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第2章 電磁波過敏症(年末年始)その1
その1
〔1〕2001〜2002年 年末年始のES症状を自覚 (2014年11月25日更新)
〔2〕2002〜2003年 初売での惨事 (2014年11月25日UP)
〔3〕2003〜2004年 自宅で過ごすのは限界 (2014年11月29日UP)
その2 (2014年12月
24日更新)
〔4〕2004〜2005年 洋上のお正月
〔5〕2005〜2006年 ビジネスホテルに避難
〔6〕2006〜2007年 年々強まっていく電磁波
その3 (2015年1月
20日更新)
〔7〕2007〜2008年 電磁波の少ない土地を求めて〜道南地方編〜
〔8〕2008〜2009年 電磁波の少ない土地を求めて〜日高地方編〜
〔9〕2009〜2010年 鉄筋コンクリート建物のシールド効果
〔10〕2010〜2011年 家族と過ごすお正月
〔追記〕2011〜2015年の状況
注:この章では、事情により、2011年に書いた原稿を2014年にアップロードします。3年のうちに状況が変わった点もあります。それについては、章末にまとめて記述します。
*CS:化学物質過敏症、ES:電磁波過敏症
年末年始は一年でもっとも電磁波過敏症(ES)が悪化する季節です。カレンダーが12月に変わったあたりから、人々の外出が増え、街中が人で賑わいます。働いている人々も、年内に仕事を終わらせるために活発に活動する時期です。携帯電話の使用量が増加します。そのため、私の体感では、外界の電磁波量が増したように感じ、ES症状が強く出ます。
症状は、頭痛、全身の筋肉の痛みと圧迫感、目の痛み、視界のちらつき・点滅、食欲不振、不眠です。特に年が明けてからは、ニューイヤーコール、年賀メール、初詣、初売りなど、携帯電話の使用量が社会全体で増加するようで、症状が格段に強くなります。
全身の圧迫感は、深い海の底に潜って水圧で押されているような強い圧力で、全身を締めつけられるような苦しさがあります。腕や足、首、肩などは、誰かにつかまれて押さえつけられているような痛みを感じることがあります。全身の筋肉が萎縮していて、そのため呼吸筋や内臓筋がスムーズに動くことができず、呼吸が浅く、消化機能が低下したように感じます。常に息苦しく、食べても消化できない感じがあります。そして、視界の点滅は、まるでフラッシュライトの点滅を見続けているような衝撃があり、目がくらまされて、何が何だかよくわからなくなります。この光の明滅と頭痛のため、夜はほとんど眠ることができません
期間中の症状の移り変わりをグラフで表現してみました。
[年末年始ES症状グラフ(2011年頃)]
カレンダーが11月末日から12月1日に変わると、それまでより症状が強くなった感じがあります。12月第1週は高め、特に土日は年末の買い物客が増えるためか、症状が強くなります。12月の第2週、第3週は、1週目より少し軽い印象。そして、23日の天皇誕生日、24日のクリスマスイブの前後にぐっと強まって、26日以降は少し収まります。
企業や官公署が年末休みに入る12月29頃からまた強まってきて、大晦日は12月でもっとも症状が強い日です。年が明けた1月1日午前0時に一気に強まる感じがして、それは午前2時頃くらいまで続きます。朝5時までには少し落ち着いて、1月1日の昼間にまた高まります。三が日は形状しがたい激しい苦しみに見舞われます。1月4日は少し下がりますが、仕事始めの日であり、まだ高め。1月7日頃からいったん下がってきますが、成人の日の3連休には、また苦しみが戻ります。3連休が終わると、通常の期間より少し高めですが、ほぼ普段通りに戻ります。1ヶ月の長きにわたるES増悪期間です。すでに12月中でかなり苦しいのに、年が明けるとその何倍にも何十倍にも症状の強さが跳ね上がる感じがあり、追い打ちをかけられます。今こうして思い出してみても、恐怖が募ります。
この1年でもっともESが悪化する時期に、どのように苦しみを回避し、軽減させるのかということが、毎年の課題となってきました。2000年頃から年末年始の体調悪化を自覚するようになってきました。2003年、2004年には、それをはっきりと自覚するようになり、2005年からは、電磁波の少ない場所に避難するようになりました。2002年から記録が残っているので、年ごとの症状や対策法を振り返ってみたいと思います。
