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【レポート】 |
11月7日の樋島外平海岸整備住民懇
清野聡子さんが再度力説、「要望のまとめは熟慮して」 |
樋島外平海岸の整備計画で上天草市の方針転換を促すきっかけになったのが「龍ヶ岳の海と食を護る会」(北垣潮代表)が主催した2004年11月7日の「八代海の再生と樋島の将来について考える」と題した住民懇談会。環境NGOの松本基督さんがレポートをまとめてくれたので紹介する。 【提供:松本基督/文責:≪環っ波≫編集部】
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講師の清野聡子さんは“現場第一主義”を常に貫く。住民懇談会の前に、まず樋島外平海岸の現地を見て回った |
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残り少なくなった貴重な浜をなんとしても残したい
〈北垣 潮〉 主催したものとして口火を切りたい。
合併前の龍ヶ岳町議会で反対したが、13対1で外平海岸整備事業が可決された。
しかし、私は子供の頃から外平海岸で貝掘りをしたりしていて地元樋島の皆さん以上に親しんできて、どうしてもこの自然の砂浜を残したい思いでいっぱいだ。
1月に県の説明かがあってから天草の海水浴場をあちこち回った。大矢野町の白涛海水浴場は階段式の緩傾斜護岸を造ってあったが、状況は悲惨なもの。海水浴客が激減して20数軒の旅館・民宿はみんな廃業状態だった。弓ヶ浜海水浴場も同様。
果たして階段式の緩傾斜護岸の海水浴場を造って樋島が発展してゆくのか、お客さんがいっぱい来るのか大変危惧している。
また、八代海対岸の芦北町・御立岬海水浴場には年間15万人くらい人が来るが、あそこは温泉などが併設されているからで、外平に海水浴場だけを造って人が来るのか心配だ。
きょうは熊本でもめったにないほどの豪華ゲストをお招きして懇談会を開催する。
司会をお願いした中井さんは若い時衆議院にも立候補された。親戚の方が樋島に養子にこられて、ここにも大いに繋がりがある。
きょうの主役は文字通り「住民」。率直な意見交換しよう
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環境NGOで五和町の町議でもある中井さんの司会で進められた |
〈中井俊作〉 司会として自己紹介、ゲスト紹介をすると、32年前に天草に来た。昭和47年の衆議院選挙に立候補した。当時の金で5000万円ほど使ったが、政治と金と絡むとろくなことがないのでそれ以降ずっと自給自足的な生活を続けている。
この島(天草)でお金を手にすることがどれだけ大変か身にしみて分かっているつもり。教育費、医療費をどう作るかが非常に大変だ。しかし、天草ではお金があまりなくても、自給自足的な生活が可能な恵まれた土地でもある。
住民懇談会とあるようにきょうの主役は皆さんなので、皆さんの声をできるだけ引き出せるように心掛けたい。
皆さんの話の中で出てきた疑問などに答えてくれる3人のゲストの方々の横顔をご紹介すると―
清野聡子さんは海洋生態学が専門で、水俣や御所浦と関わり、不知火海のあり方を提言されている。(所属学会、所属委員会の紹介)
行政にも話が届きやすい立場で、かつ住民が何を望んでいるかを把握し、形として整えてくれる大変心強い、海岸つくりのプロである。
〈清野聡子〉 海が好きで大学生のときに天草に来た。その際タコ釣りに連れて行ってもらったのがきっかけでタコやイカなどの研究をするようになった。きょうは皆さんの話を沢山聞かせていただきたい。
〈中井〉 吉崎和美さんは環境省自然観察指導員。海に限らず天草の自然の状況について大変詳しい観察を続けておられる。天草の自然について分からないことがあれば吉崎に聞けというくらいだ。外平海岸が天草の中でどれほど貴重な浜になってしまったのか、などについて聞かせてもらいたい。
