第11章 精神症状 (2007.6.24 更新)

〔1〕私の体験から(2007.3.30 更新)
 a.精神症状の出現
(2007.3.6 更新)
 b.回復
(2007.3.26 更新)

〔2〕精神症状の特徴(2007.4.20 更新)
  a.私の精神症状
(2007.4.10 更新)
 b.考察
(2007.4.20 更新)

〔3〕対処法“私の方法”(2007.5.30 更新)
  a.思考力の低下・記憶の障害に対して
(2007.5.15 更新)
 b.感情面での障害と対人関係の問題
(2007.5.25 更新)
☆薬物治療について
(2007.5.30 UP)
☆食事について
(2007.5.30 UP)

〔4〕CS患者の周囲の方々へ(2007.6.19 更新)
a.家族の方へ
(2007.6.9 更新)
b.支援者の方へ
(2007.6.19 更新)

コラム:化学物質過敏症と脳の機能について(2007.6.24 UP)

 ※(資料一覧)

 

第11章 精神症状

 この章では、精神症状について書きます。

 一般の人がCS患者のことを描写するときに「神経質な人だ」と言うことが多いです。また、さまざまな不定愁訴を抱えて病院を受診すると、「精神的な病気なので、精神科を紹介します」などといわれたりします。私は化学物質が原因で化学物質過敏症の症状が出ていることをよくわかっているので、「化学物質過敏症は心の病だ」という発言には、強い抵抗感を感じます。

 しかし、その反面、化学物質過敏症で精神症状が出る例は多く、その症状が重くなると「精神病」としか言いようのない例もあります。化学物質過敏症の本やCS患者の体験記を読んでいると、頻繁に精神症状についての記述が出てきます。例えば、北里研究所病院の医師は次のように語っています。
「過敏症の患者の中には、とても攻撃的な人がいて、化学物質に曝露されると、カッとなって人を怒鳴りつけたりする。しかし、自分がそのような行動をとったことを自覚していない場合もある。」*1
また、「CS患者は同じことを何度もくどくどと繰り返す。自分の話ばかりを延々としゃべり続ける」という話を、私はよく耳にします。私は何人かのCS患者に実際に会ってみて、CS患者の中には、精神症状を持っている人が一定数いることに気づきました。その症状は、健康な人でも普通に持っている「性格的なもの」「個性」と言ってさしつかえないレベルのものから、誰が見ても明らかに異常だと思う段階まで、さまざまなレベルの人がいました。

 精神症状が出ると、それによって本人は苦しみますし、家族や周囲の人に与える影響も大きいのです。私はかつてCS患者のご主人から、切実に訴えられたことがあります。
「妻はCSになって、まったく変わってしまった。以前は思いやりのある明るい性格だったのに、今は自分勝手で人のことを顧みない。口を開けば、暗いことや私を責めることばかり言っている。かつての妻はどこに行ってしまったのでしょうか。」
CS患者の家族や、それにかかわる人々は、患者の精神症状に接しているうちに、だんだんと疲れてきます。このご主人も、患者本人よりもやつれて憔悴しているように見えました。

 CS対応の仕事をしている業者や支援者達も、はじめは「人を助けたい」という意欲をもって仕事を始めたのにちがいないのですが、多くの困難な症例にかかわるうちに、はじめの勢いを失い、疲労感が色濃くなってくることがあります。これはCSという病気の難しさ(身近な化学物質に反応するという性質)に加え、CS独特の精神症状によって起きてくることも多いと思うのです。精神症状の出ている患者は、一般の人と比べて「扱いにくい」「話が通じない」「神経質だ」と見られやすいようです。

 CS患者が自分自身の疾患を理解するために、そして、CSにかかわる人々が病気を理解するためには、「精神症状」について語ることは、避けて通れないことなのではないかと思います。CS患者の対人トラブルの中には、精神症状が原因で起きてくるものが少なくないと思うからです。

 この話題はとても重いものなので、私の立場でどこまで語れるのかはわかりません。CS患者の中でも、人によって症状の出方が違うので、精神症状が出ている人もいれば、身体症状のみで精神的には影響を受けていない人もいます。ネット上で自分の症状を語ったり、情報を発信している人たちは、精神症状が出ていないか、ごく軽い人たちなのではないかと思います。自分からは何も語ることが出来ずにいるような、世に知られていない人たちの中には、CSのために精神が大きな障害を受け、「精神病」の領域に入ってしまっている人もいます。かつての私が、まさにそういう状態だったから、それがわかるのです。

 この章では、私の体験を中心に語ることで、化学物質によって、脳がどれだけ大きな障害を受けるのか、ということを書き表したいと思います。その上で、その精神症状が患者本人の人格にどのような影響を与えるのか、周囲の人との関係でどれだけ影響を与えるのか、ということを考えていきたいと思います。

 私の精神症状はCS対策をすることで劇的に回復しました。現在の私を知っている人は、かつて私が重い精神症状に苦しめられていたことは想像もできないでしょう。私自身もとても信じられない、かつての自分が今の自分とは別人のように思います。

 私は長い間、頭が混乱していて、自分の体験をまとまった形で文章に表すことができませんでした。今はそれができるようになりました。回復した者として、今もまだ精神症状に苦しんでいる人たちを代弁する形で、私のかつての体験を書いていきたいと思います。それをもとに、CS患者の精神症状を、本人や周囲の人々が理解するにはどうしたらいいのか、ということを考えてみたいです。また、CSの精神症状が紛れもなく化学物質によって起こっていること、CS対策を行うことによって、それが回復できることも書き記したいと思います。

 


 
〔1〕私の体験から

a.精神症状の出現

○発症
 私は1985年、14歳の時にCSを発症しました。4月に引越をし、入居した家がシックハウスでした。すでに22年経っているので、当時のはっきりとした原因は確認できませんが、多分、畳の防虫紙か、シロアリ駆除剤が原因ではないかと思います。

 引越してすぐに、体が重くだるい感じ、体がほてって熱い感じ、微熱といった症状が出てきました。病院に行ってみましたが、原因は不明でした。このときは自覚していませんでしたが、意欲の低下と記憶障害の症状がすでに出ていました。それまで私は絵を描くのが好きでたまらなかったのですが、この家に引っ越してからは何の興味も感じなくなりました。自分でも不思議に思いました。

 また、この5年後に、中学3年生の時のクラス会があったのですが、行ってみると、当時のクラスメートの顔にはまったく見覚えがなく、「私は本当にこのクラスにいたのだろうか」と思ったのです。当時のことをぜんぜん思い出せず、異様な感じがしました。

 発症の年から、頭がぼんやりするような感じが出ていました。視覚の異常も出ていて、世界が暗い感じ、物がはっきり見えにくい感じもありました。

○悪化 
 私のCS症状が重症化したのは、1988年、17歳の時です。このときもはっきりとした原因は確認しようがないのですが、多分、歯科治療を連続して受けたのが原因ではないかと思います。歯の根の治療をするたびに、どんどん体調が悪化していきました。治療に使った薬剤や歯科材料によって、CS反応が起きていたのではないかと思います。高校3年になると、頭痛やだるさと疲れのため、高校に行けなくなりました。この頃から、精神症状が急激に悪化します。

 CS発症から3年経っていましたが、自分の精神が異常だと自覚したのは、このときからでした。はじめは、「頭に霞がかかったような感じがする」「ものをよく考えられないような感じがする 」という症状が出ました。何だか、自分が起きているのか眠っているのか、区別がつかないような感じもしました。

 視覚症状が強く出ていました。「ものを見にくい」「世界が暗い感じがする」「物が平板で立体感が感じられず、影絵のように見える」という症状です。色がついていない白黒の世界のようにも感じられました。

○感覚の異常
 そして、世界が急速に現実感を失っていきました。当時、私が感じていた異常は次のようなものです。

 1.現実感の喪失
 周囲の風景が現実のものとは思われない、夢の中で見ているようなはかなげなものに見える。現実の世界が昔の古い白黒映画を見ているように感じられました。とても遠くにあって、本当に存在しているもののようには思えませんでした。それは、とても気持ちが悪い感覚で、夢を見ているなら覚めてほしい、早く元の親しげな世界に戻りたいと思いましたが、その非現実感はなくならず、何年にもわたって続きました。別世界に連れてこられたような異様な感じがしてこわかったです。

 2.自己喪失感
 自分が自分だという感じがしない。自分の中身が空っぽになってしまったような気がする。自分が機械仕掛けの人形のような感じがし、生きている実感がありません。身体感覚もなくなって、痛いとか苦しいという感じはよくわからなくなりました。「私は誰なのかわからない」というのではなく、「私が本当に存在しているのかがわからない」という感覚です。また、感情の働きがなくなってしまい、何を見ても、楽しさや悲しさを感じなくなりました。自分を取り戻したい、しっかりとした実体感がほしいと思いましたが、どうやっても見つからないし、わかりませんでした。

 3.時間感覚の異常
 時間の流れが、まったくわからなくなりました。昨日の次に今日が来て、今日の次に明日がやってくる、というのが実感できません。1日1日が積み重なって1週間になり、1ヶ月になるという感じがまったくわからなくなりました。時間は、その瞬間その瞬間に存在するだけで、つながりが分かりません。テレビドラマの中で、場面が急に切り替わるように、断片的な時間が次々切り替わっていく感じがしました。

 気がつくと急に道を歩いていることに気づいたりします。なぜ、道を歩いているのか、自分がどこから来てどこに行くつもりなのかも思い出せない、ということが頻繁に起こりました。

 その後、気づくといつの間にか食事をしているのですが、どうやって家に帰ってきたのかを思い出せません。食事を食べているということは、食材の買い出しや調理をしたはずなのですが、そのことも思い出せませんでした。

 4.記憶の障害
 ほんの数秒前に起こったことでも、覚えていられません。時間の感覚に異常があったためと思いますが、現在までの時間が順に並んで感じられないために、以前起きたことを整然と思い出すことができませんでした。箱の中にいろんな記憶の断片がごちゃごちゃにつめられていて、箱を開けると、すべてが一気に出てきてしまうような感じで、何が何だかわからなくなります。また、私にとっては、3分前の出来事も、1週間前の出来事も時間に差を感じず、同じ時に起きたことのように感じられました。

 17歳を境に、それ以前のことをほとんど思い出せなくなりました。思い出そうとしても、記憶が真っ白に抜けていて、何もありません。その状態が5年くらい続いて、22歳くらいから 、だんだんと以前のことを思い出せるようになってきました。しかし、それが本当に、自分の身に起こったことなのだ、という実感がなく、まるで歴史の教科書を読んでいるように、他人事のように思われました。

 5.対人感覚の異常
 自分の周囲の人々が本当に生きているようには見えない、機械仕掛けの人形のように見えました。生気を失っていて、親しみや温かさを感じられない、物質的なもののように見えました。気持ちが悪かったし、恐れました。私は視覚異常のため、ものが遠くに見える、何か分厚い寒天のような膜を通してみているような感じがしていました。その膜の向こうから人の声がしたり、人影がうごめいているのが見えます。膜ごしに相手の手が不意に自分の方に伸びてきたりするのは、気持ち悪くこわかったです。その度にビクッとしていました。

 家族に対しても同じ感覚がありました。両親や兄弟に対しても、「この人は本当に私の家族なのだろうか」「この人達は本当に生きているのだろうか」と思いました。以前の親しげでなじみのある家族とは、別人なのではないのか、別の人にすり替えられたのではないか、という気がしました。

 生活のすべてが悪夢のようであり、私は急に世界が変わってしまった、異様なものになってしまった、私の体も心も違うものになってしまった、と感じました。私は、急に別の星に連れてこられて、そこで生活をはじめなければならなくなってしまったように感じ…ここは本当の世界ではないと思ったのです。しばらくは、前の世界に帰りたいと思い、あてもなくあちこちをさまよったり、誰かが迎えに来てくれるのを待っていました。しかし、その症状が何年も続き、「もとの世界」のことを思い出せなくなってくるにつれて、「帰りたい」という気持ちも薄れていきました。

○診断
 私はこのような異常を感じたので、精神科を受診することになりました。はじめに、心理テストを受け、統合失調症ではないことが確かめられました。私の病気が化学物質過敏症であるということは、この11年後(1999年)になるまでわからなかったのですが、私のこの独特の精神症状には、はっきりとした診断名がつきました。「離人症」(りじんしょう)です。私は図書館に行って、「離人症」について調べてみました。私の症状が驚くほど「離人症」の典型例に当てはまること、私と同じように感じている人が他にもいることがわかりました。当時の精神医学の教科書には、離人症の予後について次のように書かれていました。
「原因不明であり、有効な治療法はなく、回復しにくい疾患である。」

 離人症の他に、CS症状として、「思考力の低下」や、身体症状が出ていました。身体症状は、だるさや頭痛の症状がひどく出ていたのですが、当時の私にとっては精神症状があまりにもつらく苦痛であったために、身体症状はほとんど意識しないものになっていました。

 離人症は夢のような世界にポワーンと漂っているのではなく、その症状の一番強いものは「苦痛」です。実体感のなさや違和感・非現実感は、そのものが激しい苦しさを生み出しました。

○思考力の低下
 現実感の喪失と共に、思考力が低下していました。ものを考えようとしても、頭の中に霧がかかっているように真っ白で、何も考えられませんでした。いろいろなことを思い出したり、それについて判断しようとしても、何も思い浮かびません。目の前にあるものについて考えようとするときでさえ、自分の思考がすーっと遠ざかってしまう感じで、うまく捉えることができませんでした。

 ものを考えるときは、全神経を集中して、ありったけのエネルギーをそそいで行うのですが、それでも、手のひらから砂がこぼれるように、考えたことが次々こぼれ落ちて、彼方に消えてしまいます。その結果、次のような症状が出てきました。

◆ 物を続けて数えられない。ものの個数を数えるときなど、途中で何をやっているのかわからなくなります。また、自分が数を数えていること自体を覚えていられず、忘れてしまいます。すべての作業において、作業していること自体を忘れてしまい、自分が何のために何をやっているのかわからなくなりました。そして、いつの間にか、何時間か経っていて、別の場面に切り替わっています。作業を途中でやめたのか、その片づけをしたのか、ということをまったく思い出せませんが、道具がしまってあるのを見ると、自分が片づけたのだと思うしかありませんでした。

◆ 順序立てて計画通りに物事を進める、ということはできませんでした。行程全体を見通すことができません。まずこれをやって、次にこれをやる、次の次はこれをやる、という流れ図が想定できず、すぐに忘れてしまいます。

◆ さまざまな条件を勘案し、取捨選択したり判断する、ということもまったくできませんでした。人がものを考えるときには、頭の中の思考空間の中に、考える材料をいくつか呼び出してきて、それらを比較したり考え合わせたりします。私の頭の思考空間は、いつも空っぽで、思考の材料を呼び出しても、一瞬にして消えてしまうので、総合的に考えることができませんでした。

◆ 「先のことを見通して計画を立てる」ということができませんでした。将来のことを考えようとしても、頭の中に像をイメージするということができなかったために、見通しを立てたり計画をつくったりすることが全くできませんでした。また、過去の経験の記憶を呼び覚まし、未来の計画に生かすということもできなかったのです。

