招涼伝 第二十四回


その二日後のことである。

中原の強国、秦の使節が天勝宮を訪れた。
遠方のため賀宴には間に合わなかったものの、遅参を詫びつつ慶賀の詞とともに白馬二頭と綾絹五十反を献じ、燕の盛栄を寿いだのであった。
むろん、遠路はるばるやってくるからには、それだけが目的ではない。
戦国の世となり百年余も経つうちに、秦の国力は増大し、他の六国の脅威となってきている。それに対抗して、六国は、連携し同盟を結ぶ「合従(がっしょう)」策を採ってきたのだが、秦はその同盟の切り崩しを図らんとして、六国それぞれと個別に同盟を結ぶ「連衡(れんこう)」策を推し進めようとしているのであった。
燕に対しても久しい以前から盛んに接触を図ってきた秦は、此の頃では思わぬ形での同盟を求めてきている。すなわち、昭王と、秦王の妹である薔薇公主(そうびこうしゅ)との縁組である。
半年前に密かに打診されてきた、この純粋に政治的な問題については、燕内部でも様々な討議がなされてきたが未だに結論は出ていない。婚姻すなわち属国化に繋がる、との見解が大勢を占めてきているが、拒絶の意思を明確にした場合の秦の反応を危惧し、正式な返答の時期を見計らっている段階であった。
当初から高飛車であった秦の態度は、此の頃ではやや恫喝めいた色彩を帯びてきており、腹に据えかねた燕側でもそろそろ決着をつけるべきではないか、との意見が強くなっている状況である。

玲霄殿での慶賀の饗応の後に、秦側から婉曲に持ち出されたこの件は、それを予測していた宰相によって諾否いずれともつかぬ物言いで返される。 当然、秦の側でもすぐに引き下がる筈もなく、双方とも直截な発言こそ注意深く避けながら、延々といつ果てるともしれぬ応酬が始まっていた。

波乱のきっかけは秦の使節の慇懃無礼ともいえる発言であった。
「いつまでも先延ばしになされるならば、燕の行く末も怪しくなろうというもの。こんなことでは、いつまた水難が襲うかしれたものではありませぬな。降臨するかどうかもわからぬ神龍を待つより、早々に我が秦と同盟を結ばれるのが燕にとっても燕王にとっても肝要でありましょう。」
ただでさえ長引く論議に苛立ちを覚えていたのである。 その口調に隠された棘を感じた昭王の眉が上がり、大きく息を吸ったのに気付いた宰相が、あっと思ったときにはすでに遅かった。
「折角のお申し越しなれども、いまだ水難の余韻は残り、予断を許さぬ情勢なれば、自らの婚儀に時を費やすわけにはまいらぬ。よって、この話はなかったものと、秦王にお伝え頂こう。」
宰相は我が耳を疑った。 まさに青天の霹靂である。
あるはずのなかった突然の昭王の発言は、秦の使節を唖然とさせ、また、燕の出席者を恐慌におとし入れた。
本来ならば、慶賀の献納が滞りなく終わった時点で昭王が退席するはずであったのだが、儀礼通りに傍らに立って拝礼した侍僕を袖を一振りして下がらせ、その場に残る意思を示したため、一同、訝りながらも、昭王臨席のもとに宰相と使節の間での実務的論議となっていたものであった。
婚姻とはいうものの、国と国との懸案の域に達しているそれには、たとえ当事者といえども個人の意思の介入する余地はない。
むしろ、その場にいないのが通例で、事実、過去に幾度もの討議が行なわれてきたが、昭王の同席したためしはなかったのだ。
ましてや、燕王である当の本人が直接に拒否の言質を与えるなど、まさに驚天動地のできごとであった。
確かに拒否の方向でまとまってきてはいたが、まだ解答すべき段階ではなかったし、それとても十二分に根回しをした上で秦に使節を送り、儀礼を尽くして返答すべきものなのである。
そのすべてを一挙に打ち砕くかのような昭王の予想だにせぬ発言に、当の秦の使節も咄嗟には言葉が見つからず、うろたえるばかりである。
燕の側としても、昭王にここまではっきり言われては取り繕うことなど到底できるものではなく、覚悟を決めた宰相だけが、年の功だけあって、かろうじて昭王の言を重々しく補完して体面を保つことができたのはさすがであった。

