招涼伝 第六回
常の住まいである紅綾殿に戻って一人になると、昭王は浅沓(あさぐつ)を脱ぎ、御帳台(みちょうだい)に身を投げ出した。
絶えることなく燻(くゆ)らせてある採蘇羅(さそら)の香が、考え疲れた頭に沁み込んでくる。
はたして、カミュが十二神将のうちの一人で有り得るものだろうか。
突然、突きつけられた難問が頭の中を駆け巡っていた。
それにしても今さらこのようなことを考えねばならぬとは、なんとしたことか。
昭王は、今までカミュのことをよく知っていると思い込んでいた自分を自嘲しないわけにはいかぬ。
ともかく、今までにカミュが垣間見せた神技ともいうべき力だけでも驚嘆に値するというのに、今度は殆ど燕の全域にも亘(わた)って河水を凍らせようとしているのである。
それも、できるかもしれぬ、というような言い方ではなく、さも当たり前のように泰然自若(たいぜんじじゃく)とした様子であり、ただ、燕の地勢に詳しくないので、最も効率の良い行動を取る為にアルデバランとアイオリアの助けが要る、という風情であった。
これはもはや、人の身に付与され得る力を遥かに凌ぐものであり、限りなく神の位に近いといってもいいのではあるまいか。
その人智を越えた力を、隠すでもなく、また、誇示するでもなく如何にも自然に使いこなすところなど、やはり徒人(ただびと)とは思えぬものがある。
とはいうものの、天勝宮でのカミュは、我等と同じ物を口にし、少々は酒も嗜み、声こそ立てぬが、しばしば笑っていたのも事実だ。
この手で確かめたわけではないが、間違いなく、その吐息は暖かく、脈打つ赤い血の通った生身の肉体を持っているに相違ないのだ。
といって、汗をかいたのを見たことはなく、他の者が等しく発汗している暑さの厳しい日でも、その肌身はいつも涼しげであったのはどういうわけか。
そこまで考えて昭王は人知れず赤くなり、さらに、その自分に当惑しないわけにはゆかぬ。
赤くなる理由など何もありはしないのだった。
大体が、燕では王侯貴顕(おうこうきけん)の身体には何人(なんびと)も手を触れることはなく、昭王の衣裳替えや沐浴の際にもそれは厳然として守られている。
それのみか、典薬寮(てんやくりょう)の侍医が拝診する折りにも、懸糸診脈(けんししんみゃく)といって、手首に五色の色糸を結び付け、その先を医師が持って脈を診るほどである。
さすがに、そんなやり方でわかる筈はないと思えてならぬのだが、手首に直接触れるのは従前より禁忌とされているのでは、これもいたしかたない。
幸い、昭王は壮健な身体を持って生まれ、今まで医師薬師(くすし)の世話になったこともなければ、薬湯(やくとう)一つ飲んだことはないのだが。
それに昭王の身体に手を触れぬだけではなく、昭王が手を伸ばした範囲よりも間近に近寄る者もありはしないのである。
人と人との距離は、親しければ親しいほど近くなっていくものだが、こと王族に関しては、その聖性ゆえにおのずから一定の距離が保たれることにもなっていたのである。
万事がその調子の天勝宮では、昭王の賓客であるカミュに対しても、その距離をもって遇することになったのは当然であった。
そういうわけで、昭王の知る限り、カミュに触れたことがあるのは貴鬼だけの筈だが、まさか貴鬼に、カミュの身体は温かかったか、などと訊けるものではない、とそのときのことを思い出した昭王は密かに胸の疼くのに気付くのだった。
ついに、昭王は沈思黙考し、自らの心に問うてみた。
あの時、カミュに触れるというよりも抱かれている貴鬼を見ていた自分の胸の内には、まさかとは思うが嫉妬や羨望がありはしなかったろうか、今までカミュに対する自分の感情を認識することを恐れて、無意識のうちにそれを押さえ込んでいたのではなかったろうか。
雨の音に混じって遠雷が聞こえ、風も出てきたのか、あちらこちらで端近(はしぢか)の扉や蔀戸(しとみど)を閉める音が聞こえてくる。
この部屋もさすがに暗くなり、高い格天井(ごうてんじょう)に描かれている極彩色の百花図譜も見極めづらくなってきたようだ。
いつも一番最後まで見えている白芙蓉(しろふよう)の花がかろうじて見いだせるだけというのは、この時刻にしては早すぎる。
明りを捧げて入ってきた貴鬼が、邪魔にならぬようにと思ったのであろう、音も立てずに青銅の香炉に香木(こうぼく)を足し、数ヶ所の灯心に火をつけてまわるとそっと出て行った。
その小さい背中を見送りながら昭王は幾度も反芻(はんすう)する。
あれが嫉妬だったというのか、それも僅か八歳の子供に、である。
しかも相手は、西域から来てまだ一月にもならぬ外つ国人 ( とつくにびと )
のカミュであった。
暗い天井を見詰め、燕の滅亡を食い止めんがためにこの豪雨をついて果敢に出て行くカミュの姿を思ったとき、不意に胸の内に狂おしいほどの想いが押し寄せ、昭王をたじろがせた。
身体の底からこみ上げてくる、この熱い感情はいったい何なのだ。
身じろぎもせず目を閉じてその波に心を委ねていると、それは次第に一つの形となり、昭王にもついにはっきりと意識された。
そうか、そうであったのか。
いつの間にか短くなった灯心が僅かに音を立てている。
それにしても、カミュが神なのか人なのかを考えてみる筈が、思いもよらぬ結論が出たものだ、よほど自分は論理的思考とやらには向いていないらしい、と昭王は苦笑した。
さて、そうと分かったからには、カミュには必ず人でいてもらわねばならぬ。
神を恋うるわけにはいかないからであった。
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