◆ 自分の頭が自分のものではない感じがしました。それは、私の力では、全くコントロールできない、手の届かないもののような気がしました。何か、借り物の機械を必死で操作しようとしている、それなのに、その機械は壊れていて動かない…そんな感じがしました。

◆ 文字を追っていてもまったく意味がわからない、字の形はわかるが、文章の意味や言いたいことがまったくわからない、という症状が出ていました。集中して同じ文章を10回、20回と読んでいると、何となくおぼろげに意味がわかってきます。読書には、とても時間がかかりました。この症状は、1988〜1989年までが特にひどく、その後少しずつ回復しましたが、2000年になるまでは悪い状態でした。

○対策
 現実感覚はその後、10年以上、異常なままでした。「自分がない」感じというのもずっと続きました。これは治りませんでした。生きている実感もないし、喜びや充実感などというものもなかったので、ただ時間を過ごしているだけでした。しかし、私はこの現実を受け入れることにしました。私が行った対処法は、次のようなものです。異常な状態はしかたがないので諦める。自分の生活を他の人の生活に近いものにする。対人関係において、異常な行動をとらないように、人から怪しまれないように気をつける。どうやっていいのかわからないことは、人のやることを見て真似して覚えること。

 私には、「人の生活」というものがよくわかりませんでした。私には何の動機も感情もないのだから、一体何のために人が生活を営んでいるのか、なぜ、あるものを好んだり選んだりするのか、ということがよくわかりませんでした。人が集まって話をする、一緒に食事をする、それだけで楽しそうなのはなぜなのか、なぜそうしたいと思うのか、それをすると楽しいというのは、どういう理由によるものなのか、よくわかりません。万事が万事、そのように不可解なことばかりでした。

 私のやったことは、多くの人たちが何をどう考え、どのように選択し、どう行動するかということをよく見て覚えることです。それを真似してやっていれば、私も他の人と同じように生きられるし、自然に見えるはずです。そういう努力を延々とやっていました。人はこういう時には、こう感じるはずだ、ということもよく学習して覚えるようにしました。それをまねて表情をつくる、というようなこともある程度はできるようになったと思います。しかし、それに伴う感情は、ほとんど湧き起こりませんでした。真似しているだけです。

 人とのつきあいは、最小限にして、ほとんど友達もいませんでしたが、当時の私には、強い孤独感や寂しさがあり、そのため、人と一緒にいたいと痛切に願っていました。そのためには、他の人たちのルールややり方を覚える必要があったのです。

○自己紹介
 私は学生の時に勉強をするのは苦手ではありませんでした。教科書には、客観的に書かれた「事実」があり、それを考えたりするのは、むずかしくなかったからです。客観的な事実は、いつまで経っても変わらないので、とても気持ちが楽でした。

 しかし、「自分」に関すること、「人」に関すること、「社会」に関することはとてもむずかしく、手に負えないと思いました。私は自己紹介をするのがとても苦手でした。自己紹介しようとしても、自分の中身はからっぽで何もないし、何も思いつかないのです。確かに私に関する事実は知識としては知っています。いつ生まれて、どのような経歴をたどってきたのか、というようなことを。しかし、それを思い出しても、他人の経歴を読んでいるかのように感じ、自分のものだという実感がありませんでした。

 自己紹介で話すことは、あらかじめよく考えて紙に書いていきました。他の人が自己紹介で多分こんなことをしゃべるだろうということを考えてまねて書いたようなものです。紙を見ないとすぐに忘れてしまうので、紙を見ながら自己紹介をしたかったのですが、それはさすがに社会的におかしい行為だと判断しました。いっしょうけんめい覚えて、そらでしゃべれるように練習しました。

○記憶のデータベース
 不意に知り合いに出会うのが、とても苦手でした。クラスメイトに会うと、とても戸惑いました。会った瞬間、その人がどういう人物なのかを思い出せません。毎日顔を合わせているような友人でも、そうでした。人に会うと、頭の中で「この人は誰?」「私にとってどういう関係の人?」「この人と私はどのくらい親しいのか?」「今までどのような会話を交わしてきたのか?」「今まで一緒に何かをしたことがあったろうか?」ということを瞬時に思い出さなければなりません。これは、私にとって、とてもむずかしいことでした。

 昨日会ったばかりの人に「お久しぶりですね」などといってしまったりします。親しい(はずの)友人に、他人行儀なかしこまった口調で話してしまいます。脳の中の記憶のデータベースが機能していないので、それにアクセスしたり、情報を引き出すのがとても困難でした。私はなるべく不意に人に会わないように、歩いているときは常に警戒して構えているようになっていました。

 人のやり方をまねること、「普通の人」の生活と同じものを目指すこと、これを何年にもわたり、多大な労力を割いて行ってきました。でも、そこには、実感とか人生の喜びとかいうものはありませんでした。ときどき絶望感を感じることもありましたが、それでも何とか生きて来られたと思います。その生活が劇的に変わったのが、1999年、28歳の時です。

b.回復

 1999年に、私は自分がCSであることに気づきました。これは私の人生を大きく変えることになりました。CS対策を行って、体が回復していくのと同時に、精神症状も大幅に回復していったからです。私は今では、自分の存在感や、人の温かさ、充実感や人生の喜びを感じることができます。また、自分の頭が自由に働くようになり、ものをよく考えられるようになりました。自分の精神のコントロールを取り戻すことができたのです。これは、この7年間のうちにどんどん回復していきました。精神症状が出ていた時期があまりにも長かったために、私は「本当の生活」というのがどういうものなのかわからなくなっていました。同時に、自分の「異常」にも違和感を感じなくなり、当たり前のことのようになっていました。

 私が私の人生を取り戻していく中で、正常な感覚を取り戻し、どれだけの大きな喜びを感じたか、ということを、とても言葉で書き表すことはできません。回復するに伴って、今までの自分の精神が、どれだけ障害を受けていたのかが、はっきりとわかるようになりました。

○自己感覚・時間感覚の回復
 1999年にCSだと気づき、自分の生活空間や身のまわりから有害な化学物質を取り除くと、目に見えて心身症状が回復してきました。はじめによくなったのは、「自分が自分である」という感覚が戻ったことです。そして、時間の連続性が戻ってきました。昨日の次に今日が、その次に明日が…と1日1日が連続して連なっていく様子がわかるようになりました。毎日が切れ目なく規則正しく訪れるようになったので、2000年から日記をつけることができるようになりました。それまでは、ぼんやりとしていて、気づくと3日たっていた、とか、長いときでは、知らぬ間に3ヶ月くらいあっという間にたってしまうので、日記をつけるということができなかったのです。

 私はそれまで、時間の感覚がまったくわからず、「本当に明日が来るのだろうか」ということを強く恐れていました。明日が来なくて、急に世界が終わってしまうのではないか、ということがこわかったのです。何年も何年も、この恐れが私を悩ませました。その恐れから解放されたのが、2000年のことです。

○現実感・身体感覚の回復
 時間の流れがわかると共に、「周囲の景色が現実でないものに見える」という症状も軽くなりました。この世界は確かに存在しているもので、昨日も今日も明日も同じものだということが、ようやくわかるようになってきました。これは大きな安心感でした。私自身もちゃんと存在しているし、世界も急に消えてしまうことなく続いていることがわかったからです。

 「自分の体が存在していて、自分のものである」ということや、身体感覚も、この頃戻ってきました。それまでは、身体感覚が希薄であったために、身体的な症状・苦痛が出ていても、よくわかりませんでした。自分の体に起こったことだとは思えませんでした。2000年頃から、自分の体で、感覚のあるものとして、しっかりとその苦痛を受け止めなければならなくなったために、かえって、体の苦しさは増したように感じました。

 私は長年にわたって、自分の身体感覚をよく感じられなかったために、自分の病気を精神的なものだと思っていました。そのため、自分の本当の病名を知るのが遅れてしまいました。化学物質過敏症という病気のことは、確か1996年頃には知っていたと思います。しかし、自分がCSであると気づくまでに、それから3年もかかってしまいました。

○記憶
 記憶の障害は、2000年頃は、まだあまりよくならなくて、やはり数分前のことでも忘れてしまいますが、日記をつけるようになってから、前の日のことを忘れてしまってもちゃんと書いてあって、読めば思い出せるので、とても安心でした。いくら前のことでも、日記に書いてあることであれば、思い出せるのです。私にとっては日記をつけるのはとても大切なことで、「命綱」みたいなものだったので、毎日熱心につけました。

 他の人が生きていること、実体を伴った人間であることも、この頃からだんだんわかるようになってきました。まだこの頃は、今より他の人の存在は希薄に感じられていましたが、「得体の知れない気持ち悪い機械がしゃべっている」という感覚はなくなりました。

○精神症状の季節差
 1999年の2月からCS対策をはじめ、2000年の2月頃に急速に症状が回復していくのを感じました。それが2000年の4月くらいまで続き、5月になると、再び後戻りし、もとの症状が出てきました。私は自分の部屋の環境整備をして、生活空間には害となる化学物質が少ない状態をつくることができました。しかし、家の外でまかれる農薬については、なすすべがありませんでした。5〜10月にかけて、農薬散布が行われる季節になると、また、現実感のない感じや時間感覚の異常が現れてきました。頭がボンヤリする感じも出てきました。頭の中に霞がかかったようになり、物事をうまく考えられないのです。このとき、私ははっきりと、CS反応によって長年の精神症状が出ていたことを悟ったのです。

 5月に後戻りして、症状が現れたときは、かつてのような不安感が大きく現れることはありませんでした。たった3ヶ月(2〜4月)の間であっても、一度体験した正常な感覚を人は忘れないものです。また、農薬の季節の間もずっと欠かさず日記をつけていたので、自分の異常な症状を観察し、対処することができました。何よりも、精神症状が化学物質によって起きていることがわかったこと、原因がはっきりとわかっていること、冬になれば、また良くなることがわかっていることが救いでした。2000年の12月になって、再び農薬の季節が終わると、前シーズンよりもずっと精神症状はよくなりました。

○化学物質と精神症状の因果関係
 2002年に札幌に引っ越し、農薬の影響の少ない環境に移り住むと、さらに精神症状は回復しました。2007年の現在に至るまで、回復は続いています。

 2002〜2004年頃には、化学物質に曝露すると、その時だけはっきりと精神症状が現れるのがわかりました。まず、視覚症状が出ます。部屋の中が暗くなり、ものが見にくくなります。それと同時に、世界が急激に現実感を失っていくような感じになります。悪夢の中にいるような気持ちの悪い感覚です。そして、頭に霞がかかったようになり、ぼんやりとして、気が遠くなります。時間の感覚がよくわからなくなり、自分が自分だという感じも希薄になっていきました。本を読んだりものを考えたりすることもむずかしくなります。

 このような“発作”は数時間〜数日にかけて続きました。時間がたって化学物質の影響がとれてくると、回復してきます。2002年頃には、頻繁で長続きしていた“発作”が、その後頻度が下がり、継続時間も短くなっていきました。最近の2年間はこのような発作を起こしていません。このような発作を繰り返しているうちに、化学物質で精神症状が起きることがはっきりとわかったし、化学物質を制御することで、精神症状を抑えられることも、はっきりとわかりました。

○思考力の回復
 2003年の春には、思考力が回復してきて、物事を順序立てて考えたり、複数の情報を取捨選択して判断することができるようになってきました。私はこの頃から、複数のことを同時に心に思い描いたり、それを比べたりすることができるようになりました。前に書いた、頭の中の思考空間の機能が回復した感じです。過去の記憶を呼び覚まして、現在の状況と比べたり、判断したりできるようになりました。心の中に「イメージ」を思い浮かべて、それをしばらく忘れずにとっておけるようになりました。そのイメージの内容も、回復するごとに詳細に具体的になっていき、心の目が開いたように感じたものです。「先のことを予想する」「見通しを立てて計画をつくる」ということも、ようやくできるようになりました。

 本当に、自由にものを考えられるようになって、うれしかったです。普通の人がこんなに簡単に、苦労することなく、物事を考えられるのだということが、初めてわかりました。

 私はそれまで、自分のCS症状のことをずっと書き表したいと思っていながら、頭が混乱してできませんでした。2004年に頭がクリアーになってきたときに、初めて私の体験を文章に書き表せるようになりました。それをもとに、私はこのサイトを開設しました。このサイトの第1章では、「条件によって判断して対策法を変えていく」というような思考方法が頻繁に出てきますが、私がそれをできるようになったのは、今から4年前のことです。

○「世界」を取り戻す
 精神症状はその後も回復してきて、2004年の秋には、外界の非現実感は全くなくなりました。視覚症状が良くなったのが原因と思われます。私はこの世界が、親しみのある美しいところだということがわかるようになりました。他の人のことを、優しげで生き生きとした存在だとわかるようになったのも、この頃です。人々が本当に生きていて存在していること、機械仕掛けのつくりものではないことがはっきりとわかったのです。それは大きな喜びでした。

 この頃から、鏡で自分の顔を見ても、それまでとは違って見えるようになりました。表情の豊かさや色つや、生命感を感じられるようになりました。人々が言葉だけではなく、表情や視線によってどれだけ多くのコミュニケーションを行っているのか、ということがよくわかるようになりました。

○記憶の回復
 2004年頃には、記憶障害もよくなって、いろんなことを思い出せるようになってきました。過去の記憶を思い出して検討したり考察したりできるようになりました。これはとても便利なことです。あることを行おうとしたときに、以前同じことをやったときの記憶をすぐに呼び覚ませます。日常生活において、これはとても便利なことでしたが、特にCS対策においては、大きな威力を発揮しました。化学物質の曝露が予測されるときに、それに対する対策方法を瞬時に考えることができます。記憶の機能が回復するまでは、以前のことを思い出せないので、いちいち日記を出してきて、該当するところを探し出し、読み直さなければなりませんでした。とても時間がかかりました。今は、いつ、そのようなことがあって、当時の状況がどうだったのかを、すぐに思い起こすことができます。

 1999年から現在までの記憶はよく思い出すことができますが、それ以前のことは今でもきちんと思い出せません。多分、これは、この先も回復することはないと思います。脳は、経験したことや見聞きしたことを、記憶庫にしまい込みます。私の場合、そのときの機能が正常ではなかったために、このような異常が起きてしまったのだと思います。私は、1999年にこの世に生まれて、それからまったく新しい人生を始めたのだという感じがしています。それは、とても輝かしい人生です。

 2001年にCSが急激に悪化し、追いつめられて大変な苦痛を味わうはめになりましたが(→スモール・データ・バンク「水」参照)、私はその時の体験を自分のものとして、実感を持って覚えています。どれだけの苦痛があろうとも、以前の何も実体感のない生活に比べれば、まだましなものです。それは、「自分の人生」を生きることができているからです。

○「人生」を取り戻す
 時間感覚が本当の意味で正常になってきたのは、2005年になってからです。2005年の末に、私は初めて、時間の長さ(スパン)の感覚がわかるようになりました。それまでは、私にとっては、5秒でも20年でも、時間の長さの感覚は同じでした。もちろん、頭の中で「5秒」と「20年」の違いは理解できます。どのくらい違うのかも計算することもできます。しかし、実感としては、私にとっては、それらは同じものでした。

