追分人形保存会では座員を募集しております。次の世代へ一緒に繋ぎませんか? また、後援会へもご協力をお願い致します。
笹子追分人形公演予定

2024/8/21 中央線本線・富士急行直通90周年記念イベント
2024/8/28 中国青年公益事業交流会2024/9/29
2024/9/29 相模湖公演 - 傾城阿波鳴門 -
 2024/10/12 勝沼公演 - 団子売り  -
2024/10/20 大月市文化祭と民会館公演 - 生写朝顔話・団子売り・三番叟 -
2024/10/27 笹子町ふれあい交流会 - 三番叟・団子売り -
 2024/11/17 県民の日 小瀬公演 
 2025/1/4 リニア館新春公演 

オリジナル人形浄瑠璃「吉窪美人鏡」の一場面、若僧に告白するお吉 
そして断られる場面を現代風にして追分人形紹介用のCMを作っていただきました(^^)

 
2013年国文祭オープニングイベント 甲府駅北口での公演「生写朝顔話」より
◇平日の公演・解説依頼は、座員が会社員ばかりですのでお受けできません。ご理解の程、宜しくお願い致します。



淡路人形の歴史は十六世紀の後半に始まりました。江戸初期、京都の浄瑠璃語りにさそわれ、能や仏教物語の人形芝居を演じ、これが発展して近世人形浄瑠璃芝居となり、その本家は代々源之丞を名乗り、天皇の綸旨と称する一礼を秘蔵して諸国を自由に交通できる特権が与えられていました。また、藩主蜂須賀家の庇護の下に各地を巡遊し、最盛期の十八世紀中頃には座数40、人形遣い930人と記録されています。この最盛期、寛永15年(1638)にここ笹子の地に伝えられました。追分人形と淡路との芸縁の古さは十五代前の天野利兵衛の位牌の裏に人形遣いとあり延宝にまでつながっています。

笹子が宿場町だったころ、街道第一の難所である峠に差し掛かる頃に日暮れとなる。旅人は宿をとると他に何も楽しみがないことと、それまでの旅の疲れを癒し、鋭気を養うため人形芝居を楽しんで翌日に峠を越えて駒飼いの宿へ向かいました。

人形浄瑠璃は、江戸の末期から明治にかけて山梨県内各地へと伝えられましたが、笹子追分人形だけが残っています。その後、県内各地の人形浄瑠璃が衰退していくなかで追分人形が今日あるのは、初代西川伊久造こと天野忠助の努力があったからです。

今も残る義太夫百段集
発行は明治三十七年十一月十五日
この中のいくつかが演目とされたようです。
目録の各演目の上に記がつけられていました




西川伊三郎という関東では有名な人形遣いと忠助氏は交流があり、甲府公演の際に人手が足りなく手伝ったことでその腕を認められ、一緒に各地を公演することとなりました。公演最後(明治20年)に西川伊久造の芸名をいただき、西川一座となったわけです。

今日まで人形を残すにはずいぶんと苦労がありました。
明治35年の水害では倉が2つ流され、これにより衣装がかなり流されてしまいました。また、近所の火災により家が焼けたときも、位牌と人形だけを持って逃げたそうです。明治40年の水害では家を流されましたが、この時も位牌と人形だけを持って逃げ出したそうです。現在の追分地区の地蔵堂のあたりに家があったそうです。
このときの水害により笹子川は、その流れを大きく変えてしまいました。

現在、120体残るうちの何体かは壊れてしまっています。
また人形の制作日は、頭の中に書いてあるため、壊れて初めてわかります。 
人形は飛騨の木曾檜が使われ、型を作った後中をくり貫き、色々なからくりが施されたのち、にかわで閉じます。製作には一年を要したらようです。

山梨県では唯一、江戸の流れをくむ三人遣いで県の無形文化財に指定されています。
公演は1994年、大月西小学校で行われたのが最後となっていました。
1982年、昭和57年12月の県民文化ホールのこけら落としでも上演が行われました。

◇市民会館での本公演
2004年、市制50周年の記念として僅かに10分、10年ぶりに演じられた。
2006年3月18日、“朝顔日記 -宿屋の段・大井川の段-”上演。
2007年4月1日、“安達が原-袖萩祭文の段-”上演。
2008年3月30日、“本朝廿四孝 - 謙信館十種香の段から奥庭狐火の段”上演。
2009年2月8日、“壷坂観音霊験記 沢市 内より山の段”上演。
2010年2月11日、“生写朝顔話-宿屋の段・大井川の段-”上演。
2011年2月6日、“日高川入相花王-渡し場の段-・伽羅先代萩-政岡忠義の段-”上演。
2012年3月18日、“傾城阿波鳴門-巡礼歌の段-・吉窪美人鏡-親鸞聖人御法海 芦ヶ池毒蛇済度之段-”上演
2013年2月3日、“吉窪美人鏡-親鸞聖人御法海 芦ヶ池毒蛇済度之段-”上演【相模人形芝居長谷座交流公演】
2013年10月27日、国民文化祭にて“吉窪美人鏡-親鸞聖人御法海 芦ヶ池毒蛇済度之段-”上演”

◇そのほか
2007〜2009年の8月 地元笹子小学校にて公演。
2007年10月 第49回関東ブロック民俗芸能大会
              山梨県代表として出演 “傾城阿波鳴門”
2008年1月 八王子車人形 共同公演 “本朝廿四孝”
2008年2月 県立博物館 公演 “傾城阿波鳴門”
2009年11月 県立博物館 公演 “壷坂観音霊験記”
2011年1月 猿橋小学校 公演
など

今も残るいろいろな人形頭(かしら)

人形浄瑠璃は、物語の語りと三味線・人形の三者によって表現される。

これらが三位一体となり、芝居に命を吹き込む。
特に人形は、遣い手の呼吸が正確にあってこそ、美しさが発揮できる。

追分人形は文楽と同じく三人遣いであり、ひとり(主遣い)が左手で頭、右手で人形の右手を持ち、左手側にひとり(左手遣い)(刀や槍を持つため)、そして足を担当するのにひとり(足遣い)と三人が一体にならないと人が歩くようには動かすことはできない。

天野宗光氏(西川一座となってから4代目)も六歳から人形遣いを教えられた。はじめは足遣いから始めたという。
始めは好きで入った世界ではなかったが、やっていくうち公演でのすごい拍手をもらったことでやみつきとなったそうである。

2004年、長男 新一氏が5代目として笹子へ戻ってくる。
2005年、地元勇志により改めて保存会の発足。
なんと、このHP製作者である自分が人形を遣う事となった\(◎o◎)/!のだ。。。

05日記’06日記’07日記’08日記’09日記以降

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座員不足が深刻です。
笹子町だけでなく、大月市、いやっ県内で人形遣いに興味のある方を募集しています。
7月から毎週日曜日夜7時半より追分ふれあいセンター(笹子峠へ抜ける県道の途中にあります)で練習しています。まずは見学からどうぞ。(^^)/




2010年7月9日 4代目座長が亡くなりました。
人形をとても大切にしていた人という印象が強く残っています。
皆で5代目を支え、いれまで以上に多くの方々に知っていただき、
次の世代へ引き継がれるように頑張って行きます。




2011年 10月6日、指導を頂いておりました古老が亡くなりました。
この方のおかげで全国的にも珍しい主遣いの口三味線による三番叟が復活できました。



      

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