植村振作さんは元大阪大学大学院助教授。生まれが龍ヶ岳の隣の姫戸。「農薬毒性事典」という農薬の毒性について大変詳しくまとめられている本の執筆をされ、目に見えない化学物質の毒性をとてもよく教えてくださる。長く住民の側に立って、被害を受けるのは誰かという立場で活動をしてこられた。そういう意味で大学では出世をされなかった。
子供のころ過ごした思いから「自然の海岸を残してほしい」と新聞投書した
〈植村振作〉 子供のころはこの辺を通っていた姫戸丸に乗ってあちこちに行っていたのでこのあたりには大変関心がある。先日の『熊日』の「自然の海岸を残してほしい」という投書はその気持ちの表れである。
専門は何でも研究対象で地球の地殻、砂の流れ、水の流れなどもあるが、主にプラスチックについて研究していた。物が壊れたり、流れたり、することを研究する「レオロジー」という学問。物事はあまり急に改変すると必ずその後に破壊が起こることになる。
〈中井〉 きょうのレジメは以下のようになっている。話題にしたいことは―
□ 住民の合意形成の大切さ……………青森県の事例⇒(緩傾斜護岸の撤去)
□ 昔の豊かさを振り返って………………大分県の事例
□望ましい将来の姿………………………合意形成
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▼海水浴場の計画(緩傾斜護岸)が前面に出てきたので、北垣さん・島田さんたちが疑問を投げかけた。
昔、外平がどんなところだったか?
【昔の空中写真】国土地理院作成・・・・・1965年(昭和40年)の樋島の解説
白く見えるのは全部砂浜
山が開墾されて畑になっている⇒山越えをして作っていた。
浜ではマテガイが沢山採れたが、上天草水害(昭和47年)から変わってしまった。
外平の砂が今より多かったか、少なかったか?
今より多かった。建地ブロックの護岸を造ってから(昭和30年代)少なくなった。
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波の力に抗しきれなかった護岸
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昨年造られた突堤も自然の力には無力だった?
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現場を調査している立場から自説を説く吉崎さん
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▼台風で建地ブロックの護岸が崩れた写真を示しつつ―
波が激しくぶつかる所に石垣を造ったから、大きい台風で崩れる。海に護岸をせり出すほど波の力が強くなり、その分だけ砂が持っていかれる。
▼最近できた突堤の一部が崩れた写真を見せながら―
今までなかったものを造ると、レジメに書いたように海の自然力のうち非常に強い破壊力が働いて壊されてしまう。(ありのままでは造成力となる=浜が造られていく)
ここがどれ程貴重な浜となってしまったか、砂浜が何故できたか………。
外平の自然生態はもはや有明海・不知火海で他に例みない
〈吉崎和美〉 十数年前に天草における自然海岸調査を行なった際に、外平海岸に来て「すごいところが残っている」と感じた。去年久々に来てみて「エッ!」と驚くほど変わっていた。コンクリート護岸や2本の突堤など報道されているように、あちこちで干潟自体が減ってきており、干潟があっても生き物がいない所が多い。県の自然野生動物調査員をやっているので、外平の夜の砂干潟の生き物の調査を行なった。希少生物を調べることでそこの自然の状態の健全度が分かる。バカガイはいなかったが、他の希少生物(食べものではないが、絶滅に瀕した生き物)が群生状態で見つかったのには驚いた。
富岡の九大の森先生と一緒に見て、「こんなところがまだ熊本にあったのか」とびっくりした。
