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第2章 電磁波過敏症(年末年始)その2
その1 (2014年11月29日
更新)
〔1〕2001〜2002年 年末年始のES症状を自覚
〔2〕2002〜2003年 初売での惨事
〔3〕2003〜2004年 自宅で過ごすのは限界
その2
〔4〕2004〜2005年 洋上のお正月 (2014年12月6日更新)
〔5〕2005〜2006年 ビジネスホテルに避難 (2014年12月
20日更新)
〔6〕2006〜2007年 年々強まっていく電磁波 (2014年12月
24日UP)
その3 (2015年1月
20日更新)
〔7〕2007〜2008年 電磁波の少ない土地を求めて〜道南地方編〜
〔8〕2008〜2009年 電磁波の少ない土地を求めて〜日高地方編〜
〔9〕2009〜2010年 鉄筋コンクリート建物のシールド効果
〔10〕2010〜2011年 家族と過ごすお正月
〔追記〕2011〜2015年の状況
注:この章では、事情により、2011年に書いた原稿を2014年にアップロードします。3年のうちに状況が変わった点もあります。それについては、章末にまとめて記述します。
*CS:化学物質過敏症、ES:電磁波過敏症
2004年の10月頃から、年末のことを考えると、全身を焼かれるような強い恐怖心を感じていました。2004年の正月のような体験は、二度としたくなかったから、「何とか難を逃れる方法を考えなければ」と思うのですが、恐怖に心が凍りついているようで、前向きに進めないような心持ちでした。
札幌市内のように住宅が密集しているところにいれば、携帯電話を使用が増える年末年始には、地域全体で相当な電磁波量となります。建物がまばらな田舎や過疎地に行けば、それを軽減できるはずです。道東のオホーツク海沿岸や、阿寒湖などの奥地に行けば、そのような環境に身を置くことができるかもしれません。私は北海道の地図を見ながら、思いを巡らせました。
新年をホテルや旅館で迎える「年越しツアー」のプランが旅行会社から出ていたので、それを検討してみることにしました。そんな中で、新聞の広告が目に飛び込んできました。「船上で迎えるお正月・初日の出ツアー」。船で沖合に出てしまえば、携帯電話は通じなくなるかもしれない、そうすれば、電磁波による症状を起こさなくて済みます。夫に相談し、旅行会社に問い合わせてみることにしました。
旅行会社の担当者の説明によると、
○航路は苫小牧を出港して、室蘭沖まで航行する
○沖合数km〜数十kmのところを航行
○実際には初日の出が見やすいところ(雲の少ないところ)を探して航行するので、ルートは確定していない
○船内は携帯電話が通じるが、年配の参加者がほとんどなので、実際の使用者は少ないはずということでした。(注:この原稿を書いている2011年現在は、すでに高齢者の大半が携帯電話を使用していますが、2004年当時は、まだあまり普及していませんでした。)
[初日の出ツアー航路]
私は考えてみました。12月31日〜1月1日の1泊2日、参加人数は400名、年配の人が多く、携帯電話の使用率は少ない。400名が乗る船の中では、携帯の電磁波の影響は受けますが、船外は数km以上にわたって無人となります。それに対し、当時私が住んでいた住宅地は、家々が密集して、途切れることがなく続いています。地図を見ながら計算してみると、私の家のある区画には、100m四方に約60件の住宅が並んでいます。携帯電話の中継アンテナ1つの圏内が1km四方とすると、その中には約6000件の家が存在することになります。500m四方で計算すると、1500件くらい。1件あたり平均2人が暮らしているとすると、1km四方では、12000人。500m四方では、3000人。しかも船上とは違って、切れ目なくさらに住宅が続いていきます。
別の方法でも計算してみました。おおざっぱな計算方法ですが、札幌市の人口は約200万人。地図を見ると、住宅密集地は直径約20kmの範囲に収まっています。人口を面積で割ると、1km平方あたり6000人くらい。誤差を考えても、1km平方あたりの人口は、数千人〜1万数千人ということになりそうです。
