副読本 その36  「 雪玉 」


「この時代の宴会って、どのくらい贅沢だったんだろうな?」
「さて? 電気がないので、照明は灯心の灯りだけだとすると、現代の私達から見れば暗くて困るのだろうが、当時の人間には当たり前のことだ。料理も王侯貴族のためのものとはいえ、かなり限定されていただろう。」
「2300年前か………タイムマシンがあれば、ぜひ行ってみたいんだがな。シャカの能力にもそういうのはないんだろうな。」
ミロが白い溜め息をつく。 1月の北海道は思ったよりも寒さが厳しい土地なのだ。
「あの宴会で、ずいぶん落ち込んでたみたいだな。」
「昭王のことか?」
「ああ、そうだ。 あのあと槐の木の下で逢えた、って知ってるから俺たちは安心していられるが、なるほど昭王にしてみれば、あの時点では悩むしかないからな。」
「今の時代でも、王と一民間人とではそう簡単には会えるものではない。 ましてや、燕の時代の王は十重二十重 ( とえはたえ )
 に守られているといっても過言ではあるまい。 それに聖闘士の私も、シベリアからの帰途に燕を通り抜けてしまえば、二度とふ
 たたびやってくることはないだろうからな。」

カミュが白樺林の中で大気に凍気を放つのをやめても雪は降り続き、牧場からの帰り道、あたりの景色の美しさに途中で車を降りた二人は三十分ほどかけて雪道を歩いている。
見慣れた野山がうっすらと雪化粧をして、葉を落とした木々の枝に積もり始めた白い雪がミロを喜ばせた。。
「聖域ではとても見られんな!ほんとに来て良かったよ♪」
「うむ、シベリヤでもこのような穏やかな雪景色は見られぬ。 山も木も実に美しい。」
フード付きのコートを着ていたので、運転手が勧めてくれた傘を断って散策と洒落込んでいるとやがて夕闇が迫ってきた。
「ああ、いいもんだな、雪明りっていうのは! ちっとも暗くないぜ、ほら、雪の結晶もよく見える。」
手のひらに雪を受けたミロが感心したように声を上げた。
「……なあ、カミュ……昭王が雪の結晶を見たのは、お前が貴鬼に雪を見せてやったときの一回きりか?」
「そういうことだろうな。」
「ふうん……俺はもっと見せてやりたかったね。 お前が作ったあの白い玉、あれでは無理なのか? 燕に雪が降ったときには、察知
 して自動的に雪の結晶ができるくらいに大気を冷やすとか。」
思わぬことを言われたカミュが首をかしげる。
「……いや、私がその場にいなくては不可能だ。 小宇宙を具現化した物体にそのような残留思念を付与することはできぬ。」
「やっぱり、だめか……」
ミロが真っ白な雪を一蹴りする。 降ったばかりのパウダースノーがぱっと散り、それもまた美しいのだ。
「俺さ……けっこう昭王が好きだぜ、昭王が俺の前身だってことを割り引いてもだよ。 いい王様じゃないか、人間味があって。 お前
 はどう思う?」
「え? 私か?」
カミュが立ち止まった。
「さあ………? それは………」
「いいんだよ、俺のことは気にしなくて。 別に愛だ恋だっていうわけじゃない。 人間性のことをいってるんだし。」
カミュのフードにも肩にも白く積もった雪を払い落としてやり、ついでに自分のコートの雪もざっと払い落としたミロが微笑んだ。
「俺と昭王がお前の前に並び立つことはない。 燕のお前の目には昭王が、ここにいるお前の目には俺が映っている。  どうだ?
  昭王は、お前が愛するにふさわしい人間か?」
ミロがまっすぐにカミュの目をのぞきこんだ。 このどこまでも蒼く、澄み切った瞳を昭王もみつめていたのだろう。
「その通りだ、私が燕にいれば昭王を愛したに違いない。」
はっきりとしたその言葉がミロを微笑ませた。
振り返れば二人の足跡だけが続いている。
「あれと同じだ。 歩んできた道はもう戻れず、足跡も消せない。 やり直すことはできん。 でも……」
ミロが前に続く道に目をやった。
「今までの道は、俺も昭王も正しかった。 最良の選択だ。 そして、これからの道もお前と歩いてゆく。」
「私も同じだ。 先にもあとにもならず、一緒に歩いてゆこう。」
「ああ、そうしよう、 でも………」
「でも、なんだ?」

カミュは、つい訊いてしまったのだ、なにごともはっきりさせたい性格は時として災いをもたらすのだが。
「ふふふっ♪ 夜に関しては、俺がお前をリードするってこと♪」
「ばかものっ!!」
「わっ、よせっっ!!!」
思いっきり大きい雪玉をぶつけられたミロの悲鳴が雪原に響いた。 雪を払いながらミロがにやりと笑う。
「不服なら、お前が俺をリードしてくれてもいいんだぜ♪」
その瞬間、さらに大きい雪玉が顔面にヒットしたのだった。


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