第6章 引越

(2017年 4月15日 UP)

目次

〔1〕古い家での生活

〔2〕生活環境の悪化

〔3〕引越に向けて

〔4〕引越の効果

注:この章では、2011年に書いた原稿を2017年にアップロードしています。

*CS:化学物質過敏症、ES:電磁波過敏症


第6章 引越

 2010年11月に引越をしました。CS患者にとって、引越は大きなリスクを伴うものです。私が引越するのにも、大きな覚悟がいりました。それでも引越を決行したのは、それまで暮らしていた家の環境に限界を感じたからです。

 2002年に仙台での生活がCS的に行き詰まり、一大決心をして札幌に引っ越してきました。それから私たち夫婦は8年間その家で暮らしました。初めの頃はいろんな困難を抱えながらも、何とか暮らしていました。しかし、2008年頃から周囲の環境に大きな変化が出てきたため、住環境が急速に悪化してきてしまいました。

 多くの要因が絡んでいます。家の構造や建材の問題、気候の変化、電磁波環境の悪化、水道水の問題、農薬の問題・・・これらが合わさって、生活を困難なものにしていきました。

 2010年の秋には、住環境も私の体調も悪化して、限界に近づいていたので、何かに追い立てられるように引越を決行しました。引越によって、多くの問題は改善されました。この章では、引越に至るまでの経過と、引越の効果について書いていきたいと思います。

〔1〕古い家での生活
○仙台での生活が限界に
 2001年、仙台に住んでいたとき、私は激しい目の痛みの発作を起こすようになりました。はじめは原因がわからず、突然強い発作に襲われるので恐ろしかったです。外出先で目の痛みの発作を起こすようになったあと、自宅の水道水にも強い目の痛みを感じるようになりました。それは、目が焼けただれるような激しい痛みでした。水道水をほとんど使えなくなってしまい、生活は極限状態に追い込まれました。同じ頃、私は水田や除草剤を撒いたところ、街路樹を消毒したところなどに行くと、強烈な目の痛みを感じるようになりました。水道水に反応を起こすのは、農地で使われた農薬が水道水にも混じり込んでいるためではないか、と考えました。

 目の痛みの原因については、その後数年にわたる観察から、様々な要因が作用していることがわかりました。

 当時はあまりに強い目の痛みのため、全く生活が成り立たなくなっていたので、早急な対策が必要でした。原因がはっきりとわかっている農薬類の害を避けるため、農薬使用量の少ない土地に引っ越すことになりました。私が、全国の地図を見ながら候補地にあげたのが、札幌市です。当時、私が住んでいた宮城県は、米どころであり、県内の至る所に水田があります。夏期には、県全体が農薬の霧に覆われてしまう感じがありました。札幌市は農地が北東部に偏っており、市の西南部は農薬の影響が少なそうです。水道水の水源付近にも農地がほとんどありません。



 当時、私は過敏性が増していて、あらゆるものに反応してしまい、旅をするのが危険なので、夫が代わりに札幌に行って、家探しをしてくれました。古い木造家屋が見つかったので、そこに住むことになりました。夫が下見の時、札幌市の水道水を汲んで持ってきてくれたのですが、仙台の自宅の水より、目の痛みが少なかったです。2002年5月に、私たち夫婦は札幌に引っ越しました。

○新居の対策
 築30年以上たつ古い木造家屋に住むことになりました。最初に気になったのは、家の中が動物臭かったことです。カビやホコリの匂いも強かったです。前に住んでいた人が室内犬を飼っていたということでした。洗剤の匂いに反応することを恐れて、前居者が退去したあと、リフォームやハウスクリーニングをしないでもらっていました。私たちは、最初の3ヶ月をほとんど掃除とカビ対策に費やしました。家中をただひたすら雑巾がけしていました。どの部屋にもカーペットが敷かれていたので、ホコリや犬の成分(毛や排泄物と思われるもの)を取り去るのに大変苦労しました。古い家なので、至る所にカビが生えていました。そこを掃除したり、テープで目貼りしたりして、体への影響を抑えていきました。

