北神戸 丹生山田の郷
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摩耶山天上寺 (*5) (*14) (*16) (*19)六甲山系(灘区)地名の由来関連リンク関連リンク

天上寺釈迦(紀元前6世紀)が生母摩耶夫人(まやぶにん)に感謝を捧げるために作った十一面観音像を、大化2年(646年)に伝説のインドの高僧法道仙人(解説、写真下)が日本に持ってきて、摩耶山に寺を開き安置した。その後、弘法大師空海(解説)が唐へ留学中に摩耶夫人像を手に入れ、帰国後、この寺におさめ山上にあった寺を中腹(まやロープウェイ西側)に移した。これが摩耶山とう利天上寺(とうりてんじょうじ)の縁起とされている。寺の名は摩耶夫人の昇天の地であるとう利天(インドの山)にちなむ。(とう利の「とう」の字はりっしんべんに刀)

厄除け安産祈願の寺として栄えていたが、昭和51年1月に全焼した。その後、法道仙人開創の地とされる「元摩耶」に再建され昭和60年に金堂の落慶を行なった。沙羅、こぶし、つつじ、紫陽花、山法師、紅葉、山茶花などの花や紅葉が見られる花の寺でもあり、年間5万人の参拝客が訪れている。

全焼した摩耶山中腹の天上寺は眺望も利いたことから鎌倉時代には播磨の豪族赤松遠心が摩耶山城として鎌倉幕府を迎え撃った場所でもあり、現在は史跡公園となっている。

なお、「神戸歴史物語(小部・鈴蘭台)」(*19)では、太平記(解説)の記述?を元に法道仙人が天上寺建設の宿坊を小部の萬福寺においたのが小部村の発生の起源としている。

法道仙人軍艦摩耶鐘楼

法道仙人像(左)

軍艦摩耶の碑(中)

天上寺参道脇には、国会議員が建てた太平洋戦争時の軍艦摩耶(レイテにて潜水艦の攻撃を受け沈没。戦死者470名)の碑がある。

鐘楼(右)

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