前はシャワーをあびているとき、体を洗う手がだるくて動きにくかったのですが、現在では、よく動くようになりました。また、その時着ていた服を、洗濯せずに翌日着ても反応しなくなりました。
回復が早くなり、症状が長引かないので、原因を特定することが容易になりました。回復が遅かったときは、前の曝露による症状が消える前に、次の曝露に遭う、ということの繰り返しでした。そのため、どの原因物質がどのような症状を起こしているのか見極めるのが難しかったのです。現在では、原因物質を除去すれば短時間で症状が消えるので、原因物質と症状とが1対1の関係になり、わかりやすくなりました。「原因特定→対策」の精度が上がりました。
4.視覚症状が軽減し、物事をよく観察できるようになった
2001年に北里研究所病院で検査したときは、「眼球運動」「瞳孔の動き」「コントラストの認識」のいずれも異常が出ていました。明暗の調節や視線の移動がうまく行えないために、ものをうまく見ることができませんでした。曇りの日はとても暗く、晴れの日はとてもまぶしく感じました。物の輪郭をたどったり、視線を固定することができませんでした。視界は暗く、せまく、物の形や色がぼやけて見えていました。
現在では、すべての物がくっきり鮮やかに見えます。視覚症状は劇的に回復しました。晴れの日はさわやかで美しく、曇りの日は独特の情緒があることがわかりました。雲の動きや、大気の湿り気ぐあいがよくわかるようになりました。
私は以前、光り輝くものや、透明なもの、流れるものが、ぜんぜん見えていませんでした。現在では、液体がこぼれたものや、ガラス越しに見える風景、水の流れがよく見えます。
夏は眩しくてサングラスをかけ、暗い部屋では物がぜんぜん見えなかったのですが、どちらも回復しました。夏の昼間に眩しさを感じなくなり、サングラスは必要なくなりました。その結果、以前とは比べようもないくらい、物事をよく把握できるようになりました。CS対策として、原因物質を特定するために、周囲を観察することは、とても重要です。
私はかつて、空間認識がとても悪く、部屋の広さやそこにおいてある物の配置がつかめませんでした。現在では、その能力をフルに活用できるので、「部屋の中の何が原因物質なのか」ということを、自分と物との配置から、判断できるようになりました。また、液体が少しこぼれていたり、汚れがほんの少しついている様子も見落とすことなく観察できるようになりました。その結果、原因の特定をしやすくなりました。何よりもよかったのは、物がよく見えるようになって、不安が減ったことです。「見えない」ということは、そのまま不安に直結します。「何か未知の物が私に襲いかかってくる」という不安は解消されました。
5.曝露による思考力の低下が起こらなくなった
以前は、曝露すると一瞬で目の前が真っ暗になり、自分が何をしているのか、どこにいるのかわからなくなってしまっていました。強いめまいとともに、意識が遠のいていきます。反応を起こすと、ひどい混乱状態になるので、対処法を考える余裕がありませんでした。薄れゆく意識の中で、状況を把握し、原因を特定しなければなりません。気力を振り絞って、何とか対策している、といった感じでした。その場を放って、すぐに寝込んでしまうこともありました。
また、それ程ひどい反応ではなくても、ほんの軽い曝露で意識が遠のいたように感じたものです。頭に霞がかかったように、ボンヤリしてうまく考えられない状態になっていました。一日の大半を霧の中で過ごしていました。第1巻の原稿を書いたときは、頭の霧が晴れるのを待って、その時をねらって書いていました。チャンスは1週間に1回くらいしかありませんでした。
現在では、曝露したときの思考力の低下がわずかなものとなっています。思考力を保っていられるので、その場の状況を冷静に観察し、適切に対処できるようになりました。対策を行ったあとで、すぐに記録をとったり、その時の反応について考察できるようにもなっています。また、曝露してもパニックにならないので、少しくらい症状が出ても、そのまま我慢してやり過ごせるようになりました。以前はパニックを起こし、その不安感から、さらに症状をひどく感じる、というのがありました。不安感が広がっていって、何から何まで手当たり次第に排除してしまったり、周囲のものに異常に神経質になったりしていました。
