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第2章 電磁波過敏症(年末年始)その3

その1 (2014年11月29日 更新)
〔1〕2001〜2002年 年末年始のES症状を自覚 
〔2〕2002〜2003年 初売での惨事
〔3〕2003〜2004年 自宅で過ごすのは限界

その2 (2014年12月 24日UP)
〔4〕2004〜2005年 洋上のお正月
〔5〕2005〜2006年 ビジネスホテルに避難
〔6〕2006〜2007年 年々強まっていく電磁波

その3
〔7〕2007〜2008年 電磁波の少ない土地を求めて〜道南地方編〜
(2015年1月3日更新)
〔8〕2008〜2009年 電磁波の少ない土地を求めて〜日高地方編〜
(2015年1月 10日更新)
〔9〕2009〜2010年 鉄筋コンクリート建物のシールド効果
(2015年1月 13日UP)
〔10〕2010〜2011年 家族と過ごすお正月
(2015年1月 17日UP)
〔追記〕2011〜2015年の状況 (2015年1月 20日UP)
〔追記2〕2011〜2017年の状況 (201 7年11月30日UP)
 

注:この章では、事情により、2011年に書いた原稿を2014年にアップロードします。3年のうちに状況が変わった点もあります。それについては、章末にまとめて記述します。

*CS:化学物質過敏症、ES:電磁波過敏症


〔7〕2007〜2008年 電磁波の弱い土地を求めて〜道南地方編〜

  この年も10月頃から計画を立てました。札幌市内ではやはり電磁波が強すぎるので、もっと人口密度の低い、人家もまばらなところに行くのがいいと思いました。夏であれば、田舎の方はたいてい農業を営んでいるので、農薬の影響で行くことができないのですが、冬の北海道の大地は、一面雪に覆われるので、農薬の心配は無用です。

 北海道の道路地図帳を見ながら、良さそうな地域を探していきました。やはり道東やオホーツク沿岸のようなところがよいのでしょうか? あるいは、稚内の南側に広がるサロベツ原野の辺り?  人が少ないというと、札幌から遠い場所になるので、行くのが大変そうでした。

[オホーツク・道東・サロベツ]

   悩んでいたときに、夫が知り合いの人に相談してみると、「せたな町、乙部町、江差町がいいよ。何もないところだから、冬には誰も行く人がいない」というありがたいアドバイスをしてくれました。聞いたことのない町名です。地図で調べてみると、確かに人が行く理由がなさそうなところです。

[せたな町 ・乙部町・江差町]

 札幌からの距離もそれほど遠くない感じがしました。それで、この地域をねらって、宿探しをすることになりました。この頃までに、私はある程度パソコンへのES反応が弱まり、インターネット検索ができるようになってきていました。ネットでこの地域のホテルを探しました。3町は小規模な町なので、どうかと思いましたが、小さなビジネスホテルや民宿は、それなりにあるものです。民宿や旅館は和室が中心で、畳にCS反応を起こす私には無理です。ホテルやペンションを中心に探しました。

 検索で見つけた乙部町のホテルは良さそうなので、さっそく図書館に行って、地形図で確認してみました。(→第1部第12章「旅行」〔3〕私の旅行術) ところが、このホテルは高圧送電線の真下に立地しています。私は、高圧送電線の近くに行くと強い頭痛を起こすので、そこに泊まるのは無理です。他にも何件か候補を挙げてみましたが、和室だけの部屋しかなかったり、近くに神社があったりして(初詣客がたくさん来る)、条件がよくありませんでした。

 探すポイントは・・・
○洋室:これはインターネットで調べることができました。

○近くに大型スーパー、駅、神社など人が集まる場所がないこと:図書館に行き、地形図、道路地図、住宅地図などで確認しました。

○NTTのビルが近くにないこと:NTTビルの屋上にはたいてい大型の通信用複合アンテナがあって、携帯電話をはじめ、様々な通信電波をやりとりしているようです。このアンテナに近づくと、強い症状が出ます。NTTビルは、道路地図を見ると場所がわかりました。住宅地図でも確認できます。NTT以外の通信会社の携帯中継アンテナは、ビルの屋上にあったり、タワー型だったりしますが、NTTビルのもののように、巨大な複合型のものは少ないようです。

