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第6章 引越

(2017年 4月15日 UP)

目次

〔1〕古い家での生活

〔2〕生活環境の悪化

〔3〕引越に向けて

〔4〕引越の効果

注:この章では、2011年に書いた原稿を2017年にアップロードしています。

*CS:化学物質過敏症、ES:電磁波過敏症


第6章 引越

〔3〕引越に向けて
○新居探しの条件
 9月末から、会社のまわりのアパートやマンションの外観を見てまわりました。探していた物件の条件は・・・

■化学物質過敏症に関して
○近くに公園がないこと(殺虫剤、除草剤)
○近くに農地がないこと(農薬)
○美容室、クリーニング店の近くを避ける。
○築10年以上。建材の匂いが飛んでいること。
○畳のない住居。床材は古くなったクッションフロアがベスト。フローリングは合板臭がするので避けたい。カーペットはアレルギーの問題があるので避ける。
○ストーブはガスFF式(強制給排気式)。
○古すぎる家は水道がサビだし、カビだらけなので、築20年以内。

■電磁波過敏症に関して
○繁華街から遠い。(人が集まる場所から遠い)
○駅から遠く、比較的不便な場所(人が集まる場所から遠い)
○携帯電話の中継アンテナから距離があること。
○発電所や変電所、高圧送電線から離れていること
○神社から離れている(年末年始に初詣で人が集まり、携帯電話の使用者が増えるので)
○鉄筋コンクリートの建物
○窓ガラスに格子状に鉄線が入っている物件

 賃貸住宅の情報誌などを見ながら検討してみましたが、あまり条件に合うものが見つかりません。私たちは2LDK以上のファミリー向けを中心に探していましたが、ある程度築年数のたったものだと、一部屋は畳の部屋があります。また、札幌はガス料金が高いため、ガスストーブの物件があまりありません。情報誌をよく見てみると、どうやら1980年代後半と90年代に、オールガスのマンションを建てるのがはやったようです。しかし、ガス料金が高くなったので、その後、ガスストーブを灯油ストーブに付けなおした物件が多いということらしいです。 

○新たなアイデア
 私たちの会社の事務所が入っているマンションは、この時期、空き部屋がたくさんありました。単身者向けのワンルームマンションです。私はぜんぜん知らない建物に引っ越すよりは、勝手がわかっているこのマンションに引っ越すのがいいのではないかと思いました。賃貸物件は下見をすることができますが、いくらじっくり見ても、せいぜい20〜30分しか見られません。それに対して、この会社の建物は、2009年の3月からすでに1年半ずっと観察し続けています。先に挙げた周辺の環境も、四季を通して、観察できています。化学物質過敏症や電磁波過敏症の環境も、先に挙げた条件をほぼ満たしています。築25年の鉄筋コンクリートの建物で、床材はクッションフロア、ガスFFストーブ。窓には鉄線が入っています。近くに公園や農地がなく、神社や繁華街もありません。携帯電話の中継アンテナは、一番近いもので100m先です。(これでも近いですが、都市部でこれより離れた場所というのはほとんどないと思います。) このような条件から、ここに引っ越すのがいいのではないかと思いました。

 ワンルームを夫婦でそれぞれ一部屋ずつ借りて、別々に住めば、夫の部屋は私の部屋と空気がつながっていないので、今までの家よりずっと持ち物の制約が緩くなるでしょう。それまでは一軒家に一緒に住んでいたので、化学物質が発散しそうなものは、家の中に持ち込まないように厳しい制約がありました。

 夫はこの案に大反対でした。「夫婦なのに別の部屋に住むなんて耐えられない!」「家族の一体感が損なわれる!」「さびしすぎるー!」というのがその理由でした。しかし、冬がすぐ近くまで迫っていました。10月末には初雪が降ります。私たちには、もう時間がありませんでした。

 最終的に、夫は会社のマンションに引っ越すことに同意してくれました。私は説明しました。「ワンルームに別居といっても、それはちゃんとした住居が見つかるまでの仮住まいと考えればいいんじゃないかな? とりあえず引っ越してみて、もっといいところが見つかるまでは仮住まい。」夫はこの考えが気に入ったようで、賛成してくれました。

