招涼伝 第三十二回



やがて身を起こした昭王、
「そうだ、カミュ、先日、そなたが身につけた黄金の鎧は実に美しかった。神から授かったものと聞いたが、いつか生まれ変わった時には、私も鎧うことができるだろうか?」
目を輝かせながら、少し含羞んで云うのがまるで子供のようである。
確かに、時折見せた修練のほどは趣味教養の域を遥かに凌駕しており、実戦でも他を圧する力量を発揮することは間違いのないところだが、王であるがゆえにその機会がないのが惜しまれる。
もっとも、如何に好戦的な昭王とはいえ、王自らが戦わねばならぬというのは、決して歓迎できぬ事態ではあるのだが。
それにしても、カミュと同じくらいに上背のある昭王のことだ、黄金聖衣がさぞかし映えるに相違あるまい。
しかし、もし、二人とも同じ星座だったとしたらこれはどうなるのだ。
貴鬼は、昭王の二十歳の賀は秋だったと言っていたが、それならば、天秤座か蠍座であろう。
果たして、再び同じ日に生まれるものか、神ならぬ身のあずかり知らぬところであるが、これは、時の女神の采配を待つしかないと思われる。。

あれこれと思いを巡らせていると、その沈黙を勘違いしたのか、昭王の目に不安の色が浮かんでいる。
「大丈夫だ、昭王ならきっと授かることができよう。いかばかり似合うことか。私も見てみたいものだな。」  
安心させるようにそう云うと、燕の王は照れたように笑顔を見せた。
「やむを得ぬ、いつかはわからぬその日を待つしかあるまい。もう少し、シャカの話を聞いてみた方がよいかも知れんな。」
カミュも頷いたその時、未だ暗いうちから蜩 ( ひぐらし ) の声が夜の静けさを破り、響き始めた。
嶺々から呼び交わすかのように聞こえてくるその声は、強くはあるがどこか哀調を帯びており、聖域では、ついぞ聞いたことのない声である。
「あれは、もしや、噂に聞く鳳凰の鳴き声だろうか。」
「いや、鳳凰などではない、蜩という蝉の声だ。宮の辺りにもいるが、明け方にこのように鳴くものとは、ついぞ知らなかったことだ。」
その声が夜の終わりを告げるのであろう、東の空が曙の色を見せ始めているのだった。
「鳳凰といえば、シャカのところには時折り飛来するらしいというので、見たいと思ったのだが、仏縁があれば望まずとも見られるものだ、といい埒 ( らち ) があかぬ。シャカにしか見えぬともいうぞ。」
「鳳凰も見えぬが、蜩も闇に紛れて姿が見えぬ。蝉ならば七年の間、土中に暮らし、この地上に出てきてはわずか七日間しか生きぬというが、儚いものだ。」
「それを云うなら、二十年目にしてたった一夜の我等のほうが儚いかもしれぬ。いや、僅か半夜というべきか。」

昭王もカミュも、しばし黙して、過ぎ去らんとしている短い夏を想った。
巡り逢って駆け抜けた、それは、鮮やかな日々であった。
「カミュ、次に巡り逢うときには、王ではなく一人の人間としてそなたに会いたいものだ。天勝宮を遠く離れたこの地でさえも王の名は我が身についてまわる。そなたには王としての名ではなく、普通の名で呼ばれたい。」
そういえば、昭王という名は、二年前に王位を継いだときにあらたに名乗ったはずではなかったか。
「呼びたくとも、昭王という以外に普通の名を知らぬ。未だ聞いたことがなかったが、王になる前の名はなんというのか。」
カミュが問うと、昭王はいかにも困惑したようで、
「ひとたび王となれば、それまでの名は誰も呼ばぬ。王を王以外の名で呼ぶことは禁忌とされているゆえ、口に出すものはただの一人もおりはせぬ。」
思いもかけぬことを尋ねられて、ためらう様子である。
「すまぬ、余計なことを聞いたようだ。」
「いや、かまわぬ。カミュには知っておいてもらいたい。自分が自分の名を言うのに何を憚ることがあろうか。ただ、そなたは決して言葉に出してはならぬ。心の中に留めて欲しい。」
カミュがその意を解して頷くと、昭王はカミュの耳元に口寄せて、辛うじて聞きとれるほどの声で囁いた。
「我が名は、彌絽。」
むろんのことカミュには文字は分からず、その聲だけが心に響く。

   ……ミロ…………

胸の内で密かに幾度も繰り返してみる。
「よい名だ。」
そう云われて、昭王は心から嬉しそうに笑った。


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