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農薬

 

 [仙台での生活]
 私は札幌に引っ越す前(〜2002年)は、仙台の実家に住んでいました。そこは、住宅と田畑が混在している地域でした。家の裏には畑がありました(広さは約2000u・600坪)。その畑で、ときどき農薬散布をするのですが、私はその度に体調を悪くしていました。裏の畑で農薬を散布しはじめたことに気づいたら、すぐに家中の窓を閉めるようにし、散布が終わるまでは窓を開けないようにしていました。在宅中はこのように対応できるのですが、外出中に散布されると対応できません。それで、外出するときは、自分の部屋の窓だけは閉めて出かけるようにしていました。家中の窓を閉めた方が安心なのですが、夏の暑い日に、他の家族が家にいるのに、家中の窓を閉めていくわけにはいきませんでした。

 裏の畑で農薬を散布されると、その後、何日間も農薬の濃度が下がりません。独特のにおいを感じるのですが、それが2,3日たっても1週間たってもにおいます。そして、においが薄くなっても私のCS症状は続き、1ヶ月くらいは影響を受け続けます。夏に1ヶ月間ずっと窓を閉め続けるというのは暑くて無理なので、窓を開けると、残留している農薬の気体を吸い込むことになってしまいます。夏の間は頻繁に薬剤散布が行われるので、一夏ずっとぐあい悪い状態が続きました。あまりにもぐあい悪いときは、原因を確かめるために、裏の畑に入っていって症状がどう変わるのかを確認してみました。畑は薬剤の独特のにおいがしており、近づくと症状が重くなるのがわかりました。本当は、わざわざ発生源に近づくのは危険なのですが、確かめずにいられなかったのです。裏の畑の農薬問題はどうしようもなくて、濃度が高いときにはあきらめるしかありませんでした。どこか安全な場所に引っ越したいと思いましたが、なかなか住める家が見つかりませんでした。(→スモール・データ・バンク「家さがし」参照)

[農薬による症状]
 当時の農薬による症状は、次のようなものでした。手足がだるくなりしびれたようになり、全身の力が抜けます。体がだるくて身の置き場がないような感じになります。寝ていても寝返りばかりうっていて、苦しくて寝られませんでした。のどが腫れた感じになって、息苦しくて、息ができません。船に揺られるようなユラユラとしためまいが現れ、それに伴って車酔いのような症状が出ました。胃がムカムカして吐き気がします。頭に水がたまって腫れたような頭痛がしました…全身症状のオンパレードでした。

[症状の季節差]
 1999年2月に、自分がCSであることに気づいた後、私は身の回りのCS対策をして、だんだん体調がよくなっていきました。はじめの頃は様々な原因物質に囲まれて暮らしていたので、常にぐあい悪かったのですが、対策を進めていくうちに、体調がよいときと悪いときの境目がはっきりしてくるようになりました。第1章〔1〕−c「有害物質をかぎわける際の注意点」にも書きましたが、雑音いっぱいの部屋から雑音が取り除かれ、小さな音が聞き分けられるようになった感じです。「音」ではなく「におい」についてそのような現象が起きてきました。

 1年くらい対策を続けていった結果、化学物質をかなり細かく嗅ぎわけられるようになりました。2000年になると、症状の季節差がはっきりとわかるようになりました。冬になると体調がよくなるのですが、夏の間はすごく体調が悪いのです。思い返してみると、それまで何年も同様のことが起きていたようでした。毎年5月頃から体調が悪くなり、10月まで続きます。11月になって、木々の落葉が始まると、体は楽になってきます。それが毎年毎年繰り返されていました。過去何年分かの手帳を読み返してみると、冬の間はきちんと予定が書き込まれているのですが、5月〜10月のページは空欄だらけです。これまで意識せずにやってきたのですが、毎年手帳がそうなっているのを確認して、それまでも夏に体調が悪くなっていたことがわかりました。

