七 夕 |
「ちょっと用事があるんで、二時間ばかり留守にさせてもらう。」 朝食を終えて離れでくつろいでいると、珍しいことにミロがそう言って出て行った。 囲碁の定石を打っていたカミュは軽く頷いたのみで、昼前にミロが戻ってきたときもまったく変わらない姿勢でパチリと石を置いたところである。 「待たせたな。」 「ちょうどきりがついたところだ。 では昼食に行くか。」 定石の本にしおりをはさんだカミュの立ち上がる動作がすっきりと美しく、いつものことながら気を惹かれるミロである。 回廊を歩いてゆくと気の早いタチアオイが一、二輪咲き始めており夏の到来を告げている。 「気持ちのいい花だ。 すっと背が高くて俺は好きだな。」 「葵といえば通常はこの立葵のことを指す。 ただし毎年5月15日に京都で行なわれる葵祭りの葵は、この花のことではなくて、双葉葵という植物のことだ。」 「双葉葵…? 知らないな。」 「それがそうでもない。 お前の好きな水戸黄門の印籠の紋どころに使われているのがその双葉葵だ。」 「えっ、そうなのか! ふう〜ん、さすがは博識だな! じゃあ、俺も一つ教えてやろう♪ 今日は七夕だから昼食には七夕そうめんが出る。」 「え? 七夕そうめんとは?」 「七夕っていうのはあまり料理には関係ない行事だが、季節が夏ということもあり、涼しげなそうめんに色とりどりの具を工夫してきれいに盛り合わせてあるんだよ。 七夕の竹飾りのイメージじゃないのか? どちらかというと女子供が喜びそうな献立だが、たまにはいいだろう。 デザートには夕張メロンがついている。」 「詳しいのだな。」 「ああ、ちょっとね♪」 くすくす笑ったミロが先にたって食事処の白麻の暖簾をくぐる。 いつもの席に着くと、すぐに七夕そうめんが運ばれてきた。 「なるほど! これは美しい!」 「だろ♪」 透き通ったガラスの大皿に卵の大きさほどにくるっと丸く盛りつけられたそうめんは淡い黄色と緑と桃色と白で、それぞれの上には薄い輪切りのオクラが乗せられていて星を表現しているらしい。その周りを、細く切った胡瓜、錦糸卵、人参、蟹、ささみなどが色とりどりに囲み、それとは別に万能葱だの生姜だの海苔だの何種類もの薬味が添えられている。 目のさめるような青い江戸切子の小鉢のつゆはよく冷えていてガラスに水滴を呼んでいた。 「私は女子供ではないが、気に入った!」 「ふふふ、いかにも日本的だな♪ 写メールでも撮るか? イタリアなら思いっきり山盛りのパスタだぜ、きっと。」 笑いながら食べ始める二人の箸さばきは堂に入ったもので、下手な日本人より鮮やかなのだ。 食後に玄関ホールで竹飾りを見ていると、美穂が声を掛けてきた。 「ミロ様、あれは三時のお茶にお持ちしてよろしいですか?」 「いや、今日は夕食後に離れでいただきたいが、かまわないかな?」 「はい、もちろんよろしゅうございます。 では、その頃にお持ちいたします。」 お辞儀をした美穂が離れていった。 「なんの話だ?」 「うん、ちょっとね。 まあ、楽しみにしててくれ♪」 なにやら楽しそうなミロである。 さて、七夕を意識して華やかに手の込んだ夕食を終えて離れに戻りしばらくすると、美穂が盆を捧げてやってきた。 「ご注文の通りアールグレイをご用意いたしました。」 「え?」 「いいんだよ、俺が頼んだんだから♪」 美穂が座卓に並べたものは艶やかなピーチパイとウェッジウッドのティーカップ。 「どうしてピーチパイが?」 「いいから、いいから♪ ありがとう、あとは俺がやるから。」 「では、明朝、器をお下げいたします。 おやすみなさいませ。」 畳に手をついてお辞儀をした美穂が出てゆき、ミロが紅茶を淹れ始めた。 「今日は七夕だろ? だから特別♪」 「特別って………あ…」 「日本のことに詳しいお前なら、もうピンときただろう。 今夜は織姫と彦星が年に一度だけ逢う日だぜ。 これを黙ってみている手はあるまい♪ ピーチパイのこと、覚えてる?」 「そういえば、 お前が一度シベリアに持ってきたことがある。」 「あの時はお前が酔って慌てたからな、今日はそのリベンジってことで俺がここの厨房で作ったんだよ、ハンドメイド♪」 「えっ、ここで? すると午前中にか?」 きれいに切り分けられたピーチパイはみずみずしくていかにも、食べてください、と誘っているようなのだ。 「ああ、そうだ。 昨日思いついて美穂に話してみたら面白がってくれてさ! 前にアフロに教えてもらってあるから、なんてことなかったし、大きいのを二つ作って、俺たちのこの二切れ以外はスタッフの皆さんでどうぞ、って置いてきたからな。 みんな、大喜びだったぜ♪」 「ふうむ…!」 「ほら、そんな渋い間投詞はいいから。 紅茶が冷める。おっとブランデーも♪」 「………え?」 「いいから、いいから♪」 「………どう?」 「あの時ほど甘くなくて、その点はちょうどいい………でも……ミロ…」 「うん、今度はグランマニエじゃなくてオレンジキュラソー♪」 「それにブランデーも………」 「もうあのときみたいな子供じゃないからな、少しくらいはかまうまい。」 「でも、私は………」 「いいんだよ、年に一度の逢瀬だ………俺の好きにしてもいい?」 「ん………もう……立てなくて…」 「でも、眠ってしまうほどの量じゃない。 」 「ミロ………」 「天の川を越えたら存分に可愛がってやるよ♪」 「あ……」 ミロの力強い腕がすいっとカミュを抱え上げ、襖を開ければやわらかい褥がふたりの逢瀬を待っている。 「俺の大事な織姫様………夜が明けるまでいい夢を見させてやるよ♪」 静かに襖が閉められていった。 黄表紙です ⇒ やっぱり七夕はいいですねぇ♪ 何がいいって、織姫と彦星ですもん、風情がありますよ。 幼稚園児でも知っている、年に一度のランデブー♪♪ ミロ様が厨房でピーチパイを作っている横で美穂たちが七夕そうめんの用意をしていたので、 ミロ様はたなごころを指す如くに盛り付けに詳しかったのでした。 錦糸卵、手伝ってたりして♪ この画像は青い立葵ですが、実際の立葵の色は白・赤・ピンクです。 ⇒ こちら 江戸徳川家の紋の双葉葵は ⇒ こちら で、もちろん、続篇作りたいです、できれば複数のバージョンで♪ そして続篇できました。 上の青いミロボタン、赤いカミュボタンからどうぞ。 どちらも黄表紙ですのでご注意を! 特にカミュボタンは強力です (笑)。 シベリアのピーチパイの話 ⇒ 古典読本 「不思議なピーチパイ」 |
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