現在は、状況がよく把握できるようになり、「自分がどうなってしまうのかわからない」という不安を解消できました。私は自分自身をとてもよくコントロールできるようになりました。
第1章の文章を書いてから2年たちました。第1章に出てきた原因物質や対策の中で、良くなった点について、書いていきます。
物をレベル別に収納する(→第1章〔3〕−a,b,c)
以前は、厳密に分類していましたが、現在ではずいぶん大まかなものになっています。以前は、ちょっとでも有害なものにさらされると、すぐに症状が出てしまい、それが長引きました。そのため、有害な物を身のまわりに置かないように、物の有害度に合わせて、きめ細やかに分類して収納しなければなりませんでした。
以前は3段階に分類していましたが、今は2段階に減りました。「身のまわりに置ける物」と「それ以外」にわけています。2つにわけるだけでいいので、楽になりました。自分がいつもいる部屋は、安全な空間にするように努めていますが、それ以外の部屋は、同レベルの扱いです。それまでは、有害度別に物を収納していましたが、今は目的や種類別に分類できるので、収納が楽になりました。家の中も片付きました。
それと、「別室」に置いて置かなければならないものに対する過敏性が下がり、身近に置いておけるものが増えました。いちいち離れた部屋に取りに行かなくていいので楽です。
洋服の着回し(→第1章〔3〕−d)
当時は、洋服が化学物質で汚染されるたびに、頻繁に着替えなければなりませんでした。そのまま着替えずにいると、服についた化学物質に反応して、長時間症状が続いてしまいます。思いがけず有害物質に出会ったときには、洗いたての服を、またすぐに洗濯しなければなりませんでした。当時は、服が汚れたから洗濯するのではなく、ほんのわずかな化学物質がついただけで、何度も洗濯していました。
現在は1つの服を1日中着ていられるようになり、洗濯の頻度は減りました。化学物質に左右されるのではなく、CS以前のように、汗や砂ぼこりなどの汚れがついたら、洗濯するようになっています。
現在は、洋服をレベル別に細かく分類することはなく、「家の中」用と「外出」用の2つにわけています。外出用の衣類がひどく汚染されて着られなくなる、ということはめったになくなりました。以前と同じように化学物質はどんどん服に付着していっているはずなのですが、そのにおいが前よりとても弱く感じるようになり、症状も起こらなくなってきました。外出から帰ったら、すぐさま着替えなくともよくなりました。外出用の衣類を着たまま、家の中で過ごすこともあります。
旅行に行くときに、以前ならば、頻繁に着替えるために服を何着も持っていかなければなりませんでしたが、現在は、普通の旅行準備の枚数で済むようになっています。
洗濯(→第1章〔3〕−e)
第1章の文章を書いた頃は、衣類の化学物質汚染度別、汚染の種類で細かく分けて洗っていました。何度も洗わなければならなくて大変でした。現在は、どれも一度に洗濯できるようになっています。干す場所も、衣類の汚染度別に場所を分けて干していましたが、現在は同じ場所に、一緒に干すことができています。以前は、洗濯したけれど、失敗して汚染が取り切れなかったり、かえって有害物質がついてしまったりしていました。この時は洗い直さなければなりませんでした。現在は、このような失敗はなくなっています。過敏性が下がったためだと思います。
洗い上がりがよくなくて、少し化学物質のにおいのする衣類もありますが、それも着続けることができるようになりました。着始めは匂いが気になりますが、そのうち慣れて感じなくなります。一度に洗濯できて、一度に干すことができ、失敗してやり直すことがなくなったので、とても楽です。以前は一日中洗濯に振り回されて暮らしていましたが、現在は負担が軽くなりました。
新しい物を試す(→第1章〔4〕−a)