 携帯電話の中継アンテナについては、インターネットに載っている宿の外観写真である程度確認し、実際にホテルに電話して問い合わせてみました。問い合わせのとき、「携帯電話の電波状況を確認したいのですが・・・。そちらのホテルでは携帯電話が通じますか?」と聞きます。ホテルの担当者が「通じます」とはっきり即答する場合と、言葉を濁す場合がありました。言葉を濁す場合は、「いえ、通じない方がいいのです」と言って事情を話します。そうすると、担当者の声はみるみる明るくなって、親切にいろいろ説明してくれます。ふだんは「通じないのでは困る」などと苦情を言われることが多いのでしょう。しかし、このような携帯の受信環境が悪い宿はどんどん減っていき(廃業するか、新たに近辺にアンテナを建てる)、私にとっての安全な場所は、減少していく傾向にあります。

 宿を検索するのと同時に、交通機関も調べていきました。乙部町やせたな町は交通の便が悪く、車かタクシーでないと、行くのが不便な場所のようでした。前述のように、夫と私は冬道の運転になれていません。自家用車は、仙台に住んでいた頃から10年以上乗っている古い車です。この車は冬道に弱い後輪駆動車だったので、冬期、長距離を運転するのは危険すぎました。だから、公共交通機関を使うしかなかったのです。

 様々な宿を検討した結果、次の2軒が浮上してきました。

[八雲 と大沼]

○八雲町・八雲温泉
 温泉宿なのに洋室があります。電話で問い合わせたところ、携帯アンテナは直近のものが3.5km先。電波状況は悪いということでした。道央自動車道の南の終点、八雲インターチェンジの辺りにあり、札幌から交通の便がよい立地です。駅から遠く、周辺はまばらに住宅がある程度。海と山に挟まれた狭い土地なので、少ししか人が住んでいません。線路に近いのがES的に少し難点といえます。

○大沼公園駅近くのホテル
 大沼公園駅付近も住宅がまばらで、町の外れにぽつんとホテルがあります。電話で問い合わせたところ、「携帯電話は一応通じますが、建物の周囲で目に見える範囲に中継アンテナはありません」とのことでした。ここは観光地なので、真冬とはいえ、それなりに観光客がいそうで、その点が気がかりでした。

 旅程が次のように決まりました。
 12月31日〜1月2日 八雲温泉
 1月2日〜4日 大沼公園


 12月31日の出発の日、八雲までは高速バスで行くことになりました。このバスは、2006年冬、青森に旅行したときに乗ったことがあります。(→第1部 第12章 旅行 〔2〕青森旅行記) 

 気をつける点は、車内トイレのパラゾール(パラジクロロベンゼンの消臭剤)と車内のテレビです。パラゾールは乗車中だけ、夫がビニールで包んでくれました。下車するときに、元に戻しました。テレビはずっとついていて、視界がチラチラしてつらいのですが、なるべく目をそらして窓の外を見るようにしていました。車内には、帰省する若者も乗っており、携帯電話をずっといじっている人が多くいました。そのため、バスの中はつらかったです。頭が痛いけど、我慢して乗っていました。全身の痛みや怠さも出ました。

 八雲町の国道沿いでバスを降りて、八雲駅まで歩いていきましたが、本当に何もない町でした。大晦日なのに、町には人影がなく、さびしい感じがしました。途中いくつか建物の上に携帯電話の中継アンテナを見ましたが、驚いたことに、大晦日にもかかわらず、ふだんの札幌市内の電磁波量よりずっと少なく感じました。体が楽でした。この避難は、かなり有効なのではないかと思いました。駅前からホテルまで交通機関がないので、タクシーで行きました。国道を南下している間、沿線の携帯アンテナをチェックしていました。道中1本だけ見つけ、そこからさらに3kmちょっとすすんだところで、ホテルに着きました。本当に、ホテルから直近のアンテナは3.5km先のようです。携帯の電磁波の点では、安全な宿だと思いました。

[八雲温泉ホテルの玄関/ホテルの外はすぐ海になっています]