もし船上の旅行客と住宅地近辺の住人が同じ割合で携帯電話を使うとしたら、そこから受ける影響は格段に違ってくるはずです。しかも、旅行会社の人が言うには、参加者は高齢者が中心で、携帯使用率が低いということです。このように考えてみると、船上で過ごすのは、かなりのリスク軽減になると思い、このツアーに参加してみることにしました。
泊まる船室は、「特等」にしました。料金は高かったですが、これがCS的に一番負担が少ないと判断しました。一番安い2等船室は和室だというので、畳が苦手な私には難しいと思いました。また、相部屋なので、他の客が使用する化学物質による反応も問題となります。各部屋にテレビがついているので、ふだんから電磁波過敏症のためテレビを見られない私にとって、それも問題となりそうです。1等の寝台も相部屋のようなもので、CS・ES的に自信がなかったので、特等の個室をとることにしました。
12月31日の昼に札幌を出発し、苫小牧港までバスで60km。バスの車内では携帯電話を使っている人はほとんどなく、症状を起こさずに済みました。CS的にも耐えられるレベルでした。フェリーに乗船してから年越しまで、様々なイベントがあり、大晦日の華やいだ雰囲気に包まれていました。にぎやかなイベントに参加しながら、「こんな年越しも悪くないな」と思いました。
合間に船内を探検してみました。2等船室の和室は、実際に見てみると、畳ではなく、カーペット敷きになっていました。畳よりはカーペットの方がCS反応はずっとマシですが、各部屋にはテレビがつけっぱなしになっていたので、ここに泊まるのは難しかったと思います。1等船室は、JRの寝台車のような作りになっているところと、カプセルホテルのような作りのところがありました。のぞいてみたら、どちらも建材の化学的な匂いがしており、2等船室よりずっとCS反応が強かったです。特等の個室を選んでよかったと思いました。特等船室は船の先頭の方にありますが、2等船室は船尾の方にあります。体感では、船尾の方は燃料の重油が燃えた匂いが強くしていました。煙突がどこにあるのかわかりませんでしたが、排気が船の後ろの方に流れているように感じました。この点でも船体の前方に部屋を取れたのは幸運でした。
[フェリー配置図]
そして迎えた年越しの瞬間。イベント会場には200人以上の人が詰めかけ、みんなでカウントダウンをすることになりました。年が明けた瞬間に全員がクラッカーを鳴らすことになっていて、1人1つずつ配られました。私はクラッカーの火薬がCS的にまずいと思い、一人身構えていました。司会の人が「カウントダウンの練習をします」と言って、クラッカーを鳴らすタイミングの練習をしたのですが、これだけ人がいると、何人かは練習の時に鳴らしてしまいます。私はすかさずその人に声をかけて、使用済みのクラッカーをもらいました。嗅いでみると、火薬の匂いがします。1つだけだったら何とか耐えられるレベルだけれど、これが200人となると・・・。私はカウントダウンが始まるまでは会場にいましたが、クラッカーを鳴らす直前に部屋を出て、廊下で新年を迎えました。会場からは次々と鳴らされるクラッカーの音が聞こえてきて、私も会場のみんなと心を1つに合わせることができました。私の分のクラッカーは、会場に残った夫が代わりに鳴らしてくれました。
そして、年が明けた瞬間のパーンとはじけるような衝撃と、頭痛の到来を覚悟していたのですが・・・起こりません。0時5分、10分・・・と時間が経過していきましたが、私の体には異変が起きません。まわりを見渡すと、船内の各所のソファでくつろいでいる人たち、皆表情は新年を迎えた喜びに満ちていましたが、ほとんど携帯電話を使っている人がいません。0時15分くらいになると、気持ちが落ち着いてきて、このツアーに参加して本当によかったと思いました。家にいたら、きっと、とんでもない具合悪さに襲われていたでしょう。