○部屋を選ぶ
 不動産屋に連絡して、会社のマンションの空き部屋を見せてもらうことにしました。3階建ての建物で、2階に3部屋、3階に2部屋ありました。説明のために部屋番号を2A,2B、2C,3A,3Bとします。初めに見せてもらった2Aと2Bは、とても強い化学臭がして、少しの間もいられませんでした。2Aは畳に使われる防虫成分か床下の防腐剤、シロアリ駆除剤のような強い匂いがしていました。正体はよくわかりませんでしたが、とても無理です(レベル5)。2Bはトイレ用洗剤の香料のような匂いが強くついていました。すぐにムカムカと吐き気がしてきました。これも一瞬たりとも耐えられないような匂いでした(レベル5)。2Cは、やや匂いがするものの、ほとんど気になるものはなく、良好な状態でした。長時間いれば問題が出てきそうでしたが、短時間では大丈夫そうでした(レベル3)。3Aは、壁紙が新しいようで、頭痛がしました。しかし、2A,2Bほどの有害性はなく、何とかいられそうです(レベル4)。3Bは10年くらい住んでいた人が退去したばかりということで、部屋全体にタバコのヤニがついて黒ずんでいました(レベル4〜5)。

部屋番号 空気の性質 有害度
2A 強い化学臭。殺虫剤のような匂い レベル5
2B 強い化学臭。香料の匂い レベル5
2C 若干の匂い。おおむね良し レベル3
3A 頭痛。壁紙の匂い? レベル4
3B タバコのヤニの匂い レベル4〜5

 2Cと3Aが良さそうだと思いました。階が分かれてしまいますが、この2部屋を借りて、空気のマシな方に私が住み、もう1つに夫が住みます。ただ1つ気になったのは、2Cも3Aも、ベランダの窓を開けたら、目にチクッと刺さるような痛みがあったことです。窓の外には、100mほど先に携帯電話の中継アンテナがあったので、そのせいではないかと思いました。窓を閉めれば、鉄線の入ったガラス窓にシールドされて、目の痛みが軽くなるように思われました。このベランダの目の痛みが、後に大問題になるのですが、このときはそれを想像することはできませんでした。こういうところが引越の怖いところです。

 1週間後にもう一度、部屋を見せてもらいました。2C,3Aを2人の部屋として借り、タバコのヤニだらけだった3Bを倉庫として借りることにしました。管理会社の話では、3Bはリフォームせずにそのまま借りるなら、賃料を格安にしてくれると言ったからです。本当に信じられないくらい安い値段でした。(トランクルームを借りるより安い。) タバコのヤニについては、5月に自宅でビニール部屋を作ったときの要領で、部屋全体にビニールを貼ることにしました。物置として使うのだから、台所もトイレも浴室も使用しなくてよいのです。それらもすっぱりビニールで覆ってしまうことにしました。11月2日に新しい部屋を契約し、12月1日から入居することになりました。管理会社の方の厚意で、11月中旬には部屋の鍵を渡してもらえることになりました。契約は12月1日からだけれど、11月中旬から末まで、自由に入って準備をしてもよいとのことです。助かります! それまで住んでいた家は、11月末に退去することに決まり、引越に向けて本格的に動き出すことになったのです。

○引越に向けて
 私の心の中では、不安と期待が交錯していました。身震いするほどの緊張感がありました。夫は私よりずっと緊張していたようです。「本当に俺たち、引っ越しするのかなあ? マルガリータは大丈夫かな・・・本当に新しいところで暮らしていけるのかな?? もう一度考え直してもいいんじゃないか」 何度も言っていました。夫は、とにかく私の体のことが心配のようでした。私がそれまで何度も化学物質や電磁波で具合悪くなる様を間近で見て来ているだから、無理もありません。「クリスさん、このままこの家にいても、どうやったって未来はないよ。もう引っ越しするしかないよ。現状を見てよ。もう水道も使えないし、台所もお風呂も使えない。家の中にいられる場所もない。きっと引っ越したらずっとよくなるよ!」 私も本心では自信がなかったのです。でも自分自身を励ますように、こう言いました。夫は私の話に大きく肯いてくれました。

