寄稿 山中由紀

水俣病関西訴訟の原告団の坂本美代子さんと小笹恵さんは6月と7月に熊本県から届いた書類の疑問点を究明のために赴いたが、その後回答を得られないため、ついに本丸である環境省に直訴した。今回も介護役で同行した山中由紀さんがその様子を寄稿してくれた。

【写真・キャプションも山中由紀さん】



ついに本丸・環境省へ乗り込む

=坂本さん・小笹さん 認定申請、県から回答なしにしびれ切らす=

山中由紀

11月11日、ついに環境省に行ってきました。

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まず、新聞っぽく書いてみました………。

▼患者と遺族原告、環境省幹部に必死の訴え▼
水俣病の患者救済は、熊本県(ほかに鹿児島県、新潟県)が認めた人に対して加害企業のチッソや昭和電工が補償金と年金(国民年金程度の生活費)と医療費を支払うことで実行される。患者としての認定を求めて裁判を起こし、最高裁で昨秋に勝訴確定した坂本美代子さん(70歳)と遺族原告の小笹恵さん(52歳)が、2005年11月11日、環境省環境保健部を訪ね、水俣病患者としての救済を求めた。

滝澤環境保健部長(左端)と“激闘”する
小笹さん(左)と坂本さん(右)
         =環境省環境保健部長で
坂本さんは「私の姉はちょうど結婚話が出た頃に劇症患者になり、村八分の中、やせ衰えて亡くなった。両親もきょうだいも認定患者」「いつも頭痛と耳鳴りがしている。朝起きたときに体が動くのを確認した時の喜びが分かりますか」「薬の研究を進めて欲しい」「ボケてから認定されても遅い」「私には明日がない」「子供や孫に迷惑をかけたくない」「勝訴原告向けの保健手帳(勝訴し、かつ生存している原告向けの国・県の「配慮」。医療費が出る)は要らないから熊本県に返した。ごまかさないで、水俣病患者として認めて欲しい」と訴えた。

小笹さんは「母は地裁判決の前に、父は地裁判決の直後に亡くなった。早く亡くなったのは、それだけ症状が重いからでは?」「それなのに、亡くなった原告には何にもないのは納得できない」「私も頭痛がひどくなり、正座したら足がしびれるような感じの症状が右手にずっと出るようになった」「私が認定申請して初めて、両親の申請が失効していることを知った。これはわたしのせいか?」「熊本県に訴えに行ったら、最近、失効の規定が目立つような書式に変わっていた」「審査会に掛けてほしい」「私は諦めませんよ」「法律違反になるなら、私を逮捕してくださって結構です」と訴えた。

約3時間にわたって応対した環境保健部の部長と課長と室長は、「ご両親の失効は、小笹さんが悪いのではありません」「要するに、名誉回復ということですよねぇ」と言い、小笹さんは「今までのふんぞり返っているだけの役人とは違うと思っている。ニセ患者の疑いを晴らせるよう、早く認定して欲しい」と、坂本さんは「認定してください」と応じた。


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ざっと、こんな感じですがいかがでしょうか?

でも、やはり性に合わないので、いつもの日記体で行きます。

9月2日(金)に熊本県庁に行った甲斐があり、申請者が亡くなった場合の失効についての注意書きが、独立した一枚の紙になりました。恵さんの妹さんが認定申請をして、その受理通知がきたので、変更されていることが、10月24日(月)に判明しました。成果です♪

▼小笹さん:環境省は敷居が高いけど行かなあかん▼
今回、環境省に面会予約を取り付けたのは、小笹さん。「県庁から返事が来ない。環境省に行かな。県庁は市役所みたいなもんやから大したことないけれど、環境省は敷居が高い〜」と言いつつ、去年の12月に小笹家の仏壇にお参りしに来た環境保健部長の名刺を探し出し、「FAX番号が載ってたから、ここに送るわ〜。でも、何て書いたら良いんやろ〜。私、字が下手やし〜」と電話で大騒ぎ。

結局、10月15日(日)の晩あたりに「11月上旬の金曜日に伺いたいのですが」とFAXした模様。18日には「頑張って書いて送ったのに、返事が来ない」とブツブツ。その時、私は伊丹空港から熊本に向かう飛行機に搭乗する直前。「明日、熊本学園大の水俣学で木野先生が講義しはるから、モグリに行くとこなんです。ま、そんなスグには反応がないと思いますよ〜。それより、反応が全然ない時、それでも押しかけるかどうか、どうするかの方が問題でしょう」
「そんなもんかな〜。わざわざお金を使って行くんやから、それなりの人に会いたいしね〜。あ、原田先生に宜しくね」「は〜い。じゃ、行って来ま〜す♪」。