 また、昨年と一昨年の同じ時期のことを思い出すとき、それらはまったく同じように感じられていました。一昨年の出来事が昨年のよりも古いものだ、ということが実感としてわかるようになったのは、2005年になってからです。1日がどのくらいの長さで、それは1週間とは違うこと、1ヶ月前と1年前とでは違うことが、よくわかるようになりました。

 それによって、物事を思い出したり、考えたり、先の計画を立てるのが容易になりました。物事を順序立てて考えたり、見通しを立てる能力も格段によくなりました。待ち合わせの時間に合わせることや、バスに乗り遅れないように出かけることも 自然とできるようになりました。これは、とても便利な感覚です。

 その一方で、この感覚は、私の頭に混乱を引き起こしました。私はその時35歳になっていました。それまではその実感がなく、自分にとっては、「あなたは今20歳です」といわれても「50歳です」といわれても 、そのまま納得しまいそうになっていました。感覚としては、どちらも同じ感じがしました。私は2005年に初めて、35年という時間の長さを実感として理解したのです。それには、大きな戸惑いを感じました。いつの間にか35年もたっていて、私は今までそれに気づかなかったのです。

 35年間を振りかえってみると、思い出せない時間が大部分であり、今まで一体何だったのか、自分の人生とは何なのだ、と初めて悩みました。それと、「自分の寿命があと何年くらいあるのか」と考えることや、「1年後、2年後の自分の姿を想像する」ということも、この時はじめてできるようになりました。未来の自分を想像する、ということは、とても不思議な感覚です。

 この「目覚め」から1年以上たちますが、いまでもそれを考えるのは、慣れない感じがするし、混乱します。他の人が若い頃から人生設計を立てて、着実に人生を歩んできているのだ、ということが初めてわかりました。今までの私には、そういうことはまったくありませんでした。

○集中力の変化
 このような時間感覚が戻ってよかった反面、物足りなく思うこともあります。私はそれまで、ある一つのことに熱中すると、何時間でも集中してやり続けることができました。今、正常な時間感覚の中で解釈してみるには、それは次のようなことだったのだと思います。私にとっては、1秒も5時間もまったく同じ感覚でした。つまり、それは、何時間たとうとも、私には関係ないということであり、私には永遠の時間があるのと同じだったのです。だから、いつまででも集中して同じことを続けることができました。

 今は、作業を開始してから何時間たったのか、ということが実感としてわかります。また、この作業を終わらせるには、あと何時間かかるのかということも見通せるようになりました。そのため、以前のように寝食を忘れて一つのことに没頭する、ということはできなくなりました。根気がなくなったと感じています。しかし、以前よりも節度ある規則正しい生活ができるようになりました。

○他者への共感
 2006年になると、私は、他の人の人生が私の人生と同じように存在していること、自分とは立場も考え方も違う人たちが、それぞれの人生を歩んでいるのだということが、実感としてわかるようになりました。

 私はそれまでは、会っているときには他人の存在感がわかるようになっていましたが、別れてしまうと、その人が本当に存在しているのかよくわからなくなっていました。夫とは毎日顔を合わせているので、連続して存在していることがよくわかるのですが、たまに会う人の場合、3日も会わないと、その人が存在していることに自信が持てなくなるのです。そのような症状が2005年くらいまで続いていました。その人が存在していることは知識としてはわかるのです。しかし、会っていないときは、舞台の袖に引っ込んでいる役者のように感じ、その人がこの世で生活しているということが、どうしても想像できませんでした。

 多分、2005年末に、自分の人生の時間感覚がわかり、自分の人生全体をよく把握し眺められることができるようになったことで、他人の人生の存在も実感としてわかるようになったのではないかと思います。他の人が存在していること、人が集まって社会をつくっていること、それぞれの人がそれぞれの喜びや悲しみを感じながら生きていること 、そういうことが 、わかるようになりました。これは、本当に幸せなことです。私は、それまで長い間続いていた“孤独感”から抜け出すことができました。

○原因分析
 私はこのように回復してきました。これからもっと回復していくでしょう。これまでの経過をふり返ってみると、私の精神症状が化学物質によって起きているCS症状であることは、はっきりとわかりました。CS対策をしていく中で、その精神症状は着実に回復してきました。それでは、なぜ、化学物質によってこのような症状が起きてくるのでしょうか? そのことを考えてみます。

 まず、「現実感の喪失」ですが、この症状はCSによる視覚の異常によるところが大きかったと思います。私は2001年に北里研究所病院で視覚の検査を受けました。眼球運動、コントラストの感知、瞳孔反射のすべてにおいて、異常が出ていました。

 私の場合、化学物質に曝露されると、まず、視神経が影響を受け、瞳が小さくなります。そのため、部屋が暗くなります。また、眼球をスムーズに動かすことができないために、ものを捉えたり、景色全体を把握したりすることがむずかしくなります。また、風景が平板に見えたり、色がついていないように見えます。これによって、現実感覚の異常が起きてきていたのだと思います。

○意識の断絶
 その他の離人症状、思考力の低下は、次のように解釈しています。私が夫と出会ったのは、1996年のことですが、最近になって夫は次のようなことを語ってくれました。出会ってから何年間か、私が夫と一緒にいる間に、頻繁に意識を失った状態になったというのです。一緒に車に乗っていたり、部屋で過ごしているときに、私がスッと眠りに入ってしまい、何時間も目覚めないことがあったのだそうです。その時の私の姿を見ていると、眠っているというより死んでいるようであり、まるで寝息を立てていないし、ピクリとも動かないので、「死んでしまったのではないか」と不安になったそうです。夫はその度に、私が本当に息をしているのかを確かめたのだそうです。

 私は夫に言われるまで、自分では、そのことにまったく気づいていませんでした。たしかに、夫と話している間にときどきぼんやりすることがありました。でも、それは、数秒間のことで、その後、また同じように話をしているつもりでいました。何時間も眠っていたことがあったなんて、とても信じられませんでした。当時は、頻繁にそのようなことを繰り返していたということです。夫と会っていたときだけではなく、自分一人でいるときにも、同じことが起きていたのだと思います。私は何時間も何日間も記憶がない、いつの間にか時間がたってしまっていた、と思うことが多かったのですが、多分同じことが起きていたのでしょう。

 仕事をしていたときや、学生だったとき、ぐあいが悪くなって、スーッと気が遠くなるときがありました。その時は、眠ってしまってはいけない場面だったので、何とか意識を保とうとがんばります。目の前に黒い幕がたれてくるように気が遠くなっていきました。その時、私は自分の体から抜け出して遠くからその光景を見ているようになり、体の苦痛を感じなくなります。残された体の方には、私とは別の魂が入っていて、それが活動しているのを、私はわきから見ていました。これは「神秘体験」というものではなく、脳がある状態になったとき起こる「錯覚」のようなものだったのだと思います。脳が酸欠になったときに、このような症状が起こりやすいそうです。*2 

○脳血流量の低下
 CSの研究では、化学物質に曝されて症状が出たときに、患者の脳の血流量がどのように変化するか、という実験を行うことがあります。CS症状のために、脳が一時的に血流量低下の状態におかれているのが、確認できるそうです。*3 私の場合も、脳に血流がいきにくくなり、脳が酸欠になることで、意識の不明瞭さ、眠り込む発作が起きていたのではないかと思います。長年続いた「離人症」の感覚も、化学物質に曝されるたびに起きてきた精神症状も、「脳血流量の低下」「酸欠」というメカニズムを考えると解釈しやすくなります。

 1日に何度も眠り込んだり気が遠くなったりしていたので、時間の不連続性、記憶の障害が出ていたのではないかと思います。

 それでは、なぜ化学物質によってCS症状が起こるのか、化学物質によって脳の血流量が低下するのか、ということについてですが、このことはこれまでの研究では、まだわかっていません。

 

〔2〕精神症状の特徴

a.私の精神症状

 これまで、私の体験を書いてきました。私の精神症状はCS患者の中でも、特殊なものだったかもしれません。特に、「離人症」の症状が出るCS患者はそう多くはないと思います。しかし、その一方で、私が経験した精神症状の中には、他のCS患者と共通するものも多くありました。ここでは、他の患者の症状を念頭に置きながら、私の精神症状について、さらに具体的に書いていきます。特に、他の患者と共通する部分を取り上げていくつもりです。それによって、CS患者やその周囲の人々が、精神症状について理解するための手助けができるのではないかと考えました。私は、自分の心の内面を、具体的に描き出すように努めました。

 まずはじめに、CS患者の精神症状の特徴について、考えてみます。私がCS患者に会ったり、本やサイトを見たりする中で得られた情報によると、次のような精神症状が広く現れていることがわかりました。

◆ 思考力の低下。頭がボンヤリする。ものをよく考えられない。
◆ 記憶力の低下。物忘れがひどい。思い出せない。
◆ 注意力の低下。集中できない。注意散漫になる。
◆ 感情を制御できない。カッとなって、衝動的に行動してしまう。うつ症状。悲しみと落ち込みで、どうにもならなくなる。

 かつての私にも、これと同じような症状が現れていました。これから、その体験を書いていきます。その上で、私がこれらの症状を克服するために、どのような対策方法を行ったか、ということを書いていくつもりです。 

 なお、精神症状が出ているCS患者の体験について、さらに具体的に知りたい方は、別ページにまとめたので、こちらをご覧ください。↓

   〈文献に見られるCS患者の精神症状〉のページへ 
 
○思考力の低下
 
頭の中が空っぽになったようで、何も考えられませんでした。一つのテーマに集中して、それを頭の中に留め置くということができず、次々と流れ去ってしまいます。物事を判断すること、意志決定することができませんでした。考えようとするときは、まず頭の霧を追い払って、よく集中しなければなりません。追い払っても追い払っても、どんどん霧は立ちこめてきて、視界がきかない感じがします。かすんでいてよく見えない中で、何とか考えようとしていました。あまりうまくいかない上に、多大なエネルギーを使うので、ほんの少しのことを考えるのにも、疲労困憊してしまいました。

 前にも書きましたが、人がものを考えるときには、頭の中の「思考空間」のようなところに、いろいろな材料を出してきて、それらを組み合わせたり、比較しながら考えていきます。

 例えば、買い物の最中に、2つのうちどちらの商品を買うのか迷った場合。このときは、その2つの商品の性質(値段、外見、性能など)を、まず心の中に留め置かなければなりません。そのうえで、過去に似たような商品を買ったときの記憶を思い出したり、その商品について知っている知識を呼びおこしたりして、判断していきます。このように、思考空間の中に複数の要素を呼び出してきて、総合的に判断するわけです。

 当時の私の思考空間は、空っぽでした。何かをインプットしようとしても、ほんの数秒で消えてしまいます。簡単な暗算ですら、できませんでした。複数の数字を一定時間、覚えていることができなかったからです。

 物事を判断する、選択する、決定するという行為は、日常生活を送る上で欠かせないものです。私は、うまく考えることができないし、結論を出すことも、物事を決めることもできませんでした。どうしていいかわからないので、その場しのぎの決定を行ってきましたが、自分の決定に、全く自信が持てませんでした。

 考えられない、決められない、ということは、自己像をも危うくしていたと思います。自分の意志で物事を決められない私は、自分の存在を自分の所有物だとは感じられなかったからです。

○イメージ
 私は、自分の頭の中に像を思い描くことができませんでした。過去の記憶を思い出すときや、未来の計画を考えるとき、人は心の中に像を思い描きます。私の頭の中は、霧がかかっているので、曇ってしまい、イメージを描くことができません。特に、先の計画を立てたり、見通しを立てること、結果を予想することが全くできませんでした。過去の失敗から学ぶことも、少なかったと思います。将来を見通して計画することができなかったので、行動は何となく場当たり的に決めていました。その状態に満足しているわけではありませんでしたが、どうしようもなかったのです。

○注意力散漫
 集中することができませんでした。心の中は空虚なのに、気持ちがソワソワとして落ち着かず、安心することができないのです。次々と違うことに気を取られてしまうのですが、1つ1つのことに集中できず、すぐに気が散ってしまいます。

 夫はよく、私の話は話題があちこちに飛んでまとまりがない、といっていました。夫の様子を見ていると、しっかりとした人格があり、落ち着いた意識の流れを感じられるのですが、私にはそういったものはありませんでした。脳の回線がメチャクチャで秩序立った配線をされていないために、次々と別のことに注意が行ってしまい、落ち着きがありません。「心ここにあらず」という感じで、ソワソワして興奮したり動き回ったりしていました。夫にはよく、「いいから落ち着け。人の話をよく聞けよ。君のことを見ていると、こっちまでハラハラする。」といわれていました。

 精神症状が回復してよく考えられるようになり、落ち着きを取り戻すと、このような心のざわめきはおさまっていきました。安心してくつろぐことができるようになりました。夫の目にも私の変化は顕著に映ったようで、「以前のようにハラハラしなくてよい」と喜んでいます。

○記憶力の低下
 体験談にも書きましたが、記憶障害は著しく、ほんの少しのことも覚えていられませんでした。記憶を保持できる時間は、数秒間という感じで、次々忘れていってしまいます。

 私は、よく独り言を言っていました。忘れないように、その場で何度も何度も同じことを繰り返ししゃべるのです。しゃべっている間にも、どんどんその言葉が遠いものになっていまい、記憶が彼方に消えていってしまいました。忘れないように記録をとったりメモしたりするのですが、メモを書いたこと自体を忘れてしまいます。メモをどこにおいたのかも忘れます。そのメモが必要なときに、メモを見ることも思いつきません。メモを書くときには、いつも「こうやって書いても、どうせすぐに忘れてしまうのに…」というあきらめの気持ちがありました。

 日常の短期的な記憶の他に、長期的な記憶の障害も起きていました。過去数年間にわたり、記憶を呼び起こすことができません。霞がかかっていて、その彼方に記憶庫があり、呼び出せないのです。自分の過去が思い出せないということは、明確な自己像を描き出せないということでもありました。人は、自分の辿ってきた歴史を通じて、自己像をつくりあげるからです。私は、その瞬間その瞬間だけに存在している刹那的な存在で、自分の意志を持たず、何かに流されて生きているように感じたのです。

 物事の意味や仕組み、知識についての記憶力は、あまり損なわれずに残っていました。本で読んだ知識を覚えているのは、難しくなかったです。しかし、自分の身に起こった出来事は、瞬く間に忘れてしまいます。

 知識はあるのですが、判断力はぜんぜんありませんでした。六法全書をすべて暗記しているにもかかわらず、応用が効かず、実際の法律的な判断は全くできないような人がいます。私の場合は、まさにそれで、知識をただ覚えているだけで、実生活に生かすことはできなかったのです。ただ、他にやることもなかったので、ひたすら本を読んでいました。

○感情の揺れ
 CS患者の方で、感情の揺れに悩まされている方は多いように感じます。まず、一番よくあるのは、うつ症状でしょう。悲しい気分や無力感にとらわれ、落ち込んで何もできなくなってしまいます。

 また、感情が高まって興奮して制御できない、という症状もよく耳にします。「キレる」という症状です。化学物質に曝されてカッとなり、子供をたたいてしまった、ものを投げてしまった、人を罵ってしまった、などという体験談を読んだことがあります。感情が自分で抑えられない、コントロールできない、という症状が起きてきます。*4 *5

