この夏、環境NGOの主催により開かれた環境会議に、東京から招いた講師の一言に目覚め、刺激され、国や県などが進めようとしている“再生という名の環境破壊”に堂々とモノを言い、自分たちの思いや希望を少しでも反映してほしいと奮い立ち、地元では既定路線と思われていた整備事業に大きな影響を与え始めている天草の動きは、たとえ小規模とはいえ、特筆されるべきものだ。
そしてまた、03年11月に地元環境NGOが招いた研究者が現地を見て吐いた言葉に地域行政が“軟化”するきっかけになったことも見逃せない。
この数ヵ月の現地での動きを地元環境NGOの協力を得てまとめた。
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2004年夏から年末にかけて、天草における国や県・市による“環境整備事業”は必ずしも「整備」でなく、むしろ「破壊」につながるとして地域住民や環境NGOが立ち上がり、様々なプレッシャーをかけた。その結果、事態は楽観視出来ないものの、少なくても良い方向に動き始めた………。この4枚の写真はそういう動きの象徴と言ってもよい。
上から順に―
- 国土地理院が1965年当時撮影した樋島外平海岸の航空写真
- 植村振作さんが2004年10月に撮影した樋島外平海岸の遠望写真
- 第21回天草環境会議(2004年7月)で熊本県は現在「海岸保全基本計画」を策定中で、住民の意思を反映すべきだ、と講演した清野聡子さん
- 2004年12月17日の”円卓会議”は県側から初めて「将来的には突堤の撤去も視野に入れて考える」との発言が出た画期的な場になった。
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