第二十六回


その二日後、朝議の場で、さらなる水難を回避するために河川を改修する件につき討議が行なわれた。
昭王、宰相、諸臣諸官らとともに異国人のカミュがその場に加わったのは異例ではあったが、昭王のお声掛かりでもあり、またカミュがこの水難を避けるために果たした役割を考えれば当然のことでもあったろう。
朝議の冒頭では、宰相よりカミュに対し改めて懇切丁寧な賛辞が述べられ、一同のものより深々とした拝礼が行なわれたものだ。

それにしても、偶々カミュが居合わせたために燕を救うことができたのだが、そのようなことは、本来、全く当てに出来ることではなく、治水が急務であることは明白である。
今後の治水対策について意見を求められたカミュは、かねてからの考えを口にする機会を得ることができた。
燕に至る前に通って来た所に四川盆地があるのだが、そこでは川の氾濫を防ぐ目的の灌漑工事が数十年前から進められており、カミュはそれを目の当たりにしてきている。
郡守の李冰という者から今はその息の李二郎が受け継いでいるその工事は、川に人工的な中洲を作って二分し、その一方を四川盆地に導き、更に多くの用水路を作って広く盆地に安定的な水利をもたらすという気宇壮大なものである。
何十年、いやもしかすると百年以上かかるかもしれぬあの大規模な水利設備のことを思えば、燕の治水もできぬことではあるまい、とカミュは昭王らに進言したのである。
治水工事の必要性はとうにわかってはいたのだが、その具体的な手法については五里霧中だっただけに、カミュのこの意見は満座の関心と賞賛を集め、昭王からも深い同意を得た。
このような土木工事には、いかに国家の為すこととはいえ莫大な費えがかさむのだが、燕と諸国の交易を営む城戸という富裕な商人が助力を申し出る見込みがあるらしく、燕のためにはまことに幸いといえよう。
水難対策の討議が一区切りついたところで、カミュが退席するべきかと思っていると、宰相より幾つかの案件が提示され、その筆頭の趙へ使節を送る件について触れたときに昭王を除く全員が起立し 「吉慶!吉慶!」 と唱和したのがカミュの注意を引いた。
つられて立ち上がったのだが、昭王は、と見ると一瞬青ざめたあと頬を心持ち紅潮させ、表情を変えることなく礼を受けている。
その後は、カミュの見るところ鬱々として楽しまぬようにも見うけられたが、粛々と滞りなく朝議は進み、やがて散会となった。

翠宝殿へ戻ると貴鬼がすぐさま冷茶を持ってきた。
さきほどの朝議でのことがなんとはなしに心に掛かっていたカミュがふと貴鬼に訊ねてみる気になったのは、なぜだったろう。
「貴鬼、趙への使節の話が出たときに一斉に唱和された言葉があったのだが、何の意味であろうか?」
意味のわからぬカミュが、聞き覚えていた発音を真似てみせると、しばらく考えていた貴鬼がぱっと顔を輝かせた。
「ああ、それなら 『 吉慶 』 と唱和なされたのでしょう。 『 吉慶 』 というのは、お目出度ごとがあったときに唱える言葉ですから。」
「めでたいこととは?」
貴鬼は少し考えたが、すでに天勝宮では誰もが知っていることなのだから、異国人とはいえ燕の国父とも仰がれているカミュに伝えてもなんら問題はない、と思ったようである。
「このたび、昭王様に趙とのご縁談がおありになります。秦とのお話をお断りになられたので、趙とのお話を進めることに決まったのだと聞いています。」
目を輝かせて嬉しそうにしている貴鬼には、カミュがそれを聞いてどう思ったかなど知る由もないのであった。
昨日のうちに春麗からその慶事のことを聞き、天勝宮中が来るべき一大盛儀へ向けての諸準備に入ること、とりわけ后のための新殿の建設、婚儀の衣装の誂え、数々の諸道具の発注など、いずれも貴鬼の胸をときめかせるには十分すぎるものなのである。
婚儀当日は、天勝宮に仕えるすべての者に上下の区別なく下され物があり、お末の者に至るまで衣装も新調される。
祝賀の宴は七日間打ち続き、内外からの慶賀の列はひきもきらず、と聞かされて興奮せぬはずがないのだ。
そして、その中心にいるのが、崇敬してやまぬ昭王なのであるから、貴鬼の胸が誇りと喜びで一杯になるのも当然というものだ。
その誇らしく輝かしい婚儀の日に、できることならばカミュに出席してもらえれば昭王もどれほど喜ぶかと思う貴鬼なのであるが、じきに燕を出立して遠い西比利亜に行くはずのカミュにそれを望むのは無理だろうと子供ながらに考えていたのだった。
「ほう、それはめでたいことだ。その話はいつ決まったのであろう、御祝いを言わねばならぬが。」
「確か、二日前の午後だと思います。昭王様とカミュ様が野駆けにお出かけになり、夕立に遭われた日のことです。」
それを聞いたカミュの胸中は如何ばかりであったろう、今にして思えば、あのときの昭王の切羽詰ったような態度も腑に落ちる。
昭王には、もうあとがなかったのである。
カミュが燕を発つことを昭王に伝えたのは、その翌日であった。


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