第1章の文章を書いたときは、新しく試す物によって、いちいちひどい反応が起きていました。文章を読むと、とてつもない危険物を扱っているようなやり方です。しかし、当時はこれだけ気をつけないといけなかったのです。ショック症状のような強い反応が出るので、家族の助けなしには、新しい物を試すことができませんでした。
現在は、自分一人でも試せるようになりました。自分で商品の包装を取り、鼻先に近づけて嗅ぎます。ひどい反応を起こすことは少なく、ごくまれなことになってきています。たいていは、次の反応のうちのどちらかです。
(1)「大丈夫みたい」
(2)「ちょっと無理かも」
以前よりずっとマイルドな反応です。試したい物の匂いをすぐに嗅いで確かめられるのは、とても便利なことです。通販で届いた洋服も、段ボールを開けてビニール袋を開封して、鼻先で嗅ぎます。けっこうにおうのですが、短時間だけなら、症状は出なくなりました。よくにおいを嗅いで、長時間着たときに、どれだけ反応が出るかをよく考えて判断します。
以前は、反応が起きると、その「モノ」の後始末ができず、すぐに寝込んでしまいました。あとは夫に片づけてもらいました。自分では反応がひどくてさわることができなかったからです。汚染物をどのように処理したらよいのかわからず、途方に暮れたこともありました。
今は、自分で片づけられるようになり、有害なものを別の部屋に隔離することもなくなりました。全体的に反応が穏やかになってきています。
外出(→第1章〔4〕−b)
この当時は、どこに行くにも、初めて行く場所は夫に付き添って行ってもらいました。未知の化学物質に出会ってひどい症状が起きると、1人では帰れなくなるからです。一度行ったことのある場所は、1人で行ってみることもあるのですが、夫が付き添っていないときに限って、予想もしないような汚染物に出会うのです。クタクタになって帰宅することが多かったです。だから、1人で外出するときは、とても緊張しました。
2年前に公共交通機関を使うようになってからは、1人で外出する機会が増えました。この頃からだんだん過敏性が下がり、ひどい反応は起こらなくなってきました。新しいところにも1人でチャレンジできるようになりました。(ただし、あらかじめよく下調べをして、反応が起こりそうなところには、近づかないようにしています。) 回を重ねるうちに自信と度胸がついてきて、少しずつ外出を楽しめるようになってきました。
1年ほど前から「街ブラ」もできるようになりました。街に出かけて行って、特に当てもなく、本を立ち読みしたり、雑貨屋の店先を冷やかしてみたり、楽しく歩けるようになりました。バレンタインのときは、「デパ地下」でチョコレートを選ぶことができて、楽しかったです。ほんの2年前には、デパ地下のお総菜に使われている化学物質のにおいで、あれだけぐあい悪くなっていたのに…。今は、そのにおいを感じなくなっています。
買い物は、ほとんど不自由がなくなりました。空気の悪い場所に行ったときには、短時間で用事を済ませて、その場を立ち去ることができます。問題は、1つ所に長い時間留まらなければならないときで、その場所の空気が悪いと反応が進んで、症状を起こしてしまいます。
現在、社会参加として、月1回、ある勉強会に出席しています。喫煙者は部屋の中の一角にある喫煙所でタバコを吸ってくれるので、少しの煙に我慢するだけで済みます。2年ほど通っています。このサークルの忘年会の時は、メンバーは皆、会場の廊下に出てタバコを吸ってくれたので、とても助かりました。
今は外出先でぐあいが悪くなり、予定を変更して帰宅する、ということはなくなりました。また、外出時に、カバンの中に物を入れるとき、以前は有害な物のにおいが移らないように、それぞれビニールで分類して入れていました。そのくらい過敏でした。現在は、普通にカバンを使うことができています。
物の購入(→第1章〔4〕−c)
日用品は冬(農薬の影響の少ない季節)に1年分をまとめて買っていたのですが、現在ではそれを行っていません。必要となったときに、その都度購入しています。セールの時にまとめ買いすることもあります。
ぐあいが悪くなったときの対処法(→第1章〔4〕−d)
