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第12章 旅行

〔1〕仙台旅行記
〔2〕青森旅行記
〔3〕私の旅行術


第12章 旅行

  CS患者の旅行には、様々な困難が伴います。 旅先で出会う化学物質によって、症状が出てしまうからです。 日常生活で、CS生活をよく管理できていたとしても、旅行先では事情が違います。 見知らぬ土地で、予想もしない化学物質に出会うことになります。

  CS患者が旅行するときに、気をつけるポイントは何でしょうか。 この章では、私の旅の経験を「旅行記」として書き、 それをもとに、CS患者の旅行術について考えてみたいと思います。

〔1〕仙台旅行記
 2006年11月18日〜23日にかけて、仙台の実家に帰省しました(5泊6日)。普通の旅行記というのは、旅の楽しい思い出を書いたものが多いですが、ここはCSサイトなので、この旅行記にはCS対応を中心に書いていきたいと思います。それに加え、CS患者なら誰でも直面する「自分の特殊な事情を人に伝えて対応してもらう」ということを、特に取り上げて書いていく予定です。私の場合は、化学物質過敏症に加えて、電磁波過敏症(ES)と顎関節症(食事の問題)がありました。この旅行では、途中何度かピンチに見舞われますが、そのつど切り抜けています。

 CS患者の方には、様々な場面で、私がどのようにCS対応を行っているのかがわかると思います。一般の方には、CS患者の一風変わった旅行ぶりがわかるのではないかと思います。

 この旅行時の体調は、次のような状態でした。化学物質過敏症は、この数年で回復してきて、耐えられるものが増えてきました。電磁波過敏症は、携帯電話の電磁波をはじめ、様々なものに反応します。そして、顎関節症の症状がとても悪く、離乳食のような固さのものしか食べられませんでした。本来ならこんなに食べられないのだから、旅行になんて行くべきではなかったのです。しかし、旅行を申し込んだときは、それほど悪くはありませんでした。その後、出発までの2週間でみるみる悪化して、このような状態になってしまいました。もうチケットを取ってしまったので、なんとか出かけることにしました。

 

11月18日
○札幌の自宅から新千歳空港へ
 はじめに新千歳空港に行きました。空港は電磁波過敏症にとっては、危険が大きいところです。無線電波によって、様々な情報をやりとりしているからです。私は長くいると、強い頭痛が起きてしまって、どうにもならなくなります。空港ビルの屋上にたくさんアンテナが乗っているので、なるべくビルの上の階に行かないようにしています。下の方の階でも、場所によってES反応が強く出るところがあるので、近づかないように気をつけています。これは、体感で判断しています。

 手荷物を預けるときには、大きなビニール袋でカバン全体を覆ってしまい、荷物庫の匂いがつかないようにしています。以前、国際線に乗ったとき、預けた荷物に消毒剤のような刺激臭がついていたことがありました。それ以来、ビニールで覆うようにしています。ビニールは用意して行かなくても、カウンターでお願いすると、航空会社の方でビニールをかけてくれます。私は念のため、自分用のビニールを持って行っています。

 手荷物を預けるときは、貴重品を手に持って、それ以外のものを預けることになります。私はこのとき、いつも戸惑ってしまいます。一般の人にとっては、貴重品というのは決まったものですが、私にとっては違うからです。私は旅行のときも、持ち物は旅行用のものではなく、ふだん使いの日用品や服を持っていきます。これは、何年もかけて匂いを抜いてきたものです。私にとってはすべて貴重品であり、代わりのきかないものです。全部機内に持ち込みたいけど、そういうわけにはいきません。預けた荷物が、どこかに行ってしまわないかと、いつも心配になります。

 飛行機の座席は、翼より前の席を取るようにしています。これは、ジェット燃料の排気を避けるためです。翼より後ろの席だと、離陸と同時にジェット燃料のにおいが強くなり、ぐあい悪くなってしまうからです。(→詳しくは、スモール・データ・バンク「飛行機」をご覧ください。)

 機内に乗り込み、離陸を待つことになりました。私は普通に乗り込んでも大丈夫ですが、CS患者の人で、他の乗客の匂い(洗剤や香水など)が気になる人は、「優先搭乗」させてもらうといいです。体の弱い人、妊娠中の人など、他の乗客に先立ち、搭乗することができます。

○香水の匂いで…ピンチ!
 離陸。私が最も好きな瞬間です。私は飛行機が好きで好きでたまらなくて、機体がフワッと浮き上がると興奮してしまいます。どんどん上昇して、地上の景色が小さくなっていくのを眺めるのがたまりません。「こんなすごい眺めは、とても他では味わうことはできないな」「こんな美しいものを見ることができるなんて 、生きててよかった」と思います。

 この日は、離陸前から、前の席の乗客のことが気になっていました。香水の匂い、かなり強い匂いです。でも、いつもは離陸してしまうと、機内の給気設備の関係か、匂いが薄まることが多いので我慢していました。

 しかし、この日は時間がたつと共に、香水の匂いがどんどん強まっていくようでした。鼻の粘膜がヒリヒリして、頭が痛くなってきてしまいました。夫に聞いてみると、「この匂いは健康な人でもたまらないよ」という返事です。 スチュワーデスさんに言って、席を替えてもらうことにしました。せっかく窓際の席で、窓に張りついて外を眺めることができたのに、とても残念ですが…。

 スチュワーデスさんを呼んで、事情を話してお願いしました。「そこの方の香水で…」と言いつつ、チラッとその方に視線を向けます。なるべく、その乗客に気づかれないように…。その人が気づいて、せっかくの旅気分が台無しになってしまったら気の毒だと思ったからです。コソッと席を替えてもらいました。少し後ろの5席続けて空いている席に移動しました。 

 窓際に座ろうとしたら、直前の席にノートパソコンを使っている人が! ES反応で、目が痛くなってしまいました。それで、窓際はあきらめて、なるべくパソコンから離れた席に座りました。スチュワーデスさんは、「窓際の席が空いていますよ。どうですか?」と声をかけてくださいましたが、私が遠慮すると、不思議そうな顔をしていました。

 席の移動のときには見のがしてしまったので、飲みものを持ってきたときに、この親切なスチュワーデスさんの名札を読み取りました。旅行後に、航空会社にメールを打つためです。いつも親切にしてくださったことにメールでお礼をすることにしています。そうすれば、香水が苦手で困っている乗客がいるということも、アピールできます。

○やわらか〜いスパゲティ
 仙台空港から、バスと地下鉄に乗って、まず私の実家に行くことにしました。実家近くで遅めのお昼ご飯。選んだ店は、禁煙席があって、CS・ES的な立地もよさそうです。

 問題は、私が食べられるものがあるかということで、普通の大人用の料理はとてもじゃないけど、顎が痛くて噛めません。この日は、迷った末に、スパゲティを頼むことにしました。注文時に、ウェイターの人にお願いしました。

「私は歯が悪くて、あまり噛めないので、スパゲティをよくゆでてほしいんです。もう『やわらかめ』っていうんじゃなくて、かな〜りやわらかい、こう、離乳食みたいな感じに…」
私が「かな〜り」のところで、ニカッと笑うと、ウェイターも「ふふっ」と笑いました。手応えあり、という感じです。

 ゆでるのによほど時間がかかったのでしょう。スパゲティが運ばれてきたときには、夫はもう食事を終えるところでした。皿の上には、本当にくたくたに煮込まれたスパゲティが。これはとても食べやすかったです。顎が痛いので、少しずつ少しずつ食べていきました。途中から痛みでどうしようもなくなったので、麺を「そばめし」のようにはさみで切って、スプーンですくって食べました。痛かったけど、なんとか食べ終わりました。

 はさみは、食品を刻んで食べるために必要なので、持参です。スプーンも、ESのせいなのか(?)金属のスプーンが使えないので、プラスチックのものを持ち歩いています。金属のスプーンを使うと、手がビリビリとしびれるように痛くなります。また、口の中に入れると、金属臭で吐き気がひどく、食べられなくなってしまいます。

 お店にアンケートのようなものがあれば、親切にしてくださったウェイターやシェフの名前を書いてお礼をしようと思ったけれど、この店にはありませんでした。お勘定のときに、両者にお礼を伝えてくれるように、会計の店員にお願いして、店を出ました。

○実家はシックハウス
 その後、私の実家に行きました。両親に会えるのはうれしいものです。この日は、横浜に住む姉が、私の帰省に合わせて帰ってきてくれました。姉に携帯電話の電源を切ってくれるようにとお願いしました。

 実家はシックハウスであり、猫を飼っているので、私には危険の多いところです。私は猫の毛にアレルギーがあります。また、実家はオール電化住宅でもあります。私にとっては安心していられる部屋はないのですが、その中でも比較的マシな和室で団欒しました。この部屋はふだん使っていないので、猫が入り込むことがないからです。CS的には問題あるのですが、旅行中に猫が原因で喘息を起こすのが怖いので、これが最優先となります。

 和室は猫の心配はないですが、15年前に床下にシロアリ駆除剤をまいています。押し入れには防虫剤、仏壇には線香があり、なかなか危険の多い部屋です。短時間であれば、なんとか過ごせますが、長時間となると自信がないです。また、オール電化住宅で、200Vの電線が家中に走っているので、ES症状も出ます。症状は、独特の体の圧迫感、筋肉の痛み、頭痛です。