 ホテルは古い建物で、客室はCS的に、いろいろと問題がありました。私は部屋の中や建物の周辺を見回って、問題点の把握に努めました。客室内は、長年使われた部屋の匂い(特にタバコの匂い)に、家具や洗剤や消臭剤、カビなどの匂いが混じって、あまり良い環境とは言えませんでした。

 私はあらかじめ用意しておいた大判のビニール袋を切り開いて、家具の合板がむき出しになっている面を覆いました。ビニールはマスキングテープで留めました。窓にアルミとビニールでシールドを施しました。部屋の空気がよくないので、寒い冬のさなかでありながら、窓を開けて換気をしました。しかし、窓のすぐ外は厨房の換気扇からの排気が出ており、外の空気はよくなかったです。部屋を変えてもらった方がいいかどうか迷って、他の部屋の状況も屋内・屋外から確認してみましたが、どの部屋もそれぞれに難があり、結局この部屋で過ごすことにしました。

 電磁波の問題としては、ふだん自宅にいるときよりずっと楽で、ほとんど感じませんでした。四六時中、一年中、途切れることなく続いていた視界のジラジラとした点滅が、ここでは止んでいました。私は常時、この点滅に神経を刺激されていて、まるっきりくつろいだ状態になることはなかったのに、この日は全身の固さがほぐれて、心の中にも平安を感じたのです。

 私は夕食の後から眠って、ずっと正体もなく眠り続けました。こんなにぐっすり眠れたのは久しぶりです。とっくりと深い眠りに入っていきました。年が明ける前に夫に起こされて、一緒に年越ししましたが、また寝入ってしまったようです。1月1日は、朝食を食べてから、また昼頃まで寝てしまいました。さすがにその後は眠ることができませんでしたが、ベッドに横たわったまま、瞑想するように思考の流れに身を任せていました。

 2001年のあの衝撃的な発作から7年間、休むことなく電気的な刺激を受け続け、心休まる時間がありませんでした。それがあまりにも長く続きすぎたため、当たり前になってしまっていました。私がこの7年間失っていたものは何だろう? 安らぎ、平安のようなもの? それはいつか取り戻せるのだろうか? こんな風にゆったりと物事を考えられるようになるのだろうか?

 眠気が取れると、次第に部屋の中の化学物質の匂いがつらくなってきました。CS症状もだんだん進んできてしまいました。私と夫は特別やることもないので、本を読んだり、館内を散策したりしていましたが、1階フロント横を通りかかったとき、ちょうど事務所のドアが開きっぱなしになっていて、中が見えました。スケジュールを書いたホワイトボードがまだ12月のままになっており、12月27日のところに「館内一斉清掃。カビ掃除」と書いてありました。客室にいるときの薬品の匂いは、もしかしたら、カビ取り剤の匂いが残っているのかもしれないと思いました。

 食事場所は禁煙ではないので、フロントに「タバコの煙が苦手」と相談したら、別の部屋を用意してくれました。配慮してもらって助かりました。大晦日から、元日までの宿泊客が20名程度。そのため館内でも携帯電話による電磁波の影響をほとんど感じることはありませんでした。ただ、あまり賑わいのない宿で迎えるお正月は、少しさびしい感じもしました。

 次第にCS症状が苦しくなってきた1月2日、この宿をチェックアウトして、大沼公園に向かうことになりました。私はこの宿ではES反応を起こさなかったので少し調子づいて、大沼に行く途中、森町の神社で初詣をしようと計画を立てていました。ところが、タクシーに乗って八雲町の駅前に戻ってみると、2日前、大晦日に来たときとはまるで違っていました。あのときシャッターが閉まっていた駅前の商店は営業中でしたが、お客はまばらです。しかし、駅前の携帯電話の中継アンテナからは、12月31日とは比べものにならないくらい強い電磁波が発生しているのを感じ、頭が痛くなってしまいました。年賀メールなどの携帯使用が増えているのかもしれません。

 それで、森町の神社に行くのなどとんでもない、ということになって、まっすぐ大沼に向かうことになったのでした。私たちは、大沼に向かうJRの2路線のうち、駒ヶ岳の東を回る、特に乗客の少ないルートを選びました。これが良い選択で、乗客は少なく、携帯使用によるES症状はほとんど出なくて済みました。ローカル列車からの景色が美しく、それを眺めながらの楽しい旅となりました。

