寄稿


水俣病関西訴訟の原告団の坂本美代子さんと小笹恵さんは7月下旬に熊本県から届いた書類に、またまた疑問点を発見。病躯をむち打って6月に続いて再び直訴へ。今回も介護役で同行した山中由紀さんがその様子を寄稿してくれた。

【写真・キャプションも山中由紀さん】


「国は患者が死ぬのを待っている」という話は本当に思えてきた

=坂本さん・小笹さん“認定申請、死亡後半年で失効”に再び抗議へ=

山中由紀

2005年6月に水俣病の認定申請しにわざわざ熊本県庁を訪れた小笹恵さんですが、7月下旬、無事に受理された旨、書類が届いたそうです。
「遺族」という単語が目に付いたので、「なになに…」と、その書類をよーく見たところ「亡くなった場合は半年以内に手続きしないと失効します(要約)」とあったとのこと。翌日、熊本県の水俣病対策課に「こんなん知らなかった。ウチの親はどうなってます?」と問い合わせたところ、調べてくれ、翌日のお返事が、「失効してます。この規定、ご存じなかったのですか…」。

「両親の後を継いで、13年間、頑張って来た。父が亡くなった4ヶ月目から私は原告団の会議にも参加している。その2ヵ月後に失効してたなんて…。そんな決まりはおかしい! 泣き寝入りはしない!!」と、激怒中………という話は前にお伝えしたとおりです。

そして、さる9月2日、熊本県知事に会いに行ってきました。今回も夜行バス!(経費節減と乗り換えのラクさを考えると…)。直接の当事者である小笹恵さん、「夏義さんが一番苦労しているのに…。私も一言」と仰る坂本美代子さん、「留守番する方が、心臓に悪いから、一緒に行くね〜」の私。女三代の珍道中、第2回目です。

バスの出る100分も前に阿倍野の地下で待ち合わせして、うどんやウナギの定食を食べて、喫茶店で一服して、いざ乗車。2階建てバスの2階の2列目。ほぼ満席。前回は2階建てバスの1階席で、エンジン音が響いてましたが、今度は揺れる揺れる! 高速道路に乗ってからは落ち着きましたが、恵さんは「吐くかと思った」とのこと。私も参りました…(汗)。


高速バス、2階席にするが大揺れでまたも寝不足
朝7時半頃に無事に下車しましたが、恵さんも美代子さんも口をそろえて「前回より寝てない」。
「美代子さんは睡眠薬を飲んだのでは?」「きかへん」「いつ効くの?」
「さぁ」「睡眠薬のメンツ丸つぶれやね〜」「寒かったしね…」「毛布が小さかったよね〜」「バスタオルを持ってくれば良かった…」。

それでも食欲は旺盛で、喫茶店でモーニングを食べた後、ホテルにチェックイン。朝からデイユースが可能で、そのまま泊まって、3人で14500円のお値打ち価格。熊本交通センターホテル。改装したばかりで、まぁきれいなトリプルルームでした。

午前中は寝たり起きたりでノンビリした後、美代子さんを何年か前に取材したという元・記者さんと子連れで昼食して、美代子さんは再会を喜んではりました。
ご機嫌斜めのお子さんの相手をしたのが美代子さんで、「孫の面倒、みてきたもん」。「孫が出来たら毎日でも、会いに行くねん」と張り切っている恵さんの出番は無し(今のとこ、孫の目処も立っていないそうですけど…)。

恵さんは昼1時と言ってましたが、そんな予定通り移動できるわけもなく、1時半までには辿り着くつもりでいましたが、やはり1時からは約10分の遅刻…(汗)。見ると、課員の若い人が玄関口まで迎えに来ておられました。前回、美代子さんの頭痛騒ぎの時にもおられた丸顔の男性です。


熊本県庁の廊下には意外と手すりが“完備”
「時間になっても来られないので心配しまして…。マスコミさんがおられるので、来られるとは思っていたのですが」ということで、丸顔さんの案内で、マスコミさんともども水俣病対策室へ一直線!(特に美代子さんはスタスタとは歩けないので、壁や手すりにつかまりながらですが…、熊本県庁の廊下には意外に手すりがあるのですね〜)

