招涼伝 第十二回



一方、兵たちはとても話に加われる立場ではないものの、日頃は遠くから仰ぎ見ているだけであった昭王と、かくも真近く接したことにいたく感銘を受けていた。

常の行幸(ぎょうこう)ならば近衛府五百騎の中からニ百騎が供をする。それが今回は、アルデバラン将軍がいるとはいえ、僅か五名の兵が従うのみであった。
王の発する言葉を耳にすることさえ極めて稀であるのに、突然の単独の行幸により、思いがけなくも一昼夜にわたり少人数で行動を共にし、燕王の挙措を目の当たりにするという幸運に恵まれたのだから、眠気のさすどころの話ではない。
確かに疲れはしているものの、緊張と興奮で身震いするほどである。

とりわけカシオスの高揚感は大変なものであった。
カシオスの郷里は楊柳青(ようりゅうせい)から歩いて半日ほどの呂祖堂という小さな村である。
先王に長年仕えてきた父親は、幾多の戦役を経たのち退役し、郷里に戻ると畑仕事のかたわらカシオスに先王の威徳と太子の聡明さを繰り返し説き聞かせ、息子に並々ならぬ燕への忠誠の念を植え付けたうえで五年前に亡くなった。
めっきり白髪の増えた母親と僅かばかりの田畑を守っていたカシオスだが、母親の強いすすめもあって、三年前に伝手を頼って都へ上り、ようやく近衛府に入ることを得たのは一年前である。

それから忠勤に励んだかいあって副将軍シャイナの目に止まったのが幸運であった。
朴訥だが誠実な性格をシャイナに愛されたのか、なにかといえば声がかかることが多いが、なにしろ身体が大きいので、ただでさえ小柄な副将軍に従っていると目立つことこの上ない。
シャイナの話を大男のカシオスが身をかがめて聞いているところなどはなかなかに見ものだ、とは近衛府の口さがない者たちの噂である。

そのカシオスは馬を進めながら、今朝方、宮門にい合わせた幸運を思っていた。
この水難が起こってからというもの、近衛兵といえどもその多くが薊の市街に駆り出され、物資を高台へ輸送したり人民の避難場所を確保したりするなどして、休む間もなく働いてきた。
今日は初めての非番に当たったものの、いよいよ氷の壁が薊にもっとも近付くという噂を聞くと、居ても立ってもいられずに自ら志願して宮門の警備についていたのである。
それが幸いして、昭王の行幸に供奉(ぐぶ)している我が身を思うと、我ながら信じられぬ思いであった。
それも徒歩(かち)ではなく騎馬である。
偶然とはいえ、近衛府に入って僅か一年目の身が、騎馬で行幸の列に連なるということはかつてないことであった。

如何に馬好きの昭王といえども常の行幸では車駕を用いるものであり、騎馬二百騎と徒歩の兵二百名が供をする。
この時代、貴人の乗物は馬車を使うことのほうが多く、昭王のように自ら馬に乗ることを好むというのは珍しい部類である。
昭王の若さが、常の行幸の、さながら牛歩にも似た歩みに馴染むのはまだまだ難しく、それもあって度々の野駆けに出掛けるのも頷けるところであった。
戦時下でもなければ駒の歩みもゆるりとしたもので、徒歩でついて行くのはなにほどのこともないのだが、昭王の竜姿を拝することなどあるわけもない。
同じ列に連なっていても、徒歩の者からは、昭王の乗る竜駕は遥か彼方に見え隠れするのみである。
それでも、行幸に連なることは例えようもない身の誉れであった。

今朝方、宮門で昭王の出奔に遭遇し、シャイナの命令により急遽追随しようとしたカシオスは、思い当たることがあり、急ぎ馬を返して近衛府脇の武徳殿へと駆けつけた。
武徳殿には燕王の竜旗が奉安されている。
竜旗とは、真紅の地に鮮黄色の昇り龍下り龍の二龍の模様を縫い取ったもので、王の行幸には必ず掲げられるものと定められており、これなくしては、昭王の行幸も、潜幸、すなわちお忍びの行幸でしかなく、画竜点睛を欠くというものであった。

「行幸に竜旗を奉ずる!疾(と)く渡されよ!」

と大音声で呼ばわりカシオスが開扉を求めると、脇の小部屋に詰めていた数人の小役人が驚いた様子で顔を出し一瞬とまどう素振りを見せたが、カシオスに馬上から叱咤され慌てて中へ駆け込んでいった。
すぐに大柄な若い男が両手で捧げ持ってきた一対の竜旗を、カシオスは馬上から掴み取るが早いか、宮門へと馳せ戻った。
本来であれば、事前に何の連絡もない竜旗の授受など有り得ないことなのだが、カシオスの裂帛の気合と近衛府の軍装が、事情を知らぬ者にもことの緊急性を知らしめたのであろう。
宮門にはすでにシャイナ達の姿は見えなかったが、警護にあたる衛士達から様子を聞き取ったカシオスは即刻あとを追い、魔鈴を恐れて速度を落としていた一行に難なく追いついたものである。

竜旗は、その長さ一丈、目方は二十斤におよび、並みの者では腕が痺れて、一本でさえ長時間持つことは難しい。
左手で手綱を操り、右手に竜旗二本を持って馬を疾走させることは簡単にはできることではなく、カシオスの人並み外れた膂力(りょりょく)の賜物であった。
ほかにこのようなことができるのはアルデバランくらいのものであったろうが、将軍が竜旗を持つことはないので、これはわからぬことである。
咄嗟の機転で竜旗を奉持してきたカシオスは、永定河でそれに気付いたシャイナに激賞されたのみならず、かねてより畏敬の念を抱いていた将軍アルデバランからも直接に褒讃されたのである。
武人としてこれに勝る栄誉はなく、カシオスの胸は誇りでふくらんだ。

今、その竜旗を、昭王の御前でカシオスともう一人の兵が奉じている。
以前、地を歩きながら竜旗を仰ぎ見たときには、その真紅の旗がまるで昭王そのもののようにも思えてならなかったものだ。
いつかはあの竜旗を奉ずる身になりたいと切に願っていたカシオスには、竜旗の重ささえ快く感じられるではないか。
昨日まで雲の上の人であった燕王その人の竜顔を間近に拝し、竜声を耳にする我が身の僥倖をカシオスは繰り返し思わずにはいられない。
三年前まで一介の郷士だった身としてはおよそ有り得ぬことで、父親が生きていたらどれほど誇りに思い、郷里に一人で暮らしている母が聞いたらどれほど喜んでくれるかと、カシオスの胸は熱い想いで満ち溢れていたのであった。


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