[農薬のにおい]
 農薬は独特のにおいがあります。物によってにおいが違いますが、よく嗅ぐものは何種類かあって、そのにおいを覚えてしまいました。草もちのにおいのようなもの。シナモンのようなにおいのもの。「キンチョール」のようなにおいのもの。工事現場のペンキのようなにおいのもの。よく嗅ぐもので特徴のあるものは、このようなにおいです。田畑の近くを通ると、このにおいと共に、上述の全身症状が一気に出てきます。無臭なのに症状が出ることもあります。症状と状況(田畑の近くいるなど)から、農薬が原因だと推測しています。無臭なものでも、そこに有害なガスがあってそれが体に侵入し、症状が起きているのが感じられます。これは嗅覚を伴わない感覚です。(この感覚はきっと、一般の人にはわかりにくいでしょう。) 私はこれまでCSの説明をするのに、何度も「におい」という言葉を使ってきましたが、実際はにおいを伴わない反応も多いのです。しかし、他に表現のしようがないので、あえて「におい」という表現を使っているところが何カ所かあります。また、一般の人にCSのことを説明するのに「無臭の有害物質が体に侵入して…」とやると、相手は理解できないので、そのときはよく「におい」という言葉を使って説明します。私の場合は、嗅覚を介在しない症状は意外と多く、全体の半数以上を占めています。何にでも鼻先を近づけてくんくんにおいを嗅ぎますが、においを感じるというより、刺激そのものを感じることの方が多いです。活性炭のマスクを使うと、周辺環境のにおいはかなり薄くなりますが、刺激の方はマスクを通して体に入ってきてしまうので、私にはあまり効果が感じられませんでした。

[避難生活]
 2000年5月に、家の裏で畑を作っている人が、畑から続いている私道に除草剤を撒きました。その私道は、私の部屋の真下に当たります。ここに除草剤を散布されたので、私は急激にぐあいが悪くなりました。ある朝、目覚めてみると、どうしようもなくぐあい悪かったのですが、原因がわかりませんでした。そのぐあい悪さが続き、2,3日過ごしているうちに、私道の草が一面に枯れ始めました。それで、体調不良の原因は除草剤であることに気づきました。確認のために私道に行ってみると、症状が強くなりました。とにかく息苦しさとだるさのためにとても起きていられません。寝ていても苦しくて体が休まりませんでした。このまま家にいてもぐあい悪くなるだけなので、動けない体にむち打って、何とか出かけました。家を離れると症状は軽くなっていきます。外出してから2〜3時間たつと楽になってきました。その日から、昼間は避難し、夜は仕方がないので家に帰ってきて寝る、という生活を1ヶ月くらい繰り返しました。1ヶ月たって、私道に草が生え始めた頃、私はようやく家で過ごせるようになりました。

 ホッとしたのもつかの間、私道に2回目の除草剤散布が行われました。家にいられるようになってほんの数日しかたっていなかったので、ショックでした。また避難生活が始まりました。2回目の散布量は少なかったので、今度は2週間くらいで症状が治まりました。畑の人は、前年までは草刈り機で雑草を刈り取っていたのですが、家族に病人が出てからは、農作業に手が回らなくなり薬剤を散布したようです。(母が近所の人に話を聞いてきました。)

[お願いに行く]
 このままでは通常の生活がままならないので、畑の持ち主の家を訪ねて、お願いすることにしました。私は除草剤の影響でぐあいが悪くなっていて心許ないので、夫に一緒に行ってもらいました。菓子折を持って訪ねていきました。

 畑の持ち主に、次のように事情をお話しして、お願いしました。

○私道に撒いている除草剤が原因で私は体調を崩していること
○私道の雑草は、これから私が草取りをするので、除草剤を撒かないで欲しい、ということ
○畑は生活上必要なことなので、従来通り薬剤散布してかまわない、ということ

その人はとてもよく聞き入れてくれました。私と夫はホッとして家に帰ってきました。私は、畑の作物にまいている農薬にもひどい症状を起こしていたので、本当の気持ちは、ここの散布もやめてもらいたかったのです。しかし、この畑は、趣味でやっているわけではなく、仕事でやっているので、そこまで望むのは難しいと感じていました。畑よりも、私の部屋に近い私道の除草剤散布をやめてもらうことが先決でした。相手の気分を害することなく、話を聞いてもらうためには、上記のような条件でお願いするのがいいのではないか、と思ったのです。あらかじめ、夫とよく話し合って、方針を決めていきました。