で、22日(土)、「環境省から返事が来た。11日(金)やって。あとは時間の調整なんやけど…」「前日から行っておくのと、金曜の朝に出るのと、どっちが良いですかね〜」「坂本さんは木曜日が通院日だし…」「フムフム」。
大阪を当日の朝に出るのが望ましいということになり、「午後2時以降で」と23日(日)深夜に環境省にFAXをした模様。すると今度はスンナリと「“受け取りました。調整しますので、お待ちを”というFAXが来た〜」とのことで、恵さん、ご機嫌。

結局、11月1日(火)の夕方、恵さんから私の留守録にメッセージが…。恵さんが録音するのは極めて珍しいことで、今のところ、この一回だけ。まさに事件です!
内容は「あ、もしもし、小笹です〜。環境省から電話ありました。11日の2時から、1時間ほど予定をとってもらいましたのでお伝えしておきます。それでは〜」。
普段の口調とは一変していて、標準語調のイントネーション…(笑)。要・保存ですね〜。その後の電話ではアポを取れたことに対して、恵さん「私にも出来たやん〜」と大威張り♪

▼今回は新幹線「ひかり」で上京………▼
翌日、私は閉店時間間際のJR東海ツア〜ズに駆け込んで「赤坂泊、3人1室、朝食つき、新幹線ひかり指定席。変更ダメ、乗り遅れもダメ」だけど、一人24300円の格安パックをゲット! 何も変更沙汰が起きないことを願い続けたのでした。

11日は、9時に阿倍野に集合し、地下鉄で新大阪駅へ。車内で食べる昼食用の弁当を選んだ後、40分くらい余裕があったので喫茶店でモーニング。が、注文がバラバラだったせいか、出てくるのに時間がかかり、いっぱい喋れたのは良いですが、急いで食べて改札口まで早歩き!


▼運転免許書見せて通門▼
<車内での会話 その1>

私 「環境省に入る時に必要という身分証明書ですが」

恵さん 「持ってきたよ〜。これ、健康保険証」

美代子さん 「私、忘れたで」

私 「…(写真のない保険証で良いの? え゛、忘れた? ったく…)」
→ 結局、証明書が必要なのは、環境省の受付ではなく、門のところでした。しかもテロ対策の割に1団体につき1人の証明書で良いらしく、私の小型自動二輪の免許証で通ったのでした。


▼保健部長室に部長・課長・室長が勢揃い▼
<車内での会話 その2>

私 「環境省の何階に行くんでしたっけ? 県民テレビさんから問い合わせメールが来てるんですけど」

恵さん 「あ〜、環境省からの紙、持ってくるの忘れたわ〜」

私 「え゛〜、そんな大事なもん、置いてきたんですか!」

恵さん 「7階とかちゃうかったっけ」

私 「前の電話では23階とかいう話と違いましたっけ」

恵さん 「そうやっけ? なんとかなるって〜。私が責任とるから」

私 「…」

→ 結局、受付さんに恵さんが颯爽と尋ね、環境保健部は25階と判明。10分ほど時間があったので、1階のロビーで休憩。美代子さんは県民テレビさんからの取材対応。そのうちに、保健部の方が迎えにきてくださり、保健部長室へ直行。
部長と書記の人だけでなく、見たことのある課長と室長も登場し、ビックリ。


▼1時間の約束が2時間たっても終らない▼

<車内での会話 その3>

恵さん 「どうしよ〜。何も言うこと思いつかへん。今まではそんなことなかったのに…」

私 「大丈夫大丈夫。今、トイレとタバコに行っている人(美代子さん)がいはるから、割り込む余地がないかもしれないし」

恵さん 「それもそうやね〜。最初に県庁に行った時は、スキマを見つけるのが大変やったし」

→ 面会は1時間ほどという約束でしたが、両親の失効問題で口火を切った恵さんが喋り続け、約40分間は独断場。美代子さんの出番はほとんどなく、美代子さんは手持ち無沙汰。美代子さんの追っかけで来ている熊本県民テレビさんは困ってるやろうな〜と心配しちゃいました。

結局、1時間経っても2時間経っても、「時間ですので」という言葉はなく、美代子さんも割って入り、途中で頭痛薬を飲んだ後からも「私には、明日という言葉はないんです」「棄却や保留という言葉は要りません」と熱弁!