 私も同じように、自分の感情をコントロールできないという体験をしてきました。「恐れ」と「不安」というのが、最も頻繁に出てきた感情です。化学物質に曝されると、身体症状が出てしまい、このとき、強い不安感に襲われます。これは、病人としては、当然の反応でしょうが、私の場合、そこから先が問題でした。心の中を不安が支配してしまい、爆発的に広がっていき、雪崩のように精神活動を崩してしまい、とどまるところがありません。不安に、人格のすべてが支配されてしまい、占領されてしまいます。周囲の人々の励ましや助言も全く心に届かなくなり、自分の心の理性の声も聞こえなくなり、ただただ不安に圧倒されてしまいます。それが何日も続きました。苦しかったです。だから、化学物質に曝露されて起こる身体症状は些細なものでも、精神がそれを増幅させてしまうので、ダメージは何倍も強かったです。このような「パニック発作」のような症状が、頻繁に出ていました。

 自分の感情が自分では全く制御できないと感じるのです。襲ってくる感情の波に、なすすべがないという感じでした

○執着
 精神症状が出ていた当時の私は、物事の考え方が頑固で、凝り固まっていました。一つのことにこだわると、それを曲げることができず、他のことに発想を転換することができません。思い込みが激しかったです。 そのため、当時の私は、人から見ると、とてもつきあいづらい人間だったと思います。

 この「執着」についても、私は自分の心を自分でコントロールできない感じがしました。私はとても暗示にかかりやすくなっていました。ある考えが繰り返し心の中に入ってくると、それに圧倒され、占領されて、その考えをよそにやることができません。スリル満点のアクション映画を見ると、その後1週間くらいは、夜にその映画の夢を見続けることになります。強い刺激に無防備で、心が占領されてしまいます。頭の中で、それが際限なく増幅されて、抑えが効きません。そのため、自分にとってリスクの高いもの(刺激の強いもの)は、努めて避けるようにしていました。私が避けていたものは、映画・テレビ・新聞・本・雑誌の中のもので、一般の人が容易に受け入れられるものばかりでした。それが私には、大変危険なものになりました。私はこのことについて、自分の精神の不自由さ、脆弱さを感じていました。

○強迫的な思考 
 「強迫的な思考」にも悩まされました。ある考えが心に湧き起こってきて、それを追い払えないという現象です。2003年に歯科治療をはじめて程なく、私は「自分が死ななければならない」という観念にとりつかれて、難儀しました。当時はCS対策を行ってきて、それなりに成果が出てきている時期だったし、私の前途は希望に満ちていたので、このような考えが湧き起こる理由は全くありませんでした。それでも、毎日のように「私は死ななければならない」という考えが湧き起こってきて、制御できません。「私には、何も死ぬ理由などないのだ」と自分に言い聞かせてみるのですが、効果がありませんでした。私はこの頃になると、自分の精神症状と化学物質との関係をよく頭に思い描けるようになっていたので、この無意味な強迫的思考は、多分、化学物質によるものではないか、と思いました。

 このような無意味な衝動が湧き起こってきても、それが病気のために起こっているのだと気づいたことは、強い武器となりました。私はその考えをやり過ごすことにしました。取り合わないようにしたのです。それでも、次々湧き起こってくるので、それをやり過ごすのに、多くの時間を費やしました。1日2〜3時間はそんなことをしていたように思います。

 原因をいろいろ推測してみて、このような強迫的な思考が起こってくるのは、多分、口の中に入れた歯科材料が原因だろう、と思いました。歯科治療のはじめには、複数の歯科材料を同時に口の中に入れたので、どの歯科材料が精神症状の原因かわかりませんでした。治療が進んできて、その原因が何であるか突きとめ、それを除去したら、強迫的な思考はピタリとやみました。二度と戻ってくることはありませんでした。

 結局、この症状は、化学物質によるCS反応だったのではないかと思います。CSが回復するにつれて、精神症状も目に見えて回復していきました。周囲のことをよく見渡せるようになり、頭の中で自由に考えられるようになると、このような病的な反応はなくなっていきました。自由に考えられること、それが心のありようを決めてしまうのです。思い込みや歪んだ認知から解放され、自分の感情をよく見据えて、コントロールできるようになりました。

○対人関係の問題
 精神症状によって、対人関係にも影響が出ていました。人とコミュニケーションをとるのが難しかったです。常に頭が働かない状態なので、人と話していても、話について行けません。相手の言ったことを理解する能力や、それに対して自分の考えをまとめる能力が損なわれていました。私は、自分の思っていることをうまくまとめられず、伝えられないというもどかしさを、いつも感じていました。「相手が自分の真意を受け取ってくれない」と残念に思うことが多かったのですが、そもそも私自身が自分のことをうまく伝えられないことが原因だったのだと思います。同時に、相手の伝えたいことも、私はうまく受け取れなかったのです。人とうまくコミュニケーションをとれませんでした。

 人と話すときは、自分の意識を見失わないように、常に緊張していました。頭がボンヤリしてくると、自分の思考の流れを見失ってしまいそうになります。そのため、人と会話をするときは、コンディションのよいときに、短時間だけするようにしていました。長時間話をすると、あまりにも疲れてしまうからです。

 会話の途中でCS症状を起こすと、気が遠くなってきて、会話に集中できなくなります。そうすると、相手の言っていることも、自分の話していることも、遠い存在のように感じられてきます。会話の最中に気を失ってしまっては困るので、とにかく力を振り絞って、意識を保つようにしていました。そんなとき、自分のしゃべっていることが、自分の口から出ているものとは思えないような、異様な感覚のとらわれることがありました。まるで、録音したテープを再生しているような感覚です。そして、あとで思い出そうとしても、そのとき話したことを思い出せません。そのようなことが度重なると、不安な気持ちと、何とも言えない居心地の悪さを感じました。私は、会話において、対人関係において、自分の意志を働かせたり、自分の責任を果たすことができないように感じていました。それは、とても不安定な心持ちです。

 私は人と話していても、相手の声が自分に届かないという感じを抱いていました。また、私の話したことが、本当に相手に届いているのか、ということも実感できません。相手の表情を読んだり、しぐさや声の調子を読み取る能力が低下していたのだと思います。まるで、曇りガラス越しに話をしているように感じられました。多分、病気によって、視覚・聴覚の障害を受けていたのでしょう。そして、感覚器官から入ってくる情報を脳の中で適切に処理する機能も損なわれていました。

 会話のキャッチボールにおいて、自分の発したメッセージが相手にどう受け取られ、どのように返ってくるのか、ということがよくつかめませんでした。私は相手と心を通い合わせることができませんでした。多分、当時の私と話をした人は、話が通じにくいとか、情報のやりとりがしにくいと感じたはずです。また、私の不用意な言葉が、相手の感情を害したこともあったと思います。「話が通じない」「かみ合わない」「扱いにくい」と思われていたのではないかと思います。

○認知の歪み
 また、対人関係において、感情面でのコントロールも、ときに見失いがちでした。人の何気ない一言やそぶりがひどく気に障るように感じられたり、自分の精神が圧倒されたりするように感じられました。人の考えていることや話したことが、頭の中にそのまま、ものすごい勢いで侵入してくる感じがして、圧倒されます。

 悪意であれ、善意であれ、相手の発するメッセージに抵抗することができないまま、それが頭の中に入ってきてしまうのです。それは、異様な感覚でした。そして、私の頭の中に入ってくる相手の感情というのは、その人が発したそのままではなく、別の色に染められた歪んだイメージでした。物事をありのままに受け取れず、違った形で受け取ってしまうのです。当時の私の受け取り方は、とても偏ったものでした。

 例を挙げます。知り合いから手紙が来たとします。私は封筒を開けて、手紙を読み始めます。CSが重症だった頃は、文字をうまく目で追うことができず、読むのにとても苦労しました。視神経や、脳の視覚情報処理にかかわる部分が障害を受けていたのだと思います。文字が飛びはねたり、きらめいたりするので、うまく字を追うことができませんでした。何とか読み進めていくうちに、私の心の中に感情が湧き起こります。その手紙に対する「嫌な印象」です。「ああ、嫌な手紙だな。差出人は、私に対して悪意を持っている。どうしてこんな嫌なことを書いてくるのだろう」と思ってしまいます。その思いが、一日中頭にこびりついて離れません。

 2,3日して落ち着いてきたとき、またその手紙を読み返してみようと思いました。そのとき、便箋のにおいを嗅いでみると、香料のような匂いや、防虫剤のような匂いが染みついていました。私はその手紙をビニール袋に入れて読んでみました。 あるいは、コピーして読んでみたこともあります。変化は驚くべきものでした。その手紙は、差出人の好意と愛情に満ちた暖かい内容だったからです。結局、便箋についていた化学物質の影響で、私はCS反応を起こし、脳が影響を受けてしまっていたのです。そのため、何の悪意もない手紙を、本当に嫌な、自分を脅かすような手紙だと思いこんでいたのです。視覚症状が出ていたため、手紙の内容をうまく読み取れなかったことも、思い込みに拍車を掛けました。

 もう一つ例を挙げます。この頃の私は、相手が素っ気ない態度をとっただけで、「この人は、私に悪意を持っている。この人は私をおびやかそうとしている」などと受け取ったりしていました。たいてい、私の側の心の体勢は、防衛的で被害妄想的でした。自分の理性の力は死んでいて、コントロールのきかないままに、そのような感情がわき上がってきてしまうように感じました。外界の情報を取りこむ能力が損なわれているために、物事のとらえ方が偏っていて、思い込みが強かったです。同じ思い込みなら、よい思い込み(「全世界の人が私を祝福している」など)でもよいはずなのですが、かつての私は、なぜかネガティブな方向に進んでいってしまっていました。

 相手が素っ気ない態度をとったときに、状況を客観的にとらえて、合理的に判断することができませんでした。「忙しかったのかもしれない」「他のことに気をとられていたのかな」「体調が悪かったのかも」「こういうことはよくあることだ」などと考えることができません。究極的には、相手は「何も考えていなかった」という可能性もありますが、そのようには考えられなかったのです。

 このような体験を書くのは、胸が痛むものです。1999年に自分がCSだと気づき、病気によって被っている精神の障害の度合いを意識するまでは、私はこのような心の動きに無自覚でした。謎が解けてからは、自分の心をよく観察し、対処できるようになっていきました。だから、私にとって、CSという診断がついたことは福音でした。「私の理性を回復させるもの」「私を人間たらしめるもの」が手に入ったからです。
 

b.考察

 精神症状が出ていた当時の、私の内面を語ってきました。私の症状がどれだけ他のCS患者と共通しているのかはっきりとはわからないので、それを一般化していいものかはわかりません。しかし、私の一症例を見ることで、CS患者の心の中の風景がおぼろげながらでも、わかっていただけたのではないでしょうか。

○私が出会ったCS患者
 私は、CSがある程度回復して、外出ができるようになってから、他のCS患者に会う機会ができました。精神症状が出ているCS患者にお会いしたときに、その人の態度や姿勢に、かつての自分の姿を重ね合わせてみることが多かったです。「きっと、この人は、以前の私と同じ精神の風景を見ているのだ」と思ったのです。

 私の目から見て、特に目立っていた特徴は、次のようなものでした。まず、精神症状が出ているCS患者の方は、たいてい、何かピンと張り詰めたような緊張感を持っています。心が安らがないといった感じです。そして、表情が乏しく、生気がなく、ぼんやりとしたような視線で遠くを見ている感じがします。話す内容は、繰り返しが多く、一つのことにとらわれている感じがします。ある考えに頭が占領されていて、他のことを考えられないという様子です。ある人は、何かに追い立てられるように早口で、何度も何度も同じことを話します。話している相手の様子が目に入っていないように、自分のことだけを話し続けます。その内容は、攻撃的で感情的なものが多かったです。

 これほど極端な症状が出ていない人でも、似たような要素を持っていたように思います。心に余裕がなく、自分とは違う多くの考えを受け入れることができないのです。そのため、私がその人とは別の考え方を示すと、過剰に防衛的に反応する、という方もいました。

○2つのタイプ
 精神症状が出ている人は、大別すると、2通りのタイプに分かれるのではないかと思います。一つは、非常に感情的で他動であり、衝動的であるタイプ。もう一つは、抑うつ的で、気力が乏しく、動きも少なく、感情の表出も見られないタイプ。私は、前者を「アッパー系」、後者を「ダウナー系」と呼んでいます。私は典型的なダウナー系でした。だから、外見からは、それほど精神症状は目立って見えなかったと思います。

 CS対応の医師や支援者たち、家族の間で、特に目立って問題となるのは、「アッパー系」の人たちなのではないかと思います。症状が目立ち、周囲の人々に与える影響も大きいからです。また、ふだんはダウナー系なのに、何かのきっかけで突然スイッチが入ったかのように、衝動的な行動に出る人もいます。アッパー系とダウナー系とが混在しているような症例です。

 このような対照的な2つのタイプですが、これらは、根本的には、同じ障害から起こっているのではないかと思うのです。それは、外界との正常なつながりを持てず孤立していること、自分の心の中に閉じこめられてとらわれていることです。そのため、外の世界や他の人々と適切な関係を結び、調和のとれた行動をとることができなくなってしまうのです。また、自分の心の内面でも、統制された、調和のとれた世界を作り上げることができません。

 ここからは、私が自分なりに考えた精神症状のメカニズムを書いていきます。この考えのもととなるのは、私自身の体験と、これまで私が出会ったCS患者、文献から得られた情報です。そのため、話がやや主観的になってしまうかもしれません。また、対象となる患者のうちの、一部にしか当てはまらない可能性もあります。以上のことをご承知の上、読み進めていただきたいと思います。

○精神症状のメカニズム(仮説)
 人は周囲の世界を把握し、自分のふるまいが周囲に影響を与え、やりとりする中で生活していきます。そのためには、外界を認識する能力、外界からの情報を処理する能力、それをもとに総合的に考え判断する能力、適切に行動する能力が必要です。図に書いてみます。

 

精神症状が出ているCS患者の場合、これらの機能のいずれか、あるいはすべてに障害が出ているのではないかと思います。私の場合は、すべてに大きく障害が現れていました。視覚の機能の場合で、同じような流れ図を書いてみます。

             

 

CS患者の中には、視覚の機能に異常が出ている人が多いです。北里研究所病院では、視覚機能の検査で化学物質過敏症の診断を下します。私は、眼筋の動きが悪く、瞳孔を制御する神経の働きも悪かったです。検査で、異常が出ていました。そして、多分、脳の中の「視覚情報を処理する部分」と「像を結ぶ部分」「その意味を読み取る部分」の機能にも障害が出ていたのではないかと思います。前述の「離人症」の症状、外界を現実感を持ってとらえる能力の障害は、この機能の不全から現れていたと考えられます。*6 *7 *8

 そして、物事を総合的に考え、判断する機能も損なわれていました。外界と健全なつながりを持てないということが、精神症状の現れ方に大きな影響を及ぼしていました。

 このような状況では、人は、自分が外界から切り離され、閉じこめられているように感じます。私は長い間、ずっとこの「閉じこめられている感覚」を感じていました。その檻から出たいと思っても、出る方法がわかりません。

○感覚情報の不足
 心理学の実験で、「感覚遮断実験」というのがあります。これは、外界からの感覚を遮断して、人間の反応がどうなるかを調べる実験です。被験者は、目にゴーグル(曇りガラス)をかけられ、防音室に入れられ、手をボール紙で覆われ、視覚・聴覚・触覚の情報を遮断されます。そのまま実験室で、何日間も過ごすことになります。