この2年で特に楽になったのは呼吸症状です。以前は呼吸症状がひどく、あれだけ苦しい思いをしたのに、今はとても楽になりました。めまい、ふらつきもなくなりました。ひどかった時は、めまいのためにまっすぐ歩くことができず、本を読むにも、行をまっすぐ追うことができませんでした。今では、それは過去の思い出となっています。
現在の症状は、主に頭痛と筋肉痛と目の痛みです。それ以外の症状はおさまっています。
〔3〕現在の状況(「スモール・データ・バンク」の内容について)
「スモール・データ・バンク」に書いたことを中心に、以前よりも特によくなった点を書きます。
印刷物
印刷物への反応は、弱くなっています。通信販売のカタログ(カラー印刷物)が配達されたときも、ビニールの袋を開け、すぐに目を通せるようになりました。我が家は新聞を取っていないのですが、宿泊先のホテルで新聞を読むことがあります。配達したてを開いても、反応は起きません。通販カタログにしても、新聞にしても、症状は出なくなり、匂い自体も感じにくくなってきました。新刊の本・チラシ類なども同様です。請求書・レシート・領収書への反応も弱まり、症状をやり過ごせるようになりました。
園芸
2年前は、培養土や肥料に反応してしまい、作業するのにとても神経を使いました。苗の植えつけは、夫にやってもらっていました。買ってきた苗には、いろんな化学物質が付着していて、自分ではできなかったからです。肥料も、近づくと反応するので、夫に追肥してもらい、においが消えるまで、その後2週間ほどは、プランターに近づかないようにしていました。(遠巻きに眺めていました。)当時は、1つ1つの工程に、いちいち神経を使い、及び腰で植物に接していました。反応を起こしたら、急いで逃げなければなりませんでした。
現在は、土作り・施肥・苗の植えつけなど、自分でできるようになりました。自分でできるのは、とても楽しいです。庭に出て、毎日植物を眺めるのが、何よりの楽しみです。収穫した野菜のおいしさも、ひとしおです。
風
2006年の春になってから、風がさわやかで気持ちいいと思うようになりました。今までは、風が吹くと、必ず化学物質のにおいが運ばれてきて、それは嫌なものでした。私は、多分、物心ついたときから化学物質に過敏だったので、これまで風が気持ちいいと思ったことはありませんでした。それは、私の人生にはない感覚だったのです。山や海など「自然がいっぱい」といわれるところに行っても同じでした。
今は、風の気持ちよさがわかります。春風の暖かさや、初夏の風のさわやかさ、暑いときに汗をさらっていってくれるような涼風の気持ちよさ。そういったものがわかるようになりました。庭にいても、街にいても、毎日、風の気持ちよさを味わうことができるようになりました。
紙類
以前は、メモを取ったり文章を書いたりするときに、使える紙が1種類しかありませんでした。紙袋や包装紙などの紙には、早い段階から反応しなくなっていたのですが、思考力を使うような場面になると、紙に対する反応が出てしまっていました。紙に含まれる少しの化学物質にも反応してしまい、すぐに思考力が落ちてしまいました。いざとなると、何を書こうとしていたのか、うまく思い出すことができません。本を読むときは、それほど思考力が落ちることはなかったので、少しくらい有害な紙でも、反応せずに済みました。「読解力」は早い段階で回復していたのですが、「文章を書く力」は、回復がとても遅かったです。そのため、文章を書くときには、紙をよく吟味しなければなりませんでした。
1年くらい前から、化学物質に曝露されても思考力の低下が起こりにくくなり、それに伴って、使える紙も増えていきました。チラシの裏や、外出先で手に入れた紙にも、文章を書けるようになりました。現在では、使える紙が増えたので、とても便利です。これは、過敏性が下がったのと、思考力が回復したためだと思います。
公共交通機関
2年前は、夏になると、JR線の駅や線路に近づくことができませんでした。車の窓を閉めていても、ひどい刺激を感じ、目の痛み・強い頭痛が起きていました。冬は大丈夫だったので、多分、線路にまかれた除草剤などに反応していたのではないかと思います。
2005年の夏には、線路に近づけるようになり、2006年の夏には、電車に乗ることができるようになりました。1時間半ほど乗りましたが、CS反応は起きませんでした。車窓の景色を長めながら、楽しく旅をしました。