砂浜が何故できるかについて、−これは清野さんがご専門だが−外海では風も波もあるので内海では河口周辺にできる程度だが、熊本県の自然の砂浜はほとんどつぶされて残っていない。
こんなに高い所まで砂が自然の状態であるところは有明海・不知火海にはもう他にない。しかも陸繋島まである。
海の再生という動きが出てきたが、一つの見方として色んな生き物がいることが大切。
荒尾など有明海の奥には広大な干潟が残っているが生き物はほとんどいない。漁業も成り立たなくなっている。
全体的に見た場合、ここは非常に貴重な場所である。
海水浴場をだめとは言わないが、そのような生き物が生息する場も一緒に残すような計画にできないか。海水浴場もあちこちに同じような緩傾斜のものができているが、違う形で遠くからでも人が来るような魅力あるものを造れば、次の世代に残せるようないいものになる。
〈中井〉 緩傾斜の海水浴場を推進してきた方々は気分を害するかもしれないが、それを造ることでどうなるかをもう一度よく考えてほしい。また、よそでどんなものがあるのか比較検討すべき。同じものなら交通の便がよくて施設がいい所に行ってしまう。
芦北には大規模な人工ビーチがある。
▼ 大矢野町・白涛海水浴場の写真を見せながら―
民宿などが要望して緩傾斜護岸にした。コンクリートの上にコケが生えて、滑りやすくて危険な状態。このためかえって浜に入りにくくなった。
北垣さんの話では来客がずいぶん減ってしまった。
〈北垣〉 旅館・民宿は廃業状態。今年2月の時点での聞き取りで、役場に文句を言ってはどうかと聞いたが、自分たちから要望したことだと答えた。
〈中井〉 駐車場がないので、スペースを確保するために海にせり出す形で緩傾斜護岸にしたら、人が減ってしまった。昔は有名な海水浴場だったのに。
▼ 龍ヶ岳町・高戸海水浴場=北垣水産の前の写真を見せつつ―
緩傾斜護岸を造ってせり出した。波が荒いときは、階段を駆け上がりかえって波しぶきが上がるようになった。こんな風だと駐車場ならば車を止めていられない。
昔は白戸海水浴場だったがいまは「黒戸海水浴場」だ………
▼同じ場所の以前の写真を見せながら―
〈北垣〉 今は黒い砂を他から運んだために砂が黒くなっているが、以前は体が濡れていて砂が付くと体中に金粉をまぶしたように見えるほどきれいな砂だった。昔は白戸海水浴場とも言ったが(砂が白いため)、今は黒戸海水浴場だ(笑い)。
〈中井〉 外平の浜も砂止めを造って砂を入れる計画があるが、これと同じことが起こる可能性がある。砂利採取の仕事をしていた現五和町長は「国立公園内だから採れないが、外平の浜は非常にいい砂だ」と言っていた。よその砂を外平の浜に入れることはその本来の魅力を損ねてしまうこと。
砂があれば海岸として同じこと、生き物も増えてくる、と言われるかもしれないが実はそうでないことについて吉崎さんからお願いしたい。
人口砂浜は砂が動かなくなり自然に影響与える
〈吉崎〉 人工海岸では今の計画同様、砂が動いてなくなると海水浴場として困るので、なるべく砂が動かないようにしている。しかし、自然の砂浜というのは波や風の影響で絶えず動いている。人工の砂浜と自然のそれでは生き物も全く違う。私はウミガメの調査もやっているが、人工の砂浜に産卵したものはなかなか孵化できない。それは、砂が動かないことで有機物がたまってきて汚れてくるからだ。そういう意味では人工と自然の砂浜の質は全く違う。砂を動かないようにするために、人工ビーチでは突堤などを造っているがそれによって潮流や海底の様子まで変わってしまう。
〈中井〉 形だけ砂が入っても本当の意味で海の豊かさにはつながらないという話。
海水浴場を造るのに砂を入れて、階段式護岸にすることが地域の要望を受けた行政の流れとしてある。どのような海水浴場にしたいのか具体的に要望をしないと、後で継続的に砂を入れる羽目になったり、生き物が減ってしまったり、結果的に本来の魅力をなくしてしまうことになる。
先日の台風の後で有明町の人工ビーチのリップルランドでは飛砂がひどくて、道路に積もって轍の後ができたほどだった。民家のほうにも砂が飛んできた。