 2001年に自分が電磁波過敏症だとわかったとき、この家の電線の経路を調べたことがあります。ブレーカーを1つ1つ落としてみて、どのコンセントがどのブレーカーに繋がっているのか調べたのです。それがわかれば普段使っていないブレーカーを落としておくことができます。この家には100Vのブレーカーが20本、200Vのブレーカーが6本あり、まるでパズルのようでした。家を建てたとき工事の人が整然と配線しなかったらしく、いくら調べても、何が何だかわかりません。配電盤を操作しているうちに、ES症状でぐあいが悪くなってしまいました。このテストで、私は家の配電システムをメチャメチャにしてしまったので、その後怖くて触っていません。帰省の日も、さわらずソーッとそのままにしておきました。

 母が寒いだろうからといって、石油ファンヒーターを新しく買っておいてくれました。でも、私は新しいものを焚くのに自信がなかったので、これは点火しませんでした。新品は塗料のにおいが強いと思ったからです。代わりにエアコンで暖房しました。エアコンから吹いてくる風は妙な匂いがしていましたが、なんとかやり過ごせました。足元は電気コタツだったので、ES的には厳しかったです。

 一家でお話して、楽しく過ごしました。私はしゃべるだけで顎が痛かったので、鎮痛剤の助けを借りました。食べ物はあらかじめ米と水(ミネラルウォーター)を実家に送って、お粥を炊いていてもらいました。お粥以外のおかずはあまり食べられませんでしたが、楽しかったです。

○ホテルへ
 私は実家には泊まれないので、帰省時は、ホテルに泊まることにしています。いつも泊まるホテルは、仙台市郊外にある「ロイヤルパークホテル」です。街中のホテルは、携帯電話の電磁波が問題になります。中継アンテナが多いし、電話を使う人も多いからです。「ロイヤルパークホテル」の近くにも大きめの中継アンテナがありますが、平日はそれほど電磁波が強くないので、なんとか耐えられます。土日にホテルで結婚式が行われると、携帯電話の電磁波が、一気に増えるような感じがあります。旅行計画を立てるときは、土日の朝は早くから出かけるようにして、ホテルにいないような日程を組むようにしています。

 実家からホテルまでは、母の車を借りて移動しました。この車は、以前芳香剤を入れていたので、匂いに耐えられるかどうか心配でした。夜なので、車の中が冷え切っていて、短時間なら何とかなりそうです。翌朝、返しに来ることにしました。

○客室での対策
 ホテルの部屋に入ったら、まずは匂いの確認です。禁煙ルームをとったので、タバコの匂いは心配ありません。あちこちチェックしているうちに、この日は、目にピリピリとくる刺激を感じました。原因を辿ってみると、空気清浄機でした。このホテルには、もう何度も泊まっているので、だいたい状況はわかっていましたが、空気清浄機を見るのは、この日が初めてでした。

 フロントに電話してみると、空気清浄機は、新たに設置したものだということです。空気をきれいにするはずのものに反応するなんて…。でも仕方ありません。空気清浄機をビニールですっぽり覆って、密封することにしました。客室内にランドリー用のビニール袋があったので、これを2つ使い、完全に覆ってしまいました。少し目の痛みが軽くなったような気がします。もう少し時間がたってみないと、はっきりとした効果はわかりませんが…。部屋に残った刺激物質を取り除くために、換気扇を回しました。

 このホテルでは、寝具の匂いには、あまり問題を感じません。洗剤のにおいはそれほど強くないです。ベッドに寝ると、頭が壁に近くなるので、私は体の向きを180度回転させて寝るようにしています。壁際は配線が走っている可能性があるし、壁紙の匂いもあります。ベッドのヘッド部分に合板を使っているところもあります。枕元に電気スタンドがあり、ここもES的に問題ありそうです。というわけで、CS・ES要因を避けるために、枕の位置を変え、自分の頭が部屋の中央(何もない空間)に来るようにしています。明らかに眠りの質が違います。ツインの部屋なので、夫の足元を見ながら寝ることになります。

 この日は、シャワーを浴び、髪を洗って寝ました。浄水シャワーヘッドを持っていき、活性炭カートリッジに通したお湯を使います。シャンプー・せっけんは、家から持参しました。ふだん使っているものを使用します。


11月19日
○卵アレルギー
 朝食は、バイキングでした。顎関節症のために、食べられるものの種類が少ないので、このスタイルは助かります。お粥があったのだけど、米が体に合わない感じなので、パンをはさみで刻んで食べることにしました。細切れにすると、食べやすくなります。あとは、スープを飲んだり、オムレツを焼いてもらったりしました。私は生卵にアレルギーがあるので、オムレツはよくよく火を通してもらうようにしています。しっかり火が通ったものなら大丈夫です。

 このホテルに泊まるのは、もう10回近くなりますが、はじめの頃は、卵のことでホテルの人にずいぶん手間をかけてしまいました。何度焼いてもらっても中身が生なので、3回くらい焼き直してもらったり…。申し訳なかったです。その度に、親切にしてくださったウェイターの方の名前を、ホテルのアンケートに書いて、お礼を伝えていました。そうしたら、そのうち私の顔と名前を覚えてくださったようで、今では特別お願いしなくても、中まで火を通してくれるようになりました。ありがたいです!

 この日は、顎の痛みのために、オムレツを噛むのもつらいぐらいになっていました。先の行程を思うと、自信がなくなってきてしまいました。

○客室清掃員へのメッセージ
 朝、ホテルをたつ前に、客室でメモ用紙に「お願い」を書きました。客室の清掃の方へ伝えるためです。文面は以下のとおりです。

***************************************
清掃の方へ

いつもお部屋をきれいにしてくださってありがとうございます。
気持ちよく滞在できるのは、清掃の皆様のおかげです。感謝しております。

空気清浄機が収納棚に入っています。
この機械の“におい”が私は苦手なので、
このままにしておいてくださいますようお願いいたします。
空気清浄機を運転しないようにお願いします。
11/23に帰るときには、元通りにしていくつもりです。

ご面倒なお願いですが、どうかよろしくお願いします。
***********************************


 私は出がけに客室に自分の荷物を残さず、すべて持って出かけるようにしています。このホテルの清掃の人は、とてもきちんと仕事をしてくださるので、間違えて私物を捨てられるなんてことはないはずですが、万が一ということもあるので、念のためそうしています。私の日用品(洗面用具やシャンプーなど)は、すぐにそのへんで買えるものというわけではないので、なくなると困ってしまうからです。荷物が大きくなってしまうけれど、車での移動なら、なんとかなります。

○レンタカーを借りる
 母の車に乗って、実家に向かいました。車は、朝日を浴びて車内の温度が上がってしまい、芳香剤の匂いがきつくなっていました。これ以上乗るのは無理だと判断して、レンタカーを借りに行くことにしました。

 レンタカー会社の人に事情を話し、車内の空気を嗅がせてもらい、どの車を借りるのか決めることにしました。(→レンタカーについて詳しくは、スモール・データ・バンク「レンタカー」 に書きました。) 車両は、なるべく年数のたったものを見せてもらいました。新車の匂いは強烈なので、2〜3年たった車を中心に見せてもらうことにしました。

 レンタカー会社の駐車場は、近くに巨大な電波塔があって、私はこれに反応してしまいます。症状は、頭痛と全身の圧迫感、筋肉痛です。電波塔によるES反応と、レンタカーの車内の空気によるCS反応とを、明確に区別する必要があります。

 まず、駐車場に立って、アンテナの影響を体で確かめます。次に車内のにおいを嗅ぎます。アンテナの影響を念頭に置きながら、車内の空気による反応のみを感じ取るようにします。また、このとき他の車がアイドリングしていたりすると、排気のにおいが充満しているので、それによる症状とも区別する必要があります。それに、私の場合、車内のカーナビによるES反応とも区別しなければなりません。自分の体感だけが頼りの真剣勝負です。ここで体に負担の少ない車を選ばないと、のちの旅程に差し障るので、緊張する瞬間です。

 このときは、1台かいでみて問題なさそうなので、その車に決めました。車内のにおいはそんなに強くありません。タバコの匂いはしますが、それほど強くないので、なんとか耐えられると思いました。エンジンをかけて、エアコンをつけ、そのときの反応も見ます。この車を借りることにしました。

○車内の対策
 レンタカーに乗って道路に出たあと、まずカーナビの電源を切り、アンテナをアルミ箔とビニール袋で覆いました。こうすると、頭痛が目に見えて楽になります。本当に驚くほどの効果なので、レンタカーを借りたときは、この処置を欠かさずやっています。

 しかし、この日はアンテナを覆っても、肩や首の痛みがなかなか取れないので困りました。他に原因があるんだろうか…と思って見てみると、カーナビ以外のアンテナのようなものがフロントガラスにくっついています。VICS(道路交通情報通信システム)とも違う…これはなんだろう?? 筋肉の痛みが、車内の化学物質によるCS反応なのか、このアンテナみたいなものによるES反応なのか、区別がつきません。とりあえず、このアンテナをアルミとビニールで覆ってみることにしました。その後、筋肉の痛みは弱まっていったので、たぶん、このアンテナみたいなものが原因だったのだと思います。

 お昼を食べて、車に戻ってくると、車内の匂いを強く感じました。新車の匂いです。乗っている最中はだんだん慣れてわからなくなるのですが、車を離れてから改めてかぐと、強いにおいです。少しひるみましたが、しばらく乗り続けていると、また慣れてしまい、気にならなくなりました。症状もあまり出ませんでした。この数年は、化学物質過敏症は本当によくなってきたと思います。以前は、一度匂いが気になると、それになれることなく、CS症状もどんどん悪化していきました。最近は、このようにやり過ごせるようになってきました。

