知る遊ぶその他


@猿橋
 日本三奇橋の1つ。国名勝。
 推古天皇の時代に訪れた朝鮮半島の百済の学者が、猿の群が梢を次々に渡るのにヒントを得て架けたと伝わる。
 橋脚を使わずに両岸から四層にせり出したはね木を設け、それを支点に木のけたをかけ渡す構造。
  現在の橋は1984年の架け替え。高さ31b、幅3.3b。 三奇矯には他に木曽の桟橋(かけはし)、岩国の錦帯橋(きんたいはし)がある。

A市郷土資料館(猿橋)
 1991年建設。鉄筋二階建て、延べ床面積714平方メートル。2階常設展示室は「古代人のくらし」「甲州街道の宿場町」「生活を支えた道具」など9コーナーからなり、ジオラマ、ビデオなどを使ってわか りやすく展示されている。                            

入館料 大人100円
入館時間午前9時から午後4時30分




B御岳神社の刀・銘元近(七保・葛野)
 全長97.5a、刃長76a、反り3a。身幅ははばき元で3.2a、横手で2.2aです。
 茎(なかこ)の表裏に銘があり、
 表=『於駒橋駒橋元近打之天文十七年六月吉日』   (天文17=1547年)
 裏=『甲州都留郡葛野郷御嶽権現為御剣』 と刻まれています。
 

C福地八幡神社の刀・銘元近(富浜・鳥沢)
 全長99a、刃長78a、反り3.4a。身幅ははばき元で3.5a、横手で2.4aです。
 茎(なかこ)の表裏に銘があり、
 表=『元近作之天文十七年九月吉日』   (天文17=1547年)
 裏=『甲州都留郡小西郷大木大明神為御剣於駒橋』 と刻まれています。

B・Cの両刀とも元近の作で、刀身の「反り」に沿って稜線(鎬しのぎ)を表出する「鎬作り」という作りです。また、刀と反対側の背にあたる部分を棟むねあるいは峰みねといいますが、断面頂部が尖った「庵棟(行の棟)」という形態をしています。
刀の表裏については、身につけたときに体の外側になる方を表と言います。したがって、刃部を上に向けて腰にさす刀は刃を左に向けた側が表と言います。
この両刀については『甲斐国志』に記述があり、駒橋の刀鍛冶元近が36本の刀を造り、郡内の神社に奉納したとされています。長い年月の間に多くの神社では盗難や供出によって奉納刀を失いましたが、大切に保管されてきたこの2刀は、昭和61年9月17日に県の指定文化財になりました。

D寛城ゆるぎのカエデ(七保・林)
 奈良子川と葛野川の合流点のすぐ南、雁ヶ腹摺山から南東にのびる尾根の最先端に、寛城という地区があり、東向きの緩やかな傾斜の高台の浅間神社をまつった祠の側に大きなカエデの木が立っています。
 このカエデはカエデ科カエデ属のイロハカエデで、本州、四国、九州など温暖な地域に生育する落葉高木で、多少湿気のあるところを好みます。
 葉が掌状単葉で、カエルの手に似ていることから『蛙手』と言われ、七つに裂けた葉を数えるときに「イロハニホヘト」と数えたことから「イロハ」カエデと言います。
 通常「モミジ」と言うとこのイロハカエデを指すことが多く、秋に赤く紅葉し、私たちの目を楽しませてくれるカエデの代表種です。
 寛城のカエデは緩斜面にあるため、上地と下地では0.6mの差があります。根本の周囲3.3m、目通り幹囲2.9mで幹は右巻きにねじれてのびています。
 市指定文化財、天然記念物(昭和49年8月8日指定)。

E大倉山諏訪神社本殿(猿橋・朝日)
 一般的に社殿を持つ神社は、5〜6世紀と言われています。以前は自然の石や木に神霊を招いて祭祀を行っていたのですが、神の象徴として鏡や玉・剣などを御神体とみなすようになるとそれらを収納するための建物が必要となり社が建てられるようになりました。
 寺社建築の大きさを表すとき、桁行○間、梁間○間と言う用語が使われます。桁行きは屋根の稜線(棟)に沿った方向(平)、梁間は屋根の側面(妻)の長さを意味します。また、「○間」と言うときの間は長さの1間(約1.81メートル)ではなく、柱と柱の間の数を表しています。したがって、1つの面に柱が4本ある場合には3間と言うことになります。
 また、神社建築は屋根の形で分類されます。
 朝日小沢の諏訪神社は桁行、梁間とも1間で、流造ながれづくりという様式で造られています。流造というのは、切妻で、照屋根(屋根面が下方に反った曲面になる屋根)、平側に入り口があり、入り口側の庇が長くのびて向拝(社殿の正面の、長くのびた庇)となる構造です。向拝の上には曲線的に盛り上がる形の「唐破風」が付けられています。社殿の4面の壁には彫刻が施されています。
 朝日小沢はもともと朝日村(現都留市朝日)に属し、神社は小沢村の諏訪原という場所に建てられていました。寛文九(1669)年の検地以後、朝日村から分かれ、朝日小沢村として独立するとともに現在の場所へ遷座したようです。その後、寛政年間(1789〜1800)に村民の総力を挙げての修復事業を経て現在に至っています。
 市指定文化財(昭和55年8月8日指定)。