食品 調理
以前は、食材に反応してぐあい悪くなり、しょっちゅう食物を捨てていたのですが、それは過去の話になりました。現在、調理中に症状が出ることはほとんどなくなってきています。料理をつくっている最中にぐあい悪くなったときは、かつては鍋1つ分を全部捨てなければならなかったり、もったいないことがずいぶんありました。
現在は、そのようなことがあると、普段使っていない部屋にポータブルコンロを持っていき、そこで温めなおして、夫に食べてもらっています。以前は、刺激が強すぎて、同じ屋根の下で加熱するなんてことは考えられないことでした。今は反応しなくなりました。
また、刺激の強い食品を調理した鍋などを、洗っても大丈夫になりました。重症だったときは、どう片づけていいかわからず、鍋を外に何日か放置したあと、(文字通り)泣きながら洗ったものです。何度洗っても刺激がとれず、途方にくれたこともありました。
農薬
農薬に対する過敏性は下がってきました。2004年までは、隣家で庭木の消毒をすると、家中の窓を閉めて、すぐに避難しなければなりませんでした。一日中外出して、夜になって帰ってくると、まだ、家のまわりに農薬のにおいが立ちこめていました。その後何日もずっとぐあいが悪かったです。他の家でも、次々と散布するので、一夏ずっと窓を閉めっぱなしで過ごしていました。
その後、1年ごとに反応は弱まってきています。2005年になると、散布した日には、一日中窓を閉め切らなければなりませんが、避難せず家の中で過ごせるようになりました。2006年夏は、散布した後、1時間窓を閉めていれば大丈夫でした。反応するのは、散布後、空気中に薬剤の霧が舞っている間だけのようです。風に吹かれて、その霧が散ってしまうと、成分を感じなくなります。散布後に残留しているものは大丈夫のようです。今では、夏の間、頻繁に窓を開けて外気を取り込みながら暮らしています。
排気ガス
自動車の排気ガスに対する過敏性が下がりました。ときどき、そばでガソリン車がアイドリングしていても、気づかないことがあります。(ディーゼル車には、もっと反応します。)
私の住んでいる札幌市では、毎年、春になって雪が消えると、スピードを出す車が増えます。この時期、特に排気ガスがつらいと感じていました。しかし、2006年春には、この時期の辛さを感じることはありませんでした。
バスがアイドリングしているところでの反応も、以前より軽くなりました。幹線道路ぞいを歩いていても、排気ガスに悩まされることはなくなりました。
2006年5月のことですが、道路ぎわでバスを待っていたとき、目の前に信号待ちの車が10台くらい並びました。どの車もアイドリングしていましたが、排気ガスのにおいがしません。思い切り息を吸ってみましたが、やはり排気ガスのにおいはわかりませんでした。たまたま、風向きなどの条件がよかったからかもしれませんが…。自動車の排気口に近づいて、直接排気をあびない限りは、排気ガスを意識することはなくなりました。
これは私の過敏性が下がったということの他に、自動車の排気ガス自体が、年々きれいになってきているということもあるようです。我が家の車は、10年目になりますが、この車の排気ガスより、新車の排気ガスの方がきれいだと感じます。車体が年々改良されてきているのではないかと思います。ありがたいことです。また、ディーゼル車に関しても、新たな変化がありました。バスが環境保護のため、頻繁にアイドリングストップをするようになったことです。始発や終点で停車しているときに、すぐさまエンジンを切るので、排気ガスがあたりに充満しなくなりました(JR北海道バス)。これは、とてもありがたいです。
防虫剤
2004年12月に、バスの車内で、乗客がいっせいに冬服を着始めたとき、私は、バスに乗れなくなりました
(→スモール・データ・バンク「バス」)。翌年の2005年12月にも、乗客は冬服を着始めましたが、このときは反応を起こすことはありませんでした。乗客の数は50人くらいでした。防虫剤のにおい自体を、以前より感じなくなりました。
目の症状