外平には近くに人家はないが、人工的に砂を入れることが後の始末についても思いがけないことが起きている。
ここまで、安易に行政に海水浴場を要望することで色々とマイナス面が出てくることを一緒に考えてもらいたいということを紹介した。ならば、どうすればいいのか。人が来るような、みんなが喜ぶような浜のあり方は?そこに話を進めたい。
清野さんから各地の事例を紹介していただき、それをもとにみんなで考えよう。青森県では一度造った階段式緩傾斜護岸を住民が中心になって撤去案を作成し、行政を巻き込んで取り壊した。住民が本当は何を求めて、どんなものを造りたいのか、についてはっきりしていればより良いやりようがある。
海水浴場を一概に否定しないが生きものとの共生考えよう
〈清野〉 タコ、イカの研究をしていて、青森県に行った。山ほどアワビが獲れていた豊かな海岸が全くだめになってしまった。
▼ スライドで大畑という町を見せながら―
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外平海岸の全景写真には初めて訪れてもヒントがあるという清野さん |
山があって、川の河口に集落ができていて港などがある。遠洋漁業に出る漁船が大きくなった時に前浜を埋めて漁港を大きくした。しかし、15年ほど前から海岸をもっと大事にすべきだったのではないかという話が徐々に出始めた。
海岸に流木が大量に打ちあがる災害があり、海岸もおかしいが山もおかしい、ということで地元の人が専門家を呼んだりして地域のことを調べ出した。山では荒れて大きく崩落しているところなどがあった。古い写真から昭和30年代のイカを干していた浜の様子などが分かった。写真1枚から浜の幅とか干しているイカのしたにハママツナという食べられる草が生えていたとか、女性の方を中心に色々思い出が甦ってきた。
マグロが沢山揚がっていた頃の古い写真をもとに浜の幅や角度、ようすなどが分かり、沖に転々と岩があり、そこに海藻が生えていたことが分かる。
今の海岸も浸食していると思うが、昔どうだったかをきちんとするためには古いアルバムから思い出の写真を取り出して見せていただくとすごく参考になる。
これは成人式の記念写真で、大きな岩が今でもあり、どこまで砂があり、砂の増減なども分かってくる。
地元の人たちが写真や思い出話などで材料を提供してくれて、私たちのような専門家との共同作業で徐々に昔の様子が分かってきた。
きょうも主催者が航空写真を用意してくれたが、ここでも戦争後は段々畑が山の上まであって過疎化とともに徐々に森に戻っていく、海岸に色んな構造物が造られていく、それが写真を並べて見ていくと、地元の方の記憶が甦ってきた。
公民館などで会合を開き、どんな風にするか何回も議論した。
海岸沿いの集落の防護のために直立護岸が造られてきたが、20年ほど前に階段式護岸でないと補助金を付けないと国が言い始めた。その際、青森県はその傾きだと浜が埋まるので困ると言ったが、国のほうで基準が一度決まるとこれしかだめということで造ってしまった。少し造って、やはりおかしいのでその後はまた直立護岸になった。
砂浜の幅が狭いところは、角度を決められて緩傾斜護岸を造ると先のほうが常に波を浴びるようになり、「ヨリコンブ」という海藻を採取するのに滑って危険だとか、磯物を獲るのに砂浜を歩いていくのに邪魔だとかの話になった。国の補助金が付くと取り壊すなら補助金の返還を要求されるので、行政は取り壊しは不可能だという。それでも、地元からどうしてもこの浜にとって不都合だから色々理由をつけて変えてほしい、と声が上がった。取り壊したものを運び去ることは補助金の関係上できないので、その沖に四角い人工リーフ状のものを造った。地元は「こんなものを要望したのではない」と怒った。
造られたものをよく観察すると、石が密においてあるので水の流れが悪く、生き物が住めない。次第に石が波などの影響で自然にばらけてくると、そこに海藻が生えてくることが分かった。毎日浜に出ている地元の人にとっては当たり前だが、公共事業で造られたものを変えるにはよく観察してどういう風に不都合かを示し、理屈をきちんと立てた上で要望する。