○おいしい夕食
 夫の友人宅で、手作りハンバーグをごちそうになりました。私の顎関節症のことを知って、柔らかいメニューにしてくださったのです。おいしかったです。ポテトサラダのマヨネーズ(生卵)がダメだと、あらかじめ知らせておいたので、私のサラダはソースをかけてくれました。生協のソースでした。

 帰りの車の中で、夫と話しているとき、このソースのことが話題になりました。夫が言うには、「友人宅では、ふだん生協のソースは食べないから、マルガリータの体のことを気遣って、わざわざ買ってくれたのだろう」とのことです。うわー、ありがとうございます! そこまで気を使ってくださって…とうれしくなりました。

 ホテルに戻ると、清掃係の方が、私のお願いの紙をちゃんと読んでくださったらしく、空気清浄機はビニール詰めで棚に入ったままになっていました! 助かります。

 しかも、ベッドメーキングの向きも、前回とは違っていました。私のベッドだけ、枕の向きが逆向きに! 毎晩寝る前に向きを変えるのは、けっこう手間なので、本当にありがたかったです。


11月20日
○ティータイム 
 午前中は、父の病院に行きました。父は、週2回リハビリに通っています。病院の中は消毒臭がするけど、なんとかなりました。外科と歯科以外の病院には、入ってもそれほど反応を起こさなくなりました。(外科は、湿布のような匂いが苦手。)

 そのあと、母とお茶することに。おととい行ったレストランに、また行くことにしました。はじめていくところは様子がわからないので心配だけど、一度でも行ったところは安心だからです。私は普段からカフェインが入ったものを飲まないようにしているので、このようなときに飲むものに困ります。また、甘味が強いものが苦手で、あまり食べられないので、喫茶店に行くと、何一つ注文できないことが多いです。この日も困ってしまいましたが、ドリンクバーを注文することにしました。母は、コーヒー・紅茶などを飲み、私はお湯を飲むことにしました。紅茶を入れるためのお湯が出るので、これをくんできて、いただきました。とてもあったまります。

 おととい“やわらか〜いスパゲティ“をつくってくださったシェフが、私の顔を見て挨拶してくれました。私も改めて、おとといのお礼を言いました。「スパゲティがとても食べやすかったです」と伝えました。

 午後、夫も合流して、3人でお昼ご飯を食べました。私はまた“やわらかゆでゆでスパゲティ”をつくってもらいました。はさみでチョキチョキ切って、スプーンですくって食べます。

○サイトの管理
 その後、夫と電器店に行って、パソコンコーナーでインターネットを見ました。私のサイトの掲示板をチェックするためです。電気店は、CS・ES的に厳しいですが、この1年は短時間であれば入れるようになってきました。

 掲示板。すぐにレスをつけなければならない書き込みがあったので、どうしようかと悩みました。この電気店は、すぐわきに変電所、真上に高圧送電線、という電磁波過敏症には最悪の立地でした。体全体に圧迫感を感じ、お腹が痛くなってきました。ここは危険なので、短時間で離れることにしました。

 車で走りながら、ネットカフェを探しました。一軒見つかりましたが、ここも高圧送電線の直下なので、あきらめて帰ってきました。

11月21日
○友人の温かいもてなし
 化学物質過敏症の友人宅へ。あらかじめ携帯電話の電源を切っておいてくれるようにお願いしておきました。それと、「ノートパソコンをアルミはくで包んでくれるように」とお願いしました。こんなお願いを、嫌な顔せず実行してくれるのが、とても嬉しいです。ESの私のために、電気製品はすべてコンセントを抜き、あらかじめ茶の間にあったテレビとビデオデッキを別室に移していてくれました。ブレーカーも、必要なもの以外は落としてくれました。

 私と夫で、庭にある衛星放送用のパラボラアンテナを、アルミはくで包ませてもらいました。これも友人は、嫌な顔ひとつせずにやらせてくれました。

 私たち夫婦は、友人宅に着くなり、持参した洗いたての服に着替えました。私たちの着てきた服は、途中の乗り物の匂いや様々な化学物質が付着していたからです。友人は「化学物質過敏症が回復したので着替えなくても大丈夫」と言っていましたが、やっぱり心配だから…ということで着替えました。私の服はいろいろな匂いがついていて、自分でも嫌になっていたのです。着替えたら、すっきりさわやかな感じになり、気持ちがよかったです。

 たくさんたくさんお話しして、楽しい時を過ごしました。食事は、私の顎のことを気遣ってくれて、食べやすいごちそうをいっぱい用意していてくれました。おいしい! 本当においしかったです。茶碗蒸しはとても食べやすかったけど、びっくりしたのは、私の分だけ茶碗蒸しの具がみじん切りになっていたことです。ここまで手間をかけてくれて、心の底まで温かくなりました。歯の治療、難航しているけれど、「がんばって治していこう」と決心しました。

 私は食後、顎が痛くてどうにもならないので、こたつに寝ころんでいました。人のうちで寝ころぶのはどうかと思ったんだけど、どうにもなりませんでした。もう、今回の道中は、どこだろうとゴロゴロと横になっていました。顎が痛くて起きていられなかったからです。コタツは、友人が私のESを気遣って電源を入れず、代わりに湯たんぽをいくつも入れてくれました。湯たんぽのお湯でほんのり温かく、心地よいコタツでした。食事のあとも、ときどき起きたり、また横になったりして、おしゃべりしました。

○パラボラアンテナによる反応
 帰り際、パラボラアンテナにつけていたアルミ箔をはずしたら、その直後から頭痛。全身の気持ち悪さでうずくまってしまいました。自分でも信じられませんでした。アルミをつけたのは、「ちょっと疑いアリ」くらいの気持ちで、自分でもパラボラに反応しているかは、半信半疑だったのです。これだけはっきり反応すると、驚きました。「電源を切っているのに、それでも反応するなんてあるんだろうか?」「これはESなんだろうか?」と自分でも信じられませんでした。

 2003年に、自宅の2階に夫がパラボラアンテナを設置したときも、これと同じ反応がありました。このときも、電源を入れていないし、チューナーに接続してもいません。アンテナが電波を集めて…その後どう働いて私の体に反応が現れるのかは、全くわかりません。こんな話、誰だって信じられないだろうし(私だって自分の体に反応が現れなければ信じられない気がする)、パラボラアンテナに反応するんだったら、とんでもないことです。今時、どこの家にでもパラボラアンテナがあるのだから。私が住んでいる家の近所は、老人世帯ばかりなので、たまたまパラボラアンテナがありません。幸運なことだと思います。

 帰り道、ネットカフェを探して、掲示板に書き込みをしました。見つけた店が、また高圧送電線の直下。いいところが見つからないので、しかたなくここで書き込みすることにしました。原稿は昨晩ホテルの部屋でメモ用紙に書いてきたので、急いでタイプして、投稿。何台もあるパソコンの電磁波や、ブースを仕切っている合板の匂いが気になりましたが、短時間だったのでなんとかなりました。高圧送電線で、体の筋肉やお腹の痛みが出たけれど、早めに切り上げたので、大事には至りませんでした。

11月22日
○図書館はシックビル
 朝、出かける前に、清掃の人にまたメッセージを書きました。毎日私のベッドの向きを逆にしてくれて、とても助かるので、そのお礼を。

「フトンの向きを(枕の位置)変えてくださって
ありがとうございます。とても助かっています。」


メモ帳に書いて、部屋に置いて出かけました。

 午前中は、宮城県図書館へ。調べ物。目的の本が見つからないので、早々にあきらめて、1階でCDを視聴しました。札幌の図書館とは品揃えが違います。バッハのオルガン曲を何曲も何曲も聴きました。幸せ。

 宮城県図書館は、シックビルディングです。10年くらい前、開館したての頃は、室内の空気に反応して職員が倒れてしまい、救急車で運ばれたということです。私は仙台に住んでいた頃、かかりつけのアレルギー医からこの話を聞きました。この建物は、10年たった今でも、建材のすごい匂いがします。換気が悪いのか、なかなか減りません。

 午後から、両親+夫と、見晴らしのよいホテルのレストランで食事をしました。私は顎の痛みのため味がよくわからなかったのですが、楽しかったです。景色がとてもよかったです。しかし、ホテルの前にNTTのビルが(300m位の距離)。ビルの屋上に通信用のアンテナがたくさん乗っかっていて、頭が痛くなってしまいました。クラクラしました。

 夜ホテルに戻ってみると、私のベッドばかりか、夫のベッドまでも、枕の向きが変わっていました。私のメモを読んでくれたみたい。うれしかったです。でも、夫は電気スタンドの方に枕があった方が便利だというので、元の向きに戻していました。また、夫婦互い違いで寝ました。

 旅程は残すところあと1日となり、少し安心しました。「ものすごい顎の痛みだったけれども、なんとかこなせたな」という気分。

11月23日
○最終日
 ホテルのチェックアウト。清掃の人にお礼の書き置きをしました。メモ用紙に書いて、部屋に置いていきます。ホテルのアンケート用紙があるので、ここにも親切にしてくれたスタッフの方にお礼を書きました。荷造りを終えたあと、部屋を出る直前に、ビニール詰めにしていた空気清浄機をクローゼットから出しました。ビニールをとると、やっぱり目にピリピリとくる刺激! 「密封しておいてよかった」と思いました。空気清浄機を元の位置に戻して、部屋を出ました。

