北神戸 丹生山田の郷
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与左衛門新田(よざえもんしんでん、約0.6Ku、地図名前の由来

兵庫カンツリー倶楽部 丹生山系従走路の花折山を東に下りていくと兵庫カンツリー倶楽部(関連リンク)なるゴルフ上にぶつかる。このゴルフのエリア全域がほぼ山田町与左衛門新田である。(もっとも兵庫カンツリー倶楽部の住所はなぜか隣接する山田町原野になっている)

与左衛門新田は、幕末に上谷上、下谷上、原野の3ヶ村入会地に3ヶ村の4人が出資して開墾したが、村方の同意を得ていなかったため、明治維新に訴訟が起こり、仲裁した横屋村(東灘区役所付近?)の松田與左衛門(=地名の由来)預かりとなった後、上谷上、下谷上、原野3ヶ村の共有地となっていた(松田與左衛門が開拓したとの説(*26)もある)が、猪や鹿の害が著しく、明治6年ごろからはまた荒廃してしまった。(*20)

当時、少しでも田んぼを殖やそうと山田町の農民が鍬を振るい木の株や草を掘返し必死に開墾した山の中のわずかな土地は、1世紀半後の今、週末になると下界からやってきたおっちゃんたちがクラブを振るい芝を掘る優雅な遊び場となっている。

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