2年前は、明るいところでも暗いところでも、瞳孔の大きさは同じでした。昼も夜も、同じ大きさです。今は、瞳孔の大きさが変わるようになりました。自律神経の状態がよくなってきたようです。現在でもまだ、暗いところにいるときの瞳の大きさは、普通の人より小さいです(夫と比較してみて)。しかし、暗いところから明るいところに行くと、ぐぐっと瞳孔が収縮して、小さくなるようになりました。暗い場所で、もっと大きく開くようになると、さらに正常な状態に近づくのではないかと思います。
旅行
長距離バスに乗れるようになりました。車内には、他の乗客の身につけている物のにおいが充満していますが、耐えられるようになりました。1泊程度の旅行なら、冬期間のみ出かけられます。(夏は農薬の影響があるので、まだ自信がないです。)
仙台の実家への帰省は、2003年には2泊が限度でしたが、その後少しずつ期間が延びて、5泊まで耐えられるようになりました。旅行先では、普段の生活のように、身のまわりの化学物質の管理が行き届かないので、原因の特定や対策が難しくなります。そのため、何度か症状を起こしてしまいますが、回復が早くなったので、やり過ごせるようになりました。
〔4〕考察
○回復の様子
以上のように、私は回復してきました。回復の過程は、とても緩やかなものでした。2001年に悪化していったときは、坂を転げ落ちるように、急速に反応物質が増えていき、症状も重くなっていきました。どん底まで落ちるのに、わずか1ヶ月くらいしかかかりませんでした。
これとは逆に、回復するときは少しずつ少しずつ、よくなってきました。以前できなかったことが、あるとき突然できるようになっているのに気づきます。「いつのまにか」反応していたものに、反応しなくなっているのに気づくのです。これは、とても嬉しい発見です。この2年間で、小さな「いつの間にか」が少しずつ積み重なって、大きな回復につながっていきました。
○回復の理由
ここまで回復してきた理由を考えてみます。まず、自分の体に合った環境に引越したことが一番大きかったと思います。現在住んでいるところは、前のところより、圧倒的に農薬の使用量が少ないです。また、一番苦手だったシロアリ駆除剤にふれることが一切ない、というのもよかったようです。(私が住んでいる札幌には、シロアリはいません。)また、涼しい気候なので、蚊の発生が少なく、蚊取り線香にさらされることも、ほとんどありません。市内のたいていの場所では、雑草が生えても除草剤は使わず、草刈り機で刈り取っています。このように、私の体質に合った環境に引っ越すことができました。
転居は有効なCS対策ですが、リスクも伴います。引越してみたものの、前の環境よりも悪いところに当たってしまう可能性もあります。いくら事前によく検討しても、避けきれないリスクがあります。それを考えると、私の場合は、幸運にも恵まれていたと思います。
引越の他に効果的だったのは、反応する物質を徹底的に避けたことでした。また、自分でよく記録を取り、対策を考えられたのがよかったです。「徹底的に避ける」という対策については、夫をはじめ、周囲の人の協力に負うところが大きかったです。
○これからの課題
今までのところ、このサイトに書いたように、原因物質を特定し、それを避けることで回復してきました。体調の回復とともに、行動範囲が広がり、使えるものも増えてきました。しかし、それは、有害物質を避けていればこそです。これまでは、「いかに避けるか」ということを研究し、実践してきた期間でした。避けるための方法は、とても完成度の高いものになりました。それが、私の現在の健康を支えています。うまく避けることができず、ひどい症状を起こしていた頃を思うと、ここまで来られて、本当によかったです。
これからは、「避けずとも、健康を維持できるようになる」ということが課題になると思います。現在の状態では、化学物質を避けることができず、長時間さらされると、症状が出てしまいます。そのため、社会参加をしようとした場合、大きな壁に突き当たります。
化学物質に曝されても反応しない体になることが、私の目標です。
この先もどんどん回復することを願って…この章のしめくくりとします。
(2006年9月)