 実家に行き、家のリフォームのことについて、建設会社と話し合い。工事の内容について、説明を受けました。外回りのことなので、特にシックハウス対応はしてもらわないつもりです。この判断が正しいのかどうかは、わかりません。両親は、化学物質過敏症の要素は全くない人たちなので、大丈夫だと思うのですが…。

 私も外回りであれば、工事後2ヶ月もたてば、帰省するのに問題ないと思います。業者のとの話し合いでは、値段のことなども交渉しました。

 たぶん、業者の人が持っている携帯電話のためだと思うのですが、話をしているうちに、私はだんだん気持ち悪くなってきてしまいました。集中力が落ちて、話し合いに根気がなくなってきました。なんとか最後まで話をすることができました。短時間なら我慢できると思い、電源を切るようにお願いすることはしませんでした。

 午後は、夫の実家によって、おしゃべり。犬の散歩。ずっと顎関節症で食べられない状態が続いているので、体力が落ちてしまって、少し歩いただけでフラフラします。夫の実家は、自然豊かなところで、河川敷を散歩していると、とても気持ちがいいです。しかし、稲作地帯なので、夏になると、ヘリコプターによる農薬の空中散布が行われます。私は稲作の行われていない時期に、帰省するようにしています。



 夕方、帰路につきました。楽しかった旅行も終わりに近づいてきました。空港でレンタカーを返すときに、カーナビのアンテナを包んでいたアルミはくを剥がしました。その途端、よみがえる強い頭痛。やっぱりアルミはくは、効果があるみたいです。

 その後、飛行機・バスに乗って、札幌の自宅まで帰ってきました。夫はあと1週間、仙台に残ります。私一人で札幌まで帰ってきました。道中は疲れていて、ずっと寝ていました。帰りの飛行機は空いていて、なんの問題もありませんでした。ぐっすり寝ているうちにつきました。化学物質過敏症が悪かった頃は、乗り物の中で神経が高ぶって眠ることができませんでした。今は移動中に眠れるので、疲れがとれます。

11月24日
○お世話になった皆さん、ありがとうございました
 帰ってきて、さっそく航空会社にメールを打ちました。親切だったスチュワーデスさんのこと、お名前とお礼を書きました。すぐに返事が来て、「また同じようなことがあれば、いつでも対応します」とのことでした。また、「スチュワーデス本人にメールのことを伝えます」と書いてありました。他のCS患者が困ったときにも、親切に対応してくれるだろうと思って、うれしくなりました。

(完)

注:仙台の「ロイヤルパークホテル」は2009年2月に食中毒を起こしてから、館内の消毒が大変強くなっています。私は2月以来、宿泊を避けています。私の知人が2月・3月に、工事の仕事でホテルに入っていたのですが、深夜に噴霧器で館内中を消毒していたそうです。工事人は危険なので、皆マスク着用が義務づけられていました。健康な人でも、強烈な消毒臭を感じたとのことです。CS患者の方は十分ご注意ください。 (2009年6月付記)


〔2〕青森旅行記
○旅行準備
 2006年12月19日に、青森に行きました。かねてから会ってみたいと思っていたCSの友人を訪ねる旅です。年の瀬も迫っていましたが、ちょうどこのとき、それまでずっと続いていた歯の治療がしばらくお休みになること、冬であれば農薬の心配がいらないことから、この日程で出かけることにしました。

 はじめは飛行機で行くつもりだったのです。飛行機なら短時間で行くことができ、体への負担が軽くてすみます。しかし、冬の〈札幌−青森〉航路は、ちょうどよい時間の便がありませんでした。〈札幌→青森〉は夕方の便、〈青森→札幌〉は朝の便のそれぞれ1本だけです。2泊しなければ、何もできません。

 それで、バスかJRで行くことにしました。JR線は、夜22:00に発って、朝5:30に着く列車がありますが、ES持ちの私は、7時間半も電車に乗る自信がありませんでした。長時間、電車に乗っていると、全身の筋肉が固くなって痛み、頭痛がしてきます。それで、〈札幌→函館〉間はバスで行き、津軽海峡はJR線に乗ることにしました。夜0:00に札幌を発って5:00に函館に着き、7:00に函館を発って、9:00頃に青森に着きます。これなら、電車に乗る時間は少なくてすみます。函館で2時間待たなければなりませんが、乗り物に乗っていない分、体は楽なのではないかと思いました。

 はじめは、12月18日(月)に行く予定だったのですが、バス会社に問い合わせたところ、月曜日のバスはビジネス利用の乗客が多く、ほぼ満席だということでした。人が多いと携帯電話の電磁波が心配なので、1日延ばして、12月19日(火)に行くことにしました。この日のバスは、「ガラ空き」だということです。

 1泊することも検討したのですが、結局日帰りにしました。宿泊することになると、準備も持ち物も大変です。宿泊先のホテルの空気や電磁波状況によっては、眠れない夜を過ごすことになるかもしれません。仙台旅行と決定的に違うのは、初めて行くところだということです。仙台は何度か行っているので、だいたい何が問題となるのかが予想できました。しかし、初めて行く土地では、予想もしない化学物質に曝露する恐れがあります。それを考えると、まずは日帰りが無難だと思ったのです。

 今回の旅は、7年ぶりの一人旅となります。2001年にCSが悪化してから、私は夫の付き添いなしに行動することができなくなりました。化学物質に曝露すると急激に反応が進み、意識がもうろうとして動けなくなるためです。2004年秋頃からは、日常生活では、ひとりでも出歩けるようになりましたが、旅行はまだ自信がありませんでした。回復してきたので、ここいらで「挑戦してみよう!」という気持ちになりました。結果はいかに? 楽しんで帰ってこられるのでしょうか、それとも、散々な目にあうのでしょうか。

 いつもなら、よく下調べをして、よく準備してから出かけるのですが、このときは勢いでパッと決めて、すぐに出発してしまいました。

○出発
 12月18日の夜22:30頃、私は夫に送られて、地下鉄の駅まで行きました。地下鉄でバスターミナルまで行きます。札幌出発のバスターミナルは、ちょうど大通公園のテレビ塔の近くにあるので、ES的に自信がありません。テレビ塔に近づくと、頭痛・全身の圧迫感などの症状が出て、どうにもならなくなります。「出発時刻の30分前にターミナルに集合するように」と言われましたが、あえて遅刻することにしました。30分もテレビ塔の近くにいる自信がなかったからです。地下鉄の駅からバス会社に電話して、「やむを得ない事情で遅れます」と連絡し、出発の15分前に到着するようにしました。

 大通で地下鉄を降りてからバスターミナルまで、なるべくテレビ塔から距離をとったルートを歩いていきました。ここで強い症状を起こすと、いきなり旅行が終了なので、注意深く行きます。

 ターミナルには遅刻してつきましたが、出発まで15分間、何するでもなく待たされたので、遅れてよかったと思います。(バス会社の人には申し訳なかったですが。)たった15分でも、頭痛や全身の痛みが出てきました。それ以上、長時間いたら危なかったと思います。

 ロビーで、バスの案内パンフレットを見ていたら、そこに驚くべき情報が! なんと、バスの車内にテレビが2台設置してあると書いてあります。私はESで、この3年程テレビを見たことがありません。大丈夫だろうか、症状(頭痛・強い目の痛み)が出ないだろうかと、完全にビビりました。「あらかじめ下調べしてくれば、前もって気づくことができたのに…」と思いましたが、後の祭りです。

○バスの車内
 23:55に車内へ乗り込みました。テレビ、ついてます! なるべくテレビを避けて、後部のエンジン部分も避けて座りたいと思いました。エンジンの部分は、電磁波が強いと思ったからです。また、後ろの席は、排気ガスの問題もあります。しかし、座席はすでに決められており、私の席はあまりいい席ではありませんでした(イラストの緑色の席)。席は車両の前方が男性席、後方が女性席と分けられており、真ん中より後ろの席に座るしかありません。私の指定席は、テレビとトイレの真ん前です! トイレは芳香剤が入っているだろうから、なるべく近寄りたくないと思っていました。

 この日は乗客が少なかったので、もっと条件のよい席にこっそり移動することにしました。「0:00の消灯と共にテレビは消します」というアナウンスがあり、この点は安心しました。トイレを避けつつ、後方のエンジン・排気ガスも避けて、座ることにしました(イラストの紫色の席)。


 0:00に照明が消されると、車内は真っ暗闇になりました。バスは函館に向けて、走り出しました。

○トイレの芳香剤
 消灯後に、トイレに行ってみました。芳香剤がどうなっているかを確認するためです。芳香剤の匂いが弱くてやり過ごせそうなときはそのままにし、もし匂いが強いようなら、あらかじめ用意していたビニール袋で、芳香剤を包もうと思っていました。出発と同時にビニール詰めにして、到着直前にビニールをはがすつもりでした。バス会社の側にも、芳香剤を設置する正当な理由があるのだから、できればビニールを使わずにすませたいと思っていました。ところが…。

 トイレに行ってびっくりしたのは、今時珍しいパラゾール(パラジクロロベンゼン)のボールが設置してあったことです! ただの芳香剤ではありませんでした。確か、パラジクロロベンゼンは発ガン性があるということで、使用禁止になっていたと思うのですが…。でも、確かに目の前にあります。これに近づくのは、本当に久しぶりでした。なんとも懐かしい匂い…。そして、胃のあたりがムカムカして気持ち悪くなってきました。狭いトイレ内に立ちこめる匂い。ドアの隙間から漏れて、バスの車内に拡散していることでしょう。

