招涼伝 第七回
紅綾殿を出れば、天勝宮の東側に位置する馬寮(めりょう)へは、さほどの距離でもない。
回廊伝いに濡れずに行けるとはいえ、激しい雨足は細かな水煙となって三人の身に纏わりついてくる。
その僅かの間に、アルデバランは副将軍シャイナを呼び様々な指示を与え、アイオリアも侍僕に鎧を持って来させると、手早く身に付けていた。
その途中で別れて翠宝殿に入ったカミュは、燕に来て初めて黄金聖衣を纏ったのである。まさかここ天勝宮で聖衣を身に付けることがあろうとは思ってもいなかったカミュであった。
そのころには既に空は暗く、湿気を含んだ暑い空気の中を翠宝殿から走り出た幾条もの金色の光の筋が、回廊の先を急ぎ進んでいたアイオリアとアルデバランを何事ならんと立ち止まらせた。
思わず振り向いたとき、目の前に現われたカミュを見た二人の驚きはいかばかりであったろう。この世に黄金の鎧があろうとは今の今まで夢想だにしなかった二人は心底から驚嘆し、思わず顔を見合わせた。
その黄金の鎧が天勝宮にもともとあったものでないことはわかりきっている。
先ほどの氷といい、この鎧といい、それは初めて目にする異国の奇瑞であった。
喉元まで出かかった質問を、しかし、二人は飲み込んだ。 今はそれに時間を費やしている場合ではないのである。一刻も早く出発せねばならないのだ。
雨足は一層強くなっている。 三人は無言で足を速めた。
天勝宮の馬寮には五十頭からの馬がおり、常時五人の馬役人が詰めている。
軍直轄の兵部省の馬寮とは異なり、ここには昭王の乗用の愛馬だけでなく、その馬好きを伝え聞いた諸国諸卿から献納された馬も多く飼われていた。
その中には、先王の遺愛の馬もまだ十頭ほど残っている。
月に一度の馬市には、昭王自ら訪れて、はるばる亜剌比亜(アラビア)から連れてこられた駿馬を高値で購(あがな)うこともあるほどで、それだけに、いずれの馬も毛艶よく、手入れが行き届いているのは昭王の好みを反映しているのであろう。
アルデバランは、カミュが雨の日の騎乗は未経験と知ると、太い眉を上げて少し考えていたが、すぐに厩舎の中でも最も雨に強い馬を引き出させ、手早く鞍を置くとカミュにざっと手ほどきをし、
「あとは馬に任せろ、ということもある。お手並み拝見いたそう。」
と、目配せをする。
「心得た。」
馬の首筋を軽く叩きながらこともなげに頷くカミュに最初は心配げであったアイオリアも、僅か半月でカミュが馬巧者になったことを思い出し、やや不安を払拭(ふっしょく)したようである。
各々が馬に跨るや、アルデバランは表情を引き締め、
「では、参る!」
と声をかけ、一鞭くれると馬は厩舎から放たれた矢のように走り出す。
「カミュ殿、遅れまいぞ!」
「承知!」
続く二騎も雨中に駆け出すと、カミュの手綱捌きを確かめつつ、それでもかなりの速さで一気に城門を駆け抜けていき、その報はシャイナの命により寸暇をおかず紅綾殿の昭王のもとにも届けられた。
それを聞き、昭王は事の成就と三人の無事をあらためて祈らずにはいられなかったのだが、驚いたのはそのあとであった。
その兵の見たところでは、篠つく雨の中を出て行った三騎全体が金色の靄(もや)のようなものに包まれていたように思われ、とりわけカミュは目にも眩い黄金の鎧を身に着けていたというのである。
驚倒した昭王が何度問い質しても答えは同じであり、ついにはシャイナを呼び寄せ再度尋ねると、それに加えて、豪雨にもかかわらず人も馬も全く濡れていないように見えたというではないか。
しばし絶句したあと、手を振ってシャイナを下がらせてから、今聞いたことを気を落ち着けて考えてみる。
かの十二神将も、手に武具を持ち鎧を着けた闘将姿が通例なのだが、カミュの金色の鎧とは、いったいどうしたことか。
天勝宮のどこを探しても金色の鎧などあろうはずもなく、とすれば自分の持ち領に相違あるまいが、まことに十二神将の一人であるならば、金色の鎧を身につけていても何の不思議もあるまいと思われた。
このときの昭王は、カミュが携えてきていた聖衣櫃を見てはおらず、また、たとえ見ていたとしても、中に入っているものについて尋ねたりはしていなかったに違いない。
そもそも、人の持ち物を詮索するような生まれ育ちではないのである。
それに、金は柔らかい上に重い金属で、通常は装飾にしか使わぬし、実用品といっても器や小箱止まりであろうものを、それが鎧とは実用品の最たるものではないのか。
なおかつ、多量に産する銀とは違って金は稀少であり、たとえ天勝宮の全ての金を集めてもとても鎧を作るだけの量は無いに違いなく、その点からいっても、驚嘆することである。
更に、雨に濡れていなかった点に至っては、誰が見ても人の為せる技ではない。こうなると、どうしても十二神将説に傾いていかざるを得ず、おおいに宸襟を悩まされることではあった。
それにつけても、この目でカミュのその姿を見られなかったのが無念の一語に尽き、なにゆえ馬寮まで共に行かなかったかと思うと切歯扼腕(せっしやくわん)の思いではある。
こうして、カミュに人であってほしい昭王は、ついに、輾転反側 (てんてんはんそく)
する眠れぬ夜を迎える結果となったのであった。
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