 私はこの頃までには、電磁波過敏症がひどく悪化していて、木造の自宅にいると体を動かすのがつらかったです。ちょっとした軽いものを移動させるのだって、強い腕の痛みを感じていたので、引越のような大仕事をする自信は全くありませんでした。それでも必要に迫られれば、人間は何とかやるものです! 11月の中旬から少しずつ少しずつ準備をしていき、引越までの2週間はひたすら激烈に働きました。それまで住んでいた家の中のいらないものを捨てまくり、必要なものは段ボールに詰めまくります。11月15日には引越屋さんの見積もりが終わり、引越日は11月26日と決まりました。

○ CS的引越準備
 もともとの計画では秋の初めに引っ越す予定でしたが、すでに時は11月、晩秋です。引越作業はとても寒かったけれど、ダニやカビが休眠している時期なので、体への負担は少なくて済んだのです。私はホコリを巻き上げるのがいやだったので、作業をする部屋でストーブを焚きませんでした。ストーブのファンが回ると、引越準備中に出たホコリが巻き上げられて、部屋中に拡散します。それを吸い込むと、アレルギー症状が起きてしまいます。ストーブを焚かないので、部屋の中は10度以下となり、かなりの寒さでしたが、アレルギー反応は出ずに済んでよかったです。化学物質の揮発も抑えられました。

 引越屋さんは荷物を詰めるようにと、段ボールをもってきてくれましたが、これがまずかったです。段ボールには、畳の防虫成分のような強い匂いが染みついていました。段ボールの束を置いた玄関が、強烈な薬品臭になってしまいました。試しに段ボールを玄関の外に出してみると、数時間で匂いは収まります。段ボールを玄関の中に戻すと、またあの匂いです。原因は段ボールに間違いありません。段ボールは引越屋さんに引き取ってもらって、自分で大丈夫な段ボールを調達することにしました。

 大きめの段ボールはホームセンターで慎重に選びました。まず1つ買ってきて、家で匂いを確かめます。ホームセンターの店内では、他の商品の匂いに混じって、判断できないからです。ホームセンターにいること自体も体に負担があるので、急いで段ボールを買ってきて、家で試してみました。その段ボールは大丈夫だったので、必要な個数を買いに行きました。

 書類や本などを入れる小さめの段ボールはスーパーのレジを通った辺りにある、商品持ち帰り用の段ボールをもらってきました。主に飲料水が入っていた段ボールが多かったです。1つ1つ匂いを嗅いで検討していきました。スーパーには、閉店する間際の人が少ない時間に行きました。この時間だと、他の人の化学物質を避けられるし、携帯の電磁波の影響も少なくて済みます。匂いを嗅いでみた中では、ペットボトルのウーロン茶が入っていた段ボールが一番マシだったので、同じものをたくさん持って帰りました。同じメーカーでも、なぜか緑茶のものは目が痛くなってダメでした。私は本も書類も全部ウーロン茶の段ボールに入れたので、それを重ねて1カ所に置くと、同じ箱がズラーッと並んで、壮観でした。

○意外な注意点
 引越屋さんの段ボールがあれだけ有害な匂いだということは、引越トラックの中も有害な匂いが充満しているのではないかと心配になりました。引越屋さんが置いていったパンフレットを見ると、サービス一覧というページに、「お荷物燻蒸サービス」というのがあります。これはトラックに積み込んだ引越荷物を車両ごと燻蒸して消毒するもので、虫が出にくく清潔になるとのふれこみでした。そんなことをした直後に、私の引越荷物が積み込まれたら、どうなるでしょうか? それを考えると身震いしました。安全のために、大切なものや身近に使うものは、自分の車で引越先まで運ぶことにしました。夫は毎日、私は週2〜3回会社に行っているので、そのときに運べばいいわけです。少しずつ物の移動を始めました。引越屋さんにお願いする物は段ボールの蓋をしっかり閉めることで、外からの匂いを防げるのではないかと考えました。特に大切な物はビニールに入れてから、段ボールに詰めました。しかし、引越の日取りが迫ってくると、もう細かいことは気にしていられなくなり、何も考えずにただひたすら段ボールに詰めまくるという作業になってしまいました。配慮が足りなかったと思います。結果を先に書くと、幸い引越屋さんのトラックの中は化学物質の匂いはしていなくて、荷物が汚染されることはありませんでした。助かりました!

