副読本 その8 「ミロ、動揺する」&「ミロ、人事不省になる」
ミロが双魚宮にやってきたのは、アフロディーテがモーニングティーを飲もうとしている時だった。
「 これは朝早くから珍しい。一緒に飲まないか?」
ミロの返事も聞かずにアフロディーテは慣れた手つきで紅茶を入れると、奥からマフィンを持ってきた。
ミロは椅子に掛けることもなく、あれこれと薔薇園を見て歩いている。
「 どの薔薇にする?」
「 えっ?」
驚いて振り向くミロに、アフロディーテはテラスから笑って言った。
「 ここに来て薔薇ばかり見ていれば、宝瓶宮に持っていくに決まっている。そうだろう?」
……そ、そうかな、うん…わかるかもしれないな、やっぱり……
ミロはちょっと顔を赤くして頷き、テラスに戻った。
「 誕生日でもなければ、快気祝いでもない。つまりは、ちょっとしたいさかいの手打ちといったところか。」
「 ん……、まあそんなところかな。」
アフロディーテには今まで何度も世話になっている、今さら隠してもしかたがない、とミロは考えた。
「 あの左奥に咲いているピンクの薔薇をもらってもいいかな?」
アフロディーテは満面に笑みを浮かべた。
「 目のつけどころがいいな。あれは強健種で花持ちもいい。もちろん、毒もない。
よし、二十本ほど切ってやろう。ちなみに名前はブライダルピンクだ。」
「 え………!」
よりによってなんという名前なんだ!恥ずかしすぎないか?
「 あ、あっちの黄色いのはなんていうんだ?」
「 ハネムーンだ。しかし、黄色は仲直りには向かんな。よしたほうがいい。」
色や花言葉よりも、名前が問題だった。
「 ……ピンクのをもらおう。」
さらに赤くなったミロは紅茶をグイッと飲み干した。
「 やあ、アフロ、遅れてすまん!」
息をはずませて階段を二段跳びで登ってきたのは、デスマスクである。
「 ああ、おはよう、デス!ご覧の通りだ、余裕で間に合うぞ。」
「 そのようだな。じゃあ、いつものを頼む。ブランデーは多めにな。」
そう言ってデスマスクがアフロディーテの額を指でつつくと、双魚宮の主は明るい笑い声を立てた。
そのアフロディーテの髪を一房指にからめたデスマスクは、
「 今日のマフィンはなんだ?ほう、ラムレーズンは俺の好みだぜ。嬉しいね。」
そう云って、ミロを唖然とさせた。
ま、まるで新妻とその夫のようではないか!
それから振り向いたデスマスクはミロの背中をドンと叩いて、ミロはあやうくマフィンを喉に詰まらせかけるところだった。
「 よう、ミロ、元気そうで安心したぞ。よく眠れているか?」
なんだ?いったい何を言ってるんだ?
だいたいこの二人、いやに親しそうだが、いつのまにこんな仲になったんだ?俺は知らんぞ!
奥からアフロが紅茶とマフィンを持ってきながらくすくすと笑う。
「 デス、あんまりミロをからかうなよ。まだまだ大変なんだから。」
そう云ってテーブルにデスマスクの紅茶とマフィンをセットすると、
「 じゃあ、ちょっと薔薇を切ってくるから。」
そう言ってアフロは身軽く薔薇園に降りていく。
いったい、なんだっていうんだ〜?
ミロは、動揺していた。
俺はカミュに紅茶を頼む時、冗談めかして、額を指でつつけるか?
カミュの髪に指をからめながら、話ができるか?
そして、そのときにカミュが素直に笑顔を返してくれるか?
否である。
髪に指をからめることついては、さよう、できなくもない。
いや、自分に対して正直でなくてはいかんな、やや特殊な状況において実行している、というべきだろう。
しかし、朝のテラスでは……できない、できるわけがない、それも人前で!
