招涼伝 第三回




近侍に呼ばれ、時を移さず現れた将軍アルデバランは、広間に入ってくるや卓上の氷に目を瞠ったが、昭王から説明を受けると唸り声を上げ、カミュに畏敬感嘆の眼差しを向けた。
双肩に獅噛(しがみ)を用いた重厚な鎧を身に着けたこの豪放磊落な武人は、元々は魏の人であったが、今は昭王に仕え、その信頼を受けること篤く、数々の武勲をあげている。軍の人心を掌握することは絶大なものがあった。のちに斉を破り、その功を以って昌国君に封ぜられるのは実にこの人である。
あとに続いてきたのは、雌獅子の魔鈴を連れたアイオリアであった。
仔獅子のころからアイオリアに育てられた魔鈴は昭王の護衛役も兼ねており、天勝宮(てんしょうきゅう)では誰も驚くものはいない。もっとも、好んでそばに寄るのは貴鬼くらいのものであったが。
入ってきてすぐに氷の発散する冷気に驚いたアイオリアも、事情を知ると心からの賛辞を贈り、すぐさま助力を申し出た。

正確に云えば、カミュがしようとしているのは河を凍らせることではなく、その両側に氷の壁を造り、河の流れが奔逸せぬよう導水路となすことであった。
上流地域の雨が止んでもなお三日間は濁流がおさまることはなく、河を決壊させずして大量の濁水を河口まで流すには、これが唯一最善の策であった。
無論、それは言葉でいうほど生易しいことではなく、幾つにも枝分かれしている川筋を追い、何百里にもわたって東奔西走せねばならぬのだ。
即刻、必要な手筈が慌しく話し合われる中で、地方の人心に詳しく、カミュとも親しいアイオリアが行動を共にし、アルデバランが同行しつつ後方支援の采配を振ること、そして、あらゆる便宜が彼等に供されることが決められた。
おそらくは昼夜兼行で移動しながらの作業になる筈で、暗闇の中で動きが取れなくなることや、土地によっては混乱に乗じて略奪が行なわれていることも考慮せねばならず、不測の事態に対応するため三人に全権が委任されることともなったのである。
当初は、是非にと同行を主張した昭王だが、これは、アルデバランのほとんど諫言に近い意見を無視することもならず、諦めざるを得なかったものだ。
座して不幸を待つことは回避できそうだとはいえ、やはり天勝宮の中で事の成否を待つしかないという事実は、自ら動くことを好む昭王としては容易に納得できるものではないのだろう。
今にも、王の身分などいらぬ、と言い出しかねぬ勢いで三人を困惑させたが、さすがにわきまえていたと見え、それはなかった。
ひとたび口に出してしまえば、若さゆえの過ちでは済まぬ。
綸言(りんげん)汗の如し、という通りで、君主の言は一度発せられたら取り消しがたいのものだからである。