○厳しい冬の寒さ
 冬になって困ったのは、暖房です。札幌は仙台と比べものにならないくらい寒くなりましたが、私のCSのため、なかなか使えるストーブを見つけることができなかったのです。灯油の匂いや、ストーブの塗料から揮発する成分が問題になりました。結局、十分な暖房器具が得られず、仙台から持ってきたポータブルの灯油ファンヒーターを少しだけ使うのが精一杯でした。この家で毎年迎える冬は本当に寒くて、今思い返してみると実につらいものでした。私自身はストーブの化学物質に反応するよりまだ寒さの方がマシだったのですが、夫には本当に苦労をかけたと思います。夫は毎年、冬が来る頃に、ため息をついて憂鬱そうにしていました。

 十分な暖房が得られず、室温は人がいる部屋で10度くらい。廊下や玄関、トイレ、浴室などは氷点下になっていました。それが4ヶ月以上続きました。昼間暮らしていても寒くてつらく、特に寒い日は昼間でも布団に入っていたこともあります。座っているとき、毛布をかぶったり特別に暖をとる必要がありました。夜、小さなポータブルのストーブを消して寝ると、急激に室温が下がり、朝方には0度近くになります。私は化学物質過敏症のため、十分な布団を用意できなかったので、手足が冷え切って眠れませんでした。冬は一晩に、3〜4回目を覚まし、ストーブを付けて室温を上げる必要がありました。ストーブを付けっぱなしで寝ようとすると、灯油が燃焼する匂いで息苦しく、眠ることができません(詳しくは第1部スモール・データ・バンク「寒さ対策」を参照)。

 はじめの冬から頻繁に水道が凍結していました。寝る前に水抜きをするのですが、それでも凍ってしまいます。水道管の構造に問題があるらしく、水が完全に抜けきらず凍ってしまうようです。また、昼間も家の中が氷点下なので、昼間に凍ってしまうこともありました。日中も水抜きをして暮らすなどできません。そういうわけで、CSが原因の寒さと水道の凍結は、この家で生活していく上で大問題となっていました。

○変化する気候
 私たちが引越した2002年頃から、すでに夏の湿度の高さが気になっていました。近所の人々の話では、年々湿度が上がり蒸し暑い夏になってきているとのことです。しかし、それでも、もともと住んでいた仙台の蒸し暑さから比べれば、まだ湿度が低い方でした。

 この家に住んでいた2002年から2010年の間で、明らかに気候が変わって来たと感じたのは、2008年です。2007年の夏までは、札幌は抜けるような青空が広がり、明るい光が降り注いでいました。色鮮やかな美しい街でしたが、2007年の秋頃からはっきりと空気が濁ってきました。空全体に霞がかかったようになり、光の色も濁ってどんよりとしてきました。それと同時に、湿度が上がって、2008年の6月から夏にかけて、じっとりと湿気の高い天気が続きました。北海道には梅雨がないと言いますが、この天気はまさに梅雨と言っていいもので、毎日のようにどんより曇って、雨が降っていました。私はカビにアレルギーを起こすので、家の中のカビをどう抑えるかということが、毎年の夏の関心事です。温湿度計を毎日チェックしながら、換気や掃除に努めていました。夏は、外で農薬類を使われたときなど、換気ができないこともあります。そのような制約の中でも工夫して、努めて家の中のカビが繁殖しないように心がけていました。