俺がオーロラエクスキューションを会得する方が、よっぽど可能性が高いんじゃないのか?
デスとアフロに普通にできることが、どうして俺達には至難の技なのだ?
きれいにラッピングされた二十本のブライダルピンクだけでなく、デスとアフロに少しばかりの嫉妬を抱えて階段を降り始めたミロの耳に、アフロの声が飛び込んできた。
「 さあ、飲み終わったら早く奥へ行こう。ミロが行ったからには、急がなくては。」
「 もうつけてあるのか?」
「 ああ、さっき。やっぱり常時接続はいいね。」
ミロの足がぴたりと止まった。
なんだと?今なんて言った??!!
すべての謎が解けたミロは、よろめく足取りで再び階段を降り始めたのだった。
その三日後、ミロが書斎に入ると、ちょうどカミュが花瓶の水を替えているところだった。
アフロの言ったとおり花持ちのいい薔薇で、おまけに宝瓶宮にいつも漂っている冷気のせいでなおさら綺麗に咲いている。
カミュが花瓶を持ち上げたときにちらっと覗いた二の腕の白さが、ミロをドキッとさせた。
カミュにはどんな花も似合うが、この薔薇のあでやかなピンクは白い肌を いっそう引き立てるな。
なんといってもカミュの肌は……、
と思いながらミロはいつもの椅子に座を占めた。
「 嬉しそうだな。」
「 え?いや、俺は、別にお前のことを考えてたわけじゃなくてだな……」
「 誰もそんなことを訊いてはいない。昭王のことを言っているのだが。」
怒っているわけではなさそうで、ミロはほっとした。
もう怒らせるのはごめんだ、今回のこの展開なら、次回に昭王がカミュと会えるのはどうやら間違いなさそうである。
しかし、いつもいつも俺が早とちりをするのは、カミュの言い方にも問題があるんじゃないのか?
今の発言にしても、どうして「昭王は嬉しそうだな。」と言ってくれないんだ?
主語を明確にしてほしい、と言ったら気を悪くするかな?
だいたい、男の俺がどうしていつもカミュの顔色を窺わなくちゃならんのだ?
たまには強く出てみると言うのはどうだろう?ときにはガツンと……
そこまで考えてミロは気がついた。
カミュも男なのである、とすると男がどうのという問題ではなく、単に性格の問題ではないのだろうか。
ミロは深い溜め息をついた。
「 ミロ、ミロ?聞いているのか?具合でも悪いのか?」
気がつくとカミュがこっちを覗き込んでいる。ミロは慌てて首を振った。
できるものならたまには熱でも出してカミュに看病されたいものだが、あいにく丈夫なことは聖域でも折り紙つきだ。
たしか昭王も薬一つ飲んだことがないと書いてあったが、人間、つまらないことが似るものだ。
「 そういえば、昨日、アイオリアとすれ違ったとき呼び止められた。」
ふうん………どうせ小説の感想でも言われたのだろう、
アイオリアは真面目な奴だから、一回毎に400字詰2枚くらいの感想を言いかねん。
もう気にしないことにしよう、しかしなあ……
「 小説は読んでいないそうだ。」
「 なにっ!知っていて読んでいないとは、さすがは硬派!
男の中の男とはアイオリアのことをいうのだな。うむ、あいつはそういう男だ。」
「 切れ切れに間をおいて読むのは好きではないので、
連載が終わってからまとめてプリントアウトし、自家製本するのだそうだ。
読み終わってから感想を言うので、遅くなってしまうがすまぬ、ミロにもよろしく伝えてくれ、とのことだった。
実に礼儀正しい男だな。」
プリントアウト………自家製本……
「 おい、ミロ、ミロっ!大丈夫か?」
ミロは目の前が真っ暗になり、結局カミュに介抱されることになったが、喜ぶべき事態かどうかの判断は、今ひとつ、つけることができなかった。
←戻る ⇒招涼伝第九回 ⇒副読本その9