 [ローカル列車の旅/駒ヶ岳を望む]

 大沼公園の辺りは、予想通り、観光客の姿が見られました。団体で旅行に来ている人たちもいるようで、八雲よりは賑わいがありました。また、例のジリジリとした視界の点滅が始まりました。

 ホテルまで歩いていきましたが、途中、木立の間に携帯電話の中継アンテナを見つけました。ホテルから150mくらいのところです。目立たないように、木立と同じ茶色に塗ってありました。事前の問い合わせで、ホテルの人が言ったように、確かにホテルからはこのアンテナは見えません。しかし、距離は案外近いので、客室にいても、チリチリと刺激を感じました。

 ホテルの客室は、アンティーク調で、木部にオイルステインのような塗料を使っているのが、実に匂いました。また、室内に香料をまいているらしく、強い匂いではありませんでしたが、鼻やのどに刺激がありました。八雲温泉のようなカビ臭や薬品臭はしなかったのですが、別の種類の具合悪さがありました。息苦しく、夜眠れない感じでした。

 [大沼公園のホテル/おしゃれな客室ですが、家具の塗料の匂いが強かったです]

 こんな感じの避難生活を終えて、1月4日には、札幌に戻ったのですが、それから成人の日の三連休が終わるまでがつらかったです。この2008年頃から、特につらくなってきました。携帯電話の使用量が増えてきたのだと思います。もし、12月31日〜1月3日に札幌にいたら、どんなにひどい症状が出たかと思うと、戦慄を覚えました。いろいろ苦しいこともあったけれど、リゾート気分も味わえたお正月でした。
 

〔8〕2008〜2009年 電磁波の弱い土地を求めて〜日高地方編〜

 前年のように旅行気分を味わいつつ、電磁波も回避できるようなお正月を過ごそうと計画を立てました。1年前と同じように検討して、この年は、日高地方に行くことにしました。

 [日高町と浦河町]


●12月31日〜1月2日 浦河町のホテル
 移動の高速バスの車内は、前年よりずっと携帯電話の使用率が高く、苦しかったです。強い頭痛がありました。宿は浦河駅から送迎車で8km行ったところ。事前に電話で確認したところ、建物から一番近くの携帯中継アンテナまで、1kmということでした。実際に現地に行ってみたら、800mといったところでした。周囲に住宅はなく、ぽつんとホテルの建物があります。

[浦河町ホテル周辺/山と牧場が広がっています]


 日高地方はサラブレットの生産地で、馬の牧場がたくさんあります。この宿も馬を飼っていて、宿泊客が乗馬体験をできるようになっていました。多分、夏になるとハエがたくさん発生するのではないでしょうか。館内全体に殺虫・防虫系の消毒の匂いが強くしていました。私は客室に入った瞬間から、頭が痛くてつらくてしかたがありませんでした。これが電磁波によるものなのか、化学物質によるものなのか、判断を付けるのは難しかったですが、多分消毒剤による過敏症状だったのではないかと思います。携帯電話の電磁波であれば、時間の経過とともに刺激の強さが変化していきますが、この宿での頭痛はずっと変わることなく続いていたからです。やはり、動物がいるような施設は気をつけなければ、と感じました。

 年越しの瞬間には、強い頭痛は起こらず、電磁波のための避難は成功したようです。1月1日の昼間はもっと刺激を感じて、ES症状が出てきてしまいました。この宿の大浴場に、町内の日帰り入浴客が多く訪れていたので、それも一因だったのではないかと思います。

●1月2日〜4日 日高町のホテル

 [日高町のホテル周辺/だだっ広い牧場を行くと、海辺にホテルがあります]