その後、初日の出の時間まで部屋で寝ることにしましたが、あまり眠れませんでした。部屋の家具や寝具にはCS反応がありました。それと、船なので、レーダーを搭載していると思うのですが、そういったものに対するES反応を感じました。それでも、地上にいて年越しするよりずっと楽で、少しずつですが、睡眠をとることができました。
1月1日も新春イベントがあり、楽しい新年を満喫できました。初日の出は、寒い甲板の上で、みんなでふるえながら拝みました。とにかく凍えるような寒さでした。初日の出にあまり関心がない夫は、朝風呂を浴びに大浴場に行きました。みんな甲板に出払っているので、広い浴室を独り占めでき、しかも浴室の窓からはきれいな初日の出が見えたそうです。暖かい浴室で、湯につかりながら初日の出を拝んだ夫が、400人の客の誰よりも、良いご来光を迎えることができました。
1月1日の午後に苫小牧で下船して、バスで札幌まで帰りましたが、家に帰ってからの2日間が、本当につらかったです。1月3日まで、3が日はやはり携帯電話の使用量が大きいのでしょう。強いES反応を起こしてしまいました。年越しの爆発的な症状は抑えることができましたが、1月3日までの期間の症状をどう防ぐかが、その後の課題となりました。
毎年のことですが、10月になると、年末のことを考えて憂鬱になります。2005年には、前年の経験をふまえて、12月31日〜1月3日の期間に避難できる場所を探すことにしました。
自宅は木造でしたが、鉄筋コンクリートの建物の中では、ES症状が軽くなるのを感じていました。そのため札幌市内であっても、鉄筋の建物に避難できれば症状を軽くできるのではないかと考えました。観光客が泊まるようなホテルは、お正月の特別料金で高くなります。ビジネスホテルに素泊まりするのであれば、価格がふだんと変わらない可能性が高い上、宿泊客も少なそうです。当時はまだインターネットの情報が充実していなかったので、図書館に行って札幌市内全域の電話帳を見ながら、ビジネスホテルをチェックしていきました。どのホテルも当然、便利な場所にあり、繁華街か駅に近いところばかりです。繁華街や人の集まるところ、観光地、神社の近く(初詣で人が集まる)は何としても避けたい場所でした。
札幌市内のビジネスホテルは、たいていが札幌駅付近か大通付近にあり、他は、1件2件ずつ地下鉄駅の近くにあったりします。そんな中で、北海道大学の周辺エリアにあるビジネスホテル群は、状況が違っていそうでした。大学は年末年始には冬休み期間でお休みだし、大学周辺に住んでいる学生たちも、故郷に帰省します。このエリアは、繁華街もショッピングセンターもなく、お正月には閑散としていそうでした。このエリアのビジネスホテルを当たってみることにしました。電話帳でホテルをピックアップした後、実際に現地に行ってチェックすることにしました。
地下鉄南北線北18条駅付近のビジネスホテルを見てみました。地下鉄駅のすぐそばに何軒かホテルがありましたが、当時、私は地下鉄直近の場所では、路線からの電磁波によるES反応を起こしていました。症状は、頭痛・全身の痛みや重さ。(地下鉄によるES反応は、携帯など通信電波によるESとは違い、目の痛みや視界の瞬きがないのが特徴です。)それで、少なくとも地下鉄から200〜300m離れた場所にしたいと考えていました。
[北大周辺地図]
駅から北大方面に数百m歩いていくと、大学そばのビジネスホテルが何軒かあります。ここが狙い目でした。ところが、期待していた一軒は建物の屋上に携帯電話の中継アンテナが乗っており、泊まれそうにありません。このアンテナはマンションなどに乗っている通常のものより、大型のものでした。12枚のアンテナが寄り集まっているもので、体感では10月の平日であっても、強い刺激を感じました。このエリアの他のホテルも、このホテルの近くに密集して建っています。アンテナが近すぎて、他のどのホテルも難しいと感じました。