 8年間住み続けた広い家には、片付けても片付けても、うんざりするほど物がありました。引越先が狭いので、多くの物を処分する必要がありましたが、この作業は気持ちを整理するのにも役立ちました。8年もたつと、自分の価値観もかなり変化するものだと思います。それに、生活のために本当に必要な物も、数少ないのだと気づかされます。一生の内に何度も引越をする人がいて、「引越は人生の整理だ」ということを言っていますが、それがよくわかったような気がします。

○新居の対策
 引越の荷作りと平行して、新居のCS対策も行わなくてはなりませんでした。2Cと3Aの部屋は、まだどちらを夫の部屋にするか決めていませんでしたが、この2部屋の押し入れと、台所収納の中にビニールを貼ることにしました。これらの収納は合板で作られていて、匂いが強かったからです。押し入れの方は前に住んでいた人が使っていたと思われる防虫剤と芳香剤のような匂いがついていました。 3Bの物置部屋は全面をビニールで覆って、タバコのヤニ臭を抑えます。

 私はまず3Bから作業していきました。ホームセンターで養生用ビニールシートとマスキングテープを買ってきました。ホチキスの針もたくさん用意します。壁には薄手の養生用ビニールシートを、床には厚手の90リットルゴミ袋を貼ることにしました。このゴミ袋はある程度厚みがあってしっかりしているので、床の上を歩いても、破れたりよれたりしません。

 部屋はヤニだらけなので、強い匂いが充満していました。窓を開けていても匂いで頭が痛くなってしまいました。何とか耐えながら作業をしていきました。まず床に90リットルビニールを切り開いた物をホチキスで貼っていきます。180×100cmのシートが6枚貼れました。ビニールとビニールの間は、梱包用透明テープで留めました。少し匂いがありますが、私は耐えることができます。

 日を改めて、今度は壁にビニールを貼りました。養生用ビニールシートを買うのは、約8年ぶりのことでしたが、以前とは全く違っていました。進歩していました! 以前は、180cm幅のビニールが巻かれていただけで、とてもかさばる物でしたが、今度のは折りたたまれてコンパクトになっています。これを開きながら貼っていきます。この製品は、マスキングテープもビニールと一体化されています。このテープはゴムのような匂いがして少し反応が出てしまいましたが、使い勝手がよいので、このまま貼っていきました。養生用ビニールシートが帯電していて、静電気のために壁にピッタリくっついてくれるので、作業がしやすかったです。サイズも天井から床までの長いサイズを使ったので、継ぎ目がなく、ぐるっと広い面を貼ることができました。さらに日を改めて、天井にも貼りました。かなりの重労働でしたが、夫に手伝ってもらって、何とか4日くらいで6畳一間を全部貼り終えました。

養生用ビニールシート


○引越直前の危機
 引越の日が迫ってきたので、私は2Cと3Aのどちらの部屋に住むのか決める必要がありました。引越の荷物の段ボールに行き先を書かなければならないからです。室内の匂いは3Aより2Cの方が少なかったです。3Aは壁紙が新しいので、頭痛がしました。管理会社の方の話では、2Cの壁紙は新しく貼ってから2〜3年くらい、3Aの壁紙は1年くらい経過したもののようでした。それで、ほとんど部屋割りを決めていたのですが・・・このとき、私は引越自体を根底から揺るがすような大発作を起こしてしまったのです。

 目の痛みの発作については、これまでも何度か書いてきましたが、いつもとても筆が重くなる作業です。発作時の症状があまりの激烈で、強い恐怖心を感じるために、それを思い出すのもとてもつらいのです。でも、書いてしまわなければならないでしょう。

