■「天草環境会議」で貴重な一石が投じられた……

天草環境会議は往年の輝きを取り戻した?
「海岸保全基本計画の策定が今進められていることをご存知でしょうか?」―2004年7月3日、天草・苓北町で開かれた第21回天草環境会議で基調講演を行った清野聡子講師(東京大学大学院助手)はソフトな語り口で話し始めた。比較的年配の人たちの多かった会場には「海岸保全基本計画って?」という雰囲気が漂った。
清野さんはさらに「今各県で策定へ向けての検討が進められており、幸か不幸か熊本県は少し遅れているので、まだ間に合います。この計画づくりには法律的に地域の意向を取り入れることが義務付けられています。みなさんの意見が組込まれるよう力を合わせて知恵を出し合ったらいかがでしょう」と、住民参加を呼びかけた。
一見さりげないこの清野発言、実は万鈞の重みをもっていたことがこの半年を振り返ってみると分る。そして、近年ややマンネリ化してきた天草環境会議があるいは輝きを取り戻すかという副産物も生み出した、と言えるかもしれない。

そして、検証を進めると、伏線はさらにもう1年前に遡ることが出来る。
2003年の天草環境会議は20回という節目であった。主宰者の原田正純さん(熊本学園大学教授)らは「大物を呼ぼう」ということで一致し、16年滞在した沖縄から東京へ戻った宇井純さん(沖縄大学名誉教授)に白羽の矢を立て講師に招いた。宇井さんは宇井さんで、「風光明媚な天草の羊角湾にし尿処理場が建設されるらしい」という情報を得ていたため、講演に先立ち羊角湾を視察した。夏の強い光が照りつけた日だった。現場を見た宇井さんは「こういう所に(し尿処理場のようなものを)造らせてはいけない! 大体、し尿は処理するものでなく、活用するものだ」と言い放った。同行していた地元マスメディアは翌朝、その話を記事にした。
次に宇井さんが天草を訪れたのは4カ月後の11月だった。
こんどは「樋島外平海岸を人工海岸にする」という県・市の計画に対し、地元の少数の人たちが反対を表明しているということを聞き、再び天草を訪れたのだった。秋の陽射しをいっぱいに浴びた外平海岸はことのほか美しかった。ここにも地元メディアは同行しており、翌朝、再び宇井発言が報道された。

そういう宇井さんによる伏線があり、その延長線で清野聡子さんが2年越しの懸案(一度は20回大会の講師として内定していたが、急遽渡米の話が入りキャンセルになった)が実現し、冒頭の発言となった。宇井さんもかつては東大助手。そして時代は変っても今、同じポジションの清野さんが関与するということに何かの縁のようなものを感じる。

地元の環境NGOは奮い立った。二つの伏線を経て、天草環境会議で具体的な一石が投じられたのである。

■ 「海岸保全基本計画」の存在を知る

実は、地元の環境NGOがみな「海岸保全基本計画」の存在を知っていたわけではない。清野発言をキッカケににわか勉強も行われ、短期間のうちに「海岸保全基本計画」は地域のキーワードとなり、環境NGOグループも結成されたという経過もある。しかし、動機はともあれ、「住民参加」を合い言葉にした環境NGOの行動は熱を帯び始めた。
もっとも勉強した一人が松本基督(もとすけ)さんであろう。知る人ぞ知る、羊角湾で真珠工場を経営して来た一族の身で、自身も経営の一角を担っていた。しかし、複合的な要因で年々悪化する羊角湾の水質は真珠養殖に壊滅的な打撃を与え、折りからの不況とあいまって大幅な事業縮小を余儀なくされ、多くの社員を解雇せざるを得なくなり、自らも責任を感じて退いたという苦い経験を持つ人だ。そして、フグ養殖の害虫退治に使われていたホルマリンが海水を汚染することに着目。「ホルマリンを天草の海からなくす会」を立上げ、事務局長として八面六臂の活躍をしていることは周知の事実だ。
その松本さんが清野発言を耳にした時は「衝撃さえ感じた」という。「これがホントの目からウロコだった」と述懐。周囲の元大阪大学大学院助教授で5年前に故郷に戻った植村振作さんや本職は小学校の事務員で地元の海岸の生きものの調査研究をしている吉崎和美さん、福祉施設の職員で郷土史研究家の玉木譲さんなどに呼びかけ、植村“先生”を理論的リーダーに勉強会を開いたり、情報集めに奔走した。

