<判決直前> |
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「関西訴訟団を励ます判決前集会」で、「きょうの青空は吉兆だ」と期待を込めあいさつする川上敏行原告団長
=13:00、社会文化会館で
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緊張の面持ちで最高裁に入廷する原告団、弁護団(右端が松本健男弁護団長)
=14:20、最高裁・正門で
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永嶋里枝弁護士(左から2人目)が「国・県の責任認める」と記した勝訴の垂れ幕を掲げると待機していた支持者から歓声と拍手が起こった
=14:20、最高裁・南門で
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傍聴した有識者らはたちまち報道陣に囲まれ、判決を評価した。インタビュー中に電話インタビューに対応する原田正純さん(中央)
=15:43、最高裁・南門前で
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しかし、水俣を1959年以前に離れているとして8人の原告には「因果関係がない」と切り落とされた。その一人、坂本美代子さんは落胆して座り込んでしまった。
=15:45、最高裁・南門付近で
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新潟から傍聴にきた板東克彦さん(元新潟水俣病弁護団長)と宮崎からかけつけた宮澤信雄さん(水俣病上告取下げを求める全国ネットワーク代表=右)はがっちり握手
=17:00、社会文化会館前で
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<対環境省交渉> |
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原告団は最高裁判決を背景に、環境省を訪れ、小池百合子大臣に面談。川上敏行団長(右から2人目)は「判決を真摯に受け止め、水俣病問題の解決に活かすよう強く要望する」旨の要請文を手渡した
=17:47、環境省会議室で
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環境相は当初渋っていたが、原告団の再三の求めに、最後に頭を深々と下げ、「申し訳けありませんでした」と謝罪した
=18:06、環境省会議室で
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しかし、引き続き行われた交渉では時として最高裁判決を否定するかのような答弁を繰り返し、業を煮やした初代原告団長・岩本夏義さんの長女・小笹恵さんは亡くなった父親の遺影を示しながら訴えた
=18:15、環境省会議室で
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普段は温厚な宮澤信雄さん(中央)も環境省役人の不穏当発言に怒りを露わにし、抗議した
=18:20、環境省会議室で
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この期に及んでなおも“逃げ”を打つような環境省側の対応に、患者たち(前列)に疲労の色が強くなってきた
=18:40、環境省会議室で
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医師の資格を持つ環境省役人に「医師として答えよ」と迫る熊本から来た二宮正さん(中央立つ人)も大きな声で糾弾した
=18:46、環境省会議室で
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不毛な発言を繰り返す環境省側(手前後向き)に多くの支援者次々に立ち上がり発言。多くの人たちは鋭い視線を向けた
=18:51、環境省会議室で
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水俣から患者たちと支援にかけつけ、的外れな答弁に対し、強い口調で迫る谷洋一さん(左側立つ人)
=19:15、環境省会議室で
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そして、病躯を押して支援にかけつけ、やりとりを聞いてついに怒り心頭に達した胎児性患者の坂本しのぶさんも立ち上がり、全身で声をしぼり出して抗議した
=20:46、環境省会議室で
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<散会後> |
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水俣病研究の先駆者・宇井純さん(右)とプロカメラマンとして初めて水俣を激写した桑原史成さんは散会後、勝訴を喜び、約40年の足跡を振り返った =21:40、飯野ビルで
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