 すると、被験者達は、次第に現実感覚をなくし、まとまった思考ができなくなります。独り言や、言葉の反復が多くなります。そして、実験が数日にわたると、すべての被験者が幻覚を見るようになります。外界からの情報が遮断されると、人の精神は足りないものを何とか補おうとして、不思議な働きをするのです。*9

 私がCS患者として、視覚情報をはじめ、様々な外界情報を認識する機能に障害が現れたとき、私の心も足りない情報を補おうとして、必死に働いたのだと思います。しかし、もともと適切に外界情報を取り入れることができなかったために、多くのことを自分の頭の中で補わなければなりませんでした。私が頭の中につくり上げた像は、外界に実在するものとは大きく違っていました。それは、大変偏っていて思い込みの激しいものでした。精神症状が出ているCS患者から受ける印象、「話が通じない」「扱いにくい」「気難しい」という特徴も、このような原因から起きてきているのではないかと思います。

 「外界の情報を取り入れる能力の障害」「内面での情報処理能力の低下」は、CS患者の精神症状の核となる部分なのではないでしょうか。「情報の不足」「うまく考えをまとめられない」ということが、孤立した精神風景をつくり上げるのです。その人の思考空間は、空疎な状態になっています。そのことに気づいている患者と、気づいていない患者がいます。私はそれに気づいていました。気づいていながら、自分ではどうすることもできませんでした。

 このような精神状態の人の心の中は、とても暗くて寂しく、虚しいものです。明るい日ざしのもとに出たいのだけれども、閉じこめられていて出られない感じがします。絶対量が不足している断片的な情報によって、固着した視野の狭い考え方が成立します。その結果、一つの考えに執着し、それに心が占領されてしまうのです。考えをまとめることができず、同じことを何度も何度も繰り返し考えたり、しゃべったりしてしまいます。心の中は混乱し、緊張し、張りつめています。感情の制御がきかず、何かのきっかけで、突然衝動的に行動してしまいます。自分の心を自分でコントロールすることができず、精神の自由を束縛された状態にあります。

 そのような症状が出ている患者は、孤独です。まわりに自分のことを思ってくれる人がどんなにたくさんいても、孤独です。それは、心の扉を閉ざしているために、周囲の人たちの温かい気持ちを受け取ることができないからです。自分の方から、その人達へ向けて思いを発信することも、心を通い合わせることもできません。これは、病気のために能力が損なわれているためです。本人の心がけや努力では、この壁を突き崩すのは、なかなか難しいのです。私も症状が出ていたときは、無力感を感じていました。理性の力によって、いくらかは自分を管理したり、行動を抑制することはできましたが、本質的に「とらわれている感じ」を解消することはできなかったのです。私が檻から解放されたのは、結局、CS症状が回復し、精神症状がおさまってきてからのことでした。病気がよくなれば、孤独感から解放される日が、きっとやってきます。

 CSによって精神症状が出たときには、このように症状の根底となる仕組みをわかっていることは重要です。症状に圧倒されている中でも、それがわかっていれば、少なくとも自分の状態を冷静に把握することができるからです。自分の病気のことをよく知ることによって、対処していくことができます。知ることがまず第一歩となります。

 

〔3〕対処法“私の方法”

 CSによる精神症状を治す方法は、究極的には、CSそのものを回復させることです。CS症状が軽くなるにしたがって、精神症状もおさまってきます。

 私は、1999年に自分がCSだと気づいたあと、自分の精神症状と化学物質とのかかわりをよく見つめ直すことになりました。そして、自分の精神症状がなぜ、どのようなからくりで起きてくるのかをよく観察し、考えました。

 それまでは、何が原因で精神症状が起きてくるのか、全く見当がつかなかったので、このように原因がわかってきたことは、大いに役立ちました。1999年当時は、化学物質によって、自分の精神症状が出ることはわかりましたが、その症状を抑えることはできませんでした。精神症状が回復し、多分 、一般の人と変わらないくらいまで心の平安を取り戻すのには、その後7年の歳月を待たなければなりませんでした。

 CSの回復と共に、精神症状はおさまってきました。その間、私は精神症状が出ていながら、それを制御し、少しでも症状を軽くするために、様々なことを試してみました。その中には、大きく効果の出たものと、それほど効果の出ないものがありました。私の行った方法を、これから紹介していきたいと思います。

a.思考力の低下・記憶の障害に対して

○紙に書く
 頭の中が霧で覆われていて、考えられない、頭が真っ白になる、という症状に対して、1999年頃から、次のような方法をとりました。

 頭の中に何かが思い浮かんだとしても、それはあっという間に流れていってなくなってしまうので、それを何とか頭にとどめておかなければなりません。私はとにかく、どんなことでもすべて紙に書いて考えることにしました。先に説明したように、思考空間は空っぽで、そこに記憶をとどめておけないので、2つ以上のことを同時に思い描くことができません。紙に書けば、2つのことを同時に目に入れることができます。また、考えるそばから次々と忘れていってしまうので、その思考の過程をいちいち紙に書き出しました。

 これは、何も難しくて複雑なことを考えるために、紙に書いていたのではありません。料理をするのに、フライパンを使うか鍋を使うか、ということや、牛乳を飲むか水を飲むか迷ったときにどちらにするか、なんてことまで、いちいち紙に書いていました。今日は靴を履いていくべきなのか、サンダルにした方がいいのか、半袖か長袖か、などということも、紙に書かないと決められませんでした。

 紙に書いていても、だんだん自分の考えを見失ってしまうことがありました。自分の書いた字をうまく読めなかったり、何が書いてあるのかわからなくなったりします。途中で気が遠くなってきたりします。簡単なことを考えるのでも長い時間がかかりました。休みながら、少しずつやりました。これを繰り返していくうちに、だんだん慣れてきて、少しずつ複雑なことも考えられるようになってきました。訓練の結果、日常生活の単純なことは、紙に書かなくても決められるようになりました。

 年を経るごとに、考え方のテクニックが身についていき、より込み入った選択や判断ができるようになっていきました。私の手元には、紙に書いて考えたときに記録がいくつか残っています。それを見ると、自分の脳が働かない状態と格闘していた頃のことが思い出されます。現在は、よほど複雑で難しいこと以外は、紙に書かなくても考えられるようになっています。

○マニュアルをつくる
 私は物事の手順を覚えられず、次に何をしていいのか思い出せないことが多かったです。例えば、食器を洗うときに、洗ったりすすいだり一連の作業があるわけですが、私は途中で何をやったらいいのかわからなくなっていました。途中で、手が完全に止まってしまい、次の行程を思い出すことができません。いっしょうけんめい考えると、ようやく思い出すことができますが、それで精神力を使い果たして、くたくたになってしまいます。ひとつも家事をこなすのに、とても多くの時間がかかりました。また、作業の途中でぼんやりしてしまい、いつの間にかそれを中断して、別のことを始めてしまったりしていました。中途半端な状態で投げ出された作業が、家のあちこちに散在しているような状態になっていました。

 この問題に対処するために、毎日繰り返す基本的な家事については、手順を書いたマニュアルをつくって、壁に貼っておきました。それを見ながらやれば、いちいち考え込まなくてもできるので、疲れ果てることがないし、手が止まることもないわけです。2003年に、食器洗いに使っていたマニュアルが手元にあったので、例として、載せておきます。

〈食器洗いマニュアル 〉のページへ

 朝起きて、顔を洗ったり歯みがきしたり、髪をとかしたりすることすら、手順を覚えていられませんでした。それで、「朝のマニュアル」「夜のマニュアル」をひととおり紙に書いて、目につくところに貼っておきました。貼っておかないと、その紙をどこにしまったのか、思い出せなくなってしまいます。料理をするときも、レシピとは別に、使う調理器具のリストや手順(後片づけまで)を、事細かに書いた紙を作成しました。

 その予定表をつくるのが、一苦労でした。もともと働かない頭だからこそ、そのような予定表をつくろうとしているのです。ウンウンうなりながら書きました。ときには、何時間もかかりました。しかし、作業を始めてから、途中で考えるよりは効率がよかったです。一度つくってしまえば、何度でも使えます。このようなマニュアルがないと、簡単なことでも途中でわからなくなってしまい、成し遂げられなくなります。マニュアルをつくるようになってから、家事に要する時間は短縮され、効率よくなりました。また、「最後までやり遂げられないのではないか」という絶望感からも解放されました。

○繰り返すうちに習慣となる
 日常的な家事については、そのマニュアルを何度も何度も使っているうちに、だんだん慣れてきて、手順を覚えられるようになってきます。頭で考えなくても、体が覚えてくれる、という感じです。食器洗いの手順表も、はじめは一行程ずつ確認しながらやらなければなりませんでしたが、慣れてくると、ときどき眺める程度になり、半年後には、マニュアル自体が必要なくなりました。新しくはじめることについては、いちいちマニュアルをつくりましたが、慣れてきて体が覚えると、そのマニュアルは必要なくなるのです。そのようなことを繰り返しているうちに、家事の最中に何をしていいのかわからず、呆然と立ちつくすことはなくなっていきました。家事以外のことでも、事前にいちいちマニュアルをつくるのは、とても便利でした。これが習慣になっていきました。

 今は回復して、このようなマニュアルをいちいちつくらなくてもよくなりました。頭の中で考えられるからです。これまでの経験を思い起こして生かすこともできます。しかし、当時は何をするにも、思いつかず考えられなかったので、このようなマニュアルは有効でした。すべてのことを、一から始めなければならず、地道な努力がいりました。しかし、それはとてもやりがいのある作業でした。自分の進歩の様子が手に取るようにわかって、うれしかったです。

○外出のマニュアル
 CS対策をするうえでも、紙に書くことは役立ちました。日常生活で、常に化学物質に曝され、症状を起こす恐れがあるわけですから、それを予想して危険を避けることは重要でした。そのため、あることを行う前には、その度にマニュアルみたいなものをつくっていました。例えば、買い物に行くときは、玄関から出た瞬間から、玄関に戻ってくるまで、すべての行程を紙に書き出します。そこには、道中に化学物質に遭遇する危険性のある場所を書いたり、自分がどのように行動したらよいかを事細かに書きました。次のようなマニュアルです。

〈買い物マニュアル〉のページ

○メモをとる
 記憶力が悪く、物忘れが多かったので、もうひたすらメモをとりました。トイレに行って、トイレットペーパーがなくなることに気づき、買おうとしても、次の瞬間には忘れてしまいます。そのようなことを思いついたら、すぐにいちいちメモしていました。メモしたこと自体も忘れてしまいますし、メモ用紙もどこかになくしてしまいます。それで、定位置にメモ用紙を貼っておいて、そこにメモするようにしていました。離れたところにいて面倒でも、わざわざメモの場所に来て、書きます。それを一日の終わりに手帳に書き写して、外出時に持っていくようにしていました。こうやって買い物の用事やそのほかの用事をこなせるようになりました。

○役に立った本
 このやり方は、
「ひらめきすぎる人々」(ロクスケ著、ヴォイス出版)に書いてあった方法を参考にしたものです。この本の著者は、「注意 欠陥障害(ADD)」(注意欠陥多動性障害ADHDとも言います)の患者で、「物事を覚えていられない」「考えがまとまらない」「注意がそれる」「時間の感覚が弱い」など、当時の私と共通の症状を持っていました。私は当時、私のように頭の働きが悪い人は他にいないと思っていたので、この本に出会ったときは、とても感激しました。

 この方は、「休日に遊びに出かけようとして駅に行き、気づくと平日の通勤電車に乗って会社に向かっていた」というような体験をしており、頭のぼんやり度では、全く私と同じような症状を抱えていました。そのような精神症状が出ている人が他にいることに、当時の私は勇気づけられました。また、この方が書いている体験と症状の内容を読むことで、自分の身に起きていることを、より深く構造的に理解することができるようになりました。

 そして、この本で紹介されている「対処法」は、とても具体的でした。この本に出会った当時(2003年頃)、むさぼるように読み、できることはなんでも真似して試してみました。ここで紹介したメモをとる方法、マニュアルをつくる方法の他に、キッチンタイマーや目覚ましを使って時間を管理する方法、効率的な家事の仕方などが書かれています。それが、有能な主婦が毎日の家事をこなすためのマニュアルではなく、頭が真っ白になる人のために書かれたものなのです。他の人が難なくこなせることについても取り上げ、よく注意して対策が書かれています。一般の人向けの家事や時間管理のマニュアルは、当時の私にはとても難しく、実行できそうにないものでしたが、この本の方法は、私にも実行することができました。

 私はこの本の著者にとても感謝していて、いつかこのように、人の役に立てる情報を自分から発信できないかと考えていました。このサイトをつくろうと思った動機はそこにあります。サイト開設から2年を経過し、多くの人々に「役立ちました」といってもらえるのは、とてもうれしいものです。私は開設当初の目的を達成することができました。この本の著者とは面識がありませんが、間接的な形で(社会に還元する形で)感謝の気持ちを表すことができたと思っています。他にも、多くの本が私を導いてくれました。それらの本に対する感謝の気持ちも、このサイトをつくり運営していく動機になっています。

○日記をつける
 どのようなことでもいちいち記録をとることは、頼りない記憶力を補うために効果的でした。私は毎日日記をつけました。日記といっても、日々の出来事やCS症状を簡単に記録したものです。何か起きたときに、過去の記録を読み返せば、同じような事態に対処するのに役立ちます。また、日記をつけること自体が、記憶力を鍛えることに役立ちました。毎日、日記をつけていると、自分の生活をふり返ったり、頭に留め置いたりする習慣が身についたように思います。

 日記はつけ始めてから、7年になります。毎日、自分の1日の行動をふり返り記録をつけることで、自分の行動を意識的に把握する能力が身につきました。自分が病気のためにおかしな行動をしたり、妙な感情に襲われたときに、それをよく把握して修正することができるようになりました。私は、自分の心を自分では制御できないように感じていたので、コントロールを取り戻すために役立ちました。

○時間感覚の訓練
 かつての私は時間の感覚が悪く、どのくらい時間がたってしまったのかが、実感としてわかりませんでした。気づくと数時間たってしまっていたり、待ち合わせの時間に合わせることや、バスに乗り遅れないようにすることが、とても難しかったです。家を出るまであと何分あるのか、というのが実感としてわかりませんでした。また、一日の予定を立てるのに、何をするのにどのくらいの時間がかかるのか、ということや、どのような手順で行けばいいのか、という見通しを立てることができませんでした。なんでも、行き当たりばったりです。一度、外出すると、放浪しているかのように思いつきで行動してしまい、食事をとったり家に帰ったりすることを忘れてしまいました。2003年頃に、このような時間感覚の不足を補うために、いろいろなことを試してみました。

 まず、何をやるにもキッチンタイマーをかけることにしました。部屋の片づけをはじめると、とりとめもなく何時間でもやってしまうので、いつまでやる、という終わりの時間を決めてしまい、タイマーをセットします。片づけの途中に、他のことに気がそれて、それに没頭してしまったときなど、注意を引き戻すのに役立ちました。当時は、一日中キッチンタイマーをセットして、時間管理をしていました。やはり、途中で注意がそれてしまい、予定どおりには行かなかったのですが、何もない状態よりは、自分の生活を管理しやすくなりました。