このエリアから離れて、東の方に歩いていくと、一軒だけビジネスホテルがありました。周辺の電磁波環境は良さそうです。しかし、ここでパンフレットをもらって見てみると、個室にポータブルの石油ファンヒーターを置いてあり、この灯油の匂いにCS反応を起こしそうです。他に暖房器具がないようで、寒い冬にストーブを付けずに過ごすこともできないので、ここは無理だと思いました。
しばらく歩いて、今度は北12条駅付近を見て回りました。 このエリアにあるホテルのうち一軒は、近くに携帯電話の中継アンテナがなく、条件が良さそうでした。難を言えば、地下鉄の駅から近すぎること、120m先に小さな変電所があることでした。しかし、この他に良い条件のところを見つけられなかったので、ここに泊まってみることにしました。12月31日〜1月3日の3泊を予約しました。12月31日〜1月1日の年越しは、ツインの部屋で夫と過ごします。1月1日〜3日はシングルの部屋で一人で過ごすことにしました。
いよいよ12月31日を迎えました。当時、私は自家用車にCS反応を起こしていたため乗ることができず、移動は公共交通機関を使うしかありませんでした。バスや地下鉄を乗り継いでホテルまで移動します。本来なら、自宅から地下鉄大通駅を経由して、ホテルまで行くところですが、私は大晦日に、人通りの多い大通駅に行く勇気がありませんでした。ひどい発作が起きれば、自分の身に何が起きるかわからず、怖かったのです。
そのため、本来ならまずあり得ないルート、札幌市の西側にある自宅から、市の北側を経由して行く方法にしました。バスに乗り、地下鉄に乗り、バスに乗り、地下鉄に乗り・・・ホテルまで2本のバスと2本の地下鉄路線を使います。恐ろしく時間がかかりましたが、危険を回避するためにはこうするしか良い方法が見つかりませんでした。
[北よりのルート]
当時、軽油を燃料としたバスには乗れましたが、天然ガスを燃料としたバスは、目の痛みが強く出るので乗ることができませんでした。どのバスが来るかは、乗る直前になるまでわかりません。もし天然ガス車が来たら、一台やり過ごして次のバスを待たなければなりません。年末年始ダイヤで、ふだんよりバスの本数が減っていたので、その場合は、待ち時間も長いものになりそうでした。
12月31日に自宅からホテルに移動したときには、大丈夫なバスが来たので、すんなりいくことができました。夫は、私とは別に車でホテルに行きました。2人で合流して、チェックイン。
客室に入って、すぐに部屋のチェックを行いました。内装もほどほどに古く、何とか泊まれそうでした。部屋の冷蔵庫、テレビのコンセントを抜き、窓にアルミ箔を貼って電磁波の侵入を防ぎます。アルミ箔の上をさらにビニールで覆って、アルミの匂いや成分が発散するのを抑えます。こうして、窓をシールドしました。
[窓のシールド]
年越しの瞬間は大変緊張しましたが、あのはじけるような頭痛の衝撃はなく、少し頭の中がザワザワとしただけで済みました。本当にホッとしました。ホテルの廊下に出てみると、頭痛が強まったので、部屋の中では、窓のシールドがよく機能しているようです。「避難は成功した」と思いました。
翌日、チェックアウトの時間に、夫は家に帰っていきました。私はツインからシングルの部屋に移動しました。ところが、この新しい部屋に入ると、強い目の痛みを感じました。とても目を開けていられないような痛みです。部屋の中の何に反応しているのかわからず、悩みました。
窓を開けると、隣の建物がすぐに迫っており、FF式ストーブの排気筒から煙が出ています。すぐ隣の建物の人が灯油ストーブを焚いているようです。「目の痛みはこの排気によるものだろうか?」と悩みました。とりあえず、窓にアルミを貼り、ビニールを貼って、完全に窓を密封してみましたが、目の痛みは治まりませんでした。
部屋の中に原因があるのかもしれません。室内を見渡して、怪しいと思われるものを1つ1つビニール詰めしていきました。浴室は、寝室よりずっと目の痛みが軽かったので、寝室側の何らかの物質が原因となっているようです。目の痛みのため、だんだん思考力が落ちてきて、うまく物を考えられない状態になってきてしまいました。焦れば焦るほど原因がつかめないような感じになってきます。