一方、龍ヶ岳で5代目の漁業を受け継ぎ、漁業を営むとともに周囲の支持者に押されて龍ヶ岳町(現・上天草市)の町議にトップ当選した北垣潮さんたちは何時の間にか進められようとしている樋島外平海岸“整備”事業の存在を知り、「これは整備でなく、海岸生態系の破壊だ」と気づき、急遽、「龍ヶ岳の海と食を護る会」を結成、2月には県知事宛てに「外平砂浜の保全と環境調査」を求める陳情書を提出した。

こうして、それとなく粛々と進めようとしていた県や地域行政にとっては“こうるさい動き”が表面化して来た。一方、地元住民や環境NGO側はこの時点では「確たるものは見えなかったものの、動けば何かが変る」という、いわば手応えのようなものを各グループ、各個人が感じてきた。しかし、「何をすべきか」という点では模索の域を出なかったことも事実だった。環境NGOの間にはなにかモヤモヤとした空気があった。

松本さんは粘り強く住懇への参加を呼びかけた
天草環境会議の1ヵ月後に本渡市で開かれた第7回「有明海・不知火海フォーラム」に宇井純さんが講師として招かれた。例によって、講演がメインだが、その前後の時間帯をフルに活用するのが宇井スタイル(清野さんもまったく同じ)。杖をつきながらも歩き回った。7月の清野発言を受けて、「ゆるやかなネットワークを組んで、住民参加のかたちに持って行こう」と集まった環境NGOたちにハッパをかけた。
それに呼応したファーストアクションがフォーラムにおける松本さんのフロアーからの発言だ。傍で聞いていて、しつこいくらいに「清野先生が教えてくれた海岸保全基本計画に我々もモノを言おう。ちょうど県が予定している“説明会”がある。そこにみんなで出ましょう!」と呼びかけた。

8月3日。その甲斐あって? 40数名の参加があり、意見や議論も活発で、午後7時に開かれた会合は予定の9時を大幅に過ぎ、11時過ぎまで続けられるという前例のない事態となった。この状況はすでに松本さんが【天草からレッドカード】で報告されているが、行政側も、その雰囲気から「一部の環境NGOに“扇動”されたものではない」と思い始めた節がある。
ここで注目すべきは、県側が会議の性格をあいまいにするため(ある意味では「海岸保全基本計画」作成プロセスののアリバイ作りかも?)、「住民説明会」としたのに対し、住民側ははっきりと「公聴会」にすべきだと主張、次回の8月11日には「公聴会(説明会)」という併記に変った。(それにしても、行政側の良く言えば柔軟さだが、なにかイージーさを感じる)


■地元住民、環境NGO動き出す

それからの住民や環境NGOの動きは一瀉千里。【どう動いた?】でも一目瞭然のように、羊角湾問題では「河浦の自然を護る会」と「羊角湾を守る会」が9月13日には県と県公共事業再評価監視委員会に事業の中止を、10月4日には「天草の海を考える会」が原状回復などをアピールし、姫路ダム問題では11月2日、「天草の海を考える会」と「龍ヶ岳の海と食を守る会」が上天草市長宛てに「もはや必要のない計画であり、中止すべきだ」と建設中止を申入れるなど、波状攻撃をかける感じであった。


■方向決めた「11.7住民懇」。三つの“破壊事業”も分ってしまった……

そして、11月7日のの2回目の「公聴会(説明会)」にも40数名が出席、時間も12時になんなんとするまで行われた。出席した行政担当者も「早期に再度、説明の場を設けます」と言明。この時点で事態の方向は決まった。
「天草の自然を護る会」の事務局長・生駒研二さんもこのへんを【「有明海・不知火海フォーラム」報告】でレポートしてくれているのでご参照願いたい。