自然に逆らって構造物を無理に造ると生物にとってよくない。最後に公共事業では非常識といわれるような石をばらけさせる工事をやった。何十年も残るものなので、地元が観察をして写真を撮るなどして実情を示し、きちんとしたものを造らせることが大切。
外平海岸に関わることになったのは2003年9月の有明海・八代海総合調査評価委員会で北垣さんがこの海岸を何とか救いたいと訴えられて、「ここ(大畑)と同じことがまた起きようとしている」と思ったため。
いまや国交省は緩傾斜護岸を勧めなくなった………
高戸海水浴場の写真を見ると、このような階段式護岸になって「こんな筈ではなかった」という声はあちこちで上がっている。厳しいのはこれ(緩傾斜護岸)は国が20年前に推進したもので今でもなお進められており、あちこちで失敗しているが、公共工事は失敗したと言えないこと。河川局と港湾局の海岸は昔ほど緩傾斜護岸を勧めなくなってきている。自治体が緩傾斜護岸を希望したときは予想される悪影響を伝えた上で、それでもやるか確認するようになった。
緩傾斜護岸で人が来るか、砂が寄ってくるか、そうではないと気付いたところはもう止めている。気付いていないところは、今から同じ過ちを繰り返そうとしている。
ただ、一度は国が基準を作って推進したものをだめだというとパニックになるので、今では遠回しな表現で緩傾斜護岸建設を抑制しようとしている状況なので、今の計画も考え直してほしい。
▼ 高台からの写真を示しながら
こういう海岸は皆さんにとっては当たり前の風景かも知れないが、今では特別なものになってしまった。というのは砂浜でほとんど無傷のところはそれだけでも日本では貴重な存在。ここに島があって陸繋島といって潮が引くと繋がるところはお祭りがあってお神輿が渡ったり、女の人が特別な着物を着て渡ったり、神秘的なところとして日本だけではなく韓国でも大事にしている。こういう景色があるところは、本当に天然記念物のような場所である。
吉崎さんが言われたようにわずかなこの空間の中に磯があり、砂浜があり、干潟があり、子供たちでも一日遊べるような環境であり、色んな楽しいものが入っている。
私のように全国各地の海岸を見ているものにとって、この海岸はそれほど貴重なものなのにそれがなくなるということは今から病気になろうという人を見るようなもの。
要望まとめるにはじっくり考えて決めてほしい
写真で分るように突堤が2本延びているが、造りかけの名残であり、砂浜を抱きかかえようとするためのもの。2本の腕で抱きかかえられた砂浜は泥っぽかったり、砂が逃げたりするのをたくさん見てきた。本当にそのようになってしまっていいのかということをよく考えてから決断していただきたい。
これがなければ一連の空間の中で砂も波に洗われ、生き物も生活していたが、このように分断されると生息の場所も狭められてくるし、流れも変わってくる。今だったらまだぎりぎり間に合う。他の海岸の事例も今日たくさん写真が出たように見てきて欲しい。その上でどのような海水浴場にするか、どんな風だったら人がたくさん来てくれるのか、地元のほうでも調べてみて欲しい。
地元で調べてよく考えて具体的に要望すれば、受け入れられるようになってきている。しかし、あまり考えずにただ要望したところは変なものを押し付けられても文句は言えない。そこが地方分権とか住民参加であり、これからはお上のせいにできにくくなっている。ぜひ決断する前に、よく考えて欲しい。
▼このあと、フロアーからの質問や意見聴取に移り、以下のような意見が出された。
〈フロアーA〉 ダンチクより陸側に護岸を造ったらどうなるか?
〈フロアーB〉 この樋島地区にもきょう集まった人数の2倍も3倍もの人たちがいる。そこが問題だと思う。
〈フロアーC〉 行政は海中に構築物を造る場合、潮流がどうあんるかなどの実験はやっているのか? そういうことをやってから決定すべきではないか?