○時計を設置
 他にやったことは、家中に時計を置いたことです。LDKと玄関には、学校や駅に掛けてあるような大きな時計を買ってきて、設置しました。他に、すべての部屋に時計を置きました。夫には、「こんなにいっぱい時計を置いて、せわしない。こんなのなくてもだいたいわかるだろ」と言われました。しかし、私にはそれがわからなかったのです。

 時計を買うときは、文字盤や針がはっきり見えるデザインのものを選びました。地の色は白、数字や針は黒で、余計な装飾のないものです。時刻を表す数字が書かれていないデザインのものは、注意力が足りないので、すぐに見間違えてしまいます。見やすさを重視して、選びました。

 この作戦は、とても効果的でした。それまでLDKには、小さな目覚まし時計があったのですが、私の当時の注意力では、小さすぎて見過ごしてしまいます。巨大な時計を壁に掛けて、ことあるごとに時間を確認しました。1日に100回以上は見ていたと思います。常に時間を確認していることは、私にとって、大きな安心感でした。何度も見るうちに、自然と時間の感覚が身についてように思います。

 ちなみに、私は腕時計をする習慣がありません。腕がかぶれてしまうのでつけられませんでした。また、2001年に電磁波過敏症を発症してから、金属製品を身につけられなくなりました。腕時計を使える方は、もっと時間の管理がしやすいはずです。しかし、当時の私の注意力では、腕時計の小さい文字盤を間違わずに見ることは難しかったと思います。そのくらい、注意力が落ちていました。家の中では、大きな壁掛け時計を使い、外出時には、キーホルダー型の時計をカバンにつけて持って歩きました。文字盤が大きく、針や数字が見やすいデザインのものです。

 時計を買ったばかりの頃、時計の針をじっと眺めていることがありました。秒針が動いていって一周する様をじーっと見ているのです。2周、3周するのを見て、「今、2分たった」「3分たった」と時間の長さを感じ取ろうとするのですが、当時は実感としては、どうしてもわかりませんでした。針を見つめているうちに、気が遠くなるような、実体をつかもうとしているのに対象物を見失ってしまうような感覚を感じました。

 今では、秒針を見つめるなどということはやっていません。意識を集中して、時間を感じ取ろうとしなくても、常に時間は私と寄り添うように一緒にあって、自然と進んでいるのがわかるからです。体内時計と、時計の時間とが、同調して共に進んでいる感じです。

○家事の時間をはかる
 まだ、時間の感覚がわからなかった頃、いつの間にか時間がたってしまい、それがよくつかめなかったので、家事をやるときに、時間を計ってみることにしました(2003年頃)。皿洗いや、洗濯、料理、爪を切るときまで、いちいち時間を計り、一覧表にしました。計ってみないと、どのくらいかかるのか、見当がつきませんでした。意外なものに意外な時間がかかっていたりして、発見があって面白かったです。そして、当分の間、家事をするたびに時間を計りました。そうすると、自分の感覚では全くわからないのに、たいていいつも同じくらいの時間がかかっていることがわかります。それが面白くて、ずいぶん時間の計測を続けていました。これによって、全くつかめなかった時間の流れの感覚が、少しずつつかめるようになってきました。

 時間の感覚は、少しずつ回復して、実感が持てるようになっていきましたが、思考力が回復するのよりも、ずっと回復が遅かったです。訓練の成果が現れるのに、時間がかかりました。とにかく効果があったのは、時間感覚の不足があることを意識して、時間管理に目を向けるようになったことです。目に見えて効果が上がらなくても、意図して対策を行うこと自体が、私の精神に変革を与えることになったと思っています。 

 時間感覚は、訓練の効果と、CS体質自体の回復によって、どんどん身についてきました。訓練の効果とCS回復の効果を比較してみると、CS自体が治ってきた効果の方が大きかったように感じます。あるとき、突然、時間感覚が実感としてわかるようになった時期がありました。まるで、天から降ってきたかのように、あるとき突然、目が開かれたのです。多分、脳の機能が回復して働くようになったからだと思います。

 時間感覚は、とても便利です。時計やキッチンタイマーを使って、必死で努力していた頃をなつかしく思います。今は意識せずとも、自然と時間感覚がわかるようになりました。LDKの時計は、今でも壁に掛かっています。時間感覚がわからなかった頃には、私は何度この時計を見たことでしょう。現在は、1日に数回、目をやる程度ですが、今でもこの時計に強い愛着を感じています。

○バスに乗る
 もう一つ、時間感覚を訓練する上で役に立ったのは、バスを利用するようになったことです。2004年8月に、私は自宅の車に乗れなくなってしまい、移動手段としてバスを利用せざるを得なくなりました (→「スモール・データ・バンク」バス参照) 。

 バスの時刻表を見たり、乗り継ぎを考えて計画を立てることが、時間感覚の有効な訓練となりました。車で移動していたときは、好きな時間に好きなところに出かけられたのですが、バスの場合は、乗り物の方の都合に合わせなければなりません。時間感覚が希薄だった私にとっては、それはとても難しい課題のように感じられました。

 正確にバスに乗るためには、注意力が必要です。次の3つがそろわないと失敗してしまいます。
(1)時刻表を間違えずに読み取ること。
(2)バスが到着する時間までに、停留所にたどり着くこと。
(3)目当てのバスに間違わずに乗ること。
この3つのどれが欠けても失敗です。普通の人には当たり前のことも、私にとってはとても難しく、自分の能力が及ばない感じがしていました。

 私は注意力が足りなく、時間感覚も悪かったので、初めのうちは、失敗ばかりしていました。時刻表を読み間違えてしまうので、停留所でいくら待っていても、バスが来ません。また、自分では時間通りに停留所に着いたつもりなのに、実際は遅れていて、すでにバスが行ったあとだったりします。「バスがちょうど来たな」と思ったら、間違って行き先の違うバスに乗ってしまいます。必ずどれか失敗するので、予定どおりにバスに乗れたためしがありませんでした。

 失敗の結果は、そのまま自分の身に降りかかってきます。間違えたときは、その後、何十分も次のバスを待ったり、何kmもトボトボと歩かなければなりませんでした。私は、次々と間違えるので、出かけた先から永遠に家にたどり着けないのではないかと、途方にくれたこともありました。

 私が利用していた路線で運行するバス会社の運転者さんは、とても親切に対応してくれました。私が間違って行き先の違うバスに乗ってしまったときは、目的地に行くのに便利なバス停で降ろしてくれ、どのバスに乗ったらいいのかを教えてくれました。そのとき、運賃は取られませんでした。この親切は身にしみました。いくら失敗しても、またやりなおそうという気になったものです。そうやって、何度もやりなおしをしていく中で、だんだん間違いが減っていきました。

 「直観」というのは、論理的な思考力を伴わず、突然正しい回答を見出すような能力のことですが、これは、急に身につくものではないようです。多くの経験を積んで、繰り返し訓練した結果、意識せずとも解決に至るようになる、それが直観力の正体だということです。*10 

 何度も失敗し、それを立て直しやりなおしていく中で、バスに乗るときの勘のようなものが身についていき、特別意識しなくても、間違わずに乗れるようになっていきました。自分の頭の中に“バス時間”みたいなものができあがって、それに合わせて行動できるようになった感じです。バスは定刻通りにくることは少なく、5〜10分遅れてくるのが常ですが、その遅れも見越して行動できるようになっていきました。

 夫は普段、車で移動しているので、バスに乗る機会は少ないです。ときどき2人で一緒にバスに乗るときには、乗り慣れない人がよく間違えそうな点を、あらかじめ私が夫に教えてあげられるようになりました。

 バスに乗り始めの半年間は、電磁波過敏症のため、地下鉄・JR線・市電には乗れなかったので、どこに行くにも、バスを乗り継いでいきました。市の公共交通は、地下鉄やJR線の路線を中心に交通網が作られています。そのために、バスだけで移動しようとすると、接続が悪く、便数も少ない路線を辿っていけなければなりませんでした。私はいろんなところに行ってみたいと思い、新しい路線に次々とチャレンジしました。失敗も多かったけれど、着実に行動半径が広がっていきました。  

 2年間のバス利用期間を経て、今はまた自家用車に乗れるようになりましたが、バスで移動することは、時間感覚の強力な訓練になりました。それと、現在、車で移動していて思うのですが、バスは街の人とふれあうよい機会になったと思います。乗客の会話や、何気ないそぶりなどに、人々の生活の様子が感じられて、見ていて飽きることはありませんでした。車は便利なものですが、案外孤独な乗り物だという感じがしています。ときどきバスに乗ると、ホッと気持ちが安らぐ感じがあります。

○文章を書く
 私は働かない頭を働かせるために、いろんな方法を行ってきましたが、もっとも効果的なリハビリだったのは、このサイトの文章を書いたことです。2003年の10月頃から、原稿を書き始めました。最初は、考えをまとめられず、断片的なメモをたくさんつくっただけでした。それを組み合わせて、まとまった記事にするのに、多くの時間が必要でした。2004年の6月頃から、ようやくまとまった思考ができるようになってきました。全体の構成を考えたり、記事の順序を整えたりすることができるようになってきました。そして、構想から約1年後の2004年8月に、ついにサイトを開設することができました。

 当時は、更新する記事を書くのにも、現在の10倍くらいの時間がかかっていました。頭の中を整理してまとめ、文章に書き表すというのが、とても難しかったです。その後、定期的に更新していくうちに、訓練によって、頭の働きがよくなっていき、より複雑な内容も要領よくまとめられるようになっていきました。今でも、私は心の中に、サイト開設当時の自分の姿を思い浮かべることができます。ほんの簡単なことでも、頭にとどめておけず、床に転がり、うなりながら文章を書いていた頃のことを…。今の私とは、まるで別人のように感じます。

 これまで書いてきた記事は、どれも苦労なしには書けなかったものですが、努力した分、私に確かなものを与えてくれたと思います。これからも、このリハビリを続けていこうと思っています。


b.感情面での障害と対人関係の問題

 次に、感情面でのコントロールについて、私が行った方法を紹介します。そして、それと大きく結びついている問題、対人関係での対応についても、書いていきたいと思います。

○精神症状を自覚する
 まず、一番最初に大切なことは、自分が病気であることを自覚することでした。感情のコントロールが効かない感じが、常にありましたが、それは化学物質が原因になって起きている症状なのだと、はっきりと自覚することがスタート地点になりました。

 自分の意志とは関係なく、ある感情が湧き起こったときに、それが化学物質によって起きていることに気づくこと、脳がエラーを起こしていることに気づくことは重要です。前に手紙の例を挙げましたが、あのとき、便箋についている化学物質によって、悪感情が引き起こされたことに気づかなければ、差出人との関係が悪化してしまいます。せっかく好意で手紙をくれた人の気持ちを無にしてしまいます。だから、その悪感情が化学物質によって起きていることを知ることは大切です。手紙の場合は、ビニールに入れたりコピーをとることで、化学物質に影響されない本来の自分の気持ちを確認することができました。

 化学物質への過敏性が高いと、日常的にこのようなことが起こってくるので、どこからどこまでが化学物質の影響なのかを見分けるのは、難しいです。だから、常に心の中の理性の目を曇らせないようにして、自分の感情や行動を見張っている必要があります。対人関係においては、特にこの監視の目は必要で、1回の失敗が、相手との関係を決定的に破壊することもあるので、慎重に対処するべきです。CS患者は、周囲の人の協力なしには暮らしていけませんが、心のレンズの歪みや思慮の不足から、人間関係を壊してしまうリスクが高まっています。とにかく冷静に、慎重に対応することが必要です。

 私は、比較的、自分をモニターし監視する能力が保たれていました。しかし、CS症状の出方によっては、この監視能力が(病気のために)損なわれてしまい、働かなくなってしまっている人もいます。その場合は、衝動的に行動してしまい、周囲の人との関係を損ねてしまいます。もし、監視機能が病気のために大きく損なわれてしまっていたとしても、誰にでもほんのわずかにでも残された心の目があるはずです。まず、第一歩として、自分が病気によって精神症状が出ていること、自分の能力が損なわれていることを自覚することが必要です。その不足を知ってはじめて、それを補うことができるからです。

○記録をとる
 私の場合、この理性の目を育てるために、日記をつけたり記録をとったりすることが有効でした。心がモヤモヤしてコントロールできないようなときは、紙に書いて気持ちを整理するようにしました。

 化学物質によって感情面での障害が現れたときには、まずは化学物質を除去することが重要です。その影響がなくなれば、平安な心が戻ってきます。しかし、近隣の農薬散布のように、容易に取り除けない場合もあるでしょう。私の場合、2003年頃までは、農薬にさらされると、気持ち悪い夢を見たり、うなされたりすることが多かったです。昼間起きていても、今までの記憶の中から、嫌な記憶だけが走馬灯のように次々と浮かんできて、本当につらかったです。この記憶の再生は、まるで農薬によってスイッチが入ったかのように自動的に頭の中を流れました。

 記録をとっていると、ある一定のパターンがあることに気づきます。「農薬」→「走馬灯」というのは、毎回毎回同じように繰り返されるパターンだったので、そのうち農薬にさらされたときに「そろそろ、走馬灯が来るな」と予想できるまでになりました。「走馬灯」自体は、とめられませんでしたが、その症状にのまれずにすみました。

 農薬にさらされたあと、回復するのに数時間〜数日かかりましたが、発作の後半には、「走馬灯」の内容も、嫌な思い出から、だんだんいい思い出に変わっていき、最後にはなくなっていきました。月日がたって、CSが回復してくると、農薬に対する過敏性も下がっていき、このような発作は起こらなくなり、「走馬灯」自体が現れなくなってきました。

○感情を修正する
 感情面で障害を受けている患者は、外界で起きた出来事をありのままに受け取れず、歪んだ形で受け取ってしまっている可能性があります。また、頭の働きが思うようにいかず、考えられなくなると、曲解したり思い込みで判断したりしてしまいます。これについても、自分の病気に気づいて対処していくことが必要です。

 よくない感情や、自分が手に負えないような強い感情が湧き起こったときに、それを手なずけ、コントロールする必要があります。私はこの感情面での「修正」をよく訓練して行うようにしてきました。これは、自分の気持ちをコントロールしたり、対人関係のトラブルを防ぐのに有効でした。健康な人なら意識せずに、自然とできることなのかもしれませんが、病気なので、しかたないのです。反社会的であったり、人を傷つけたりする(自分を傷つけることもある)感情が起きてしまったときは、それを正さなければなりません。

 例えば、自分の感情をコントロールするためには、次のようにやります。2002年頃、隣家の庭で農薬散布を行ったとき、私の心の中に自然と湧き起こってきたのは、次のような感情でした。これは、農薬によりCS症状(精神症状)が加わって起きてきたものでした。

「ショック。どうしよう。すごくぐあいが悪い。私は、どうかなってしまうんじゃないだろうか。二度ともとの体調には戻れないのでは? 二度と家の周囲の外気はよくならないんじゃないだろうか。隣の家でも、近所の他の家でも、次々とまかれるんじゃないだろうか。この家には、もう住めないのかもしれない。この家を捨てて、よそへ行かなければならないのかも。私の病気は永遠に治らないのではないだろうか。世界中で、農薬散布が行われている。私の居場所はどこにもなくなってしまうんじゃないだろうか。」

