副読本 その24 「灯り」
「
ミロ・・・・・・・もう落ち着いたか・・・・・・・・?」
「・・・・ああ・・・・・・落ち着いたさ、それなりにな。 しかし、とうてい納得はできんぞ!」
ミロは唇を噛んだ。 こともあろうに、あの昭王に結婚話が持ち上がりかけているのである、どうしてこれが納得できようか。
「
ミロ・・・・」
カミュがやさしくミロを抱き寄せる。 もう暗くなっているのにミロは長椅子から動こうともしない。
「
私とて決して嬉しくはない・・・・しかしどうしようもないことだ。」
「
そうだな・・・・・よくわかっている・・・」
もう何度この話を繰り返したことだろう。
昭王とカミュの衣裳の美しさを喜んでいたミロは、昭王の結婚を匂わせる記述を読んだとたん、大きな衝撃を受けたのである。
「 冗談じゃないっ! まさか次回は婚儀のシーンで、お前がそこに立ち会う、なんていうんじゃないだろうなっ!」
血相を変えたミロをなだめるのに、どれだけカミュが心を砕いたことか。
ミロの怒りは原稿を校正したときからわかりきっていたことで、それも腕の傷どころの話でないことは明白だった。
それこそカミュは腕によりをかけて、ミロの慰撫に努めなければならなかったのである。
「それは俺にもわかってはいるさ、一国の王がいつまでも独身でいたら後継問題が出てくるのは当然だ。
昭王は一人っ子のようだし、今のところ先王の兄弟の子供なんてのも出てきていないからな。
でも、誰かいるんじゃないのか? つまり、他の王位継承権をもった人間が。
そいつに王位を継がせるわけにはいかないのか?」
あきらめきれないミロがカミュをなおも見る。
「 むろん誰かいるのかもしれないが、それは昭王に嗣子ができなかったときの話で、最初から結婚しないで通すわけにはいくまい。」
「 でも、なぜ、今なんだ? これだけ盛大に賀宴を開き、お前にも素晴らしい装いをさせ、内宴ではみんなで楽しくやって。
なんと、昭王は琴まで演奏してみせたんだぜ! すごく機嫌がよかったんだよ。」
ミロは心底くやしがる。
「それが、アルデバランが余計なことを言ったばっかりに、あの歌が出ただろう?
今までに昭王が駆け落ちのことを少しでも考えたことがあったかどうかは疑問だが、あの深酒をめったにしない昭王が、ほとんど酔いつぶれそうになるまでやけ酒をあおる羽目になったんだ。
さらに、そのたった二日あとで結婚話が出てくるというのは、あまりにもかわいそうだとは思わんか? あ、すまん、あの歌を歌ったのはお前だったな・・・・」
またそんなことを言う・・・・あれは私ではないのに・・・・・・
「 昭王は、その・・・・昔の私が燕に来る前から、結婚の話が出ていることは知っていたはずだし、若くして践祚したときから、周囲が後継者のことを考えて動き始めるのは当然のことだと思う。
どうやら先王は急死したらしいが、その喪に一年ほど服している間も、宰相が中心となり后候補の選定に余念がなかったはずだ。
その最中に秦から例の話があり、強国のことゆえ無碍にもできず検討を続けていたと思われる。」
「
気にいらんな!」
「 ミロ・・・・・何度も言うが、一国の王というものは後継者を・・・・」
「
そのことじゃない」
ミロはカミュの言葉をさえぎった。
「 気に入らないのは秦のことだ。確か、そんな名前だったな、あの国は。 強国なのをかさにきて、無理矢理、え〜っと薔薇公主を押し付けようっていうんだろうが。
俺は面白くないね、そんな縁談は断って正解だ。」
力を込めて言ったあと、カミュの肩をおおう艶やかな髪に優しく口付ける。
「 結婚のほうは・・・・・・・・もう成り行きにまかせるさ、悔しいが燕をつぶすわけにはいかんからな。
それに・・・・2300年前の話なんだろう? 今ここでとやかく言っても間に合わん・・・・」
ミロは溜息をつくと、手を伸ばしてテーブルの上のキャンドルに火をつけた。
燕の時代にはまだ蝋燭はなさそうで、灯心の灯りだったように思われるが、ともかく、その暗さの感覚を知りたくなったミロが用意したのである。
現代の照明よりも遥かにささやかな、しかし、柔らかい炎の色がミロとカミュを闇の中に浮かび上がらせる。
全てを隈なく照らし出す人工的な照明よりも、このほのかな明るさが好ましい。
「 カミュ・・・・夜は暗くてはいけないか? なぜ人は、神から与えられた休息の時間さえも昼と同じに変えようとする?
夜は夜らしく・・・闇は闇らしく・・・・そのほうが人は優しくなれると思うが。」
「
私も・・・・」
カミュの声がいつのまにか低い囁きに変わっているのにミロは密かな満足を覚える。
やはり蝋燭の明かりにはひそめた声がふさわしい。
「
私もこの炎の色が好きだ。心が落ち着くし、それに・・・・・お前をとても身近に感じられる」
「 カミュ・・・・・昭王が正面切ってお前に思いのたけを打ち明けるのは、まだ先の話だろう。
もしかしたら、口付け一つだけで終わる可能性だってある・・・・・・・・でも・・・・・」
「
あ・・・・・」
抱き寄せられて軽く耳朶を含まれたカミュが、ふいに与えられた甘い刺激にこらえきれずに身をそらす。
「
昭王が待っているぶんだけ、その埋め合わせに、今ここでお前を愛しても・・・・いい?」
カミュの返事が聞こえぬかわりに、濡れた瞳が炎の色を映し出す。
蝋燭の炎が揺れ、やがて、床まで流れた艶やかな髪が、ミロの言葉に応えていった。
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