 パラゾールは作りつけの専用ケースに入っていました。アクリル板を組み立てたような透明なケースにボールが入れてあり、ぽつぽつと開いた穴から成分が揮発してきます。ケースは壁にビスで留めてありました。壁にしっかりくっついているので、全体をビニールですっぽり包んで封をすることができません。

 そこで、ケースの前面と側面をビニールで包み、壁との間は、隙間があかないように、ビニールをなるべく壁に押しつけました。これではまだ匂いは漏れてくるだろうけど、何もやらないよりはマシです。作業が長引いて、体に影響が現れるのを恐れました。ビニールごしの作業だったにもかかわらず、手にパラゾールの匂いがついてしまいました。

○函館へ
 乗り物の中では、とにかく寝てしまうことです。私はCSが悪かったときは、家でもどこでもほとんど眠れず、そのため昼間起きている間もずっとぐあいが悪かったです。CSの回復と共に、この2年ほどは、乗り物の中でも眠れるようになりました。寝やすいように、耳栓をして音を遮断するようにしています。

 このバスは、リクライニングシートの角度が体に合わなかったので寝にくかったですが、なんとか眠りにつくことができました。右手はパラゾールの匂いがついているので、顔に近づけると匂います。右手に手袋をはめ、なるべく顔から離して寝ました。車内の消毒の匂い、他の乗客の匂いも少し気になりましたが、いつの間にか眠ってしまっていました。

 4:30に、いきなり電灯とテレビがついて、起こされました。函館駅に着く前に、途中の停留所で降りる客がいるためです。私はテレビも電灯も気にせず、とにかく寝続けました。寝ないと昼間に体力が持たないからです。5:00前に函館駅に着きました。雪が降っていました。

○函館駅にて
 函館で2時間の待ち時間があるので、この時も「いかに睡眠を取れるか」が重要だと思いました。駅の待合室のベンチには、すでにたくさんの人が寝ていました。私も「よっこらしょ」と横になって、眠ることにしました。早朝で暖房をしぼってあるせいか、寒くてなかなか眠れません。新聞紙に包まって寝ている人は、暖かそうでした。眠れずにいると、人の話し声が気になってきます。そして、なぜか犬の鳴き声が! 犬を連れての旅行なのか、待合室にいる人の飼い犬のようです。犬の鳴き声もかまわず眠っている人がうらやましくなりました。

 先ほどから熱心に電車のダイヤについて話している人がいます。旅行者なのだろうなと思って、ちょっと耳を澄ますと、話し相手はとても声の小さい人のようで、よく聞こえません。「おかしいな」と思って起き上がって見てみると、話し相手の姿はなく、一人の人が延々と自分だけでしゃべっているのです。「この人はいったい何者?」と思ったけど、かまわず寝ることにしました。

 1時間過ぎて6:00になると、函館駅の駅員がベンチで寝ている人を起こしに来ました。始発が近づいてきて、通勤客のような人も増えてきました。寝ている人がいるのは、見映えが悪いのでしょう。私は6:30まで、持ってきたパンなどを食べて朝食をとりました。6:30には津軽海峡線の列車が来たので、乗ってしまい、中で寝ることにしました。

○津軽海峡線
 この電車に乗ってみると、中の消毒臭の強いこと! 驚きました。鼻や喉が詰まるような強い臭気です。これまで札幌近郊の電車に乗ったときは、こんなに強い消毒に出会うことはありませんでした。だから、電車に乗っても大丈夫だろうと思って出かけてきたのですが、この匂いは計算外でした。こんな中で過ごせるだろうかと躊躇しましたが、「とにかく寝てしまえば何とかなるだろう」と思い、席に座りました。30分ほど寝ていると、電車は出発しました。消毒臭で、ちょっと息苦しい感じがしてきました。

 これはあらかじめ予想していたことですが、津軽海峡の海底トンネル。ここを通過する間は、きっと地上にいるよりずっと空気が悪くなるはずです。30分ほど海底にいることになります。大丈夫かと心配でした。

 海底トンネルに入る直前に、車内放送で案内がありました。そして、列車はトンネルに入っていきました。それまでとは違い、粉っぽいような、微粒子状の物質が車内に入ってきて、喉はいがらっぽいし、目にしみて痛みました。じっと目をつむって、寝たままやり過ごすことにしました。

 青森に着く頃にはヘトヘトで、私は本当に1日過ごせるのだろうかと心配になりました。列車が海底トンネルから抜けたあとは、車内の空気は少しよくなってきました。そして、青森駅で電車から降りると、さらに空気はよくなりました。

○対面
 青森駅で、CSの友人と初対面。顔を見るのは初めてで感激しました。車に乗せてもらって青森駅を出ました。感心したのは、車内の匂いのなさです。さすがCS患者! ここまで無臭にできるとは。我が家の車はもっと匂うので、普通のCS患者は乗れないかもなあ、と思いました。

 友人宅で、飲みものや朝食などをいただいて、後はずっとしゃべりっぱなしです。そのうち、私はFF式のファンヒーターにES反応を起こしたようで、頭が痛くなってきました。これを消してもらったら、頭痛はみるみる楽になりました。ストーブを消すと寒いので、2人ともダウンジャケットを着ながらの会話です。

 その後、おそば屋さんに場所を移して、お昼ご飯を食べながらしゃべりました。禁煙のおそば屋さんなので、その点は安心でしたが、畳張りなのでちょっとビビりました。畳の匂いは抜けていて大丈夫だったのですが、個室のふすまが開いていて、ここからは匂いました。ここだけ畳を替えたばかりのようです。こっそりふすまを閉めてしまいましたが、後からそこに来た店員さんに、また開けられてしまいました。青森の人は、きっちりしていらっしゃる。札幌の人はおおらかというか、たいていそのまま放っといてくれるのですが…。畳の匂いは少し気になりましたが、何とかしのぐことができました。

 その後、青森市内をドライブして、いろんなところを見せてもらいました。冬なので農薬の心配がなく、私はリラックスしてドライブを楽しみました。突然押しかけてきたのに、たくさんおもてなしをしてもらって、うれしかったです。

 風景はとても美しかったです。青森の空の色は、札幌とは違う。私の出身地の仙台とも違います。何だか宗教的で神秘的な空の色。本州の最果ての地の独特の風土を感じました。寺山修司や棟方志功、太宰治を輩出した土地だというのは、うなずける感じがしました。

 夕方、青森港の観光センター「アスパム」でお茶を飲みました。上層階に、港が一望できる見晴らしのよい喫茶店があります。私は10年ほど前にここを訪れたことがありますが、風景はまるで違って見えました。ここ2年ほどで、私は視覚症状(物の見えやすさ)が格段に回復したので、このような違いが出たのだと思います。10年前より視野がとても広くなり、色調や光の具合も、細やかに見えるようになっていました。神経が回復したんだなあ、と実感したことでした。10年前はいろいろ大変だったけど、私はここまで回復してきたんだなあ、よかったなあと思いました。

○帰路
 夕方の電車に乗って青森を発ち、函館で乗り換えて、5時間半ほどで札幌に着きました。帰りは、全行程JR線です。乗り継ぎの接続がいいので、行きよりずっと短い時間で帰れます。電車でES症状が出ても、あとは帰って寝るだけなので何とかなる、と思いました。

 帰りのJR線の車両も、それはそれは消毒臭の強いものでした。〈函館→札幌〉間は、列車自体のにおいも強かったです。新しい車両だったのだと思います。ゴムのような匂いがしていました。鼻から口から、重苦しい空気が侵入してきて、息苦しさを感じました。しかし、この5時間半はほとんど熟睡状態で、気づいたときは札幌に帰ってきていました。帰りは、いつ海底トンネルに入ったのかも、覚えていません。

 地下鉄の駅まで、夫が迎えに来てくれました。私はこの日の旅の楽しさを伝えたくて、興奮してしゃべっていましたが、夫の様子が変です。呆然として、相槌もほとんど打ちません。どうしたのかな…と思いましたが、その日は疲れたので寝ました。

 夫は翌日も、その次の日も、呆然としているようでした。3日目くらいから、ようやく旅の話ができるようになりました。夫は私の一人旅のことが心配で、あまりにも心配しすぎて、精神的に変になっていたようです。そのことにようやく気づきました。最初の2日は、私が本当に無事に帰ってきたことが信じられなかったのだそうです。3日目にようやくホッとしたようで、もとの夫に戻りました。今回の旅行は、直前に決めて急に出発したので、夫は心の準備をする時間がなかったのだと思います。

 私は初の一人旅が成功して、本当にいい気分になっていたのですが、ここまでこられたのは夫のおかげで、私一人の力じゃないんだと、自分に言い聞かせました。2001年にCSが劇的に悪化してから、私は一人で出歩くことができず、夫はずっと私につきっきりでした。当時、私は一人になると、とても心細かったです。そういうことを思い出しました。

 あれから6年。こうしてここまで回復できたのは、夫の力なしには果たせなかったことだろうと思います。この先は、こんなふうに夫に心配をかけるようなことがないようにしたい、と思いました。


〔3〕私の旅行術
a.旅行の計画
 CS対応の旅行では、出発前によく計画を立てることが大切です。あらかじめリスクを予想し、備えるためです。はじめに行き先と日程を決めますが、自分の過敏性や体調と、旅行の目的とを考え合わせて、どのような旅にするのか、決定します。