 2つ目の宿には、もっと強いCS反応が出てしまいました。ここは直近の携帯電話の中継アンテナより3km以上。敷地から見ると、はるか彼方にアンテナが見えました。全くES反応は起こりませんでした。その点、前年の八雲温泉に近いものがありました。しかし、CS環境は厳しすぎるものでした。ホテルに到着して、フロントに行くと、「レディースプラン」と銘打って、女性向けにアロマなアメニティを提供するコースの案内がありました。香りの紅茶やせっけん類とお香がセットになったものです。「お香を部屋で焚いて、部屋中にステキな香りをいっぱいにして、リラックスしましょう」という趣旨のプランのようです。私たちはアロマなプランではありませんでしたが、このようなサービスのある客室に泊まったら、どうなることか・・・?と心配になりました。案の定、案内された部屋に入ってみると、お香の強い匂いがしていました。それまで泊まった宿泊客の焚いたお香の匂いが強くついてしまっています。この部屋で2日間過ごすのかと思うと、暗い気持ちになりました。

 しばらくその部屋で過ごしてみましたが、頭痛やむかつき、吐き気がしてきて、とても耐えられないと思いました。フロントに行って相談してみたのですが、要領を得ません。ここで働いている人たちは、プロのホテルマンではなく、まるで臨時で雇われたバイトの人たちみたいでした。内情を勘案してみると、このホテルは全く流行っていなくて、冬期は宿泊客もほとんどいないので、従業員も 数人のバイトのみ、客室も常に2〜3部屋しか使っていないようです。私が部屋替えをお願いしても、「他に良い部屋がありません」と言われてしまいました。この日の宿泊客は、私たちも入れて2組だけでした。夜に照明がついた部屋がそれだけだったから、わかりました。他の部屋は、お客に貸すように準備されてはいないのでしょう。3階建てのホテルなのに、フロントがある2階だけしか照明がついておらず、他の階は暗かったです。エレベーターで行ってみましたが、1階も3階も、扉が開いた先は真っ暗でした。

 全館集中暖房は燃料費がかかるということで、客室には新たに灯油FFストーブが設置されていました。廊下やフロントは凍えるように寒く、工事現場にあるような屋外用の石油ストーブが2台あるだけでした。

 要するに、私が年末年始に求める宿の条件は、人が少ないところ、流行っていないところということで、それはつまり魅力に乏しく、経営状態も苦しいところということになるのです。バイトのような従業員が、受付は勿論、客室清掃からストーブの灯油入れなど、何から何までこなしているようでした。「経費節減」という言葉が頭に浮かびました。従業員には何を尋ねても、最後まで「私にはよくわかりません」という対応でした。

 部屋替えの可能性がないということは、私は2日間このアロマな部屋で過ごさなければならないということです。香りはむせかえるように強く、窓を開けて換気したところで薄まるようなレベルではありませんでした。このホテルは瀟洒な洋館で、間取りが大変広く、ゆったりとした贅沢な造りでした。客室は15畳くらい、浴室も3畳はあります。私は浴室のトイレにビニールでカバーをし、排水溝もビニールで目貼りして、匂いが上がってくるのを防ぎ、2日間をここで過ごすことにしました。浴室は立派な大理石で内装がしてあり、建材のCS影響はほとんど感じられません。寝室よりずっと楽でした。夫は夜中にトイレに行くときには、私の寝ている浴室ではなく、フロントにあるトイレに行ってくれました。ありがたかったです。

 海岸沿いに立つリゾートホテル。周囲には全く建物がなく、原野が広がっています。かつて牧場として使われていた土地だそうです。私と夫は海岸を散策した他は、手持ち無沙汰で本など読んでいましたが、次第にこのホテルの暗い雰囲気に飲み込まれていくようでした。夫は「シャイニングのようだね」と言って笑いました。「シャイニング」はアメリカのホラー作家スティーブン・キングの小説で、映画化されたこともある有名作です。山奥のさびしい宿で管理人が精神に異常を来していくというストーリーですが、この宿の暗さは、まさに「シャイニング」のイメージそのものでした。だから、その2日間が終わって、札幌に帰ったときには、ES症状が強くなったにもかかわらず、少し安心しました。前年のように、成人の日までつらい1週間を過ごして、この年の年末年始期間は終わりました。

 [日高町のホテルと陽光の海/日中は雄大さと寂寥感を満喫]

 