課長「上に会議室を用意しておりますので…」
                  (熊本県水俣病対策課にて)
「遺族が手続きしないと認定申請が失効するなんて、
 あんまりです」                 (会議室にて)

知事は福岡に行って不在とのことで、前回と同じく水俣病対策課の谷崎課長に訴えてきました。1週間前に恵さんが「抗議文」をFAXし、当日にも電話を入れた成果か、課長の手許には夏義さん関係のファイルがあり、応接用に会議室も用意されていました。

恵さんが出した「抗議文」ですが………

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熊本県知事 潮谷義子様

いつもお世話になっております。
この度、父・岩本夏義、母・岩本愛子の水俣病認定申請が、亡くなってから半年で効力を失っていることを知り、大変ショックを受けるとともに、大変怒りを覚えています。
そちらの方から、効力を失う前に遺族に何らかの連絡があって、こちらが放っておいたのならわかりますが。
だいたい、患者に責任を押しつけるのは筋違いです。
水俣病を長い間、何の対策も取らず、ほったらかしにしといて、その結果、父と母は申請してからもう31年も経っています。申請受理書の後ろに、小さな字で、亡くなってから半年放っておいたら効力を失うと書いてあっても、31年も前に出したんですから、覚えておく方が無理です。まして、遺族はもっとわかりません。
それを亡くなったら半年で効力を失うなんて、いつも患者が言っているように、死ぬのを待っていると言われても仕方ないですね。
父母がどんな思いで申請したか、わかりますか。それを死んだら終わりなんて、あまりにも非人道的です。患者は被害者です。国、県、チッソに殺されたんです。
私は絶対に引き下がりません。あまりにも、父、母、亡くなった人々が惨めです。貴女達は加害者です。せめて患者の人権を守ってください。
近いうちに、お話を伺いに参りますので、よろしくお願いします。
*****


マスコミ注視の中、恵さん20分の長広舌ふるう
室内は会議室に良くある3人掛けの机が3つ引っ付いて並べてあって、椅子が二脚ずつ。机が2つだと、向かい合って座ればお互いに袖触れ合う近さになるのですが…。新聞1社、テレビ2社が見守る中、恵さんが思いをぶつけます。最初の20分は一人で喋っていたような気がします…。要旨としては―

両親が認定申請をしたのは今から31年も前。それから18年後に亡くなったけど、遺族は何も聞いていない。解剖してでも認定されることを望んでいたから死後半年以内に遺族が県に届けないと失効すると本人が知っていたら、私らに教えたはず。
申請した本人が知らないことを、遺族は知りようが無い。その規定を知ってから届ければ良いことにして欲しい。理屈はなんでもいいから、なんとか、審査会に掛けて欲しい。
申請者が亡くなったかどうかは、調べにくいかもしれないけれど、父の葬儀の時は、原告団長だったせいか全国紙に記事が載ったし、県や水俣市からも弔電をいただいている。父の死を知ったのなら、ひとこと失効について教えて欲しかった。
私は失効について、自分が認定申請して初めて知った。私は好奇心が旺盛だし、「遺族」という言葉に今は敏感だから、認定申請の受理通知の何枚目かにあった「遺族」という言葉に反応できた。気付かない人も多いと思う。もっと目立つように書くべきでしょう。
「国や県は患者が死ぬのを待っている」という言葉をよく聞きますが、今回私は本当にそうかもしれないと思いました。これでは死に損です。法律は法律も知れませんが、どうにかしてください。私は泣き寝入りはしませんから…。

美代子さんも―
私もそんな決まりは知らなかった。恵さんに言われて、二日がかりで古い書類を捜したら、平成4年に来た通知に載っているのを見つけたけど、そんなの覚えていない。認定申請の受理通知は、ハガキ一枚だけで、別にそんなことは書いてないですよ。