F宝鏡寺薬師堂(七保・林)
 七保町林の沢戸と言う地区にあるお堂で、地元では「沢戸のお薬師さん」と呼ばれています。
 雲澤山宝鏡寺という寺の境内の一部で、現在では山門と薬師堂のみが残されています。
 堂内には薬師如来像や十二神将像、馬頭観音像などの他、二枚の棟札が保存されています。古い方の一枚は、漆塗りの長方形の板に、朱で薬師如来の霊験について書かれており、裏には承応二(1653)年の年号があります。もう一枚は将棋の駒形の板で、享和三(1803)年に立て替えた時のものです。その文中には大同年中(806〜809年)に創建し、承応二年に再建したことが記されています。
 創建についての「大同年中」は決まり文句のようなもので、一概に信用はできませんが、承応二年に建て替えが行われたことは確かでしょう。再建された承応二年から享和三年までが150年間ですから、少なくとも西暦1500年代初め頃には建物があったことが推測されます。
 平面が三間(1辺に4本の柱)×三間の正方形で、周囲に縁が廻ります。内部には丸い4本の柱(四天柱)があり、その内側に須弥壇があるのですが、天井が周囲より高い阿弥陀堂的な内部が形成されています。
 屋根は入母屋造りで、明治三九年に亜鉛鉄板葺に改修されたものです。
 市指定文化財。昭和44年8月8日指定。

G宝鏡寺十二神将立像12躯(七保・林)
 この像は、鎌倉時代の作と推定され、小像ながらもよくまとまり、作品的にも優れていて貴重な像です。
 市指定文化財。平成10年11月10日指定。

H宝鏡寺木造馬頭観音立像(七保・林)
 この像は、南北朝の特徴を表すものとして県下に違例がなく、また、木造の馬頭観音像としても県下に数少なく貴重な像です。
 市指定文化財。平成10年11月10日指定。

I絹本着色釈迦三尊十六善神像1幅(七保・下和田)
 この画像は、南北朝の作品と推定され、仏画として美術的価値が高い画像です。
 市指定文化財。平成10年11月10日指定。

J木造薬師如来立像(七保・林)
 「如来」とは悟りを開いた者のことで、薬師如来は菩薩の時、十二の大願を立て、それを成就して如来となりました。十二の大願の内、特徴的なのが医薬の得られない人々を傷病から救うことであり、その他にも災難を免れる、衣服のない者に衣服を施す、飢饉の時に食べ物を与えるなどの現世利益的な願を成就したことから、古くから盛んに信仰されてきた仏像です。平安時代以降は、通常、右手を施無畏印(指先を上に、掌を正面に向ける)、左手に薬壺やっこを持つように造られます。
 また、三尊形式に造像する場合には日光・月光菩薩を脇侍に従え、さらに従者として十二神将を率いることもあります。宝鏡寺の薬師如来像はヒノキの一本造りで、像高116a(蓮華台20.5aで総高136.5a)無彩色で、素朴で優美な像です。
 残念ながら光背を失っており、現在の厨子は、後に光背のない大きさに合わせて造られたものです。また、右手の掌が正面ではなく内側を向いていることから、後年補修されたと考えられています。
 頭髪は通常見られる螺髪ではなく、全体が渦巻状に表されており、甲府市善光寺のものと似ています。
 造像の時期については明確ではありませんが、作風からみて中世末期頃と考えられています。



@松姫鉱泉(七保・瀬戸)
 収容人数100人
 泉質は硫化水素硫酸珪酸ナトリウムで、日によって色が透明だったり黄色だったりする。
 やけど、切り傷の他、婦人病にも効能があり「美人の湯」「子宝の湯」と呼ばれる。
 п@0554−24−7977 

A湯立人鉱泉(七保・下和田)
 「ゆたんど」と読む。
 炭酸水素イオン、カルシウムイオンを含み、冷え性や神経痛などに効能がある。
 収容人数30人
 п@0554−22−0622
 

B丸正桂川キャンプ場(梁川・網野上)
 桂川河畔にあるキャンプ場。サイトは芝生。
 フリーテントサイト35張、常設テント5張、バンガロー45棟、コテージ1棟、トレーラーハウス1棟。
 入場料800円、駐車料500円、バンガロー1人1980〜2500円
 開設期間3月1日〜11月4日
 п@0554−26−2961

C月尾根自然の森(梁川・立野)
 コナラ・クヌギの林の中にあるオートキャンプ場。
 サイト50区画、土
 1区画500円、入場料大人500円・子供300円、駐車料500円、シャワー5分100円
 テニスコート、広場、子供用遊具がありファミリーキャンパー向け。

Dやながわ藤屋敷
 梁川町の富田さん宅。藤屋敷と呼ばれるほど沢山の藤の花が見られます。
 4月下旬が見頃。

D猿橋近隣公園
 市郷土資料館横にある公園。
 遊歩道が猿橋まで続いている。左右の断崖がよく見ることができる。

E七保町民宿
民宿名 収容人数 п@0554
富士見荘 20人 22−5306
上和田荘 20人 24−7858

F梁川町民宿
民宿名 収容人数 п@0554
やまみち 40人 26−2011

G猿橋町民宿
民宿名 収容人数 п@0554
梅野屋 30人 23−1351

H富浜町民宿
民宿名 収容人数 п@0554
桂川荘 35人 26−3000


@葛野川発電所葛野川ダム(七保・瀬戸)
 塩山市の上日川ダムと構成する揚水式ダムで、2001年の全面稼働を目指して東京電力が建設を進めている。
 上日川ダムから葛野川ダムに水を落とし、中間地点で発電し、再び葛野川から上日川へ水を汲み上げる。
 葛野川ダムの右岸下流にも土室川発電所があり、下流への水を有効活用する。総貯水量は東京ドーム9杯分の1120万d。
 高低差714b、最大出力160万`hは国内最大。

A深城ダム(七保・瀬戸)
 大月市と上野原町の上水道用として県が建設を計画しているダム。
 計画では堤高85.5b、総貯水量644万d。
 両市町の5万5千人に日量1万8千dを供給する。
 建設により、深城地区27世帯がダムの底に沈むことになる。
 2001年度の完成を目指す。

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