よく嗅ぎ分けてみると、どうやら部屋のビニール壁紙が原因のようです。前日のツインの部屋では、壁紙は古くなって、ところどころヒビ割れていましたが、この部屋では真っ白な新しい壁紙が貼ってありました。目が痛いので、その日は仕方なく浴室でずっと過ごし、1月2日になって、フロントに部屋替えをお願いしました。何部屋か空き部屋があって、見せてもらいました。入ったときの数分間で決めなければならないので、緊張します。中に、目の痛みが少なく、壁紙も古そうな部屋があったので、その部屋にしました。新しい部屋で、また窓のアルミシールドを作り直しました。
アルミを貼っているので、外の光が入りません。一人で暗い部屋にずっとこもっていると、気持ちも閉塞気味になるので、ときどき廊下や屋外に出ていました。1月1日以降は、大晦日よりずっと電磁波の刺激が強いように感じました。客室にいても、すべては防ぎきれていないようで、じわじわと迫ってくる症状がありました。なるべく安静にして、ゆったりと過ごすようにしていました。本を読もうとしたけれど、あまり頭に入りませんでした。家にいるよりずっと楽でしたが、それなりに苦しい思いをしました。目をつむると、まぶたの裏がチラチラと点滅していました。
私は、以前、水道水で激しいCS症状を起こしたことがあるので(→第1部 スモール・データ・バンク「水」参照)、自宅以外の場所で水道水を使うのが怖くてしかたありませんでした。
そのため、食糧の補給もかねて、1月2日の夕方に、一度自宅に戻りシャワーを浴びることにしていました。午後になって、バスと地下鉄に乗りました。12月31日にホテルに来たときと同じように、市内の北よりのルートで帰ります。大晦日には、天然ガス燃料のバスに当たらず、トラブルなく来ることができましたが、この日は有害なバスが来てしまいました。1台見送って、次のバスを待ちましたが、正月ダイヤで本数が減っているので、長時間待たなければなりませんでした。次に来たバスも、天然ガス車でした。すでにこのバス停で1時間半の時間が経過していました。このバスを見送った後、さらに1時間以上待つ気力はありませんでした。寒さと電磁波による症状で、体調は限界に近づいてきてしまいました。
私は仕方なく・・・大通で乗り換えるルートで帰る決心をしました。そのときの恐怖心は尋常ではありませんでした。人が多く、電磁波も強いことが予想される危険なルートです。大通で地下鉄を乗り換えて、自宅の最寄り駅まで行くには、初詣客の多い円山公園駅を通らなければなりません。どれだけの人出があるのでしょうか。恐怖でした。
[中心部を通るルート]
「もし乗車率が200パーセントになったとしても、それ以上の人は乗ることはできない。」「人出が多くても、地下鉄の構内に存在できる人数は限られている」「地上の携帯電話の電磁波は、地下まではやってこないに違いない」「それほど強い症状は出ないのではないか」このように自分に言い聞かせるようにして、地下鉄に乗り込んだのです。
地下鉄の車両が大通駅に近づくと、たくさんの人が乗り込んできました。ぎゅうぎゅう詰めの中、頭痛がどんどん強くなってきました。乗客はさらに多くなってきます。頭痛が強まり、意識が遠くなってきました。恐怖心が募ってきます。倒れないように脚に力を入れながら、心の中で「落ち着いて、大丈夫」と自分に言い聞かせるように、何度も何度も唱えていましたが、ますます血の気が引いてきて、意識が遠のいていきます。
「そろそろ来るかもしれない!」と身構えたその瞬間、頭の中に破裂するような激しい衝撃が走り、目の前に次々と閃光が見えました。まるで火花が散っているようなまぶしい閃光がやってきて、目を開けていられません。頭が激しく振動するような頭痛、まるでお寺の鐘の中に上半身をすっぽり入れられて、外から鐘を鳴らされているような轟音と衝撃がおそってきました。私はその場に倒れ込まないように、何とか姿勢を保っていなければ、と思っていたけれども、次々と衝撃に見舞われて、意識が遠のいていきました。私はこの発作の最中、「落ち着いて、落ち着いて」と唱え続けていたのですが、その声もどんどん轟音にかき消されて遠くなってしまうようでした。人の流れに押されながら、大通で乗り換えて、初詣客でごった返している円山公園駅まで来ると、さらに大量の人が乗り込んできて、発作は強まって行きました。もう時間の流れも、自分のいる場所もわからず、とにかく強い恐怖心がありました。耳を押さえて、その場にうずくまってしまいそうになりましたが、人混みに押されて動くことができません。衝撃は、誰かに頭を両手で捕まれて揺すられているような、激しいものでした。