〔9〕2009〜2010年 鉄筋コンクリート建物のシールド効果

 前年までの経験から、家から遠く離れた宿に泊まるのは、CS的にきつく、宿も当たり外れが大きいので、もっと別の方法を模索するべきだと思いました。宿泊地までの移動中も、他の乗客の携帯使用によるES症状が出るようになっていました。私は再び、自宅から比較的近い場所で過ごす方法を考え始めました。

 2005年〜2007年に泊まった札幌市内のビジネスホテルは、駅や繁華街に近いことが問題になりました。札幌市内でも、繁華街から遠いところにある鉄筋の建物なら、ずっと楽になるだろうと考えたのです。

 私はこの年には、運良くそのような建物を見つけることができました。私と夫は、2009年の3月に、知人から札幌市内にある会社を引き継ぎました。この建物は住宅地にあり、地下鉄やJRの駅からは離れています。大通や札幌駅などの繁華街からも距離があります。鉄筋コンクリート造りで、窓ガラスには飛散防止の鉄線が格子状に入っています。この年も12月になった辺りから、また年末のES症状が出てきましたが、木造の自宅にいるときよりも、会社の事務所にいるときの方が、ずっとES症状が軽くて済みました。

 また、毎日会社で仕事をしている生活の中で、前年までのようにゆっくり宿探しをしている時間がないという事情もありました。忙しくしているうちに12月になってしまい、そのまま会社の建物で年末年始の避難をすることに決まってしまったという感じでした。

 12月31日に、夫と2人で会社に行きい、年越しをしました。年が明けた瞬間は、それまで数年、過疎地で過ごしたときとは違い、頭に衝撃がありました。それから3日間ずっと頭痛が続きました。特に1月1日の昼間から夕方にかけてがつらく、1月2日の昼間がそれに続きました。

 夫が言うには、携帯の年賀メールは、ユーザーが年末のうちに予約機能で送信したものをサーバーに送っておき、1月1日に相手に送信される仕組みですが、一度に一定の量しか送れないため、一定量ずつ、順繰りに送信されるということでした。そのため、1月1日の一日中、電磁波量が多い状態が続いたものと思われます。ニューイヤーコールや年賀メールの返事など、三が日は携帯使用量が増して、外界の電磁波量が増えたのではないでしょうか。会社の事務所内にいても、苦しいES症状が出ました。

 私は三が日を会社のオフィスで過ごし、夫は2日の朝、家に帰っていきました。1月2日の早朝5時頃、会社のオフィスから外に出てみたのですが、人の活動が少ないこの時間でも、外では強いES症状が出ました。室内とは比べものにならない強さです。建物内にいると、ES反応が軽減できているのを実感しました。これまで泊まったホテルに比べて、格段にCS反応が少なく、楽に過ごすことができました。


〔10〕 2010〜2011年 家族と過ごすお正月

 この年も同じく、会社の建物で過ごしました。前年と同じ条件のはずですが、この年の方がずっとES反応が強く出ました。視界は激しく点滅しており、全身の強い圧迫感、頭に突き刺さるような痛み・・・何とかがんばって耐えましたが、つらいものでした。しかし、木造の家で過ごすよりは、ずっと苦痛が軽減できました。

 この年に特筆すべきは、何と言っても、自宅でお正月を迎えられたことです。私たち夫婦は、2010年の11月に、会社のオフィスがあるマンションに引っ越してきていたからです。私は2003年以来、始めて自宅で年越しをすることができ、三が日も夫と過ごすことができたのです! 感無量でした。強いES症状が出ていましたが、長距離を避難する必要がないので、体への負担が少なくて済みました。

 毎年、次々と新しいことを試してきました。前年までに体験したことを生かして、対策を改善していきました。知識と経験が蓄積されるに従って、対策法も、年々、着実に進歩してきたように思います。この先も環境中の電磁波は、増加して行くに違いありません。よく観察し、よく考え、よく計画を練って、対処していきたいと思います。これからも様々な可能性に挑戦していきたいです。
 


〔追記〕 2011〜2015年の状況
 本編では、2011年までの年末年始の様子を記述してきました。ここでは、それ以降の様子を追記します。全般的な電磁波環境の変化と、年末年始期間のES症状について書きます。