清野さんの再来島を得ての意見交換はある意味で流れを決めた
たった2回、述べ10時間ほどのやりとりで、住民側はこれまであまり関心をもっていなかったいくつかの「事実」を知ってしまった。しかも地域の自治体が静かに潜行しながら進めようとしていた事業を………。
一つは、我が国で初めて着工後に中止した羊角湾の国営干拓事業が姿を変えて“復活”しようとしていたこと。
二つ目は、樋島外平海岸では自然の砂浜をつぶし、いまや評判の悪い緩傾斜護岸を造ろうとしていた。
そして三つ目は、すでに水は余っていて、その目的は失っているので誰もが“死に体”と見ていた姫戸ダム計画をなお推進しようとしていたこと。
―である。

■行政のレベル上回る?調査活動も

環境NGOの行動の延長戦の話になるが、実は、環境NGOを中心にした地元住民は、残念ながら行政の上を行く水準の調査や研究をしている。
その典型が再三登場する吉崎和美さんの20年にわたる海辺の生きものの生態研究だ。いまや学術的にも認知され始めている吉崎さんの現場からの「こんな貴重な干潟はここ天草しかない」という声は20種類以上の絶滅種の存在を見つけているだけに説得力がある。いかんせん生来の声の小ささが災いしてか(失礼!)、あるいはレベルが高すぎる指摘ゆえか、地元行政は耳を傾けてくれない………。
もう一つは、元大阪大学の助教授を永年勤め、5年前に定年を迎え、故郷の天草に戻った植村振作さんの樋島外平海岸における潮流測定だ。上天草市が予算消化のため(と思われても仕方のない)樋島外平海岸を人工海浜、海水浴場化する計画に対し大いなる疑問をもち、突堤と城島の中間地点で11月15日18:00から24時間、流速センサーを使っての調査の結果、最大流速は1秒あたり69〜93センチもあり、海水浴場としては「不適」というより「危険な水域」であるという結果を突き止めた。

詳しくは以下の通りである。植村さんがデータを提供してくれた。



□………………樋島外平海岸潮流測定………………□
天草の海を考える会  植村振作

□測定場所:
 樋島外平海岸突堤と城島中間、陸繋砂州部城島より83m、突堤より51m地点(図−1 (a)、(b))
□測定日時:
 2004年11月15日−16日
図−1(a) 流速計COMPACT-EM設置位置(×印) 図−1(b) 流速計COMPACT-EM設置状況
     (センサーは丸部中央、砂面より60cm高)

□測定方法:
アレック電子製小型メモリー電磁流速計COMPACT-EMを砂面より60cm高に固定して、2004年11月15日18時より16日18時までの間に、1秒間隔で10回の測定(1バースト)を5分毎に間隙的に繰り返し、流速センサーが海水に浸っている時間帯(1バースト中の海水温の変動が±0.05℃内に収まった時間帯)のデータを採用した。

□測定結果:
下図(図−2)の通り。海面は15日夕刻より夜半は比較的穏やかであったが、16日昼間には白波が見られる程度に荒れていた。測定地点には北西および南東方向から波浪が交互に打ち寄せていたが、上げ潮、下げ潮に関係なく常時南東(135度)方向の流れであった。最大流速は15日夜半の潮で69cm/秒(1.3ノット)、16日昼間では93cm/秒(1.8ノット)であった。参考のために、最下段に水俣港の潮位を示した。
図−2 潮流(流速、流向)測定結果

住民懇をビデオで検証すると、会場からこの種の質問が出されたのに対し、担当者は「予算の関係もあり、実験はしませんが、コンピュータでのシュミュレーションは………」などと苦しい弁明をしていた。
「諫干問題」などでもいつも感じることだが、「官」はなぜ、この種の「民」の調査・研究結果を一顧たりともしないのだろうか? 民の声を聞くことは官の権威、沽券にかかるとでも思っているのだろうか? 権威と堅くなさは別の次元と思うが………。