車両が発車して、円山公園駅から遠ざかると、波を引くように発作は治まっていき、次第に周囲の音が聞こえるようになって来ました。まるで水の中で聞いているようなくぐもった響きでした。自宅の最寄り駅に着いたとき、激しい衝撃は去っていましたが、私は全身の緊張が抜けた反動で、ボロボロと涙を流して泣きました。反射のように、次々涙が出てきました。本当は大声を上げて泣きたかったのですが、すんでのところで思いとどまりました。バスに乗って家に帰ったときには、魂が抜けたような強い疲労感がありました。道中も家に帰ってからも、正月三が日の強いES症状があって、身の置き場がない感じでした。私はシャワーを浴びて、自宅のベッドに横たわりましたが、全く眠れませんでした。強い頭痛と視界の点滅がありました。
私は人混みに恐怖心を抱いていたので、翌日、まだ人気のない早朝に、地下鉄とバスを乗り継いでホテルに戻りました。夜は電磁波の影響が少ないので、自宅で過ごすことができたけれども、昼間はまだ避難が必要でした。1月3日のチェックアウトの時間は、午前10時になっていましたが、まだ昼間の人出が多そうなので、延長できるぎりぎりの午後2時までいて、チェックアウトしました。3日の午後は強いES症状が続いていましたが、日付が変わって1月4日になると、ずいぶん和らいだように感じました。
この年も前年と同じビジネスホテルに泊まりました。
1年間の変化として、自家用車に乗れるようになったことがあります。そのため移動が楽になり、前年のような恐怖を味わわずに済みました。また、壁紙でCS反応(目の痛み)を起こしたので、前年に大丈夫だった部屋を指定して、予約を入れることにしました。
私は何もかも記録しておかなければ気が済まない“記録魔”なのですが、前年のルームナンバーを記録していたのが役に立ちました。この年も、12月31日〜1月1日はツインに、1月1日〜1月3日はシングルに泊まりました。2年目なので、勝手がわかっていて、いろいろ工夫できたのが良かったです。ただ、外界の電磁波の強度は、前年よりずっと強くなったように感じました。前年と同じ部屋にいるのに、体で感じる刺激や症状はずっと強くなっていました。そのため、ホテルの部屋にいても、なかなか眠れず、頭痛が切れることがありませんでした。
全身の圧迫感も強く、だるくて身の置き場がない感じです。年越しの瞬間は、前年よりやや強い頭痛で済みましたが、1月1日〜1月3日の昼間の症状が格段に強くなっていました。その1年で社会全体の携帯電話の使用量が増えてきたためではないかと思います。
私自身は、携帯電話を使わないので疎かったのですが、知り合いに聞くと、年賀状代わりに一斉メールで大量の年賀メールを出すそうです。それを全国の人が行ったら・・・ふだんよりずっと多くの電磁波が外界を行き交うに違いありません。また、このホテルはJR札幌駅から900mのところにあって繁華街に近く、前年まではぎりぎり回避できる距離かもしれないと思っていたのですが、電磁波量の高まりと共に安全距離ではなくなってしまったようです。札幌駅付近は、初売り客が大量に集まるので、そこから1km以内のエリアで過ごすのは難しいと感じました。次の年越しのために、また新たな場所を探さなければなりません。
1月3日に夫に迎えられて、車で家に帰りましたが、この道中に受けた電磁波的な刺激も、前年より強いものでした。頭に次々と衝撃が走り、座っていることができませんでした。後部座席に横になりながら、意識がもうろうとしているうちに、家にたどり着きました。