 11月中旬に、管理会社から新居の鍵をもらった私は、改めて部屋を見に行きました。2Cは契約前に下見したとおり建材の匂いが少なく、3Aは頭痛がします。もう一度、2Cに戻って外を確認しようと、ベランダの窓を開けた瞬間・・・目に突き刺さるような激しい痛みを感じ、その場に倒れ込んでしまいました。そのあとのことは、あまりの痛みによく思い出せません。まるで電撃を受けたかのような強い衝撃です。目は焼けただれるような痛みであり、頭の中ではまぶしい光が火花を散らすように瞬いています。頭の中に巨大な振り子が揺れるような激しいめまいがあり、正気を保っていられません。私は恐怖のあまり後ずさって、会社の事務所に戻りましたが、発作は止みません。それから1時間ほど激しい症状が続き、少しずつ衝撃が収まっていきました。これは新居に対する重大な反応でしたが、私はそのことを夫に話すことができませんでした。この心理をうまく説明することができるかどうか自信がありません。私が激しい発作を起こしたときには、恐怖のあまり心が麻痺してしまい、ショックのためにそのことを考えること自体恐ろしくなってしまいます。また、衝撃が強すぎるため、私はその発作を客観的に「認識」することはできないのです。何が起こったのか、自分でもよくわかりません。恐怖は脳にこびりついて、何時間たっても、何日たっても、リアルによみがえってくるようであり、恐怖心を増幅させます。そんな状態だったので、私がこの発作について夫に話したのは、2日たったあとでした。それもたどたどしい、要領を得ない説明で、夫がきちんと理解できたのかどうか・・・。私は常に化学物質や電磁波対策について夫に相談するときには、ある程度具体的な対策を考え出してから話をするようにしています。しかし、発作の時は別です。このときは、もう引越まで日数がなかったので、話さざるを得なかったけれど、重大な発作については、何ヶ月も何年も話さずにいることもあります。口に出すのすら恐ろしいほどのものなのです。

 夫は話を聞いて呆然としたようでした。もう引越は10日後に迫っています。今さらどうすればよいのでしょう。部屋を変えようにも、他に住める部屋はないのです。もう引っ越すしかありませんでした。「私が3A、夫が2Cに引っ越すこと」「その後のことは改めて考える」「2Cのベランダの窓は開けないこと」そのようなことを確認し合いました。その後、どうも3Aのベランダも目の痛みが強そうなので、こちらも開けないことになりました。危険すぎるので確かめられませんが、11月初めに下見したとき、確かに3Aのベランダも目が痛かったからです。

 目の痛みの原因を探ってみました。建物の周囲をぐるりと巡ってみると、2Cのベランダの外には、ちょうど1階に入っている店舗の大きな看板がありました。その看板の裏側を見ると、一面に赤くサビていました。どうやらこのサビがベランダの窓から室内に入ったようです。私は、鉄サビに強い目の痛みの反応を起こします。あの激しい発作が起きたのも、それで合点がいきました。3Aの部屋は、2Cのちょうど真上の部屋で、1階分高い場所にあるとはいえ、サビた外看板に近いところにあります。3Aのベランダも開けるべきではないと思いました。引越後に確認する機会がありましたが、3Aのベランダでも同様の発作が起きました。2C程の強さではありませんでしたが・・・。

○引越準備を続ける
 それまでは、引越にキラキラとした希望を抱いていたのに、一転して暗い気持ちになってしまいました。それでも引越の準備はやめるわけにはいきません。私は3Aの部屋の台所収納と押し入れの内部にビニールを貼りました。サイズを測って、それに合わせて養生用ビニールをホチキスで留めていきます。押し入れと台所とで、約5時間かけて、ビニールを貼り終わりました。1時間ほどかけて、棚板の上に段ボールを載せていきます。押し入れにビニールを貼るときは、天袋や棚板があるので、貼り方に工夫が必要でした。この調子で台所の棚も貼りました。

 次に2Cの押し入れと台所収納にビニールを貼りに行きましたが、目が過敏になっていた私はベランダの窓を開けなかったにもかかわらず、激しい目の痛みの発作を起こしてしまったのです。夫がベランダに通じる通風口に透明梱包テープを貼って、空気の通り道をふさいでくれました。風が強い日だったので、ここからサビが進入してきたようです。夫はさらに、床に掃除機をかけてくれました。少し収まったので、目の痛みをこらえながら、ビニールを貼りました。5時間作業して、全部貼り終えました。終わったときは目の痛みのため、どうにかなりそうでした。つらくて仕方なかったです。と同時に、「夫がこんな有害な部屋に引っ越して、私たちはちゃんと暮らしていけるのだろうか?」と、とても不安でした。引越は、1週間後に迫っていました。