  悪い感情や思い込みがどんどん広がっていって、絶望的になります。これを、よく考えて、自分の理性の力で、次のように修正するのです。

「農薬は、散布した直後が高濃度で、時間がたつと薄まる。今は苦しいけど、明日になれば、もっと楽になるはず。確かに症状は何日も続くけど、永遠というわけではない。現に、去年まいたときは、3日くらいでよくなってきた。あと3日、最初の3日間だけがんばれば、大丈夫。隣の家では、1年に1回しかまかないことは、毎年の状況を見ていればわかる。近所の家でまいたとしても、多分、去年と同じような感じだろうから、それなら何とか耐えられる。大丈夫。とにかく3日だけがんばれば、あとは楽になるはずだ。」

 事実を冷静に分析すること、そして、よい方へよい方へ考えること、自分で自分を励ますことが大切です。

○対人関係における感情の修正
 対人関係においても、CSのため悪感情にとらわれることが多かったです。先の農薬散布の例を挙げて、隣人との関係を考えてみます。私の心に自然と湧き起こった感情は、次のようなものでした。

「ひどい。農薬は毒なのに、そんなものをまくなんて。環境破壊になるし、隣人は、とんでもない人だ。あの人は農薬を散布することで、私をこんなに苦しめていて、何とも思わないのか。何か気に入らないことでもあるのだろうか。何かの腹いせなのだろうか。」

これを次のように修正します。

「隣家の人は、何も私を苦しめるためにまいたのではない。それはCSでなければ、普通の行為であり、隣家の人には植物を虫から守る権利がある。散布量も、一般家庭の庭 では標準的な量のようだ。大量にまいたわけではない。確かにこの世から農薬がなくなってくれれば助かるとは思うけれども、それをすぐに実現するのは、難しい。現実を受け入れることも大切だ。私も、隣家の人と同じように、自覚しないままに、人に迷惑を掛けるようなことをしているかもしれない。お互い様だ。」

 とにかく対人関係で重要なのは、相手の立場に立って考えるということです。自分がもし相手の立場だったらどう思うだろうかと考えます。これは、思考力が働かないと、とても難しいことなのですが、がんばって訓練します。繰り返すうちにだんだんできるようになってきます。実をいうと、「相手の立場に立って考える」ということは、多分、CS患者でなく、一般の人でも難しいことなのではないかと思います。本当の意味で、これを実行できる人は、実際は多くはないのではないでしょうか。私自身も、がんばって努めてきても、まだまだ不十分だと思っています。それでも、少しでもよい方向に自分を変えていく努力は必要です。

 私は理性の力でむりやり自分の考えを変えました。しかし、それは対人関係にとってもいいことだし、自分自身の心の平安を保つためにも、とてもよいことなのです。修正前の考えと、修正後の考えとでは、どちらが気持ちが楽になるでしょうか? 考え方一つで気持ちを楽にすることができます。この気持ちの切り替えのためにも、紙に書いてよく考えることは、役に立ちました。

 これを繰り返しているうちに、自分の「考え方」のパターン自体も、どんどん変わってきます。はじめは否定的で、絶望的な考え方ばかりしていたとしても、前向きで合理的で建設的な考え方をしようと意図しているうちに、自然とそのような考えが思い浮かぶようになります。これは、思考の習慣を作り替えることです。訓練によって、よい方へよい方へと作り替えていくことができます。それは、CS生活に役立つことでもありますし、CSが治った後の人生にも役に立つことです。

 私は、この“思考の修正”を10年近くやってきていますが、自分の考え方が、本当に大きく変わってきたと感じます。感じ方や思考のパターンがよい方に変化すると、日々の幸福感が確実に増します。私は今まで身につけてきたスキルを、自分の人生の財産だと思っています。これは、精神症状の有無にかかわらず、どんな人にでも有効な方法だと思います。試してみることをお勧めします。

○症状の波
 精神症状が強く出ていたとき、私は自分の心を自分で所有していない感じ、自分の手には負えない感じがしていました。農薬の曝露による「走馬灯」のようなときには、他のことを全く考えられません。家族と交流したり、受け入れたりする心の余裕もありませんでした。そのようなとき、私はずっと一人でいるようにしていました。

 症状には波がありました。比較的、精神症状が軽いときと、ひどい症状に襲われているときとです。それは、化学物質の曝露量と連動していました。症状が悪いときには、私は柔軟な考えができず、心に余裕がなく、神経がピリピリしていました。そのときには、周囲の人に対して、とげとげしい言葉を発したりしてしまいます。当時は、自分の力では、どうにもコントロールできませんでした。そのようなときには、なるべく人とかかわり合いにならないように(他の人に害を与えないように)、一人でいることにしました。孤独でした。

 私は、自分が口を開くことで、他の人の気分を害することを恐れました。周囲の人に対して申し訳ないし、人との関係が悪化すると、そのまま自分の身にも降りかかってきます。このように冷静に判断する力は残っているのに、それでも感情的な障害のことは、自分の力ではどうすることもできませんでした。

 症状には波があるので、自分の病状がどのようなレベルにあるのかを把握していることは必要です。それによって、自分の能力の限界を知って、対応できるからです。自分の精神が自分の力でコントロールできない状態というのは、痛ましい状態ではありますが、それを認めて対処することは可能です。CSが回復してくれば、だんだんと精神の自由を取り戻すことができるようになります。

 私は今では、心の目が開いたようになり、外界で起きていることをよく受け取れるようになりました。自分の心に湧き起こっている情感が、豊かで温かいものになったと感じます。心の中が暗く貧しかった頃は、それを補うために、力を総動員して、理性の力で修正していました。今は、そのような人工的な手段を使わなくとも、自然の感情の湧き起こるままに暮らすことができています。夫の目から見ると、私はまだまだ 物の考え方が固くて頑固なところがある、ということですが、だいたいの面で生活はうまくいっています。



☆薬物治療について

 CS患者の中には、薬を飲むとぐあいが悪くなってしまう人が多いのではないかと思います。実際に、向精神薬を飲むことで、体調を悪化させてしまった人の話をよく耳にします。私は17歳の時、精神科で処方された抗うつ剤のために、ひどいぐあい悪さに襲われました。薬が体に合わなかったのだと思います。だるさのために、寝たきりになりました。

 このような体験があったので、私は向精神薬のことを頭から否定してしまっていました。

 ところが、あるCS患者の状況を目の当たりにして、その考えをあらためることになりました。私の知り合いのCS患者の方は、ひと頃、精神的にかなり追いつめられていて、非常に悲観的になっており、自殺の危険がありました。私はすぐにでも何らかの対処が必要だと感じましたが、薬を飲むと、さらにCSが悪化するのではないかと思っていました。

 この方は、その後、あることがきっかけで、抗うつ剤を飲むことになりました。その薬は、とてもよく効きました。CS症状自体に効果があったわけではないのですが、精神的には、とてもよくなり、副作用もほとんどでなかったのです。気持ちが明るくなり、自殺したい気持ちもなくなりました。家族は一安心しました。

 この例を見て、私は、薬を全否定していた自分の考えは間違っていたのだと気づきました。もし、副作用なく服用できるのであれば、薬は苦しいときの重要な助けとなります。体に合う薬を見つけることができるなら、向精神薬も重要な選択肢だと思いました。精神的に苦しいと感じている人は、試してみるのも一つの方法だと思います。ただし、CS症状が悪化する恐れもあるので、慎重に試すことが重要です。医師とのコミュニケーションも大切です。
 

☆食事について

 脳の働きをよくするためには、栄養をとることが欠かせません。私は食生活を改善することで、「物忘れ」や「思考力の低下」などの精神症状が、劇的に改善しました。2003年3月のことでした。(詳しくは、第3章「過敏性を下げる」〔1〕に書きました。) それまでは、デンプン質と野菜を中心に、ほとんど菜食に近い食事をとっていました。「少食」を心がけ、食事の摂取量も少なかったです。脂肪はほとんど摂りませんでした。

 2003年に、タンパク質(特に動物性のもの)と脂肪(動物性+植物性)を積極的に摂るようになって、思考力はみるみる回復しました。頭の霧が晴れ、よく考えられるようになりました。また、いろんなことに興味がわくようになり、行動が積極的になりました。そして、無感情な状態から、常に楽しい気分で過ごせるようになったのです。

 私は低タンパク・低脂肪の食事を10年以上にわたって続けていたので、長年にわたり栄養が不足している状態が続いていたようです。食生活を変えた当初は、足りなかった栄養が体にしみ込んで行き渡るような感覚がありました。体に力がわき、全身に温かさが出て、頭の働きがよくなりました。心の目が開けたように感じたものです。

 私の食事法は、「注意欠陥障害(ADD)」の人のためのガイドブックを参考にしました。(この病名は、「注意欠陥多動性障害(ADHD)とも言います。)
「わかっているのにできない脳1・2」ダニエル・エイメン/著、花風社/刊
この本の著者によると、神経細胞を形づくっているのは、タンパク質や脂肪であり、神経伝達物質は、ほとんどタンパク質でできているということです。食事によって、これらの栄養を摂ることで、脳の働きがよくなるのではないかということです。脳が正常に働くためには、栄養が大切です。そのことを身にしみて感じた体験でした。

 もし、いつも頭がボンヤリして気が晴れず、物忘れが激しいようであれば、もしかしたら栄養が不足しているのかもしれません。食事を改善することで、精神症状が回復する可能性があります。心当たりのある方は、よく検討してみてください。

〔4〕CS患者の周囲の方々へ

a.家族の方へ

 CS患者の家族の方は、大変な苦労をされているでしょう。患者が身のまわりの化学物質に反応してしまうため、家族も生活の大部分を患者に合わせて変えていかなければなりません。体調の悪い患者を支え、面倒を見てやらなければなりません。それだけで大きな負担ですが、その上、患者に精神症状が出ていたら、その苦労はもっと大きいものになるでしょう。

 私がかつて自分の家族に(とりわけ夫に)多大な苦労をかけてきたことを思うと、胸が痛みます。私は重症の時期を経て、現在は回復してきましたが、今でも夫の協力なしには生活していくことができません。夫の様子を見て、CS患者の家族が抱える苦労を実感することができます。

 私がそのことを客観的に考えられるようになったのは、CSが回復してきて、かなりたってからです(2005年頃)。それまでは、CS症状が重く、生活していくのがやっとだったので、自分以外の人のことを思いやる心の余裕がありませんでした。私は、自分のことに精一杯で、夫がどれだけ私のために心を尽くして支えてくれているかということに、全く気づかなかったのです。当時の私は、自分のことだけに目を奪われていて、感謝の知らない人間であって、病気のために(精神症状のために)、神経質で、気難しくて、扱いにくい存在だったと思います。今は回復したので、そう考えることができるのですが、症状が強く出ていたときは、それがはっきりとはわかりませんでした。

○極端な考え
 CS患者が家族との間でトラブルになる例として、次のようなパターンをよく見聞きします。(私が実際に目にした例をもとに考えていきたいと思います。) 精神症状が出ている患者は、外界から情報を取り入れる機能に障害があったり、その情報を総合的に考えて判断する機能が弱っていることが多いのです。そして、常に頭が働かない、ぼんやりと霞がかかっているような感じがします。そのため、考えが偏りやすく、思い込みに支配されやすく、心に余裕のない状態になりやすいです。その結果、ものの見方が主観的になったり、一方的にしゃべったりします。人の話を聞かず、受け入れられなくなってしまうこともあります。ふだんは生気がないのに、何かがあると急に興奮して攻撃的になったりします。

 特に、自分をおびやかす化学物質に対しては、感情的になることが多く、次のように主張したりします。
「私は化学物質の被害者で、化学物質は絶対的に悪いものだ。ほんの少しでも、この世に化学物質があるのは許せない。」
家族が使っている化学物質も絶対的に悪いものだと見なし、徹底的に排除しようとします。「化学物質を使っている人=悪者」という考えにとりつかれて、制御できなくなってしまいます。

 確かに化学物質はCS患者の健康を脅かすものであり、避けていく必要があるものです。しかし、そこからさらに進んで、「化学物質が自分を攻撃している」とか、「化学物質を使っている人→悪人」と考えてしまうのは、かなり極端な考え方であり、そこには、やはり精神症状の影響が出ているのではないかと思うのです。

 また、何かにとりつかれたように、化学物質の排除以外のことを全く考えられなくなってしまう人もいます。次のようには考えられなくなってしまうのです。「化学物質を使っているのは、患者本人も含め、社会のすべての人間であり、それはCS患者を傷つけるためにわざとやっているのではない。他の人には、それぞれの生活や利益があり、それは自分とは異なった独立したものである。」

 また、自分のことをよく見つめるためのモニター機能が壊れてしまうと、自分の行動をよくコントロールし、抑制することができなくなってしまいます。そして、他人のことを一人の人間として認め、相手の立場に立って考えるということができなくなってしまいます。

 家族にしてみれば、患者のことを、全く道理のわからない、偏屈な人のように思うかもしれませんが、病気によって能力が損なわれた結果、起こってくることも多いのです。家族の人は、そのことをよく認識する必要があります。家族の目から見て、患者の困ったふるまいが、病気によって起こっているのか、それとも、本人の意志によって起こってきているのかを見分けることは、とても重要です。原因が能力不足である場合、相手に道理を説いたり、言い聞かせたりしても通じないことが多いからです。「言って聞かせればわかるはずだ」とか、「本人の心がけや努力次第で治せるはずだ」と考えていると、それがかなわず、家族が無力感に陥ってしまうことがあります。また、何度も何度も同じことを繰り返しては、患者への怒りをためてしまうことがあります。

 精神症状が出ている患者の家族は、そのようなことを繰り返しているうちに、だんだんと疲れてきます。このとき、重要なことは、「CS患者に何を求めるか」ということを見極めることです。本人が自分の意志や努力で変えられるようなことは、求めてもよいのですが、病気の場合、本人の努力ではどうにもならないこともあります。これを区別することが大切です。病気によって出てしまっている症状と、本人のもともとの性質とを区別して考えます。まず、CS患者のことを理解すること。これが対処していくための第一歩です。

 そして、もし可能であるなら、原因となる化学物質を見極めて、それを取り除くことです。原因物質を取り除くことができれば、患者の精神症状もおさまることが多いからです。

○患者が感情的になって攻撃してくるとき
 精神症状に支配されている患者は、自分のことで頭がいっぱいになっていて、人のことまで考える余裕がないことが多いです。患者が攻撃的になって家族を責めるとき、真に受けて応戦すると、やり合いになってしまい、泥沼になってしまいます。患者は、病気のために理性の目が眠ってしまっていて、ただ衝動だけで攻撃してくることがあります。脳の機能が働かなくなっているのです。だから、家族が本気で怒って、相手の態度を改めさせようとしても、難しいのです。相手はさらに興奮し、不安になって、精神症状が強く出てしまう結果となることもあります。

 この場合も、どこまでがその人のもともとの性質で、どこからが病気によって起こっているのかを区別することが重要になってきます。そして、相手の言葉に真っ向から反応せずに身をかわしたり、いったん距離を置くことが必要になってきます。一番は、患者を安心させてやるように振る舞うのが効果的だと思います。しかし、家族も「人間」なので、ひどい言葉を投げかけてくる人に、そのような対応をするのは難しいでしょう。だから、自分を守るためにも、いったん距離や時間をとることが重要になってきます。