 2012年頃から、スマートフォンが普及し、モバイル機器を使う人々が増えました。使用時間も長いものとなってきました。フェイスブックなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が流行し、日常的にインターネットとつながっている生活が当たり前のものとなってきました。

 この頃から「スマホ依存」について、マスメディアでも報道されるようになってきました。女子高生の一日の平均スマホ使用時間が6時間以上という報道には驚かされました。携帯電話やスマホ使用者が増えたので、私は公共交通機関に乗ることができなくなってしまいましたが、夫はときどき利用して、車内の様子を聞かせてくれました。2012年頃から、バス・地下鉄に乗ると、7割以上の乗客がスマホの画面をのぞき込んでおり、使用率が急に増えた感じがしたそうです。また、札幌市内中心部の飲食店で、近くに座っている高校生の会話を聞いていたら、「今日は、ツイッターで200回以上つぶやいた」などと話しており、一日中スマホで通信している様子がうかがえたそうです。私の周囲の人々も、2012から2013年にかけてフェイスブックに夢中になっており、寸暇を惜しんでスマホの画面をのぞき込んでいる姿を目にしました。

 このような流れから、私の電磁波過敏症(ES)の症状も、年々厳しさを増してきました。2010年に鉄筋コンクリートのマンションに引っ越してきたときには、木造住宅に住んでいたときよりもES症状が軽くなり、喜んでいました。特に実感したのは、筋肉の痛みが軽減されたことで、体全体が軽くなって動きやすくなりました。それが、2012年頃から、また体の重さや筋肉の痛みを日常的に感じるようになってきました。怠さや疲れやすさも増しました。

 それとは対照的に、年末年始のES症状は少しだけ軽くなってきたように感じます。私は現在(2015年)までずっと、自宅で年越ししています。同じ場所で年々の変化を観察してきました。世の中の動向にも変化がみられます。以前は、お正月というと、日頃連絡を取っていなかった人々と、特別に交流する機会となっていました。その後、ソーシャルメディアの発達と共に、日常的に多くの人々と近況を伝え合うようになると、正月期間の特別感は以前より薄れていったものと思われます。2012年頃から、日常の電磁波量が増加したのに比して、年末年始期間の電磁波量は少し軽くなってきているので、日常と年末年始との差が小さくなったように感じます。以前は、年明け1月1日午前0時に、急激な電磁波量の高まりを感じていたのですが、ここ3年はこのピークを感じなくなっています。今時は、わざわざ年明けの瞬間にニューイヤーコールをする必要を感じなくなっているのでしょう。

 2011〜2015年の年末年始期間に感じているES症状についてまとめてみます。12月中は、お正月の準備や一年間の用事を済ませるため、世の中はせわしなく、モバイル機器の使用量も増えているようです。年開けて、1月1日には、強いES症状が出て苦しみます。頭痛や筋肉の痛み、全身の圧迫感などが強く出ます。3が日はずっと症状が強いままですが、1月2,3日は、1日よりは少し軽い感じです。4日以降は、ずいぶん楽になります。その後、成人の日の3連休まで、電磁波量が強い感じが続き、連休明けには通常の状態に戻ります。

 2014〜2015年の年末年始は、例年の症状に加え、衆議院の解散・選挙があったので、いつもよりずっと強い症状が出てしまいました。11月21日に解散し、12月14日が投票日でした。選挙と年末年始が続いて、長期間にわたって、休みなく症状が出ていました。たいてい、年末年始の期間で特に注意すべきなのは、12月23日〜1月4日の約2週間なのですが、このときは11月下旬からずっと要注意期間が続きました。衆議院解散の11月21日には、すでに大晦日くらいの電磁波量を感じていたので、先が思いやられました。今回の選挙からインターネット使った選挙運動が解禁になり、これまでの選挙期間よりもずっと環境中の電磁波量が増えたようです。

 私は年末年始には、毎年、普段の日記とは別に、詳しい記録を取ります。例年であれば、12月31日〜1月4日の5日間です。しかし、2014〜2015年は、11月19日〜1月12日の期間、もれなく記録を取る必要がありました。強いES症状が長く続いていました。12月14日の投票日あたりにいったん強いピークがあり、1月1日にもう1回ピークがありました。期間が長かった分、回復にも時間がかかりました。

