北神戸 丹生山田の郷
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無動寺 (*5) (*20) (*26) (*32)  (福地関連リンク

無動寺本堂若王山(にゃくおうさん)無動寺(真言宗)。寺の起源はよくわからない。寺伝である「若王山福寺中興縁由(解説)」によれば、崇仏論争で蘇我馬子(解説)と物部守屋(解説)が戦って馬子が勝ったときに聖徳太子(解説)が物部守屋を討つ(587)に先だって丈六の大日如来と数体の仏像を作らせ、勝利後、丹生山麓のこの地に七堂伽藍を営んで本尊として創建するとともに、寺の鎮守社として八幡宮を勧請したという大阪四天王寺に似た縁起が伝えられている。寺の旧名は地名である福地の村名起源でもある福寺(若王山浄慶院福寺)で、創建の頃は普救寺(ふくじ)と言った(*5)

確実な記録に基づく無動寺の開創時期は不明だが、後述の4体の仏像の推定製作時期から、平安中期(11世紀ころ)には、すでに開創されていたと思われる。これらの緒像の作風は一定せずもともと別々の堂に安置されていたものを集めたともみられている。不動明王が中央仏師の作風を示すほかは地方色を色濃く持っており、平安末期には山田は独自にこれらの像を造立しうるだけの文化水準にあったと思われる。(*32)

明治の廃仏毀釈(解説)で廃寺となったがすぐ復興されて無動寺となった(*5)。「北神戸 歴史の道を歩く」(*26)では、福寺が廃寺となった後その跡地に移転して若王山地蔵院福寺に改称したとある。

大日如来坐像(解説)(高さ2.8mのヒノキの一本作り)、釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像の三尊仏(いずれも国重文)が本尊で平安時代中期の作。他に、不動明王坐像(解説、平安時代後期、国重文)十一面観音立像(平安時代中期、国重文)がある。

無動寺奥の院の絵?寺域には室町初期の宝塔、室町中期の宝篋印塔(解説)などの石造物が残っている。

無動寺の広い山内に明治42年(1909)頃に作られた「四国八十八ヶ所(500mの山道に88ヶ寺の本尊と弘法大師(解説)の姿を刻んだ石造が納められている)」がある。

無動寺奥の院のさらに奥に、古代、神功皇后(解説)が九州熊襲征伐の時に神占によりこの土地に行幸して丹土(赤い土)を採り船や鎧に塗って敵を威圧し大勝利を収めたという伝説(『播磨風土記』)の土を掘ったといわれる跡(*20)が残っているらしい。
(右の写真は、無動寺奥の院に飾られている絵?彫り物?)

無動寺本堂左に上がったところに重要文化財の若王子神社がある。「若王山福寺中興縁由」では聖徳太子の創祀となってるが、北条時政(解説)が建てて若王子権現としたと伝えられており、現在の社殿は鎌倉時代に再建、室町時代に改修されたものらしい(*26)

2月5日に無動寺と若王子神社共同で行われるシュウシオコナイ(頭神事・オトウ)はかつての神仏習合の姿をとどめる古風優雅な祭りで日本の祭り百選にも選ばれている(*26)

無動寺の龍

無動寺(現地掲示板、原文通り)

高野山 真言宗

高野山の高僧、真源和尚が郷里の荒廃した寺院の再興を発願し、半生を捧げて村人と共に復興(宝暦2年・1752)したのが今の無動寺です。古い確実な記録はありませんが、仏像が平安期のものであり鎮守(解説)社であった若王子神社に永仁5年(1297)の棟札(解説)があることなど、古くて大きな寺院であったことを示しています。

仏像五躯

いずれも平安末期の仏像として、国の重要文化財に指定されています。

木造大日如来(解説)坐像(高さ2.8m)

巨大な丈六仏(立てば一丈六尺)で、如来でありながら宝冠や装飾品をつけ、独特の手印を結んで広大無辺の慈悲をあらわしています。顔は面長で奥行があり、腰はしぼられ、下半身は大きく作られています。彩色されない素地像や地方作が多くなるのはこの時代からで、この像もその一つと見られています。

木造釈迦如来(解説)坐像

量感があり、意力にみち、前方をみつめる眼、頭部の盛りあがりと自髪との境がはっきりしないこと、螺髪(解説)が大きいことなどは平安初期の仏像に見られる特長ですが、彫法が浅くするどい切味を消している点で後期の作とみられます。

木造十一面観音立像

頭上に十一面をいただく観音で、お顔は端正で気品があります。衣紋中央の渦紋、裳すそが足首より上にあるなど古い形式が見られます。

木造阿弥陀(解説)如来(解説)坐像

極楽浄土の主として広く信仰されています 他の四像が桧材であるのに対し、この仏像は杉材で造られていて、時期もややさかのぼるのではないかと見られています。

木造不動明王(解説)坐像

火焔を背に剣を持ち、眼を見開いたお姿は、大日如来(解説)の力を現したものです。内部は見事にくりぬかれており、中央仏師によって造られたと見られています。光背の火焔は江戸時代の作です。

神戸市教育委員会


聖徳太子(解説)が物部氏を征伐されるとき、戦勝祈願のために大日如来(解説)と諸尊像を造立せられたのが縁起です

現存の木造大日如来(解説)坐像ほか4像は藤原末期のものといわれいずれも国指定重要文化財となっています また 本堂西の高みにある若王子神社の本殿は小さいながらも室町時代初期の造りで細部手法にすぐれ???がみられます

若王子神社 若王子神社本殿(現地掲示板より、原文通り)

重要文化財(国指定大正3年)

神社建築に多い三間社流造(さんげんしゃながれつくり)の社殿です。棟札(解説)により、室町初期の応永15年(1408年)に建てられたものとわかります。

この神社はもと無動寺(昔は福寺)の鎮守(解説)社として建てられたものです。

およそ570年の長い年月を経ていますが当初の姿がよく残され、この時代の建築様式を知る上で貴重なものです。

神戸市教育委員会

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