なんとかその場を収めて、秦の使節が鴻臚殿へと引き上げると、さっそく人払いをした宰相が蒼惶として昭王の元へ寄ってきた。
「言いたいことはよく分かっている。」
先例を無視した昭王のあまりに唐突な発言に、さすがに苦言を呈しようとした宰相は、機先を制されて口をつぐんだ。
内心早まったかと思わぬでもない昭王だが、どのみち秦とは対立の道を歩むことになるのだった。 それに、水難や神龍まで持ち出されて黙していられるはずもなかった。
「時期尚早ではあったろうが、あそこまで言われて反駁せぬわけにはいかぬ。いずれ断る話であったのだ、案ずるには及ばぬ。」
人払いを見届けて、先ほどまでの厳しい表情を解いた昭王は、宰相にちょっと困ったような、それでいて屈託のない笑顔を見せる。この表情に宰相は弱い。
成年を迎えた昭王は、此の頃とみに先王の面影を漂わせるようになっており、年のせいか、その立ち居振る舞いや言葉の端々にも懐かしさを覚えることが多い宰相であった。
先々王の代から出仕し、昭王が生まれる以前から宰相を務めている老体を案じてか、折々には「無理をせずにそろそろ隠居をしてはどうか」との声もかかるのだが、宰相にしてみれば、まだまだ補佐したい点も多く、安閑としているわけにはいかぬ、と考えている。
此の頃では、目の黒いうちに昭王の世継ぎの誕生を見るのが密かな望みなのであった。
「燕王の言は千金の重みを持ちまする。かくなる上は、早急に使節を送り、秦に正式に返答いたすしかございませぬ。それにいたしましても、」
宰相は恭しく言葉を継いだ。
「秦との同盟を拒否いたしましたからには、速やかに次善の策を進めねばなりませぬが、その儀、お含みおき願い申し上げまする。」
一瞬、昭王の眉が曇り、表情が翳りを帯びたのに気付かない宰相ではなかったが、薔薇公主との婚儀が成立しない場合には、すぐさま趙とのそれの折衝に入ることは、かねてから了解済みのことであった。
先王が十八歳で后を迎え、翌年、子を為したことを思えば、この秋で二十一を迎える昭王が未だ独り身というのはどうにも遅すぎるのである。 庶民の婚姻とは、その意味も規模も大きく異なっている。燕王の婚儀ともなれば準備期間に一年以上かけるのは当然であった。
昭王は卓上で組んだ自分の手を見つめて暫し無言であったが、やがて、
「任せよう。」
と低く呟くと、それきり何も云わぬ。
謹んで拝承した宰相が、これ以上の言葉はないものと見極めて退出しようとしたとき、昭王が顔を上げて、幾分明るい声で呼び止めた。
「このあとは進講があったはずだが、今日は野駆けに出たいと思う。かまわぬか?」
昭王が自分の都合の為に進講を取りやめることなど今までにあったためしがなく、また、野駆けならば今朝一番で出かけたのも聞いていた。
とはいえ、一刻あまりに及んだ秦との話し合いでの重苦しさを発散したいとの気持ちも、宰相には手に取るように分かる。
鬱屈した気分を払いのけるには体を動かすことが一番良いのであって、これが、酒で憂さを晴らそうという方向に向かわれてはまことに困るというものである。
昭王も稀に深酒をすることもないではないが、その翌朝は目覚めると、早速、馬を走らせ流汗淋漓(りゅうかんりんり)の運動をやってのける。 宰相には、馬を走らせたいという昭王の若さが好ましく思われた。
秦の薔薇公主との縁組のみならず、趙との婚儀にも気乗り薄のように見受けられるのが少々気がかりではあったが、先王十七歳のみぎり、初めて婚儀の件を内奏した際も、まだ早すぎるのではないのか、との内意があったのが思い出されるのだ。 そのときの先王の照れたような困ったような顔を懐かしく思い浮かべる宰相である。 今は意に染まぬようでも、こうしたことは必ずや時が解決するものに違いなかった。
「恐れながら、かまわぬか、などと御下問になられる必要はござりませぬ。お心のままになされますよう。」
「それと……」
昭王が言い淀むのは滅多にないことである。
「先ほどは秦に思い切ったことを言い、皆の骨折りを無にしたかもしれぬ。すまなかった。」
「度々申し上げておりまするが、天の嘉(よみ)する燕王に、断じて間違いはありませぬ、決して臣等にお謝りあそばされませぬように。」
宰相は深々と昭王を拝すると、銀鈴を振り、侍僕を招き入れた。


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