○目標を決める
 私が「旅行記」に書いたのは、楽しむための旅行でしたが、他に仕事での出張や、化学物質を避けるための避難が目的の旅行もあると思います。仕事の出張というのは、私には経験がないので、ここでは省くとして、他の2つについてはそれぞれ目標を考えてみましょう。

楽しむための旅行
 「気晴らしをする」「親しい人と再会する」「珍しいものを見る」「おいしいものを食べる」など、ふだんの生活では味わえない楽しみを求めて出かける旅です。行きたいところを決めたら、それが現在の自分の体調と照らし合わせて、無理のないものかを考えてみます。体調が悪かったり、過敏性が高い場合は、道中、次々と曝露に遭って症状が出てしまい、楽しむどころではなくなります。予定通りに行動することが難しくなり、場合によっては、途中で帰ってこなければならなくなるかもしれません。

 私は、2001年5月に、CSが劇的に悪化してしまいましたが、4月に旅行の計画を立てて手配してしまっていたため、6月に海外旅行に行きました。このときの経験は、今、思い出しても身悶えするほどです。苦しさ100%、楽しさのかけらもありませんでした。拷問で、引き回されたようなものです。体調が悪いと、さんざんな結果になります。そのようなときは、旅行をしない方がよいのです。計画を立てる段階で、予想を立てて、苦しさ:楽しさの比率が50%:50%くらいにならないなら、出かけない方がよいと思います。2001年の海外旅行は、楽しさ0%、苦しさ100%でした。ここ2年ほどの旅行は、楽しさ70%以上になってきています。旅の目標は“楽しむ”こと。私は、楽しさ50%以上を目標としています。

避難のための旅行
 「近所で外壁塗装が始まる」「近隣で農薬の空中散布がある」などという場合、家にいるのが危険なので、避難する必要が出てくることがあります。私の場合は、年に1回、年末年始の時期に、携帯電話の電磁波を避けるために、毎年避難します。

 CS患者にとって、「避難」の目的は、有害な化学物質を避けることです。しかし、全く化学物質の害がない場所というのは、なかなか見つけられないので、避難先でも曝露する危険性があります。場合によっては、家にいるよりも、避難先の方が有害度が高い場合もあります。「避難」旅行の目標は、家にいる場合よりも、体が楽になることです。その目的を達成するためには、避難先をよく考えて選択すること、リスクをシミュレートすることが必要になります。はじめていく場所は、必ず予想もしないような汚染源に出会うことが多いので、完璧な予測は難しいのですが、事前によく調べて計画を立てることで、リスクを最小限にすることを目指します。

○計画を立てる
 目標が決まったら、体調との兼ね合いで、行き先や日程を決めます。過敏性が高く、体調を崩しやすいときは、なるべく旅行期間を短く、目的地を近くします。はじめは少しずつお出かけしていって、慣れてきたら、もっと冒険してみます。私は2002年に札幌に越してから、何度か仙台に里帰りしていますが、はじめは2泊するのがやっとでした。その後、過敏性が下がるに従って、日数が増えていき、現在では、5泊しても大丈夫になっています。

○シミュレーションする
 旅程が決まったら、全行程を紙に書き出します。どこに行って何をするか、誰に会うのかをすべて書きます。(「気ままな旅が好き」という人も、CSが治るまでは、いったんお預けにした方が無難です。) 計画が決まっていないところ、曖昧なところは、わかる範囲で決めてしまいます。実際、旅に出れば、変更を迫られることもあるし、行ってみないとわからないこともあるのですが、決められるところは決めてしまいます。

 私は、2003〜2004年頃、過敏性が高かったときには、化学物質に曝露すると、すぐに思考力が落ちてしまい、自分が何をやっているのか、どう行動したらいいのか、わからなくなっていました。そのとき、行程を詳細に書いた計画表は、とても役に立ちました。事細かに記してあるので、その通りに動けばいいわけです。私がダウンしてしまったときに、夫に援助を頼むのにも役に立ちました。紙に書いてあるとおりにしてもらえばいいわけですから。

 全行程を書き出したら、1つ1つについて、その場面を頭に思い浮かべ、化学物質のリスクを予想します。そして、そのときどのように対処したらよいかを考えていきます。バスに乗るのに、他の乗客の持ち物に反応するのであれば、なるべく空いている便を選ぶべきです。例えば、「青森旅行記」で、私は混んでいる月曜日のバスをやめて、火曜日に出発することにしました。また、「仙台旅行記」では、飛行機に乗るときに、預ける荷物をビニールで包みました。荷物庫や、他の乗客の荷物からの匂い移りを防ぐためです。

 旅行中は、その場になってから対応しようとすると、なかなか難しいので、あらかじめ計画を立てて、紙に書いていくと、スムーズにできます。例えば、行程表の「電車に乗る」というところには、次のような注意を書き込んでおきます。「パンタグラフを避けて車両を選ぶこと。なるべく空いている車両に乗る。頭痛が出たら早めに鎮痛剤を飲む。薬・水を取り出しやすいところに入れておく。」電車に乗るときに、このメモを読めば、すぐに思い出すことができます。

例として、旅行計画表を1つ載せておきます。ある年の、年末避難旅行の計画表を読みやすく編集したものです。
《旅行計画表(例)》

○地図の利用
 行き先のリスクを予想するのに、地図はとても便利です。私は事前に必ず確認します。使うのは、都市地図や道路地図と、国土地理院の地形図です。(→地形図については、第5章〔2〕に詳しく書いています。)地形図では、農地、公園、工場、清掃工場、送電線、電波塔の場所をチェックします。農地・公園をチェックするのは、殺虫剤・除草剤のリスクを避けるためです。線路も確認します。これは、電磁波と除草剤のリスクを避けるためです。自分の苦手なものをよく想定して、地形図をチェックすることをお勧めします。

 都市地図、道路地図もよく見ます。泊まるホテルや外食する飲食店の位置など、行く場所を確認し、地形図と併せてリスクを見積もります。私の場合、どこに行くにも、まずNTTビルがどこにあるのかを確認します。ビルの屋上には、大きな通信用アンテナが乗っていることが多く、それに強いES反応を起こすからです。これが何を置いても一番先に確認する点です。テレビ塔や自衛隊の電波塔などは、地形図に載っているので、確認しておきます。しかし、携帯電話の電波塔、アンテナは調べようがないので、電話で現地に確認するなどの方法をとっています。

○宿泊について 
 どこに泊まるか決めるとき、私のやり方をご紹介します。目的の地域で、ホテルをネット検索し、立地を見ます。都市部、駅前などは避けるようにしています。(人が集まるので、携帯電話を使う人が多くなり、ES的につらいからです。)「仙台旅行記」に出てくるホテルは、仙台市の郊外にあり、体が楽でした。

 また、地形図を見て、高圧送電線の位置をチェックします。送電線が近いと、私はひどい頭痛になってしまい、全く耐えることができません。それから、客室で無線LANが使用できるようになっていないかも確認します。無線LANが使えるような宿は避けます。自分では当然使用しませんが、他の部屋の宿泊客が使用すると、その電波に反応する可能性があるからです。

 客室は、和室の畳がだめなので、洋室に泊まるようにしています。また、新築のホテルはだめなので、築年数も調べるようにしています。インターネットで調べられる場合があります。また、書店に行くと、宿泊施設のガイドブックがあって、それに築年数が書いてある場合があります。直接ホテルに電話して聞いてみるのもいいと思います。私の場合、築年数が2年以上たったものは、大丈夫なようです。ホテルによっては、禁煙ルームを設けているところがあるので、確認して、あるようなら、その部屋を頼みます。温泉宿は、硫黄泉だと匂いがつらいので、避けています。温泉宿の場合は、あらかじめ泉質を確認しておきます。

 だいたい絞り込めたら、最後にホテルに直接電話して、建物の屋上に携帯電話のアンテナが乗っていないかを確認します。また、敷地内にアンテナ(鉄塔)がないか、一番近いアンテナはどのくらいの距離にあるのかを聞きます。携帯電話のつながりぐあいも聞いておきます。「圏外」なら最高ですが、今時はなかなかそういう宿は見つかりません。

 また、ホテルに電話して、宿泊日に工事をしていないか、聞いたほうがいいです。2003年に道北を旅したとき、夕方ホテルに着いてみると、建物の周りに足場が組まれていて、今まさに外壁塗装をし始めたところでした。私が泊まった部屋は、塗り始めた場所から離れていたので、何とか耐えられましたが、これは予想もしない事態でした。泊まるホテル自体の工事ではなくても、近隣で工事をしている場合もあるので、あらかじめ確認した方が安心できます。また、宿泊日には工事していなくても、直前に工事をすると、その残留臭に反応してしまう可能性が高いので、宿泊日の3ヶ月前までの期間に工事がないかどうかを、聞いておいた方がいいでしょう。

 このような一連の手順を踏んでOKなら、そのホテルに決めます。私の場合は、このような手順ですが、人によって反応するもの、苦手なものは違うので、ご自分の事情に合わせてチェックしてみてください。

○外食について
 目的の地域で、禁煙席がある店を探します。私は、座席が分かれていれば耐えられますが、人によっては、部屋が完全に仕切られていないとだめな場合もあるでしょう。最近は表示が細かくなってきているサイトもあるので、事前に確認することをお勧めします。食材の農薬や添加物を避けるために、自然食レストランをチェックしてもいいと思います。