 病気の性質をよく知って、それに合わせて対処することが必要です。自分の人格や生活が脅かされないように、一線を守るようにします。家族の気持ちや生活が傾いてしまうと、患者と共倒れになってしまうからです。

○凝り固まった思考
 精神症状の出ているCS患者は、心が外の世界から隔絶され、閉ざされているため、暗示にかかりやすい状態になっています。そこに、病気にまつわる情報、環境汚染のことや身のまわりの化学物質の害についての情報が入ってくると、それ以外考えられなくなってしまうことがあります。そのことに心を奪われ、他のことを考えられなくなってしまうのです。それは絶対的に正しい情報だと、まるで新興宗教の洗脳を受けた人のように繰り返し、家族にもそれに合わせるように迫ります。資料や本を読むように強要し、読まないと怒り出したりする患者もいます。また、ある治療法のことを知ると、それ以外はないと思い込み、極端に走り、そればかりを追求したりします。家族にもそれを強要したりします。

 それは、患者の心が病気によっておかされているから起こってくることです。痛ましいことですが、現実問題として、このようなことが起こってくる例があります。

 家族の側としては、とうてい受け入れがたい、気が動転してしまうような事態ですが、どうか、冷静に状況を見極めるようにしてください。このような患者に対しては、「よい暗示」を与えてあげてほしいと思います。この世界がよいところで楽しいところだということを教えてあげたり、自然の美しさに目を向けさせたりします。1日の中でよい出来事があったら、それを伝えてあげるとか、あるいは、ただ安心させるだけの言葉でもいいと思います。子守歌を歌ってもらって安心して眠る子供のように、安心させる言葉かけだけでも効果があるのではないかと思います。

 家族も大変な目に遭っていて、そんな心の余裕はないかもしれません。また、さんざんな思いをしていて、患者に対して、寛容な心など持てなくなってしまっているかもしれません。それでも、患者に対する姿勢としては、「よい暗示を与える」「安心感を与える」、これが一番効果的ではないかと思います。患者は、それによって落ち着くことができるし、家族本人も患者の攻撃的で感情的な態度の影響を浴びなくてすむからです。

○希望を持つ
 患者の際限ない要求を聞かなければならず、家族は生活が様変わりしてしまいますが、そこに自分をきちんと保ち、こういう姿勢で行く、という線がはっきり決まれば、対応しやすくなるのではないかと思います。(それは、とても難しいことですが…。) 家族も精神力を問われていく問題だと思います。

 家族の苦労は大変なものだと思います。精神症状の出ている患者と一緒にいるのは、大変なことです。しかし、患者本人も苦しんでいるので、どうかそれを理解していただき、本人も家族もいい方向に進んでいけるように、どちらも楽になれるようにして行けたら、と思います。そのためにも、病気に対する理解は欠かせないものです。「病気の症状だからしかたない」という免罪符には決してなりませんが、それが病気の症状で起きていると理解することは、からくりがわかり対処しやすくなるということです。家族の人が自分の感情を整理するのに役立ちます。

 大変な状況にあるときは、希望を持つことが大切です。精神症状が強く出ていて、人格が変わってしまったかのように見える患者でも、化学物質の影響を避け、回復していくことで、本来の自分を取り戻すことができます。その回復の日をめざして、どうかがんばっていってほしいと思います。

b.支援者の方へ

 常日頃、CS患者を支援してくださっている方々に、感謝しています。CS患者をサポートする団体の方や、CS対応の業者の方々のおかげで、CS患者達は、とても助けられています。また、この方々のこれまでの活動がなければ、「化学物質過敏症」という病気の社会的な認知がここまで進むことはなかったでしょうし、対応商品の開発もここまで進まなかったと思います。

 私の少ない経験の中から、支援者の方々の状況を慮り、患者の立場からメッセージを送ることができるのではないか、と考えました。私がときどき心配になるのは、CS患者を支援してくださっている方々に大きな負担がかかってしまっているのではないか、ということです。CSは日常生活に使用する化学物質に反応する病気であり、生活そのものが脅かされる病気なので、それに対応することは並大抵の苦労ではないでしょう。その病気の性質に加えて、CSに伴う精神症状が、支援者達のさらなる負担になっているのではないかと感じるのです。私の立場で書き表せることは限られていますし、また僭越なことかもしれませんが、どうか患者の声に耳をお傾けください。

○CS対応の難しさ
 私が気になるのは、支援者の人たちが疲労困憊しているように感じることです。CS対応をはじめた当初は、「困っている人たちの役に立ちたい」と、情熱にあふれているのに、何年か活動を続けているうちに、最初の勢いがなくなり、疲労感が出てきます。CS対応という仕事の難しさ自体が、その疲れを生み出しているのだと思います。CS患者は、個人差が大きく、CS対応をしても、はっきりと効果があらわれない場合も多いようです。どのようなケースもうまく対応の効果が出ればよいのですがそうでないケースも多いようです。また、現状では、CSという病気の性質がはっきりわかっていない上に、治療法も確立されていないので、このような事態が起こりやすいのだと思います。そんな困難な状況の中で、CS患者を支援してくださっていることには、本当に頭が下がります。

 このような苦労に加え、CSによる独特の精神症状がトラブルのもとになっているのではないかと思うのです。前項まで長々と書き連ねてきましたが、私もかつては精神症状が強く出ていたCS患者でした。現在、回復してきた者として、CS患者と支援者の人たちの心の架け橋を繋ぐ役目を果たせないかと考えました。また、私はこのような小さなサイトを運営する者ですが、メールでCS患者から相談を受ける機会も増えてきました。私も少しだけ「支援者」としての立場を経験するようになってきました。このような経験からも、患者と支援者との関係について考えていきたいと思います。

○どこまで支援できるか
 精神症状が出ている患者は、周囲と自分とをつなぐ精神の働きが弱くなってしまっています。そして、自分の心の内側でも、考えをまとめたり判断したりする力が弱まっています。そのため、思い込みが激しかったり、一方的に自分の主張を述べたりする患者もいます。支援者や周囲の人々によく聞くのは、「同じことを何度も何度も繰り返し、人の話をぜんぜん聞かない患者がいる」ということです。そして、感情的で攻撃的な人が多いといいます。アドバイスをしても、聞いているのかどうかわからない、コミュニケーションがうまくいかない感じがする、と言います。そして、対応に少しでも不備があると、細かいことを大きく取り上げて、激しく攻撃してくるということです。このような患者の対応を繰り返していると、支援者はだんだんと疲れてきます。

 この場合も、これまで私が述べてきたように、病気によってこれらの症状が出ていることを認識することは、とても重要です。それがその人のもともとの性格ではなく、病気の症状なのだと知ることは重要だと思います。その上で、このような症状が出ている患者に対して、支援者として、「何ができて何ができないのか」を推し量ることが必要です。自分の仕事の効力と限界とを設定しておいた方がいいと思います。つまり、相手の性質をよく知って、それを考えることです

 相手の立場に立って考える能力が損なわれている患者は、どこまでも何もかも求めてきます。すべてに対応するのは不可能です。過度に依存的になり、制御がきかない患者によって、支援者の生活が侵食され、脅かされることがあります。「仕事」と「私生活」を区別することは重要です。どこまでやって、どこからはやらないというラインを常に意識することが必要だと思います。

○相手に合わせて対応を変える
 それと、理性的な能力が保たれていて、具体的な解決方法を求めてくる患者と、そうでない人を区別すると、対応しやすくなるのではないかと思います。精神症状のため、大きな混乱に見舞われていて、ただ不安から何かにすがりたくて支援を求めてくる患者がいます。この人たちに具体的な解決方法(空気清浄機の購入など)を勧めたとしても、話をうまく受け取れないことがあります。

 この人たちは、自分の問題を認識する能力が損なわれていて、どうしたらいいのかを冷静に考えることもできないし、ただただ不安なだけのことがあるのです。そういう人たちに対しては、まず、安心させること、温かさを伝えること。それが第一になるのではないかと思います。(これは、とてもエネルギーのいることで、支援者達に過大な負担を強いることになってしまいますが。) 

 時間の感覚が損なわれている患者は、何時間でも、一日に何度でも電話をしてきたりするので、ここははっきり枠を決めて、支援者の生活を守るべきだと思います。患者の精神の波に、一緒に飲み込まれないようにすることが大切です。自分の精神をしっかり保つことです。強い精神力が求められる仕事だと思います。とにかく、相手の精神状態の度合いを測ることは大切で、それによって、対応を変えていく必要があります。

 支援者の人たちは疲れるでしょうが、がんばってほしいと思います。患者にとっては大きな力となる、希望の光となる存在だからです。

○私の体験から
 私には、CS対応の支援者との間で、忘れられない思い出があります。私が困っているときに、助けてくれた人のことです。その体験は、困っている状況を解決してくれただけでなく、私の心に大きな変化を与えることになりました。

 私は20年以上CS患者として生活してきて、最初の14年は自分の病名が何であるかわかりませんでした。病名がわからないので、解決法や治療法も見つからず、ただ苦痛に耐えるだけの生活が続きました。誰も私の病気を治せないし、助けてくれる人もいないから、もう希望を持つこともやめていたのです。私は決して人に心を開こうとしませんでした。自分の病気をないものとして否定していたし、世間に受け入れられるものではないと思っていたのです。私は多分、自分のこの奇妙な病気のことや、社会に適応できないことを恥じていたのだと思います。

 2004年に、その心が一変するような出来事がありました。それは、CS対応の仕事をしてくれている人が、私の症状・体質をよく理解して、よく耳を傾け、もっとも適切な対処をしてくれたことです。私は、このときのことを今でも決して忘れません。そのとき、私の心の中の氷が溶けたように、その人の思いやりが心にしみました。温かさを感じました。私は、そのときから、自分の病気に対するネガティブな考えを変え、もっと肯定的に考えられるようになりました

 それまでの私は、社会から孤立して、誰からも顧みられることなく、ひっそりと生きていければいいと思っていました。他の人が、どんな生活をしようと、苦しもうと、はっきり言って、どうでもいいと思っていました。長年、病気のために孤独であり、肉体的に苦しんでいたために、心が病んでいたのだと思います。このような孤独に陥る危険性は、慢性病に病む患者には、常に存在するものです。

 私はこの出来事をきっかけにして、自分がこれから他の人のために何か力を貸すことができないか、ということを真剣に考えはじめました。私は、サイトを開設して、情報を発信することで、他のCS患者を支援することにしました。私の心をここまで変えた出来事だったのです。

 CS患者は、暗闇の中をさまよっているような存在です。たった一人の人間の心遣いが、患者の人生に光を当て、暗闇から救い出すことができるのです。私は自分の体験から、そのことが身にしみてわかりました。CS患者の支援をしている人々は、貴い活動をされています。どうかこれからも、患者のためにご支援ください。よろしくお願いします。


おわりに

 長々と書き連ねてきましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。私はありったけの力をこめて、書いてきましたが、まだ私の立場では手に負えない、書ききれない部分が多かったように思います。あとは、それぞれの患者や周囲の人々が、自分の力を信じて、がんばっていってほしいです。皆様の行く末がよくなるようにとお祈りしています。

 精神症状は、その人をその人たらしめている、人格の根幹を揺さぶるような症状です。その影響が大きいと、患者はまるで性格が変わってしまい、別人のようになってしまいます。一体、「本当の」その人は、どこに行ってしまったのでしょうか。長い年月の間、私は自分の心を見失ってしまっていて、自分の実体を感じることができませんでした。自分の精神をコントロールすることや、自分の心を自分のものとして感じることができなかったのです。

 だから、今、回復して、しっかりとした自分を取り戻すことができて、本当に幸せです。自分の人生を生きていると実感できること、それは私にとって、かけがえのないものです。

 自分の心がしっかりしていれば、人生の苦しい場面で自分を励ましたり、解決方法を考えることができます。目標を立てたり、未来に希望を持つこともできます。日々の幸福感を生み出すことができるのも、自分の脳の力であり、精神の自由のおかげなのです。長年失っていたものを取り戻すことができ、本当にうれしく思います。

 最後に、多くの方々が回復されますように、心からお祈りしています。

 

 

コラム化学物質過敏症と脳の機能について

 CS症状が出るとき、脳の働きは、どのように変化しているのでしょうか。最新の画像診断技術の発達により、そのことが解明されはじめています。 

 PET(陽電子放射断層映像法)やSPECT(単一光子放射断層撮影法)、fMRI(機能的磁気共鳴映像法)の開発によって、生きている人の脳の活動の様子を見ることができるようになりました。それまでの脳の診断方法は、ある機能障害(例えば言語障害など)にかかっている人が死んだときに、解剖して脳を調べる方法でした。生きている間の脳の働きについては、直接調べる方法がなかったのです。

 時代は変わって、生きている人の脳を調べられるようになったために、健康な人の活動において、脳のどの機能が使われているのかが解明されてきています。また、精神疾患や、機能障害のある人を調べることで、疾患の原因となる、脳の機能が解明されつつあります。例えば、うつ病や統合失調症の人々は、脳のどこに異常が現れているのか、ということが研究されています。*11

 注意欠如障害は、「注意力が働かない」「思考力の低下」「物事を整理して考えられない」「時間の管理ができない」などの症状が現れる病気です。この病気の患者の脳をSPECTで調べてみると、物事の管理や注意にかかわる部位である前頭葉に、血流量が低下している部分があることが確認されます。*12

 私も注意欠如障害と同じような症状を抱えていたので、本の中で、この診断画像を目にしたときは、衝撃を受けました。目に見える形で、障害の原因を確かめることができたからです。私の脳にも、同じようなことが起きているのではないかと思いました。

 CS患者の脳の機能についても、似たような研究が進んでいます。CS患者の脳の血流量がどのように変化するかを調べた研究があります。SPECTで調べてみると、CS患者の場合、脳の側頭葉・頭頂葉・後頭葉の部位で、血流量の低下している例が見られたそうです。*13

 また、開業医の角田和彦医師は、NIRO(近赤外線酸素濃度計)という装置を使って、CS患者の脳の血流量を測定しています。症状が出ているときに測定すると、患者の脳の血流量が低下していることが確認されました。また、低下のあとに急に上昇したり、不安定な状態になりました。その患者が治療によって回復してくると、血流量が増え、安定してくる様子が確認できたということです。*14

 また、厚生労働省と東北大学が共同で行った研究があります。健常者とCS患者に化学物質を吸入させ、fMRIで脳を画像診断した研究です。この研究では、まずバニラのにおいを二群に嗅がせます。その反応を見ると、健常者とCS患者とでは、脳の働きに違いは出ません。しかし、トルエンを吸入させてみると、健常者が異常な反応を示さなかったのに対し、CS患者の脳の中では、明らかに異常な反応が起きていました。*15 脳のどこの部分に異常が現れているかによって、CS反応がどのようなメカニズムで起きるのかが、今後解明されていく可能性があります。

 この分野の研究は、まだ始まったばかりという段階ですが、今後研究が進めば、化学物質過敏症の病態の解明が進んでいくのではないかと思います。


 

 

※出典一覧・資料一覧

                     第 10章へ          このページのトップへ⇒