◆押入
中のサイズを測り、ビニールをそれより少し大きめに切って、貼っていく。ホチキスをタッカー代わりにして、どんどんビニールを留めていく。押入の「天井→奥の面→天袋→棚板→奥の面→底」を長いビニールでひと続きに貼る。その後、側面を別のビニールで貼る。最後に、ビニールとビニールの合わせ目をマスキングテープで貼り合わせて、できあがり。

◆台所の吊り戸棚
はじめに、棚板を金づちで叩いてはずしておく。内部のサイズを測って、ビニールの必要量を割り出す。全体を1枚のビニールで貼る。最初に奥の面にタッカー代わりのホチキスで、ビニールを貼っていく。次に、上面と底面を貼る。側面の部分は、ビニールが余るので、うまく折りたたんで収める。全体が貼れたら、マスキングテープで合わせ目を貼る。棚板をビニールで包んで、元の位置に戻す。

◆流しの下
全体の貼り方は、吊り戸棚のときと同じだが、排水パイプは通っているので、その部分をうまくよけてビニールを貼り付ける。

 

○引越まで最終段階
 自宅では、引越への最終作業が急ピッチで進められていました。引越まであとわずかな時間しかないのに、やらなければならない作業が山ほどありました。ひたすら捨てるものと段ボールに詰めるものに分けているのですが、いつまでたっても終わりません。それに加えて、私は他にもやらなければならないことがありました。2002年にこの家に引っ越して以来、様々なCS対策を施してきましたが、それを撤去して元通りの状態にしなければなりません。数多くの対策を行ってきましたが、大別すると、主に次の2つに分けられます。

(1)ビニールを貼って化学物質を封じ込めた(留めるのにマスキングテープを使用)
(2)マスキングテープで収納や部屋の扉を目貼りして化学物質を封じ込めた

(1)も(2)もマスキングテープで貼り付けているので、これをはがしていかなければなりません。数年たったマスキングテープはすっかり劣化して、糊が変色していました。テープ自体もカサカサに乾燥して、はがそうとすると裂けてきます。はがしたあとも劣化した糊が素材に残ってしまいます。へらやガムテープを使って、少しずつはがしていかなければなりませんでした。根気と時間のいる作業です。私は引越準備と平行してこの作業を行っていきましたが、全く時間が足りません。マスキングテープをはがすときに木部の塗装がはげてしまったところには、絵の具を塗って元通りの外観に戻すことにしました。圧倒的に時間が足りないので、最終的には11月26日に引っ越したあと、退去日までの4日間(11月27〜30日)に、新居からこの家に通って作業することになりました。

○ついに引越!
 引越当日は、引越屋さんのトラックが午後3時に来るというので、その時間まで夫と2人で黙々と作業を続けました。もう直前に迫っているのに、まだ荷物が全部まとまっていません。何も考えずにどんどん詰めて行きました。

 引越屋さんのトラックがやってきて、積み込み開始。そして夕方には出発。私は布団と身近な品とパソコンを自家用車で運ぶことにしました。早めに新居について、引越屋さんのトラックを待ちました。

 トラックが到着してから、ひたすら家具や段ボールを運び込んでもらって、設置する作業を続けました。終わったときはヘトヘトでした。

 私はこの日、3Aではなく、会社の事務所で寝ました。ちょうど1ヶ月前に、事務所での仮眠と休息用に、折りたたみ式のキャンプベッドを購入していました。配達されたばかりの時は、化学物質の匂いがしていたキャンプベッドも、1ヶ月干し続けたので、匂いが抜けていました。私はこのベッドで寝ることにしました。

 新居の3Aの部屋は、運び込まれた段ボールや引越で生じたホコリがいっぱいです。事務所の部屋は、第5章で書いたとおり、数々のCS対策をしてきて、初めレベル5+++あった部屋をレベル2〜3まで浄化した部屋です。あんなに汚染度が高かった部屋で自分が寝られる日が来るとは、当時は夢にも思いませんでした。この日は興奮してなかなか寝つかれませんでしたが、疲れていたのか、いつの間にか眠っていました。折りたたみ式のキャンプベッドは不安定で寝にくかったし、姿勢がつらくて、起きたとき腰が痛くなってしまいました。