○家中カビだらけに
 ところが、2008年の夏からはっきりとしてきた気候の変化により、だんだんと気温や湿度が上がってきて、カビを抑えるのが難しくなって来ました。2009年には、それまで経験したことのない蒸し暑さにおそわれました。7月に2週間ほど、湿度や気温の高い時期がありました。気温22度、湿度85%が続いたため、家の中は湿気でベタベタになり、これまで決して見られなかったところに、大量にカビが生えてきました。浴室や脱衣所の壁、居室の家具の陰、押し入れ、納戸などです。換気をしようと風を通しても、外気全体が水蒸気を大量に含んでいるので、かえって湿気ってしまいます。22度、85%というのは、それまでに経験したことがなかったので、新しい事態に驚き、衝撃を受けました。(2010年以降は、このような気候が当たり前になって、今では驚かなくなっていますが、当時の驚きは大きかったです。) 2週間が過ぎた頃には、料理をするとき、強いアレルギー反応が起きるようになりました。目や鼻、皮膚にかゆみが出て呼吸困難になります。はじめは原因がわからなかったのですが、ふと見上げると、フード型の換気扇の羽根が真っ白になっていました。まるでビロードのような質感です。羽根全体にカビが生えていたのです!

 この換気扇は、とても古いものなので、錆ついてしまって羽根をはずすことができません。はずしてすみずみまで掃除したかったのですが、できませんでした。羽根がはまった状態でも手が届くところだけは掃除しましたが、まったく不完全でした。換気扇の一部をビニールで覆って、使用するとき以外は、室内にカビの成分が出ないようにしました。レンジフードにビニールをかぶせ、マグネットシートを細長く切ったもので、ビニールの四辺を留めます。ふだんは封入しておいて、換気扇を使うときだけビニールをはずすようにしました。



 さらに各部屋に設置されている吸気口にもカビが生えてきました。壁に四角の穴が空いていて、プラスチックのメッシュ状の網が付けてあるのですが、全体が真っ黒になっていました。プラスチック部分のカビは、はずして丸洗いして取ることができました。ところが、部品をはずしてみると、室内から外壁まで貫通している吸気口の内面が黒くかびています。ここは木部なので、掃除することができません。吸気口の外側にも金属のメッシュ状の網がついていましたが、これも真っ黒にかびていました。この部品もどうやって洗ったらいいのかわかりませんでした。しかたがないので、プラスチック部品を戻し、室内側から通気口をビニールで覆って封入してしまいました。壁に透明梱包テープでビニールを貼り付けました。

 吸気口

 他にお風呂場と脱衣所の換気扇も真っ黒にかびてきました。前年までは全くそういうことがなかったので、明らかにこの年は湿度が高かったのだと思います。こんなに高温多湿になってしまったら、この家のカビは全く手に負えないと感じました。衝撃と絶望感がありました。

○電磁波過敏症が悪化
 別の変化も訪れていました。2007年頃から環境中の電磁波量が急激に増加してきたように感じ、電磁波過敏症の症状が悪化してきました。携帯電話を使用する人が増え、使い方も変化してきたためと思います。それまでは、どちらかというと若い人やビジネス世代の人が中心だった携帯利用者が、高齢世代や子供にも広がってきた頃です。使い方も、通話やメールだけではなく、音楽を聴いたりゲームをしたり、動画やインターネットを見たり・・・と幅広くなってきました。そのため、利用者や使用時間が増えて、空間を飛び交う電磁波の量も増えてきたのではないでしょうか。2007年頃から、頭痛や全身の痛みがひどくなってきて、体を動かすのが不自由になりました。筋肉の痛みは慢性的なもので、常に運動をしたあとのような疲労感がありました。そして、ほんの軽い作業のために腕を動かしただけで痛みが走ります。ちょっとした家事でも、途中で腕が疲れてしまい、動かなくなってしまいます。手足の筋肉の痛みや疲れは、日常動作を不自由なものにしました。また、ただ立っているだけ、座っているだけのときにも、首や肩、背中や腰の痛みのため、姿勢を維持しているのがつらくなってしまいます。2007年頃から始まって、年を経るごとに症状が強まっていきました。私はCS対策のために多くの作業をこなさなければなりませんでしたが、日常生活が不自由になってきました。特につらくなったのは洗濯です。化学物質過敏症のために洗濯機が使えないので、すべて手洗いしなければなりません。けっこうな運動になりますが、電磁波過敏症が悪化してきたら、とても苦労するようになりました。他にも調理や食器洗いなど、体を動かすことはどんどん不自由になっていきました。私は生活全般に不安を感じるようになってきました。