▼“爆笑事件”誘発した小笹さんの話術
同じように重たい話をするのですが、恨み節系の美代子さんに対し、恵さんは明るい系。私はいつもクスクス笑っているのですが、他の方は神妙にしているのが普通。例えば―
恵さんはパート先で「肩が痛い」とか「足が痛い」とか言うそうですが、同僚は「今日は、どこが痛いと言うかの当てっこをしている」とのこと。私は本当に辛いのに、分かってもらえない。と訴えた後、

「そら、私はこんなふうで、暗くはないですから、そーゆーふうには見えないのかもしれませんが」

と付け加えるんですね。すると、なんと滝澤部長まで吹き出して、しかも爆笑。
部長室の本棚の中にあった
『新・水俣まんだら』。

この部長が笑った事件については―

美代子さん 「笑うなんて、失礼や」

恵さん 「笑わせるつもりはなかったんやけど…、面白かったんやろなぁ」

私 「タイミングを外さずに笑うなんて、よう聞いてはるということやし、嫌われてはいない感じですね」

恵さん 「今までから、訴訟団としての交渉のたびに話してるからね〜」

面会は、環境保健部長室で行われたのですが、本棚に『新・水俣まんだら』がありました。黄色い付箋が2枚ついていたので、読んだ形跡あり♪

▼窓外が暗くなったのに気付きお開きに▼
さすがは霞ヶ関? 景色は眼下に開けていた
結局、窓の外が暗くなってきたことに気が付いて驚いた恵さんのおかげで、夕方4時半過ぎに、「私たちは諦めません」「坂本さんを救急車に乗せてでも、引きずって来ますから」と、おいとましてきました。窓がない部屋だったら、それこそ体力の限界まで続いていたかもしれません。

夕方のニュースにする予定の県民テレビさんは、4時頃からソワソワしておられました(間に合って良かったですね〜)。
熊日さんは2時半頃に来られたので、「あと20分ほどで終る予定なのに、大丈夫かしら」と心配したのですが、エンエンと長引いたので問題なし(遅れてでも行ってみるもんですね〜。今後とも宜しくお願いしま〜す)。
 
その後、1階でコーヒーを頂いた後、宿の赤坂エクセルホテル東急に荷物を置いて、水俣フォーラムの事務所で語り部をして1時間弱ずつ喋って、10時前にホテル帰還。
横長のビルで、廊下がとても長〜く、部屋から出たくないということで、1階にあるコンビニへの買出しは私の役。美代子さんが薬を飲む用のお茶(渋いのが良いそうな)、恵さんの缶ビール(無かったので、カップコーヒー5杯セットとポテトチップで代用)、私の飲み物(スタバのアイスコーヒーに決定)をお買い物。
宿泊客に日本人は少なかったのですが、部屋のお風呂も横長で、長身の人向き。
お湯に浸かろうと寝っ転がってみた恵さんは足が届かず、溺れそうになったそうです。悲鳴は聞こえなかったし、そのまま沈んでたら、手遅れになったことでしょう(記事の見出し「水俣病未認定患者、ホテルの浴槽で水死」)。


▼12月17日、貝塚で歌手の上条恒彦と“共演”!▼

さて、美代子さんと恵さんの次の公式行事は、12月です。

・11日(日)午前10時過ぎからは、関西学院大学の梅田オフィスから環境社会学会の関西例会(参加自由。メールください)。

・17日(土)は、06年1月に「水俣展」をやるらしい大阪府貝塚市で、美代子さんの出番! 歌手の上條恒彦の歌に、美代子さんの姉・清子さんをモデルにしたものがあるらしく、共演するそうです(歌をバックに語り部するそうな…。泣いてしまって話せないと思う〜、と本人はお悩み中です。どうなることやら…)。

おそらく、木野先生も参加される筈です。木野先生は7月に立命館に移られて以来、不思議なくらい多忙を極めておられます。本当に積極的というか人使いの荒い大学です(職員の皆さんが、やる気に満ち溢れていて…)。

そうそう、恵さんによると、11月27日(日)、大阪のどこかのホテルで、環境省が、関西訴訟の判決を受けてこしらえた「新保健手帳制度」の説明会をするという噂があるそうです。環境省は関西訴訟の訴訟団には伝えているようですが、情報は流通してなくて原告の中でも詳細不明。このままだと、説明会への出席者は皆無では?

とりあえず、おかげさまで無事に環境省に行ってきたご報告でした♪
末筆ですが、寒い季節になりました。お体をおいといくださいますよう………。

【2005.11.21】



【後日談】
新しい保健手帳の大阪での説明会の日程は、結局、下記でした。

●日時 11月29日(火)13-15時
●場所 大阪駅前第3ビル17階(熊本県の大阪事務所がある)

仄聞するところによると、当日はお年寄りを中心に数十人が出席。役人は、幹部は来ずで、若手が説明。マスコミはゼロ。
12月には福岡でも同様の説明会があるそうです。
それにしても、患者の噂話とは、説明会の日程も場所もビミョーに違いました…(あはは〜)。

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