副読本 その4  「ミロ、気が遠くなる」


「おい、カミュ!これはなんだ?ほんとに三だが?」
「なんのことを言っている?」
「台詞だよ、台詞!おまけに、お前の台詞がないっ!貴鬼までしゃべっているのに、いったいどうなっているんだ!」
ミロは叫んだ。
「わからんやつだな、私はこの場面にいないのだから、台詞があるわけがなかろう。」
俺は、お前の、台詞が、聞きたいんだよっ!
「妙に台詞にこだわるのだな。もっと小説の中身のことを論評したほうがよいのだが。 誤字脱字については、依頼を受けて毎回私が校正しているが、読後感は複数で論じた方がよい結果が出るものだ。」
「え…? 校正って、お前、事前に原稿を読んでるのか?」
「当然だ。 アップしてから校正というのは論理的ではない。」
「いや、そういうことじゃなくてだなあ………。」

ミロはおおいに不満だった。
今のところ、この小説は、昭王、つまり自分が主人公のようにみえる。 なるほど、台詞こそ圧倒的に少ないが、読みようによっては、地の文のかなりの部分が昭王の心の中を説明しているようではないか。 いくら最愛のカミュとはいえ、主人公である自分より先に読むというのは納得がいかないというものである。
肩を寄せ合い、できるものならついでに頬も寄せ合って同時に読むと言うのがあらまほしき姿というやつだろう.。 手を握り合っていればさらにゆかしい。

    はて?柄にもなくつい古語まで使ってしまったというのは、少しは影響されているってことなのか?

考え込んで頬を膨らませているミロに、カミュがあっさりと言った。
「それならお前も一緒に校正をやるか?」
「う……。」
ミロはグッと詰まった。
校正というものは経験したことがないし、人がやっているところを見たわけでもない。 それでも、机に向かって本に埋もれながら、原稿用紙をめくり、細かい字を書き込んでいくらしいことは想像がつくが、そもそも自分は外で体を動かしているほうが好きなのだ。
ましてや、聞いたこともない中国の地名や語句で溢れかえっている文章である。 几帳面なカミュが校正するとなれば、宝瓶宮の書斎の机に分厚い辞書を何冊も置き、老師あたりから借りてきた中国の資料と照らし合わせながら黙々と朱筆を入れるのに違いない。 その横でなにもできずに黙って座っている自分の姿が見えるようで、ミロは泣きたくなってきた。
暗い表情のミロにカミュが優しく言った。
「私だけが先に読むのが嫌なら、老師かサガに校正を依頼してもよいのだが? 二人とも興味があるようだったから、頼めば引き受けてくれぬものでもなかろう。」
ミロはきっと顔を上げた。
確かにカミュは優しい。 優しいのは嬉しいが、ちょっと違う!
「話したのかっ、二人にこの小説のことをっ!」
「うむ。 第一回目の原稿を持って老師に中国の資料をお借りしに行ったところ、ちょうどその場にサガもいて、質問を受けた。」
「ま、まさか、原稿を見せたのか、お前……老師はともかく、サ、サガにまで!」
ミロの背を冷汗が流れてくる。
「いや、そんなことをするわけがなかろう。 お前にも見せていないのに、他の者に先に読ませるなどありえないことだ。」
きっぱりと言うカミュに、ミロは心の底からほっとした。

   やっぱりカミュは俺達のことを考えてくれている!
   今のところは燕の王と賓客の関係でしかないが、
   今後の展開としては恋愛関係に持ち込まれることが十二分に予想されるのだ。
   いや、そうでなくてはならない!
   なにがなんでも、俺はやってみせる!

ここ宝瓶宮も建築物としての造作は重々しいが、なんといっても現代のことだし、室内装飾などはカミュの好みを反映して、洗練され落ち着いたイメージで統一されている。
しかし、天勝宮は古代中国の王宮で、昭王はそこに君臨している立場なのだ。 想像するのはいささか難しいが、昭王の居室の家具調度も重厚華麗な逸品で、本人も豪華な絹織物しか身に付けていないのではないか? 一国の王とは、古今東西そういうものだろう。
処女宮に行くとなにやら東洋趣味のエキゾチックな香りがするが、あれより更に高貴な香りが漂っていることも予想される。 日が落ちれば、電気などあるわけがないのだから、蝋燭か灯心か何かで室内はぼんやりと浮かび上がる程度だろうし、そういった時代には蝋燭や油は貴重品だろうから、いかに王といえども特別の行事がない限りは暗くなったら寝所にこもるに違いあるまい。 真っ暗なのだからまわりの人間もなんの仕事もできなくて、いきおい寝てしまうことになる。

   そういった状況でカミュと俺……ではないな
   カミュと昭王が会ったとしたらどんな心理状態になるかはいうまでもない

ミロは一人ほくそえみ、それから表情をひきしめた。
その際、どんな情景が繰り広げられるかわからないのに、他のやつらに読まれるなどとはとんでもないことなのだ。 もちろんミロとしては、思い入れたっぷりの情感溢れるシーンを心密かに期待しているのである。
どうやらカミュは想像もしていないらしいが、それが小説の醍醐味というものだろう。 色模様のない小説なんて、山葵のない刺身、効果音のないアニメと同じではないか。

   酸いも甘いも噛み分けた年配の老師だけならいざしらず、
   サガにまで読まれるなどとは想像を絶する事態なのだからな、それだけは避けねばならん!

一人頷くミロにカミュが言った。
「そこで、二人にはサイトのURLを教えておいた。」
ミロは気が遠くなった。


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