 都市地図で場所を割り出し、地形図で確認します。これは宿泊場所を決めるときと同じで、反応が起きそうな場所をチェックします。このようにして、なるべくリスクの少ない店を選びます。

○持ち物の準備
 次に全行程をシミュレーションしながら、必要な持ち物をリストアップしていきます。CS患者であれば、ホテルに備え付けのシャンプーなどは使えないでしょうから、自分が大丈夫なものを持っていくことになります。1日の生活に必要なものを漏らさずリストに加えていきます。衣類・水回りのもの・薬やサプリメント・水や食品などです。

 ふだん通りの安全性を確保したいと思っても、旅行中はそれが不可能なこともあります。ふだん、空気清浄機や浄水器を使っている人でも、それを旅行に持っていくのは難しいでしょう。「どうしても必要なものは何か」「あきらめたり妥協しなければならないのは何か」ということをよく考えて、持ち物を決めます。一般の旅行者が持たないようなものも持って行くので、どうしても荷物が多くなってしまいます。荷物が重いと体に負担なので、少しでも荷物を減らして軽量化を図りたいのですが、安全性との兼ね合いで、難しいところです。

 ひととおり必要なもののリストができたら、今度はリスクに備えるためのものをリストアップします。旅程の中で、化学物質の曝露が予想される場面で、自分がどのように対処したらよいのかを考え、それに必要なものを持っていきます。「仙台旅行記」では、レンタカーの車中にあるカーナビのアンテナを覆うために、あらかじめアルミ箔とビニール袋を用意していきました。このように、曝露が予想される場面で、対処する方法を考え、必要なものを持っていきます。

 どんなに綿密にシミュレーションしても、必ず何か見落としはあるものです。また、旅行中に不測の事態に遭い、あわてることもあります。そのとき、「あれを持ってくるのを忘れた!」「あれを持ってくればよかったのに…」という場面に行き当たります。そのときは、持ってこなかったのを後悔しつつ、それなしで対処しなければなりません。「あれがあったら、どんなに楽だったろうか」と思うことしきりです。

 このようなときは、その都度きちんと記録を取って、次回の旅行に生かすようにします。家に帰った後に、もう一度持ち物リストを見て、不足を書き足しておきます。そうすると、次の旅行のときに、それが貴重なデータとなります。何度か旅行を繰り返しているうちに、持ち物リストは充実し、洗練されていき、過不足なく準備ができるようになります。  

 このように、1つ1つの場面を思い浮かべながら計画を立てていきます。旅慣れないうちはとても時間がかかりますが、慣れてくると、だんだんスムーズに考えられるようになってきます。いくら綿密に計画を立てても、実際旅行中には予期せぬことが起きてきます。そのときは、その場で対応しなければなりません。それでもあらかじめ考えられるだけ考えておくと、現地での負担が減ります。

 過敏性が高いうちは、計画も事細かになり、膨大な注意点を書き出さなければなりません。また、旅行中に不測の事態に出会いやすくなります。そのつど対応していくことになります。私は2004年までは過敏性が高かったので、事前にたくさんのリスクを想定しなければならず、出発前に疲労困憊してしまうような有様でした。いくら考えても、どんどん心配な点がわき上がってきて、きりがありません。そのようなときは、どこかで見切りをつけなければならないのです。考え残しがあっても、ある程度まで考え抜いたら、そこでやめます。後は、何が起こっても、冒険気分で楽しめれば! 思い切って出かけてみましょう。


b.旅のコツ
1.ビニール袋
 とにかくビニール袋をたくさん持っていく!! CS対策はこれが一番です。旅先で、

A.有害な物を包んで、化学物質の揮発を防ぐ。
B.自分の持ち物を包んで、汚染から守る。


そのどちらにも使えます。軽いし、かさばるものではないので、多めに持っていくと安心です。私は、45リットルのゴミ袋を8枚、調理用のポリ袋(20×30センチ)を10枚、小袋(6×10センチ)を10枚持っていきます。あわせて、口をしばる針金(パン屋さんで袋を閉じてあるようなビニールで被覆された針金)も持っていき、サッとしばれるようにしています。他にマスキングテープも持っていき、ビニールを貼りつけて使うようなときに使用しています。ビニール袋、針金、テープは一式、旅行カバンの外ポケットに入れておき、何かあったらすぐに取り出せるようにしています

「青森旅行記」では、夜行バスのトイレにあった芳香剤(パラゾール)にビニールを被せて、成分の揮発をおさえるのに使いました。また、仙台旅行記では、ホテルの部屋にある空気清浄機をビニールで覆いました。(このときは、ホテルに備え付けのビニール袋を使いましたが、なければ手持ちのものを使ったはずです。持っていくと安心です。)これは、上記のAの方法に当たります。

 また、「仙台旅行記」では、飛行機に乗るとき、荷物を預ける際に、旅行カバンをビニールで覆っています。これは、上記のBの方法に当たります。

 2005年11月に、実家の両親と山形方面にドライブに行ったときも、ビニール袋が大活躍しました。道中、農家が直売している白菜がとても安いというので、母が漬物用にたくさん買いたいと言い出しました。しかし、その白菜は有機栽培ではなく、ふつうに農薬を使って育てられたものなので、私は反応してしまう恐れがあります。このとき乗っていた車はトランクがなく、ハッチバック式の収納スペースだったので、車に乗っていると、白菜から揮発してくる農薬成分を吸ってしまうことになります。私は当時、野菜の残留農薬に接すると、目に焼けるような痛みを感じていました。白菜を買っても、そのまま車に積むことができません。

 このときは、カバンからサッとビニール袋(大)を取りだして、白菜を包みました。口をしばって封をし、車に積み込みます。ビニールが農薬成分の揮発をおさえてくれるので、同じ車内にいても、問題なく過ごせました。ビニールがなかったら、楽しいドライブが台無しになっていたと思います。あるいは、白菜を買うのをあきらめてもらうことになって、母をガッカリさせてしまうことになったかもしれません。
 

2.洋服の着回し
 家にいるときは、洋服が化学物質で汚染されるたびに着替えることができます。また、行く場所の汚染度別に服を着分けることができます。(→第1章〔3〕−d) しかし、旅行中はたくさんの服を持っていくことができないし、すぐに洗濯できないので、限られた枚数で着回すことになります。着替えるタイミングをはかるのに、ふだんとは違う判断が必要になります。

 2003〜2004年に過敏性が高かったときは、着ていく服の他に、外出着を2組スペアとして持っていきました。それでもすぐに汚染されるので、枚数が足りないと感じていました。3組の服を汚染度別に着分けていました。飛行機やバスの移動のときには、ジェット燃料や車内消毒で汚染されるので、「汚染度が高い場所用の服」を着ます。他に「汚染度が中くらいの場所用」、「汚染度が低い場所用」と分けて着回していました。

 旅行中は、すぐに着替えたいと思っても、着替える場所に困ります。ふだんは外出先でも、「どこのトイレが汚染度が低いか」とか「芳香剤を使っていないトイレはどこか」などという情報が、だいたい把握できていますが、旅行先では行き当たりばったりです。洗剤や消毒剤、芳香剤の強いトイレにはそもそも入れないので、思ったように着替えができないことがありました。ふだんの生活よりはルーズに、臨機応変に対応していくしかありません。一瞬一瞬の判断力が必要になります。そんな中でも、なるべく体に負担の少ない服装を心がけました。

 現在は過敏性が下がったので、5泊程度の旅行なら、着ていく服の他に、スペアを1組持っていくだけです。旅行の途中で着ている服の汚染が進んできたと思ったら、着替えるようにしています。「仙台旅行記」では、旅程半ばで、CSの友人宅を訪ねるときに、着替えています。これは、自分自身のためでもありますが、先方に配慮してのことでした。着替えたら、それまで服についていた化学物質の影響がなくなり、体の周りの空気がよくなりました。

 このように、洋服を着回していきます。過敏性の高い人は、服を多めに持っていった方が安全だと思います。しかし、荷物が大きくなると持ち運びで体に負担になるので、その兼ね合いが難しいです。避難などで、長期間同じ所に滞在するなら、あらかじめ宅配便で送っておく、という手もあります。

3.交渉−特別な配慮を求める場面
 旅行中、自力で解決できる問題は、それでよいのですが、どうしても人の援助をお願いしなければならない場面が出てきます。CSのために、どうしても耐えられないような状況になったとき、あるいは、それが予想される場面では、担当の人に事情を話して対応してもらわなければならなくなります。

 例えば、「仙台旅行記」では、飛行機で近くに座った乗客の香水の匂いで、私はぐあい悪くなってしまいました。席を替えてもらう必要がありました。このようなとき、次の点に気をつけています。

【1】事情を簡潔に話す
 自分が困っている状況をわかりやすく、簡潔に話します。相手がすぐに理解できるように。私は、事実のみを話し、その理由はあまりしゃべりません。とにかく困っている状況が伝わればOKです。私は化学物質過敏症という病気のことを詳しく説明するようなこともしていません。どうしても話が長くなってしまいますし、相手の理解力の範疇を超えてしまい、戸惑わせることになってしまうからです。「〜で、ぐあいが悪い」「〜が苦手」と、簡単に伝えます。

