副読本 その28  「 秋の色 」


午前中の乗馬を終えて馬を厩舎に戻した二人が昼食の場所に選んだのは、見晴らしのよい丘の上である。
気温が高く雨がほとんど降らないアテネとは違い、平均気温が10度以上低いこの土地の夏は爽やかだ。
じきに紅葉も始まるというが、目の前に広がる一面の緑が美しく、それだけでも二人の聖闘士の目を楽しませる。
背の高いポプラを背にして、宿の主人の心づくしのランチボックスを広げたミロがさっそく手を伸ばした。
「日本食もいいが、このカツサンドというのが俺は好きだね!ボリュームがあっていいじゃないか。
 俺たちは若いんだから、 『 KAISEKI 』 ばかりじゃ身が持たないぜ。」
「それにしては、十分過ぎるほど身が持っているように思うが、違うのか?」
「なんといっても日頃の鍛え方が違うからな、今夜もまかせろよ♪」
二口目を頬張りながらくすくす笑うミロに、頬を赤らめたカミュがレモンティーを渡す。

「しかし、ここまで長い道のりだったな! 我ながらよく頑張ったと思うぜ!お前もそう思わんか? 黙ってないでなにか言えよ。」
「もちろん私もそう思っている。論理的に言って、これで紅綾殿に忍び込む必要がなくなったということだ。」
「お前ね………」
ミロが呆れたように首を振った。
「確かに俺はそう言ったが、それはそれとして 、『 二人が会えて嬉しい 』 って言ってみたらどう?」
「わかっている、嬉しくないはずがなかろう。連載開始から十ヶ月経っているのだからな、待ちかねた、というのが本心だ。」
さすがのカミュも、つい笑みがこぼれるのも当然といえよう。
昭王に思いを告げられぬままにカミュが天勝宮を離れたときには密かに落胆したものだが、読み進めていけばこれはどうだ!
貴鬼が昭王を連れて来ようとは、さすがにカミュの予想の範囲を超える解決方法だったのだ。
しかし、考えてみれば2300年前の中国なら仙人も仙術も存在しそうなものだし、燕の貴鬼がテレポートを会得していてもさほど不思議にも思えないではないか。

「そうだろう、そうだろう♪」
ミロがうんうんと頷き、二つ目のカツサンドを手に取った。
「なにしろ、俺とお前の話なんだからな、こうでなくては困る。
 最近は結婚話が妙に取り上げられたりして景気が悪かったからな、これで起死回生ってもんだ!
 待てよ?秦王って………サガだったよな?」
「そうだが、それがどうかしたか?」
「どうかしたか、じゃないぜ! 確か、燕を滅ぼすのは秦じゃなかったのか?気に入らんな!!」
「覚えていたのか。古いことなので忘れているかと思ったが。」
意外そうな顔のカミュにミロがずいと顔を寄せた。
「俺の記憶力をあなどってもらいたくないね。古いっていっても、たかだか10ヶ月前だぜ?
 最近のことならもっと詳しく覚えてる。なんなら、お前が昨夜なにを言ったか、ここで暗唱して見せようか。」
「よ、よせっっ……!!!!」
「冗談だよ、俺だってTPOはわきまえてる。ところで、薔薇公主(そうびこうしゅ)って………」
「アフロディーテだろうな。」
「やっぱりそう思うか?」
「うむ、この命名は、そうとしか思われぬ。」
一つ目のカツサンドを食べ終えたカミュをミロがちらっと見た。
紙ナプキンでそっと口元を押さえる動作が優美で、白い指も桜色の爪もカミュの美しさを語ってあまりある。

    『 近隣諸国に鳴り響く美貌の持ち主 』 とあるが、お前の方が数万倍きれいだぜ♪
    俺も昭王も、そのお前を我が物にできるとはなんと幸せなことだろう!
    昭王が秦との縁談を断ったのはいい判断だ、
    どうせ結婚しなきゃならんのなら趙の方がまだいいんじゃないか?
    天勝宮にまで薔薇園を作ってほしくはないからな、牡丹があれば十分だ ♪

「なあ、カミュ………今夜だけど…」
ミロの声が低くなった。
「二人で祝わないか……?」
「……え?」
「前夜祭を、さ ♪」
カミュがふっと笑顔を見せた。
「シャンパンなら今朝、出がけに注文しておいた。 お前の好きなドン・ペリニヨンの白だ。」
「うん、それもいいけど、俺が言いたいのはそのあとの話 ♪」
はっとうつむいたカミュの頬がみるみるうちにバラ色に染まってゆき、見つめるミロを満足させる。
「ドンペリで祝ったあとは、お前のロゼを味わわせてもらおうか……きっと世界一の味だろう。」
「ミロ……………」

カミュがほんのわずか、ミロに身体を寄せたようだ。
爽やかな風吹き渡る丘の上、一足早く色づく秋があった。


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