この頃は現在より電磁波の強度が小さかったため、主に悩まされたのは、年明けの症状でした。
2001年大晦日の年越しカウントダウンの後、2002年午前0時になってみると、頭にパーンとはじけるような強い衝撃が走り、そのままベッドに倒れ込んでしまいました。それから午前5時までの記憶がありません。5時に意識が戻ってみると、頭全体を強い頭痛が覆っていました。とても起き上がれないような頭痛です。
午前8時頃、頭痛はさらに強まってきましたが、夫と一緒に初詣に行くことになっていたので、無理して起きて出かけました。この年は、まだ元日に出かけることができていました。
私たちは、2002年の5月に仙台から札幌に引っ越してきました。札幌で初めての年越しです。
仙台では、1月2日まで初売りが解禁されていませんでしたが、札幌では1月1日から初売りをやるといいます。それで、「これは珍しい」ということになって、大きなスーパーマーケットに出かけて行ったのでした。
店内はすごい人混みでした。「これも正月の風物詩ね」なんて言いながら、店内を見て回っていましたが、そのうち、お腹にパーンとはじけるような衝撃が走り、次の瞬間、強烈な痛みに襲われ、その場にうずくまってしまいました。自分の体に、大変な異変と危険を感じたために、私は夫に言って、すぐに家に帰ることにしました。うまく歩けないので、夫に手を引かれて、前屈みでそろそろと進んでいきましたが、痛みはますます強くなっていきました。私は駐車場の車の中に押し込まれるように乗り込みましたが、この辺りから意識がもうろうとしてきました。のちに夫が聞かせてくれたところによると、私は大きな声でうめきながら、後部座席で転げ回っていたそうです。夫は血の気が引いて、生きた心地がしなかったと言います。「救急車を呼ぼうか?」の声に、「ここから離れれば、良くなるはずだから!」と叫んだのはよく覚えています。原因が混み合ったスーパーマーケットであることがわかっていて、離れれば症状が治まるはずだと考えたのです。「どうか治まってほしい」と祈るような気持ちでした。
しかし、混み合った駐車場は、長蛇の列でなかなか進みません。永遠とも思われる時間が過ぎ、車が駐車場を出て走り始めたとき、少しだけ希望が見えた感じがしました。そして、車が交通量の少ない閑散とした田舎道まで来たとき、私の腹痛は少しずつ少しずつ治まっていったのです。私の激しいうめき声がやんだので、夫は安心したようでした。私は苦しみから解放されて、ただただひたすら疲れていました。私たちは初詣の予定を取りやめて、家に帰りました。
それまでも年明けには強い頭痛などを経験しており、年末年始に問題があることはわかっていましたが、本当に危険を認識したのは、このときからです。元旦に人混みに行くなどという危険を、二度と冒すまいと決心しました。この年は、三が日は頭痛がしていましたが、その後に、通常の状態に戻りました。
前年に強い腹痛を経験しているので、年末から身構えていました。前の年同様、年明けの瞬間にはじけるような衝撃と頭痛があり、寝込んでしまいした。三が日は、前年よりずっと症状が強く感じられました。視界の点滅を強く意識したのがこの年です。本を読んでいましたが、点滅が強く、行を目でうまく追うことができません。頭全体を圧迫されるような強い頭痛があって、座っているのもつらく、横になってしまいます。
自宅の近くには神社があって、初詣客でにぎわいます。夫が様子を見に行ったところ、200〜300人の参拝客が行列をつくっており、それぞれの人が手持ちぶさたそうにしていたり、携帯電話をいじったりしていたそうです。神社にいる人たちが携帯電話を使った場合、私の家から100mのところにある中継アンテナが電磁波を送受信することになるので、家にいる私にも影響が出ているようです。中継アンテナは当時、一番大きなシェアを占める大手携帯会社のものだったので、それだけ通話量も多そうでした。この行列は夕方まで続き、少しずつ数を減らしながらも、3日間続きました。この期間は大変な苦しみで、「来年からは、とても家にいることはできない、避難が必要だ」と思わされた年でした。