それにしても不安は残る。
前回の豪雨による水難は、記録を繙けば三十六年前のことであり、むろんのこと昭王も含めてこの場にいる者は誰も生まれてもおらず、先刻の討議に参会した諸卿諸官も記憶に留めているものは十名にも満たなかった。
その記憶の殆どが漠然とした年少時の印象であったのにひきかえ、老境に達している宰相のみが当時の惨状を詳細に語ることができ、燕の直面している恐るべき事態をあらためて知らしめたのである。
こうした話を年配者から繰り返し聞かされてはいたものの遠い昔の出来事として忘れかけていた一同は、慄然とせざるを得なかった。
後々の為にと膨大な記録が残されてはいたが、その頃とは耕地の様子も異なれば、本来の川筋が変わってしまったところさえあり、降雨量が前回をはるかに上回るものとなれば、川堤のどの箇所が決壊するか知れたものではない。
いかに上流を目指しても、そのはるか手前で足止めされるやも知れず、天勝宮で地図を見ながら検討した進路も机上の空論となりかねぬのだ。
その場の判断で目的地が変わることになれば、全体の計画に計り知れない影響を与えることは必至であった。
そして、懸案はそれだけではない。
燕の大地は広く、枝分かれしている支流を含めると移動距離はおそらく数百里に及ぶため馬を使わぬわけにはいかぬが、この地に来て初めて馬に乗ることを覚えたカミュは、未だ雨の日には馬を駆ったことがない。
もっとも、昭王にしても、野駆けの帰路に驟雨に襲われたことが幾度かあるのみで、その点から云えばさして変わりはないのだが、カミュとは違い、豊富な乗馬経験が雨中での長時間の騎乗をも可能にするに違いなかった。ただ、昭王がそれを試みたくても、周囲が許さぬだけなのである。
しかし、数日間にわたって燕を駆け抜けるのは、雨中では素人も同然のカミュであった。
少しの雨でも道がぬかるみ、出歩くのにも難渋するというのに、この豪雨に馬を走らせるのは慣れた者でも容易なことではない。
ただでさえ、雨中での馬の扱い方にはそれなりの要領と経験が必要であるのに加え、実際には道らしい道もなく、潅木の間をくぐりぬけ、礫地、斜面などを通らねばならぬのではなかろうか。
それもいつまで降り続くかわからぬ雨の中では、乗り手も馬もどれほど疲れ、困難を極めることか知れはせぬ。
さらに雷雨の可能性すらあることに思い当たり、昭王は暗澹とするほかはない。
雷鳴の轟く雨中で馬を走らせることができるかどうかなど、今の今まで考えたこともなかったのであった。また、替え馬の繋ぎはアルデバランが各地の部隊に手配をするとはいうものの、それはまた、カミュが次々と慣れぬ馬に乗るということでもあり、昭王の厩舎のなかでも選りすぐった駿馬に乗っていたカミュが、それらの馬をどこまで乗りこなせるかは、やってみなければ分からぬことであった。
まさに、馬には乗って見よ人には添うて見よ、を地でゆかねばならぬのだ。
カミュのことなら添わずともよく分かっているのだが、と、つい言葉通りに考えた昭王は、その意味するところに思い至ると、こんな事態にもかかわらず苦笑せざるをえない。カミュに添うなどとは、まさに笑止千万であった。
しかし、自分がいかにカミュのことを分かっていなかったか、そして、いかに自分自身を知らなかったかを、この後すぐに思い知らされることになるのだが。

そうしたわけで、カミュが見せた手練の技には無条件に全幅の信頼を置く昭王も、天候と馬の件については、内心、神仏の加護を願わぬわけにはいかなかった。
滑り易い斜面で馬が転倒し、そのまま澎湃たる濁流に飲み込まれでもしたらと考えると、今ここで地図を囲んで詳細な打ち合わせをしている三人が無事な姿で帰還するまでは、とてものことに心の休まる時とてないのである。
考えたくはないが、帰還したときに一人でも欠けていたら、そしてそれがカミュだったらと思うだけで、心の臓を冷たい手でつかまれるような気さえしてくるではないか。
むろん、アルデバランもアイオリアもかけがえのない臣であり友であるのだが、燕にはなんの義務も責任もありはしない外つ国人(とつくにびと)のカミュにどれほどの負担と責務を負わせてしまうことか、考えれば空恐ろしいものがある。
そして、思惑通りに燕を救えたとしても、アルデバランとアイオリアのどちらかでも欠こうものならカミュがどれほど責任を感じ傷つくか、昭王には手に取るように推測することができたのだ。
燕を救い、なおかつ、三人が三人とも無事で戻らねばならなかったのであった。

軍を統括するアルデバランの地理に詳しいことは、アイオリアをも感嘆させた。
薊から遠く離れた、名前しか知らぬ土地の様子も掌(たなごころ)を指すが如くにそらんじてみせるのである。
燕に生まれ育ったアイオリアよりも、魏の出自のアルデバランの知識が豊かというからには、よほどに努力研鑚を積んだのであろう。
それを知ったればこそ昭王もアルデバランを軍の重鎮に据えたのだと、頷けることであった。

燕の地勢をカミュがあらかた理解したところで最初の目的地が定められた。
薊から西にはるか離れたそこは、この雨では一昼夜かかっても行き着けるかどうか危ぶまれる土地である。
昭王の胸に不安がよぎる。

「何が起こるか判らぬぞ、耕地が半分、いや三分の一救えるだけでも有難いのだ。 危険を冒してまで完璧を期することはない。無理と思はば、引き返すもまた勇気 のうちぞ。」

氷壁を造るのはカミュであり、あとの二人はやはり補佐役にすぎぬ。
自ら云い出たことだけに、カミュがどれほどの無理を重ねてこの計画を完遂しようとするか、昭王にはそれが気がかりであった。

「よいな、カミュ。」

念を押す昭王にカミュは静かに頷きかえす。
確かに成算があるのであろう、落ち着いた態度はなんら変わることがなかった。


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