*延喜式巻第九 下総國十一座 印播郡一座 小 麻賀多神社。
印旛郡内で唯一の式内社で1100年もの昔から、その存在が確認できる神社である。
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NO, | 現名称 | 鎮座地 | 御祭神 | 備考 |
1 | 麻賀多神社 | 成田市台方1 | 稚産霊命 | 本社 |
2 | 麻賀多神社 | 成田市船形834 | 稚日霊命 | 奥宮 |
3 | 麻賀多神社 | 成田市中台4-26 | 稚産霊命 | 米野から遷座、旧米野121 |
4 | 麻賀多神社 | 酒々井町酒々井204 | 稚産霊命 | |
5 | 麻賀多神社 | 酒々井町下台159 | 稚産霊命 | |
6 | 駒形(小麻賀多)神社 | 酒々井町上岩橋1795 | 稚産霊命 | |
7 | 駒形(小麻賀多)神社 | 富里町久能553 | 稚産霊命 | 名鑑では駒形神 |
8 | 駒形(小麻賀多)神社 | 富里町大和603 | 稚産霊命 | |
9 | 麻賀多神社 | 富里町新橋818 | 稚産霊命 | |
10 | 麻賀多神社 | 富里町中沢503 | 稚産霊命 | |
11 | 麻賀多神社 | 佐倉市鏑木町933 | 稚産霊命 | |
12 | 麻賀多神社 | 佐倉市大蛇町385 | 稚産霊命 | |
13 | 麻賀多神社 | 佐倉市城777-1 | 稚産霊命 | |
14 | 麻賀多神社 | 佐倉市高崎49 | 稚産霊命 | |
15 | 麻賀多神社 | 佐倉市太田1505 | 稚産霊命 | |
16 | 麻賀多神社 | 佐倉市大篠塚1106 | 稚産霊命 | |
17 | 麻賀多神社 | 佐倉市江原新田1 | 稚産霊命 | |
18 | 麻賀多神社 | 佐倉市飯田1400 | 稚産霊命 | |
19 | 麻賀多神社 | 佐倉市飯野768 | 稚産霊命 | |
20 | 麻賀多神社 | 佐倉市岩名250 | 稚産霊命 | |
21 | 麻賀多神社 | 佐倉市大佐倉1500付近 | 稚産霊命 | |
22 | 駒形(小麻賀多)神社 | 佐倉市内田字花輪1 | 稚産霊命 | |
23 | 駒形(小麻賀多)神社 | 八千代市勝田572 | 稚産霊命 | |
24 | 駒形(小麻賀多)神社 | 八千代市上高野283 | 稚産霊命 | |
25 | 駒形(小麻賀多)神社 | 阿蘇村保品 | 稚産霊命 | 現社は未確認 |
26 | 麻賀多神社 | 八千代市神野763付近 | 稚産霊命 | |
27 | 麻賀多神社 | 佐倉市高岡266付近 | 未確認 | 名鑑・印旛郡誌に記載なし |
日本書紀では稚産霊神、古事記では和久産巣日神と記す。伊邪那美尊が火の神、迦具土神を生むときに体を焼かれ病床に着いてより尿より成れる神で彌都波能売神(ミヅハノメノカミ:水の神)の次に生まれ、この神の子が豊宇気比売神(トヨウケヒメカミ:食物神・伊勢外宮に祀られる神)と古事記にはある。
日本書紀では軻遇突智(=迦具土神)土神の埴山姫を娶り生まれたのが稚産霊神とし、この神の頭の上に蚕と桑が生り、お臍から五穀が生ったとする。
稚産霊神に付いて岩波文庫「日本書紀(一)」の補注の中で、「ワクは若の意。ムスヒは生産力のある霊力。火と土から稚産霊神が生まれ、そこから五穀が生まれたとするのは焼畑などの農業起源を説いたものか。蚕と桑と五穀は結局、農業の起源を言う。」と解説する。
麻賀多神社にあっては当初、農業と養蚕を司る神として地域の開発と振興を、後には「育成する」との意に転じて人生や事業一般の神としての役割を担うようになったと思われる。
日本書紀に登場する女神。天高原の斎服殿で機織りをしていた稚日女尊は、それを見たスサノヲ尊が馬の皮を剥いで投げ込んだ乱暴狼藉が発端で死去してしまう。それからかなり時代が下り、神功皇后摂政元年2月の項に皇后が難波を目指すも海を廻って進まずにいるので占いを行うと稚日女尊が現れ活田長峡国に祀れとあったので、海上五十狭茅に祀らせたとある。
そのまま素直に考えれば、稚産霊神が農業生産の神であり神紋である麻に対応した機織り等の産業を司る神とも思えるが、千葉県神社名鑑の縁起の中で天照稚日女社との記述が気にかかる。稚日霊尊を御祭神とする生田神社(神戸市)では稚日霊命を天照大神の御幼名としている神社もある。また日本歴史地名大系12には成田市船方村の項で稚日霊命を天照大神の妹神と記しているが、これは和歌山県の玉津島神社の由緒に準じているからか。ちなみに玉津島神社は和歌の神様として有名である。また秀真伝(ホツマツタエ)にも妹神との記載がある。