○元の家のCS対策を解除
 翌日、私はもとの家に戻って作業をしなければなりませんでした。新居の方はもう期限などというものはないのだから、ゆっくりと時間をかけて片づけていけばよいのです。古い家の方は11月30日までに明け渡さなければなりません。



 図にかいてある作業を1つ1つやっていきました。マスキングテープは、ねっちりと貼りついているので、はがすのに10分で10cmといった感じで、ものすごく時間がかかりました。木部に貼ったマスキングテープは、シールや塗装をはがす金属製のへらを使いました。粘着成分と一緒に木部の塗料もはがれてしまうので、テープをはがし終わったあと、水彩絵具などで塗りました。台所の調理台など、金属製のところもへらではがしていきましたが、金属同士のぶつかり合いになるので、金属の粉が出て、強い目の痛みが出るのではないかと怖かったです。

 マスキングテープをはがす度に、封入されていた有害成分が長い時間を経て表に出てきました。それはカビであったり、化学物質であったりしましたが、はがしていくごとに、どんどん強まっていきました。11月末で室温が低いのが幸いして、あまり強い反応は出ませんでした。私は時間をかけて、根気よくはがしながら、それを貼ったときのこと思い出していました。2002年にこの家に引っ越してきたばかりのとき、何とかして楽に暮らせるようにと祈るような気持ちで貼ったのでした。こうして8年後にはがしてみると、はっきりと有害な成分が出てきて、長い間、このテープによって、私の健康が守られていたことが確認できました。「この対策は間違っていなかったんだな」と思ったのです。私はこれを貼ったときにも、その後何年も暮らしている間にも、何度となくこのテープを見ながら、「いつかこれをはがす日が来るんだろうか? この家をあとにするようになる日が? そのとき、私はどんな暮らしをしているんだろう? こんなにしっかり貼ってしまって、ちゃんとこれをはがすことができるのかな?」と思いました。封入したものはあまりにも有害性が高かったので、テープをはがしてそれを露出させている自分なんて想像できなかったのです。そして、この家を離れて新しい生活をすることも・・・。私が住める家が他に見つかるかもしれないなんて、とても想像できませんでした。しかし、そのときは来たのです。テープをはがしながら、私は感慨深かったです。次にこの家で暮らす人のために、しっかりと元通りに直して、きれいな状態で住んでもらいたいと思いました。 4日間、6時間ずつ、寒い中で根気のいる作業でしたが、私はそれまで生活を支えてくれたこの家への感謝の気持ちを込めて、進めていきました。

○各部の撤去
 和室のふすまは、マスキングテープをはがすと、木部の塗料がはげてしまいました。ふすまの桟の色も落ちています。ここを水彩絵具できれいに塗っていきます。丁寧に重ね塗りするうちに、なおしたのがわからないくらい自然な仕上がりになりました。

 脱衣所のドアは、マスキングテープをはがすと、白い塗料がはげてしまいました。ここは被覆力の強いアクリル絵具を使いました。「アクリル絵具の成分に反応するのではないか?」と警戒しましたが、大丈夫でした。私は10年以上前に買ったアクリル絵具を使いました。このドアはアイボリー調の白地で、つや消しの仕上がりになっていました。長年使い込んだドアなので、マスキングテープをはがした縁の部分だけ新しい絵の具を塗ると、とても目立ちます。くすんだ色を重ね塗りしたりして、周囲となじませて仕上げました。私はCSのためにずっと画作をやめていたので、絵の具を使うのは久しぶりです。何となくワクワクしました。

