招涼伝 第十三回



駒を速めて行くほどに、四半刻もたたずに楊柳青の村が見えてきた。

河口の大沽は、一行が足を留めるにはあまりに小村であり、明るさの残るうちに行ける所まで行こうとして帰途に着いたのだが、その後は集落もなく、ついにここまで来たのだった。
点在する家々の間を通り抜けていくと、時ならぬ人馬の気配に驚いた猫が門口へ走り込んでいくのが見える。
どの家もすでに寝入っており、村長の家をようやく尋ね当てると、最初に兵が門を推して訪ったときは怖じ恐れて誰も出てこなかったのであるが、それではと、替わって進み出たアイオリアが門を敲いて来意を告げれば、息を潜めていた家人も、ようやくことの重大さに気付いたらしく慌てて起き出す様子である。
思いもかけぬ燕王の突然の来訪と知り、魂を消し飛ばせた村長一族は、倒けつ転びつ門の外に出て来ると、或いは叩頭し、或いは合掌し、顔も上げられぬ有様であったが、なんとか意を通じさせることができた。
夜半の闖入者に吠え立て始めた二匹の狗も、アイオリアに連れられて現われた魔鈴を見るに及んで低く唸るだけになり、それも魔鈴に一睨みされると尾を巻いて忽ち闇の中に逃げ去ってゆく。

燕王の訪村という前代未聞の出来事に、当初は恐懼するばかりであった村長も、アイオリアの事を分けた説明にようやく事態を飲み込むと、どうしても母屋を提供すると申し出たが、それは断り、一行は離れを仮の宿とすることにした。
薊を遠く離れた小邑の楊柳青といえども、分限の屋敷だけあってなかなかに贅沢な造作ではあるが、薊周辺で見かける民家とは屋根の勾配、窓の形などにかなりの違いがあり、昭王には見るもの全てがもの珍しく思われる。
王位に就いたのち、燕の各地を視察した折りには、半年も前から触れが回っていたので、どの土地でも木の香も新しい宿舎が昭王のために用意されており、民家の中に入ってみる機会など皆無であったのだ。
ところが今宵の宿は、世間慣れせぬ昭王には如何にも興深い。
この離れは長男夫婦のために建てたものらしく、突然の昭王の訪れのため大慌てで取り片付けただけなので、そこここに普段の暮らしぶりが垣間見えるのがなんとも云えず面白くてならぬのである。 しまい忘れた幼な子の玩具など、手にとって眺めている。

昭王がそうしている間に、アイオリアは、馬の世話を家人に頼み、十分な秣(まぐさ)と水が与えられたのを確かめると、魔鈴を離れの小さな土間につなぐことにした。 外のほうが喜ぶのはわかっているが、ただでさえ昭王一行を迎えて驚き慌てているこの家の者をますます眠れなくさせるには忍びなかったのである。
一方、アルデバランはカシオス等六人の兵に入り口近くの一部屋を割り当てておいてから、兵二名ずつを歩哨に立たせる手筈を整えた。 そこへ家人が、すすぎの湯と、古着とはいえきれいに洗い上げてある単衣を運び込んできたので、各々隣室で、順に更衣することとなる。

さて、アイオリアが、昭王に奥の一間、次の間にあとの三人、と決めたところ、
「なにも、この旅先の仮寝の宿でそう堅苦しくせずとも、奥の間のほうがずっと広く風通しもよい。皆で寝ればよかろうものを。」
珍しく宮を離れた気楽さであろうか、昭王が云うのを、
「仰せではありますが、たとえ楊柳青の村の離れであろうとも、王のおわします所が行宮 ( あんぐう ) 、すなわち仮の天勝宮となります。 我等、臣下の身で王と同室で休むなど有るまじきことゆえ、なりませぬ。 むろんカミュ殿は臣下ではなく客人の身であられますが、やはり我等と御同室いただくべきかと。」
どこまでも物堅く答えるアイオリアに、なお、昭王が何か言いたそうな様子を見せると、
「それとも、添い臥 ( ぶ ) しする者がおりませぬと、御寝 ( ぎょしん ) がかないませぬか。]
と、これはまた普段に似合わず、思い切ったことを言ってのけたではないか。 してみると、生来 ( せいらい ) 真面目なアイオリアといえども、この鄙の仮寝には相当の興趣を覚え、思わず口が軽くなったものとみえる。
これには昭王もたまらず、真っ赤になったきり答えることもできぬ。 はしなくも耳にしたアルデバランは慌てて横を向き、なんとか笑いをこらえようとするのだが、その努力の甲斐もなく、肩の震えを抑えるには至らなかったようである。
ただ一人、聖衣をはずすために隣室に行こうとしていたカミュに 「 添い臥し 」 の意味が分からなかったらしいのが、昭王にとっては救いであったといえようか。
そこへ、折り良く家人が遅い夕餉を大盆一杯に湯気を立てて運んできたので、この話はそれで終わりになった。


                  ←戻る              ⇒招涼伝第十四回             ⇒
副読本その13