招涼伝 第五回


そうこうするうちに、太后からお許しがあり、急ぎ斉綾殿(せいりょうでん)へと向かった昭王は、事の次第を熱を込めて逐一語った。
当初は半信半疑であった太后も、昭王とともに玲霄殿(れいしょうでん)に足を運び、カミュの残していった氷を見ると息を呑んだ。
暑いはずの室内も涼気が漂い、およそ夏とは思えぬ様を呈している。
太后は氷に指を押し当てて、暫くの間、何事か考えているようであったが、やがて口を開いた。
「世の常の氷ならば少しは融けるものですのに、その気配すらありませぬ。これは、人の身の為せる技ではありますまい。神仙の域をも遥かに越えているように思われます。カミュ殿の申された十二人の黄金聖闘士とは、もしや十二神将のことではありますまいか。もともとの言葉が違うゆえ、異なる存在と思っていただけかもしれませぬ。」
その言葉は昭王には大きな衝撃であり、耳を疑わずにはおられぬ。
十二神将といえば、薬師如来に付き従い、薬師経を行ずる者を守護する十二神のことで、その本来の姿は仏である。
たとえば、波夷羅(はいら)大将は文殊菩薩、宮毘羅(くびら)大将は弥勒菩薩が姿を変えて衆生を救済するためにこの世に現われるのだ。
しかし、あのカミュが十二神将などである筈はない、まさかそんなことは有り得ぬ、カミュは我等と同じ、人に違いないのだ。
そう思うそばから、心臓が早鐘を打つようで、息苦しささえ覚えるのはどうしたことか。
総身が震え、己が手で抑えても止まらぬのは何故か。
目の前で銀鈴に手を伸ばす太后の動きが、妙にゆっくりとしたものに感じられてならぬ。

当初から十二宮の黄金聖闘士についてカミュの口から聞いており、その存在をごく自然に受け入れていた昭王にとっては、貴鬼の云っていた、カミュと神仙とを結び付けることさえ思いもつかぬことであったのに、今、太后の口にした十二神将のことに至っては、まさに晴天の霹靂としかいいようがない。
カミュの話では、黄金聖闘士は十二人おり、そのそれぞれが黄道十二星座を守護にいただくというが、そういえば、それは、十二方位を守護する十二神将とあまりにも符節が合いすぎてはいないだろうか。
想像することができぬ程に遠く隔てられた互いの国で、何故に、かほど似通ったことがあるのか不思議でならぬが、しかし、それでもなお、カミュは人であるに違いない。
そう思いつつも、どうしても一抹の不安を拭い去ることができぬのは何故か、というより、カミュが人ではないかもしれぬことに、斯くも動揺するとはどうしたことであろうか。

ここに至って昭王は、自分が、カミュが人であってほしいと願っていることに気付かぬわけにはいかなかったものだ。
まこと神仏であるならば、その力は広大無辺であり、河を凍らせて燕を救うなどいと易き事かもしれず、また、竜王の怒りを鎮め、その心を安んじて雨を収めさせることもできるのやもしれぬ。
燕のためを思えば、それが最も望ましいことであるにもかかわらず、あくまでカミュが人であることに固執するとは如何なるわけか。

凝然として立ち尽くし、惑乱する心を抑えかねているところへ、宰相等が次々と広間に入ってき、昭王の考えも中断を余儀なくされた。
皆は水盤の氷を一目見て歎声を上げ、太后の話に耳を傾けた。
「かるがゆえに、天帝が燕をこたびの災難からお救いにならんとして、お遣わしになられたに相違ないゆえ、天意に違(たが)うようなことがあってはならぬし、また、カミュ殿に、十二神将と気付いたと気取られるようなことがあってはなりませぬ。神仏は、その本身を見顕(みあらわ)されると天界へ還御なされるやもしれぬゆえ、努々(ゆめゆめ)、口には出さず、この場にいる者よりほかにも口外せぬように。」
太后の話を謹んで拝承した宰相等が、さらに昭王の深く頷き同意するを見て、恭しく退出してゆくと、昭王はひそかに溜め息をつかずにはおられぬ。
カミュの立場を守ろうと、神仙やもしれぬと言ったことが、まさかこんなことになろうとは思いもかけぬことであり、こめかみがずきずきと痛む思いがする。
まさかに十二神将だとは思わぬが、では、カミュが人であるといえるどんな証拠を自分は持っているというのか。

内心の動揺を辛うじて抑えつつ太后を斉綾殿(せいりょうでん)まで送り、拝辞しようとすると、太后は昭王をその場に留め、人払いをしたうえで、
「これでカミュ殿を守れると思いまするが、いかが思し召されます。」
と、莞爾(かんじ)として笑うではないか。
車軸を流さんばかりに降る雨が、辺りを白く見せている。
あまりの雨音の大きさに、太后の話を聞くべくやや身をかがめていた昭王は、思いがけないその言葉に、聞き間違いかと思ったほどであった。
そのようなことまで話した覚えはなく、虚を衝かれた思いの昭王は思わずたじろぎ即答することを得ず、ややあって、
「は、御意に。」
と答えるのがやっとであった。まさに、慧眼(けいがん)恐るべしであり、どこまでお見通しなのか、冷汗が流れることではある。


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