 このとき、「困っているから助けてください」ということを伝えるようにし、汚染の発生源について非難したり否定したりするような雰囲気が出ないようにしています。(相手が抵抗感を感じないようにするため。) 有害な化学物質が身近に使用されている状況は憂えるべきものかもしれませんが、この場面で達成したいことは、自分を目の前の苦境から救い、楽しい旅を続けることです。そのための行動を取ります。旅行中は、なるべく心身に負担の少ない行動を心がけ、信念を伝えるような活動は、旅行以外のときに行えばいいと思っています。

 自分の状態を表現するのに、私は「〜が苦手」の他に、「〜のアレルギー」という表現もよく使います。化学物質過敏症とアレルギーは違う現象ですが、これはとても通じやすい表現です。「畳の裏に防虫紙がついていて、成分が揮発してくるので、それを嗅ぐと、ぐあい悪くなる」と長々と説明するよりは、「畳アレルギー」と言うと、一発で通じます。このような方便も利用します。そして、真剣に堂々と、相手に配慮しながら訴えます。

【2】どう対応してほしいのか、簡潔に話す
 話を始める前に、どのように対応してもらいたいのかを決めておきます。化学物質に曝露して、症状が出始めているときは大変ですが、がんばって考えます。いくつかの選択肢が思いついたら、その中で一番よさそうなものを選びます。交渉がうまくいかないときは、代案があると有利なので、それも考えておきます。(第1選択肢、第2選択肢があると望ましいです。さらに第3選択肢まであると、かなり柔軟に交渉できます。)

 どう対応してほしいかわからないまま、困っている状況だけを伝えても、相手は困ってしまうので、必ず対処法を決めておきます。それは、自分にとっても、他の人にとっても負担の少ない方法を選びます。

 旅行に出かける前によくシミュレーションしておくと、その場になってからあわてずにすむので有利です。このような場面では、「こうすればすべて解決」という魔法のような方法は見つからないのがふつうですが、少しでも状況が改善することを目指します。旅行中は、とにかく困ってしまう状況が次々押し寄せてくるので、それをどんどんさばいていかなければなりません。旅慣れてくると、「波乗り」か「冒険」気分でスリルを楽しめるようになります。

 さて、話がうまく相手に通じて、対応してもらえたとします。それで状況が改善すればよいのですが、必ずしもそうとは限らないのが現実です。対応してもらった結果、かえって状況が悪くなることもあります。例えば、私は仙台行きの飛行機で、香水の匂いから逃れるために席替えしてもらった結果、今度は近くにノートパソコンを使っている人がいる席になってしまいました。私はノートパソコンにES反応を起こしてしまいます。このときは、たまたま他にも席が空いていたので、移ることで事なきを得ましたが、それができなかったらつらかったと思います。CS・ESでは、身のまわりにある数多くのものに反応するので、対応してもらった結果、かえって状況が悪くなることも多いのです。

 私はそのときには、「あきらめる」ことにしています。何とかその場をやり過ごすようにします。1回対応してもらって、せっかく配慮してもらったのに、やっぱりだめで、もう1回お願いする、ということが、どうしてもできません。相手の気持ちを考えると、これは難しいです。あまりにもぐあい悪いときは、そのようなことは言っていられないかもしれませんが…。

 特別な対応を求めたときには、次のような2通りの結果が予想されます。

対応をお願いする → 状況を変える → 改善
対応をお願いする → 状況を変える → さらに悪化


どうなるかはそのときの状況次第で、なかなか予想できません。毎回“賭け”だと思います。過敏性が高かった頃は、どこに行っても反応するので、負け続きでしたが、回復して、「負け」は少なくなってきました。あまりにも過敏性が高いときは、旅先での困難を予想して、旅行自体をやめにしたこともあります。

○交渉のコツ
 交渉のときに、相手の注意を喚起し、親身になってもらうために、効果的な方法があります。それは、相手のことを、その役職で呼ぶのではなく、その人の名前で呼ぶことです。例えば、飛行機で困ったことがあったときには、「スチュワーデスさん」と呼ぶのではなく、その人の名札を読み取って「○○さん」と名前で呼びます。そうすると、相手は俄然こちらに興味を持って、注目してくれます。親身になってくれます。(名前を呼ばれた瞬間、相手の表情が変わります。) 驚くほどの効果があるので、ぜひ試してみてください。(これは、営業の仕事を長年やってきた夫の行動を見て、私も見習ってやってみたことです。) CSが重症だった頃は、目の機能がとても悪かったので、人の胸の名札を読み取るのが難しかったのですが、今は回復して読み取りやすくなりました。

 また、その人の名前を覚えておくと、直接お礼を伝えることができます。もし店内アンケートなどがある場合は、それに名前を書いて、感謝の気持ちを伝えます。また、帰宅後にメールを出してお礼を伝えることもできます。私は、帰宅後に思い出せるように、必ず紙にメモしておきます。アンケートやメールを書けば、化学物質で困っている人の存在を世に知らしめることができ、CSに対する理解が広がります。後の自分のためにも、他のCS患者のためにもなります。「仙台旅行記」では、帰宅後に航空会社にメールを出し、感謝の気持ちを伝えました。航空会社からの返信は、「今後もCSに前向きに対処するつもりです」という内容でした。また、仙台で宿泊するホテルでは、アンケートにお礼を書いた職員の方は、私のことを覚えていてくれて、次に行ったときも、とても親切にしてくれます。これによって、CSで心細いはずの旅が、心強い旅になりました!

 交渉のポイントは…

・堂々と訴える。
(卑屈にならない。)

・なるべく簡潔に伝える
(表情を交えて、真剣に。)

・対応してくれたときは、感謝と喜びの気持ちを伝える。
(過剰なくらいの表現で。)

・対応してくれないときは、すっぱりあきらめる。
(後にひかないようにする。すぐに忘れる。他の方法を探す。)


4.ぐあいが悪くなったときの対処法
 気をつけて旅行していても、予想外の化学物質に出会い、症状が出てしまうこともあります。私が重症だったときは、症状が進んで意識が遠くなってしまうことが怖かったです。連れがいれば、助けてもらうようにします。原因となる化学物質の発生源から離れること、あるいは発生を抑えること(ビニールで包むなど)が必要です。そして、いったん休める場所で、ある程度症状がおさまるのを待ちます。体が楽になってきたら、身につけているものの対策をします。着替えたり(できるなら)シャワーを浴びたりします。持ち物で汚染されたものがあれば、洗えるものなら洗います。着替えた服や汚染されたものは、いったんビニールで包んでしまい、帰宅後に処理するようにします。

 この対処法は、家にいるときと基本的には同じですが、旅先では、休息する場所が自宅ほどはきれいな空気ではない場合が多いことと、頻繁にシャワーを浴びたり着替えたりできないところが違います。洋服の枚数が限られているので、そのままでも症状がある程度回復するようなら、私は着替えずに、同じ服を着続けることもあります。旅行中は、ふだんの生活のようには、きめ細やかにCS対応できないので、ある程度ぐあい悪くなってもしかたがないと割り切ることが必要だと思います。体調が悪くなってきても、新しいものや珍しいものに目を向けて、気を紛らわせましょう。楽しみましょう。そのための旅行なのですから! (旅行後にドッと疲れが来るけど、そのときはそのときです。)


c.旅が終わったら
 楽しい旅が終わりました。まずは疲れを取ることが一番です。シャワーを浴びて、化学物質の汚染を落とし、着替えてすっきりした状態で休みます。旅行の後片づけは、休んだ後に行います。 

 その後、旅行中にお世話になった人にお礼をします。道中特別な配慮をしてくれた人、訪ねて行った友人などにメールや手紙で感謝の気持ちを伝えます。

 十分休んだら、荷ときと後片づけをします。このとき、服や持ち物についた化学物質の匂いの種類や強さをよく嗅いで、道中の曝露の状況を確認します。(よく休息して、体調が回復してから行います。) 旅行中、自分が鼻で感じていた化学物質の発生状況と、服に付着した匂いとを併せて、特に危険だったものは何か、案外耐えられるものは何かを把握します。これは、次回旅行に行くときの参考になります。

 そして、旅行の記録を取ります。何に反応し、どのように対処したのか、対策は成功だったか、失敗だったのか。次回、同じような場所に行くとしたら、どこをどう改善できるのか、ということを考えていきます。

 私は旅行中でも、毎日必ず日記をつけています。細かいことなど、旅行後に振り返っても、うまく思い出せないことが多いからです。毎日記録を取っておけば、書きもらしが少なくてすみます。しかし、旅行中は疲れやすいので、夜ホテルで日記をつけるのはしんどいこともあります。私は自分のためだと思って、何とか記録していますが、疲れているときついです。同じように感じる方は、負担を減らすために、紙に記録する方法にこだわらず、ICレコーダーを使って、音声で記録する方法はどうでしょうか。これなら手軽に記録が取れると思います。また、私は紙での記録の他に、デジカメでいちいち写真を撮っています。これも、後に思い出すために便利です。記録を取ると、次の旅行のとき、計画を立てるのに有効です。ぜひ、記録することをお勧めします。

 そして、旅行後の整理が終わったら、あとは旅の楽しい思い出をしっかり味わいましょう。  

 皆さんも、よい旅を!!  

 

【おすすめサイト】
  CS症状は個人差があるので、人によって旅行の対策も違ってきます。 様々な患者の旅行術を知れば、より一層自分に合った対策をできるようになります。 参考になるサイトを紹介します。

「風まかせ」
http://cskazemakase.web.fc2.com/
生活の工夫−旅行に行こう
http://cskazemakase.web.fc2.com/s-ryokou.html

(2007年12月)

 

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