■“予算消化”ありきの行政。その上醜態も演じる

行政側の対応を一方的に責めるつもりはないが、天草のこの半年の動きを検証すると、典型的なケースと思われることが多々あったので紹介しておきたい。
最大の問題点が「予算ありき」である。予算をフルに消化できなかった時の責任者は、その後の出世に響くのか、どういう結果になろうとも、それがたとえ自然を破壊する工事になっても予算の消化が再優先なのだ。
住民への説明会(公聴会)でも、出席していた担当者が苦渋の色を見せつつ、樋島外平海岸に関連して訴えた。「平成15年度分の予算を使い切っていません。これは次年度、すなわち、平成16年度には繰り越されますが、それ以上はできません。そうなると、平成17年度予算にも影響するのです」と。それ故、とりあえずトイレとシャワー設備のハコモノを造りたいとの説明であった。浜をどうするのか? 本論はその間時間をかけて検討したいというわけである。
一部の住民には「せっかく予算がついたんだから、それを地元に還元してもらわんとこの不況下もたない」との現実的意見も少なくないことも事実だ。ただ、それの繰り返しが今日の惨憺たるどこかしこで環境破壊をしている根本原因ではあるまいか?

その上、地元行政の行政者としての感覚を疑うこともいくつか起きている。
10月末のこと。羊角湾の干拓事業跡地の利活用計画に「天草の海を考える会」が県公共事業再評価監視委員会に提出していた意見書が委員会事務局の独断によって公式文書として採用されていなかった!―という事実が判明した。これに抗議した同会は県知事に「公式文書として認めるべきだ」と申入れ、その結果、「私学文書課に問い合わせたら行政文書として残すようにとの助言があった」ので公式文書に加えると言うお粗末な一幕だ。あえて穿った見方をすれば、事業に反対する意見だったからそういう扱いにしたのではないか?………。

公務員法違反とされてもおかしくない事例も発覚した。12月のことである。上天草市議会の会期中に、ある推進派議員が行った樋島外平海岸問題の質問のなかで、約1500人の反対の署名について触れた。この質問内容に疑問を感じた反対派の議員が調べると、なんと市の部長が議員から署名のことを聞かれたため、「口頭で説明するより見せた方が間違いがないと判断」して、5人分の署名の写しを見せたという。「情報公開」を履き違えているのではないか? 信じられない話だ。個人情報の守秘義務をなんと心得ているのだろうか? 厳しいかもしれないが、漏洩した役人は罰せられても仕方があるまい。(残念ながら市役所内でどのような後処理をしたのかは確認できていない)

さらに本質的な面でも怠惰としか言い様がない事例が11月、12月に相次いで浮上した。
11月は「羊角湾」、12月は「姫戸ダム」で、公共事業再評価監視委員会は再審議の結果、両事業とも「事業継続」を認めるものの、アセスメントの不十分さや地元の合意取りつけを条件につけたことだ。地元紙の情報によると、ともに滝川委員長は、「審議の前に済ませておくべきこと」と指摘したが、滝川さんでなくてもまったく同じことを考えるだろう。一体、県や市の担当者は何を考え、どこに目線を置いているのだろうかと言いたい。

