第十八回


昭王一行が朝餉、というより昼餉を終えたのは正午を回った頃である。
どう考えても、暖かい食事を供そうと家人は何度も作り直したに違いなく、世知にたけているアイオリアはさすがに気の毒に思ったが、そういうことは昭王にはわからぬことで、なんとも思っていないようであった。
もっとも、昭王には国の先行きを考えるという責務があるのであり、一国の王がそんなことに気を回すようでは困るというものであるが。

いざ出立しようと門外に出てみると、燕王の来訪を聞きつけた近郷の村人が竜姿を一目拝しようと大勢集まっている。 どうやら昨夜の接待が終わったあとで使用人を四方に走らせたものとみえ、伝え聞いた集まれる限りの者が夜通し歩いてきたようにも思われた。
楊柳青というだけあって、この村には楊柳の木が多い。 今日は薄曇だが、よく生い茂った青い葉が夏の強い陽射しを遮るのには向いているのであろう。
道端の太い楊柳に数頭の白牛がつながれてのんびりと寝そべっているのは、足弱の年寄りや子供を乗せてきたのであろうか。 昭王一行が現れたのを見て、木陰で眠りこけていた子供を急いで揺り起こしている老爺の姿も見える。
この様子なら昭王に害意のある者など紛れ込んでいようはずもなく、アイオリアが安心して見ていると、ほとんどの者が昭王をそれと悟り、深く拝しながら目で追っている中に、一人の媼(おうな)の視線だけが違っている。
どうやら馬に鞍を乗せているカシオスを見ているらしく、一方のカシオスも妙に顔面を紅潮させながら、ちらちらとそちらを見ているのが窺い知れた。
これは、と事情を察したアイオリアが昭王とアルデバランに歩み寄り何事か囁くと、昭王が微笑し、幾つかの言葉が交わされた。
「カシオス!」
突然、昭王がおのれの名を呼ぶ声を耳にしたカシオスは一瞬身をこわばらせたが、すぐに馳せ寄り片膝をついた。 燕王が一士卒に言葉をかけるなど、およそ考えられぬことであった。アルデバランは、これも無礼講の一部と考えることにしたようで、昭王の隣りに立っている。
「昨夜の礼を云うゆえ、家長をこれに呼んで参れ。」
「はっ!」
叩頭したカシオスが急ぎ家長を呼び出すと、アイオリアを通じて昭王から過分の銀子が下賜された。 アルデバランは兵を集めると、
「出立まで今少し時間がある。村の者達に水難の恐れはないことを説明せよ。」
と彼等を集まっている人々の方に散らせた。
カシオスは早速、目を潤ませている媼のそばにゆき、身振りを交えて話を始めた様子である。 周りを取り囲んでいるのは同郷の者達なのであろう。 皆々興奮して、カシオスの背を叩きながら口々に何か云っている。
一方、門内で興奮した様子で何か言っている若い男は、どうやら昨夜昭王に寝衣を手渡した男なのだろう、自分が燕王に話し掛けたうえに届け物をしたということに今さらながら気付いて仰天したものとみえた。

この一部始終を、カミュは離れの窓陰に身を寄せて眺めていた。 昼の明るさの中に自分が出て行けば、あまりに目立ち過ぎ面倒な騒ぎになりかねぬと、裏から出て合流することにしたのである。
昭王は是非とも共に、と勧めたのであるが、カミュも一度こうと決めたら考えを変えるものではない、結局昭王も諦めざるを得なかった。

村人と楊柳に見送られて街道へ出れば豊かな田園が広がっている。
薊へ戻りつくのは、今宵遅くになりそうである。 昭王はカミュとの薊までの旅路を楽しむことに決めていた。 この少人数で長い距離を旅することなど今後あるはずもなく、気兼ねなく話ができるのも旅の空の下ゆえのことであった。
カミュの左腕に目をやると、今日は両手で手綱を持っている。 昨夜のうちにアイオリアが家人から新しい布と膏薬をもらってきたので、今は白布が巻かれており、それも昭王を安心させるのだ。 もっともカミュが、手当ては自分でする、と主張したので傷の様子を見た者は誰もいなかった。
「カミュ、腕はもう痛まぬのか?」
「馬に乗れば振動が少し響くが、たいしたことはない。心配をかけてすまぬ。」
「よいか、天勝宮に戻ったならば直ちに医師に薬を持たせるゆえ、必ず今一度手当てせよ。気がかりでならぬ。」
「昭王は心配性か。」
「当たり前ぞ。燕のために尽くしてくれたそなたに怪我をさせてしまったことが心残りでならぬ。 自分が怪我をするよりはるかに心が痛むものだ。」

   ・・・・・・燕のため?
   果たしてそれだけだろうか、もしや自分は昭王のために水難をしりぞけたのではないのか?

自問自答しながらカミュは馬を走らせていった。


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