▼これらの質問や意見を受けて、出席していた行政関係者が答え、会場の雰囲気は盛り上がった。
時間かけ検討したいが予算消化という現実問題も理解して欲しい
〈県地方振興局〉 1月にもこの会場で説明をしたが、砂浜をできるだけ残して欲しいという要望が出され、その後住民のみなさんが何度も集まるりにくいだろうから、代表者の人たちと話し合っていくことになり、その過程で今の浜を出来るだけつぶさない、残していく方向で考えようということになった。
そして、夏ごろまでにいろいろな先生方を含め相談した結果、採用を考えていた緩傾斜方式はどうしても問題があるとういうことは明らかになった。その結果、計画の見直しを行い、代表者に説明もした。それらの概要を説明すると、基本的に今の海岸を残すことを含め、三つのゾーンを考えている。一つは今の護岸の下の方に補強のために石を積む事、護岸のない所にはダンチクなどを植生してから護岸をする。そして山から海へ植樹をつなげて生きもののがイキキ行き来出来るようにしたい。
これらを基本的な考え方に据え、さらにみなさんの意見を聞いて時間をかけてじっくり行きたいと考えているが、現実には平成15年度の予算消化という関係があるので、3月までに使ってしまわないと繰り越せないので、シャワーとかトイレとかを造ることで消火出来ないか。また、16年度の予算も来年3月までに契約をする必要があるという制約もあり、それらを考えると1月の半ばごろまでに固めなければならないということもあるので、行政の立場としてはあまり時間がないのが実情ということも理解していただきたい。
〈植村〉 私は、造ってしまった突堤をどうするか考えないと外平海岸の基本的な解決にはならないと思えてならない。さっきお見せした写真を撮った時も、この突堤は邪魔だなと強く感じた。
▼ 引き続きフロアーからの発言があった。
〈フロアーD〉 1月の説明会にも出席し、工事に反対したが、その後は代表者を通じて情報が入るだけで、県や市からの情報はほとんど入ってこなかった。県や市はいろいろなことを分っていながら予算消化で頭がいっぱいなのではないか?
とにかく、行政の住民への説明は非常に少ないとしか言い様がない。きょうの場はごく一部の人たちしか集まっていない。もっと多くの市民に徹底することが必要だ。
市は海水浴場ありきでなく環境に配慮した方向で行く
〈市農政部長〉 先月代表者に集まってもらった時、もはや海水浴場は時代の流れから言ってそぐわないのではないか、と申し上げた。かりに、どうしても町の発展のために海水浴場が必要だと言っても全部することはないんじゃないか。環境に配慮したものにし、用地買収もトイレ、シャワー部分について交渉しているが、まだ先行きは分らない。我々はなんとしても環境に配慮した方向で進めたい。
ただ、率直に言って地区での説明は不足していたし、さらに説明会を開くべきかとは思っている。
〈フロアーE〉 経済がこういう状況だから、ある程度(環境に)ダメでもやってもらわざるを得ないのではないかと思っている。
〈フロアーF〉 1年を通じて楽しめる外平にすることを考え、予算内で突堤をはずことが出来るか先生方に聞きたい。
〈清野〉 その前に、こういう話合いでは往々にして反対派の人だけの声が聞こえる事が多いが、推進に同意している方々の意見も聞けて有意義だった。そして、これからの詰めでいろいろなことが考えられるのではないか。(突堤を)取る可能性も十分見出せると思う。
いずれにしても、いろいろな意見が出されたことは有意義だし、いろいろな意見が出て話し合えばいい海岸になる。
〈フロアーG〉 さきほど部長から海水浴場にはならない、環境を重視した方向でやっていくという考えを聞かされた。今後は市として正式に再度説明会を開き、聞ければよいのではないか。
〈県地方振興局〉 私一存では言えないが、持ち帰って、出来るだけ早い機会に再度こういう場をもちたい。
▼ という発言が県当局からあり、拍手のうちに予定時間を30分以上オーバーし閉会した。
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*天草の海からホルマリンをなくす会事務局長 |
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