■「公共事業再評価委」の存在と機能にスポットが

熊本県には未着工期間や工期が長期化(具体的には10年以上)している公共事業の再評価を外部の目で行うという「県公共事業再評価監視委員会」という“立派な組織”がある。設置されたのは1998年というから丸6年たっている。
しかし、皮肉なことに、この半年の間にこの委員会のことがマスメディアで頻繁に伝えられることもあって、事業計画の是非とは別に、「再評価委ってなあに?」という見方が住民の間に出てきた。これまであまり陽の目というか、話題にされなかった機関が白日の下にさらされた感じだ。
『熊日』などの地元メディアによると、この委員会の実績は審査した県事業が231件で、それらの審査結果は「継続」が223件に対し、「中止」が4件と「休止」が4件とか。実に97%近くが「継続」。別の言い方をすれば事務局案のほとんどを是としているのである。
審議の対象となるのは年間20−50件に上るが、委員会が開かれるのは年6回程度で、その間に現地調査も行わなければならないし、自ずと審議時間は極めて限られる。結果、行政側が作成した資料をもとに判断せざるを得ないという事実がある。このことから、「監視委とは名ばかり。単なる追認機関でしかない」という批判がある。現に、12月5日に姫戸ダム事業に下した「継続」の判断に対し、「主体的な判断を示さない責任逃れの決定だ」(植村振作「天草の海を考える会」代表)という批判が出されている。
こういう批判に対し、“自己改革”の動きも出始めていると伝えられている。「判断材料が不十分で、責任ある判断が出来ない」ということだが、ひとつだけ指摘しておきたい。決して一個人の誹謗ではないが、委員長の滝川清さん(熊本大学教授)、あまりにも忙しすぎませんか? 多分(正確にチェックしたわけではないが)50を超えるこの種の公職についているのでは
? 東京で開かれることが多い「有明海・八代海総合調査評価委員会」にも必ず出席されているし、いかに優秀であっても、物理的に限界があるのでは?―と思わざるを得ない。
いずれにしても、今日クローズアップされたことは、もしかして“再評価委員会を監視して再評価する委員会“が必要なのか? ということではないか………。
不祥事とは言えないが、河浦町長が健康上の理由で突如辞表を出し、10月31日付で辞任したこともやや不可解であった。羊角湾にし尿処理場を強烈に推進しようとしていただけ、突然の辞任は憶測を呼んだ。

■「突堤の撤去も……」との自治体の発言を引出した“円卓会議

以上のように、かなりの曲折を経ながらも、県は“英断”と評価してもよい結論を導き出した.

押し詰まった12月17日、本渡市の県天草地域振興局で開いた、いわゆる円卓会議で樋島外平海岸に計画している護岸工事の施行にあたっては“環境共生型の工法”を採用すると言明したのだ。

この工事、樋島の東側の海岸で約200メートルの老朽化した護岸の補修および護岸のない約50メートルの区間に堤防を新設するというものだが、住民側は問題視し、新設どころか既存の2基の突堤を「完成して1年足らずなのに砂の流出などが早くも起っており、むしろ撤去すべきだ」と迫っていたのだ。ある時点では自治体側と住民側はまったく逆方向の計画、主張をぶつけ合っていたわけだ。
しかし県側は「住民の意向を反映させる」ことの重要性を認識し、この日の会合で、老朽化部分の補修は最小限にとどめる
樋島外平海岸整備計画で初めて関係者が一堂に会し、“円卓会議”が開かれた =2004年12月17日、本渡市で
こと、その場合も自然石などで堤防の根元を補強することとし、さらに新設にあたっては周辺の自然植物を移植することにより波による浸食や塩害を防ぐという、いわば環境共生型の工法を採用することを言明した。
その上、問題の突堤については、現時点では無理としながらも「環境の悪化を招く事が明確になった時、将来的に撤去ということも視野に入れて検討する」と、「撤去」という禁句に初めて言及した。住民側が「前進と受け止めた」(植村振作さん)のもうなずける展開であった。

その結果、老朽化している部分は可能な限り早期に補修することが必要ということで双方が一致、この半年間の成果を双方の歩み寄りでもたらした形になり、天草の自治体と住民の間の環境をめぐる綱引きで画期的な結果を出した節目になったと評価してよいであろう。

■これは“平成の天草の乱”かも?

この半年間の天草における動きを取材し、提供された会合のナマのビデオや地元メディアの情報を検証すると、この小さな島で、と思うような様々な問題が浮かび上がってきた。
したがって、ここで取上げることはひとり天草のことではない。全国津々浦々に起こっている、あるいはこれから起り得る問題である。
そして、このたった半年の間に起った一連の動きは、もしかしたら368年前の1637年(と記憶しているが)に、あの天草四郎が指揮をとった、時の“行政”に反抗した天草の乱の平成版ではないか? ―とさえ思うに至った。天草四郎が誰かは別にして………。

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