○木造と鉄筋コンクリートの違い
 2009年3月に、私たち夫婦は知人の会社を引き継ぎ、経営することになりました。前章で書いたように、会社のオフィスの環境は化学物質過敏症やアレルギーに対して有害なものだったので、1年以上にわたる多くの対策が必要でした。しかし、それまで札幌の自宅の住環境しか知らなかった私にとっては、新しい住空間を継続的に観察し、比較できる良い機会となりました。会社を引き継いだことは、社会的に私を新たな世界に連れ出してくれたものでしたが、CS的にも大きく視野を広げてくれることとなりました。それまでの住環境を見直すきっかけとなりました。

 会社を引き継いですぐ気づいたのは、鉄筋コンクリートと木造の建物の違いです。自宅であんなにつらかった電磁波過敏症の症状が、鉄筋コンクリートの会社ではずっと楽なのです。鉄筋コンクリート造りは、携帯電話の電磁波を通しにくいということですが、それを実感できました。前章で書いたように、会社のオフィスは窓ガラスに鉄線が格子状に入っています。これが窓からの電磁波を防いでいてくれるようです。明らかに会社の方が筋肉の痛みが減り、動きやすくなります。毎年12月に入ると、年の瀬で人々の活動が活発になり、携帯電話の使用量が増えるようで、私の電磁波過敏症が悪化します。2009年の12月には、終業後もすぐに家に帰らず、なるべく会社にいるようにし、仕事のない日もなるべく会社の建物で過ごすことにしました。体がとても楽でした。

 その前の年までは、年末年始になると、自宅を離れて電磁波の影響の少ないところに避難しなければなりませんでしたが、2009年〜2010年の年末年始は、会社のオフィスで越すことができました。「もし鉄筋コンクリートの建物に引っ越すことができれば、電磁波過敏症の症状が軽くなるのではないか」と考えました。

○ガスストーブ
 また、会社を引き継いでから大きな希望を持ったのは、ガスFFストーブの存在です。会社のオフィスがあるマンションでは、どの部屋もプロパンガスのFF式(強制給排気式)ストーブが設置されていました。私はオフィスのガスストーブにほとんどCS反応を起こしませんでした。自宅ではストーブが十分に使えないために、毎年寒い冬を過ごしていました。それに対して、会社のオフィスはとても暖かく過ごすことができたのです。

 私は2005年頃にも、一度だけガスストーブを経験しています。夫の友人のマンションに行ったときのことです。そのマンションは、給湯も暖房もオールガスの建物でした。このとき、ガスストーブが灯油ストーブのように有害な匂いを発せず、体に負担が少ないことを感じていました。CS反応がほとんど起こりませんでした。

 また、2008年に知り合ったCS患者の体験談も思い出しました。この方は、CSを発症してから灯油の匂いが全くダメになってしまったそうで、暖房に困っているようでした。その後、自宅を新築するときに、暖房も給湯もすべてガスにして、灯油を全く使わない家にしたそうです。ガスの熱源は、CS反応を起こさなかったと言っていました。そんなことを思い返していました。会社のガスストーブには反応が出ないので、ガスストーブを使える家に引っ越せば、それまでの寒い冬を逃れて、暖かく過ごせるのではないかと思ったのです。それは私にとって大きな希望の光でした。

 私はそれまでの家に限界を感じ、新しいところに引っ越したいと考えていましたが、実際の行動に起こすには、勇気が必要でした。これまでの経緯や私の過敏な体質のことを思うと、本当に住める家が見つかるかどうか自信がなかったからです。そんなとき、私を引越へと大きく動かす重大な事件が起きたのです。

(→第6章 〔2〕生活環境の悪化


 

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