 2000年の夏はひたすら私道の草むしりをしました。畑から農薬の気体が流れてくるので、フラフラになりながらやりました。苦しかったけど続けることができました。雑草を取ることで、自分の手で自分の身を守っているのだという実感があったからこそ、続けられたのだと思います。私が黙々と草取りをしていると、母がよく手伝ってくれました。本当にありがたかったです(涙)。翌年からは、裏の畑の人が、私道の草を、草刈り機で刈ってくれることになりました。助かりました。そもそも私道に除草剤を撒いたのは、「雑草が生い茂っていると私の家に迷惑がかかるから」というのが本来の理由だったようです。母が畑の人と何度か話をするうちに、そういうことがわかってきました。

[症状が悪化]
 2001年5月からCSが急激に悪化し、水道水に対して強い目の痛みを感じるようになりました。それと同時に、田畑の近くに行くと、強い目の痛みが出るようになってきました。2001年の夏は外気の刺激が強くて、とても部屋の窓を開けることができなくなってしまいました。私はCSのためにエアコンを使うことができなかったので、閉め切った部屋で過ごす夏は暑くて、とても苦しかったです。水道水が使えなくなってからは、汗をかいてもシャワーを浴びたり洗濯したりするのが困難になったので、とても困りました。これではとても暮らせないと思い、引越を決意しました。夏の間はあまりのぐあい悪さに、とても先のことを考えている余裕はありませんでした。2001年も冬になったら、農薬の刺激が少なくなって、少し体調が回復したので、その間に真剣に調べたり考えたりしました。そして、2002年5月に私は札幌に引っ越しました。この引越は成功で、農薬に関していえば、格段に楽になりました。住居選びは、周囲に農地がないことを第一条件に選びました。

[札幌での生活]
 札幌は涼しいので、仙台に比べて雑草の育ち方がとても遅いです。夏が短いので、雑草は年に数回、草刈り機で刈ればすんでしまうようでした。河川敷の雑草を、草刈り機で刈っている人の姿を、目にすることがあります。砂利を敷いてある駐車場も、仙台と比べると、少ししか草が生えないので、除草剤を撒く必要がないようです。また、札幌の人は仙台に比べておおらかな感じで、雑草が生えていてもあまり気にしないようです。道路の脇や空き地に草が生い茂っているのを見ると、私は安心します。仙台ではアスファルトで舗装されていない場所はどこでも、徹底的に人の手が加えられていました。しょっちゅう除草剤を撒いているところを目にしました。雑草が生えると蚊が発生するというのも、除草剤散布に拍車をかけていたようです。札幌に越してきてからは、私はほとんど蚊に刺されなくなりました。市街地にいる限り、蚊を見ることはありません。蚊取り線香を焚く家もないので助かります。蚊以外の虫も、仙台と比べると格段に少ないです。サイズも小さく弱々しいです。そのため、殺虫剤の使用量も少なくなっているようです。

[回復]
 2002年の夏は、私の過敏性はまだ高いままでした。7月の初めに近所で一斉に庭木の消毒が始まりました。家の窓を閉めていても、私はとてもぐあいが悪くなってしまいます。撒布の現場を目撃したときは、すぐに家中の窓を閉め、車で外出するようにしていました。一日中、出かけていて、夜帰ってくるのですが、家の周りの空気は強い刺激臭を帯びていました。

 その刺激が何日も続きます。近所のあちこちで次々と撒布するので、回復するいとまがありませんでした。

 2003年になると、劇的な変化が起きました。例年通り、7月に消毒が始まりました。前年のように急いで窓を閉めて、外出しました。この年はたった半日家を離れていただけで、帰宅したときには刺激臭は消えていました。前年に比べれば格段の回復です。半日家を空けるだけでいいので、気持ちも体もとても楽になりました。

 症状はさらに年々回復してきて、現在(2005年)では、もっと反応が軽くなってきています。2005年7月に隣家で庭木の消毒をしたときには、外出せずに、半日窓を閉めているだけですみました。私は窓越しに、撒布の様子をじっくり眺めることができました。撒布4時間後、近所のポストに手紙を出しに行ったのですが、消毒した庭の横を通っても、特に反応は起こしませんでした。その日は念のため、窓を閉めたままでいましたが、翌日からは普通に窓を開けて換気できるようになりました。その2日後には、庭でジンギスカンを食べていて何ともなかったので、よくぞここまで回復したものだと感心します。

 この先もっと回復していけば、農薬に対する反応はさらに軽くなっていくのではないかと期待しています。

(2005.6.20)

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