 今回特筆すべきは、歯と歯茎の症状です。これまでも年末年始期間や選挙期間など、歯茎が腫れる・歯が痛むなどの症状が出ていましたが、それぞれ2週間くらいなので、やり過ごすことができていました。毎回、電磁波の強い期間が終わると、歯の症状も治まっていたからです。今回は、期間が50日以上続いたため、これまでにない強い症状となりました。歯茎が腫れて、痛くてものを食べられません。衆院選の投票日近くになると、歯茎から血が出てきて、口の中全体がただれて、ひどい状態になっていました。選挙期間中は、昼間歯茎が腫れ、深夜にはおさまり・・・というのを毎日規則正しく繰り返していました。食事は、午前4時頃に起きて、7時までの間にできるだけ食べるようにしていました。昼間は固形物が取れなかったからです。

 選挙が終わって、クリスマス頃から、また歯の症状が強くなり始めましたが、選挙期間とは違って、人々のモバイル機器の使用パターンが様々であるためか、歯の腫れの規則性が見えにくくなってしまいました。この期間はとにかく「腫れがおさまっているときに食べておく!」という作戦をとりましたが、そのうち腫れがおさまらなくなり、食べられない時間が増えました。お腹の空いたお正月でした。期間中、せっせと歯間ブラシやデンタルフロスで口の中を清掃しましたが、ほとんど効果がなかったです。甘いもの(特に液体)を取らないように気をつけてみましたが、症状にはほとんど関係しなかったようです。

 2ヶ月近くにわたり腫れていた歯茎や口の中の粘膜は、1月5日頃からおさまりはじめ、現在この原稿を書いている1月16日には治っています。食べられるようになって安心しました。本当に電磁波による症状だったようです。

 今年は特別苦しかったですが、来年は通常の年末年始期間に戻ると思います。通信電波よるES症状について、あえて良い点を挙げるなら、症状が出る期間が予想できることです。いつ頃始まるか予測して、準備をしておくことができます。期間中、苦しい症状が続いても、それがだいたいいつ頃おさまるのか、予想がつきます。症状がいつ終わるのかわからなかったり、永遠に続くと思われたら、とても耐えられないでしょう。この先も、電磁波強度と症状を見ながら、そのときどきで対処していきたいと思います。


〔追記 2〕 2015〜2017年の状況

 やはり2014〜2015年の年末年始は特別で、翌年から例年通りに戻りました。選挙の影響は大きかった模様です。2017年10月に、再び衆議院が解散・選挙となりましたが、このときも選挙によるES症状が出てしまいました。年末ではなかったので、2014年末よりはひどくなかったですが・・・。2015年4月の統一地方選挙、2016年7月の参議院選挙に比べても、衆議院選挙は格別に強い症状が出ます。期間も長いです。

 年末年始に話を戻すと、2015〜2016年のシーズンから、新たな工夫を始めました。毎年、年末になると頭痛や筋肉の痛みが強く、食欲も落ちるので、クリスマスや年越しのイベントをほとんど楽しめないのが残念でした。わざわざやらなくてもいいのかもしれませんが、全然ないというのも寂しいものです。

 それで、発想を変えて、2ヶ月前倒しでやることにしました。10月24日がクリスマスイブ、10月31日が大晦日で、11月1日が元旦ということにしました。クリスマスも正月も、部屋をちょっと飾り付けして、それらしいものを食べます。華やかで楽しい気持ちになります。10月だとせわしない感じがないし、それほど寒くないので、心の余裕を持って、ゆったり楽しめます。10月31日は、大晦日とハロウィンが同時にできてしまいます。11月初めの方に私の誕生日があるので、お正月とセットでやっちゃいます。そんな感じで楽しんでします。

 2ヶ月経つと暦通りのクリスマス&年越しがやってきます。もし体調に余裕があれば、もう1回楽しむことができます。体調が悪いときは何もできませんが、すでに済ませているので、気持ちは満足です。


「第3章 電磁波過敏症(電化製品)」へ続く
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