 一番苦労したのは、2階の部屋の押し入れです。クローゼット形式になっており、観音開きの扉があります。下には引き出しが2段ついていました。ここのマスキングテープをはがすと、中から何とも言えない汚染された空気が出てきてしまいました。2002年に私たちが入居する前に住んでいた人たちは、犬を飼っていたということですが、このクローゼットからは犬の排泄物の匂いが強くしていました。室温が5度以下の寒い部屋で作業していましたが、それでもかなり匂いました。目貼りをしていた周辺に、マスキングテープの糊が残り、黄色く変色しています。ここにアクリル絵の具を塗ってみたのですが、色が自然に決まらず、いかにもそこだけ塗った感じになってしまいました。11月27日にやっても、28日にやっても、うまく行きません。11月末で日が短いので、曇りの日には午後3時を過ぎると暗くなって色調がよくわからなくなってしまいます。札幌西部の山間の地域なので、日の沈むのが早く、この時期には2時半には暗くなり始めます。

 退去日まで残すところあと2日となった11月29日、私は一大決心して、クローゼットのドアの全面を塗ることにしました。手持ちの絵の具だけではたりないので、新たに購入することにし、ホームセンターへ行きました。水性ペンキの製品を探してみましたが、どれもこれも防サビ剤や防かび剤が入っていて、思わしくありません。100円ショップでアクリル絵具のコーナーを見てみたら、チューブのものが100円で売っていました。成分は、アクリル樹脂と水のみ。これを10本ほど買えば、ドアを塗ることができそうです。絵の具と使い捨てのローラーやパレットも買いました。塗装の前に、ビニールとマスキングテープで養生して(絵の具がかかるとまずいところにビニールを貼って)、絵の具をローラーで塗っていきました。寒さに震えながらの作業でしたが、思いのほかキレイに仕上がり、体への反応も少なくて済みました。ホッとしました。作業中つらかったのは、寒さより押し入れからにじみ出てくる動物の匂いでした。都合3日間嗅いだので、鼻についてしまい、ちょっと嗅いだだけでも吐き気がしました。

○明け渡し
 11月30日は、いよいよ明け渡しの日です。昼頃までに鍵を返すことになっていたので、ひたすら作業しました。この日は夫も行って、一緒に作業しました。8年前に、和室の畳の上にビニールと石膏ボードを乗せて、有害物質の発散を防いでいたので、これを撤去する必要がありました。私は畳に強い反応を起こすので、自力ではがすことができなかったので、作業は最終日に持ち越されました。石膏ボードは11月27日に、業者さんに引き取ってもらっていました。夫が畳の上のビニールをはがしてくれました。私は遠巻きに眺めていましたが、ビニールをはがしたら、強烈な薬剤臭が立ち昇りました。やはり畳の防虫成分は、大変危険です。この部屋にビニールを貼っていたのは正解だったと思いました。もしそれがなかったら、私はこの家で暮らすことはできなかったでしょう。時間が押し迫っている中で、夫はビニールを貼っていたマスキングテープをはがしてくれました。時間がたったマスキングテープは、なかなかはがれてくれません。全部はがし切れなかったようですが、時間切れで引き渡しの時間になりました。

 家中に残っていた荷物を車に積み込み、大家さんに立ち会ってもらって家中を確認し、鍵を返して、ついにこの家を去るときが来ました。夫が最後に玄関の表札をはずしてくれました。それを見たらホロリと来ました。この表札は、この家に来たばかりの頃、私が石膏ボードの切れ端に筆で名前を書いたものでした。「8年間、本当にありがとうございました」と頭を下げました。こうして、本当に本当に、この家とお別れすることになったのです。

 私は、引越とその後4日間の作業の疲れで、ぐったりしてしまいました。引越の片づけはそっちのけで、ゆっくり休みました。3Aの部屋は手つかずだったけれど、会社の事務所であれば空気が大丈夫です。毎日仕事をして、終わるとゆっくり休むようにしていました。

 2Cで暮らしている夫の部屋は、相当「目の痛み」物質の濃度が高いようで、夫の体からも目の痛い成分が発散していました。夫が2Cのベランダに通じる換気扇や通気口を全部ふさいだら、次第に夫の体の「目の痛い」物質は減っていきました。夫と接しても反応しないようになりましたが、私自身は、その後ずっとこの部屋に入ることができずにいました。2Cと3Aは、夏になってもベランダ側の窓を開けないようにしました。部屋にもうひとつ窓があるので、そこで換気をします。


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