小笹恵さん(右)と坂本美代子さん
「水俣病でなければ、私らは何の病気ですか!」
この二人、ホントによく喋ります。感心します。日頃から体全体で考えて、考えて、その思いをぶつけています。約90分も話し続けるなんて、たいしたものです。一見の価値、あります。機会があれば是非ご同席くださいませ。

課長さん曰く「失効のクレームは小笹さんが初めて」
で、二人の思いをぶつけられている課長さんのお返事ですが―
    亡くなった当時の係員に尋ねたが、経緯は覚えていないとのこと
    だった。
    お気持ちは分かります。
    法律的にはどうしようもありません。
    来週、環境省に行くので、必ず伝えます。
    失効について、もっと見やすいように工夫するようにします。
    今まで、このことで苦情に来られた方はいません。小笹さんが 
    めてです。
    今日のことはマスコミさんも来ておられることですし、報道していただけると、気が付く方もおられるかもしれません。
恵さんは、環境省に行った結果は必ず連絡してくださいねと突っ込み、「はい」と返事をもらってました。

3時前に美代子さんが頭痛を起こしたかどうかというあたりで閉会。そのままマスコミさんが課長さんに取材しているので、興味津々。いろいろ口出ししていたような気がする…。その後、県庁1階の喫茶室の前で、課長さん達とお別れ。我々は静かにお茶、と思いきや、取材でバタバタしながらのお茶。

熊本城の天守閣にて。
「数十年ぶりに来たわ」
「なつかしいわ〜♪」
「暑い〜」

この日は、熊本に小泉首相や亀井静香さんが来ていた上、熊本城の大広間の上棟式があったり、じん肺の裁判で和解とか、天草で船が沈むとかの事件があったのですが、県民テレビと朝日放送では、しっかりと夕方のニュースになっていました(ホテルで見ましたよ〜。深謝♪)。

その後は、ゆっくりとご飯を食べて、翌朝は帰りのバスの防寒用のタオルを探し回ったり、熊本城の天守閣に登ったり、シダックスでカラオケしたりして、楽しんで、夜行バスで帰阪しました。
帰りのバスは一階建ての産交バスでしたが、行きと比べて毛布も大きく、冷房が効きすぎることもなく、なんとなく椅子も立派な気が…。
朝6時20分くらいに着くので、7時開店のモスバーガーで朝食して、帰途に着きました。

熊本城に行ったのは、美代子さんは両親の裁判(第一次訴訟)の時以来、恵さんは小学校の修学旅行以来とか…。ちなみに私は初めてでした。

おかげさまで、とりあえず無事に済んで良かったです(ホッ)。ありがとうございました。

≪後日談≫
亡くなった関西の原告はほとんど失効している!………

9月11日(日)、恵さんが原告の集まりで支える会の人に会った際、「両親の認定申請が失効していたので、熊本県庁に失効を取り消すように言ってきた」と話したそうです。
すると「えー、知りませんでした。どこに書いてあったのですか?」とか「取り消しは絶対無理ですよ」と言われたそうです。どうやら関西の原告で棄却される前に亡くなった方々は、全員、失効しているようです。なんという…(無常)。
同じことを川上敏行さんに話すと、「えー、そんなことが……あいた〜」と絶句したそうです。「あいた〜」というのは、川上さんが衝撃を受けた時に発するセリフです。

なお、恵さんは「無理かもしれないけど、私は諦めたくないねん」と答えてきたとのことでした。これを聞いて、13年前に亡くなった原告の下田幸雄さんが「患者が一番みじめで一番辛い思いをするのだから」と仰っておられたのを思い出しました。
失効だなんて、夏義さんや愛子さんはどう思っているかしら。でも、死後半年以内に届けが要るという手続きを知らなかった遺族を責めてはいないと思いますよ、絶対に!
ちなみに下田さんは、県の検診を受けないまま「未検診」で亡くなられています(合掌)。                    
                                                               【2005/9/26】
※山中由紀 [生命・環境系の週間テレビ予報] http://homepage2.nifty.com/yukidon/
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